第二章 カルバ要塞


 季節も秋に差し掛かり、長く影が延びる今日この頃、太陽が沈むのは早いものだ。そろそろ野営の準備をせねば、暗闇での大慌てを呼ぶ。

 気付けば、真っ暗闇になるのだ。

 ワーレッジたちはどうするのだろう。深い霧の中、延々と続く森を進んでいた。すでに霧の中を泳いでいる印象の、深い、深い霧である。進めば進むほど、霧は深くなっていた。

 自分の足元すらかすむ霧の中、目の前に樹木が現れるのか、低木にぶつかるのか、はたまた、崖が現れるのか。

 『迷いの森』だと、古代より恐れられた理由であった。

 森の民の奇襲が無くとも、並みの人々には、十分厄介な森なのだ。


「はぁ、暗くなる前に着けそうだ」

 

 唐突に、岩肌が目に飛び込んできた。

 先頭を行くオリゲルが、安堵のため息を漏らす。岩肌しかないのであるが、彼らには我が家の屋根が見えた、と言う感覚なのだ。

 屋根ではなく、壁であるが。


「ワーレッジ、周囲に人影は?」


 将軍ブローニックが振り向いた。最後尾のワーレッジは、道中で狩ったのだろう、鹿を背負っていた。

 ブローニックに言われ、やや目元を険しくするワーレッジ。人には分からない方法で、探っているようだ。

 そして、答えた。


「うん、大丈夫みたい。霧の気配が強すぎて、自信ないけど………」

「では、大丈夫だな」


 将軍ブローニックは、笑顔であった。ワーレッジの慎重さは、ブローニックたちが念には念を押してなお、手探りで探し出すほどに信頼性の高いものである。ワーレッジの言葉を合図に、先頭のオリゲルが声を上げた。


「おぉ~いっ、おみやげだぞぉ~」


 合言葉なのか、あるいは、言葉通りの意味なのか。彼らは傭兵さんから奪い取った衣服に金品に武器にと、お前たちは盗賊なのかと突っ込みたい色々を背負っていた。

 何人かは、ついでにしとめた獣を背負っていた。


「なぁ~に大声出してるんだよ、隠れ住んでるだぞ、俺たちは」


 岩の隙間から、ぬっと人影が現れた。

 弓矢を手にしているが、構えている様子はない。ずいぶんと前から、仲間と気付いてた証である。この闇のような深い霧の中で、よく分かったものだ。


「はいはい、いつも見張りご苦労様。安全じゃなかったら、モートリスたちからも、知らせが来るんだろ?」

「ニーフレンの姉さんのもいるわけだし――って、夜番だから、まだ眠ってるか」

「ワーレッジ以外で“念話”ってのが聞こえるのは………ネイベックだけか」

 

 振り向くと、ワーレッジはうなずいた。

 背負う鹿ちゃんも、カクンと、うなずいた。今晩はご馳走だ。それだけではない、角から毛皮まで、余すところなく命を使わせていただくのだ。誰が毛皮のコートを手にするのか、実は全員が持っているのだ。七年と言う狩猟採集の日々を送るうち、少しずつと言うことであっても、気付けば行き届いていたわけだ。

 なお、ネイベックは貴重品袋の運搬係である。

 子供だから軽い荷物を任されたと言うよりも、適材適所である。ワーレッジに劣るものの、運動能力は、人の域を超えているためだ。何かあっても、貴重品だけは、届けるという意味である。

 あくまで最後の手段であるため、やはり子ども扱いだろうか。


「では、ようこそ我らがカルバ要塞へ」


 弓を持った門番は、大げさに腕で岩を指し示す。やはり、仲間である。芝居がかった仕草で、おふざけをしていた。


「なぁに格好つけてるんだよ」

「そうそう、後がつかえてるんだからさ」

「そだ、そだ、途中で狩った獣の肉も、腐っちまうよ」

「なら、とっとと行きやがれ。肉が焼けたら、持ってきやがれ」


 冗談を飛ばしあいながら、岩の隙間に吸い込まれていく荷物の一団。

 すぐ後ろから見つめいても、そんな印象を受けるのは、目の錯覚であり、それは、霧のおかげである。

 下手をすれば、自分の足元も見えない深い霧の中、岩と岩の間には、隙間などないかのように見えるのだ。触れるほど近づいてさえ、見分けがつかないほどの隙間に、荷物を背負った面々が消えていく。

 しかし、近づくと気付く。岩の隙間は、広々として、まるで、岩が道をあけてくれる錯覚を覚える。実は岩が折り重なっているのではなく、真上から見れば、ジグザグに隙間を開けているのだ。

 そして、広い。

 荷物を背負ったまま、スタスタと通れるほどに幅広い。ジグザグの道を抜けると、洞窟が口を開けていた。

 ようやく、入り口だ。


「やっと一息つけるって所か。ところでワーレッジ、今回はどんなの選んだ?」

「えっと、新入りっぽいの選んだ。多分、どっかの森で木こりでもやってたんじゃないかな。森に慣れてるって言うか、木の枝を折って目印にしてたし」

「そっか、なら、ちゃんと近づくと危ないって、改めて伝わるわけだ」

「うん。傭兵達も話してたけど、ボクに出会ったら、誰も生きて帰れないんだって。生存者が話してるみたい」

「………生存者、いるじゃん」

「うん、残してるもん」


 かみ合うような、かみ合わないような会話をしながら、最後尾のワーレッジも入り口を通過した。

 そこは、洞窟を利用した大広間であった。

 数十人を楽に飲み込むほど広く、天井は遥かに高い。ここが隠れ家だといわれても納得の広さは、ただの入り口の広間に過ぎない。隅には弓矢や槍などの武器のほか、わずかに日用品もある。門番のための備品であった。

 この入り口を見つけることは、不可能ではないためだ。

 森の霧には濃淡があり、比較的薄い場所が、ここなのだ。あるいは、そのためにこの場所にカルバ要塞があるのかもしれない。そして、そのために、常に見張りは目を光らせているのだ。不思議な霧の作用によって、特に上からは、よく目が届くという。

 門番達が、ワーレッジたち荷物を背負った一団の到着を事前に知っていたのは、そういうことだ。

 入り口広間を奥へ進むと、上へと上がる階段がある。

 武器を携えた番人が、ここにもいた。


「まだ入り口だ、とっとと歩け、歩け」

「へい、へい」


 もちろん構えは解いていた。

 岩をくりぬいて作られた、頑丈で、長持ちの階段の、番人さんである。

 岩の隙間からは、木漏れ日のように太陽の光が降り注ぎ、むしろ森の中よりも明るいほどだ。嵐でも、ぽたぽたと水が滴る程度で済むのは、ありがたい。上まで延々と、先が見えないほど延々と、階段は続いていた。

 促されるままに、荷物の列は進んだ。


「はぁ………はぁ………相変わらず、きついな」

「てか、森を歩くより階段で息切れって………いったい何段あるんだ」

「おめぇ、いつも同じこと言ってねぇか?」


 何名かは、すでに足元を向いて歩いていた。急角度ではないが、荷物に引っ張られ、ひっくり返る恐れがあるからだ。

 あとは、上を向けば、絶望するからだ。

 掘り込まれた頑丈な手すりに体重を預けて、慎重に進む。足元には、催眠術のように、単調な画面が待っていた。

 一段一段がぐるぐると、ぐるぐるぐるぐると入れ替わり、催眠術にかかりそうだ。上っているのか、下がっているのか、途中から怪しくなる。この一段は右足、次の一段は左足と、己にしっかりと言い聞かせねば、危ういのだ。

 垂直距離三百メートルの階段の長さは、想像したくもない。


「おい、ちょっと休んでいこうぜ、ちょうど休憩所がある」

「おぉ、あんなところに、広間が………」

 

 危険を冒して、何名かは顔を上げた。

 見えてきたのは、開けた場所であった。

 広間ほど広くはないが、空間には、違いない。お屋敷で言えば、踊り場といった所だ。階段の途中に設けられた、方向転換をするための、少し広い空間である。少し休むことも目的としているため、休憩所である。

 休憩したい誘惑が、待っていた。


「お~う、おつかれ。あと、ここは休憩所じゃなくて、見張り台な」


 槍を手にした男が、ひらひらと、手をふっていた。

 ねたましい、日がな一日のんびりと、長イスに座って景色を楽しんでいる野郎であった。くりぬかれた岩の裂け目から、外をのんびりと眺めていた。ここは入り口から五十メートル地点。このような見張り場所が、頂上までいくつも作られているのだ。ある場所では九十度の方向転換、ある場所では百八十度と、地形を生かして掘り込まれているために、同じ角度の踊り場は存在しない。

 ここは、第一通過点。ちなみに、方向転換の角度は、右向け、右である。


「てめ………そんだけ暇なら、荷物持ちを代わりやがれ」

「だめだめ、君らが付けられたかどうか、しっかり見てなくっちゃ」


 おふざけは、仲間の証である。

 一応は休憩所の役割もあるが、見張り場の一つであり、万が一に階段を発見された場合の、防衛拠点の一つでもある。そのために、入り口広間と同じく、武器に保存食や水などが備蓄されていた。


「ほらほら、早く行かないと、暗くなるぜ」

「おめぇ、来月の交代のときは、覚えてろよ」

「そうだ、森を歩き回った後のこの階段のすごさ、今から覚悟しとけ」


 足をがくがくさせながら、軽口を言い合う荷物達。後がつかえているため、哀れにも休憩することなく、踊り場を通り抜ける。荷物を背負った人物が、五人も六人も座れるほどではないのだ。十数人が、アリがえさを運ぶがごとく行列していた。

 先頭のオリゲルが、ふと踊り場を見下ろした。

 そこはどこか、世界から取り残された空間のように見えた。来月は交代しろと言いつつも、一日のほとんどを、ああして孤独に過ごすこともまた、楽しいとは言いがたい。

 今はただ、座っている姿だけが、うらやましく見えていた。



 *    *    *    *    *    *



 男は、走っていた。

 いいや、歩いていた。

 男には、もはやどちらなのか、分からなくなっていた。

 傭兵軍団の、生き残りであった。

 その姿はみすぼらしく、衣服は擦り切れたまま、修復もろくにしていない。片側が半そでであるのは、裂け目が拡大した結果だろう。かつては長ズボンだったろうに、散り散りにやぶれ、半ズボンと化していた。上着の黒ずんだ汚れが、特にひどかった。

 仲間の、返り血であった。


「はっ、はっ、はっ、はっ………」


 息を切らしながら、必死に喉を鳴らし、つばを飲み込む。とたん、嘔吐感に襲われながら、必死に走る。止まれば死ぬと、必死に歩く。

 恐怖が、男の足を動かしていた。

 隣にいた仲間は、気付けば血潮を撒き散らして、倒れていたのだ。振り向くと、やはり仲間が死体となって、転がっていた。自分を除いた仲間たちが、死体に成り果てていた。

 恐怖に固まっていると、仲間の死体の上あたりに、光る“何か”が浮かび上がった。

 木漏れ日によってきらりと“何か”は光った。

 いや、それ自体が輝いていたのか、まるで、天に召される魂のようであった。

 だが、まっすぐ昇ってはいなかった。その光る“何か”は、じっと、こちらを見ていた。


 ――お前も、こっちに来い――


 そう言われたも同然だ。ゆっくりと、光る“何か”が、近づいてきた。

 後ずさると、顔のそばにも、光る“何か”がいた。その光る“何か”は、こちらに向かって、ゆっくり近づいてきた。

 がさっと、森の暗闇の向こうで音がした。

 死に神が、呼んでいる。

 仲間が、呼んでいる。

 男が恐怖に駆られるには、十分であった。

 気付くべきであったのだ。

 いいや、知っていたはずなのだ。ここは、死に神の森なのだと。

 王国の東の果てには、闇のように深い霧がどこまでも広がっている。当然、森も霧に覆われていると知っていたが、その先になにがあるのか、誰も知らない。

 男はそれを、知ってしまったと、恐れた。深い霧が渦巻く森の果てに、なにがあるのかを、知ってしまったのだと。


 死の国だと。


 死に神の森は、死の国への入り口なのだと。だからこそ、死にがみがいるのだと、ただ一人の生き残りの男には、そうとしか思えなかった。

 それからは、ただひたすら、走り続けた。

 歩いているのか、走っているのか、感覚はあいまいであった。あの光る“何か”が、すぐ後ろにいる錯覚が、ただただ、前に足を動かしていた。

 気付くと、男は森の外にいた。夕日が沈む前に、どうやら森を脱出することに成功したらしい。街道は、目の前であった。

 草原にのたくる、一本道が、距離があるために、今は頼りなげなロープに見える。それでも、つかめる場所まで来たのだと、希望が目の前だ。

 今の彼の足では、一時間ほどである。



 *    *    *    *    *    *



「よし、あと………少しだ」


 その階段は、岩を掘り込み、くりぬいて作られている。どれほどの時間と労力をかけたのか、そこをノソノソと、エサを巣に運ぶアリのように、荷物たちは歩く。

 もう、光の空間が、目の前だ。


「はぁ………やっと………や………げほっ、げほっ」

「ががは………ど、ど………」

 

 あと一段で、到着する。

 あと一段で、横になれる。

 前の野郎が力尽きて転がってこないことを祈りつつ、掘り込まれた手すりにしっかりと手を置いて、次の一歩を、また一歩と踏み出す荷物たち。


 そして――


「やっ、やった――」

「ごっ、ごほ、ご~………」


 すでに体力はつきかけているが、駆け出した。入り口で倒れ、仲間の邪魔をしてはならないと、最後の力を振り絞ったのだ。

 そこは、数十人が横になれるほどの広さを持つ、三日月形の空間だった。

 名前もそのまま『三日月門』である。

 ドサドサと、倒れた。

 ご丁寧に、うつ伏せであった。荷物を守るために、最後の力を振り絞ったのだ。


「あぁ………床の冷さが、身にしみる」

「はぁ………はぁ………ゴール」


 ようやく、一息ついたのだ。そのまま少し眠っても、許して欲しい。たとえ目の前にブーツが見えても、気にしない。もう、疲れたのだ、眠らせてくれと。


「おう、おつかれ。暗くなる前にその荷物、中央広場によろしくな」


 許してもらえないようだ。『三日月門』の番人が、残酷に命じた。

 いいや、それだけではなかった。どやどやと、かしましい声が、ドスドスとやってきた。


「いつまで座ってんのさ。こっちは待ちかねてんのに」

「おやおや、肉をそんなとこに置いてちゃ、腐っちまうよ。早く料理しなきゃ」

「ダメだこりゃ、私らで運んだほうが早い」


 お出迎えだ。

 奥様方が、押し寄せてきた。二十代半ばから、四十あたりの、力一杯の女性たちの登場だ。見張りを通じて、すでに知らせが届いていたらしい。お待ちかねの奥様方は、獲物に群がる獣のごとく、荷物を強奪し始めた。

 いや、それすら表現として、不足である。


「え………ちょい、おっ、おばちゃん?」


 若者の言葉など、何の意味があるのだろう。床に寝そべっていた荷物は、掲げられた。


「ほうれ、とっとと行くよ」

「「「「「はいよぉ~」」」」」


 若者達は連行された。

 荷物ごと、連行された。

 さすがは奥様方、その体力は、やわな男の比ではないようだ。日々、料理にまき割りにお洗濯にと、お子様を抱いての家事の日々なのだ。それは、年齢を重ねるごとに、たくましくオバチャンへと成長させていく。

 数もまた、比ではなかった。人だかりは一向に減る気配がない。『三日月門』に到着した順に、担ぎ出されることだろう。


「さぁ、さぁ、いくよ、みんな~」

「「「「「どきなどきなぁ~、荷物のお通りだよぉ~」」」」」

「降ろせ、降ろせ、見世物はいやだぁ~」


 荷物は、じたばたしていた。

 体力は空っぽのはずであるが、まるで生け贄にささげられるかのようだ。じたばたする手足が、岩の天井に届きそうなほど、高らかと掲げられる。

 力いっぱいの奥様方は、わっしょい、わっしょいと、荷物を運ぶ。とても人様に見せられたものではないな避けない姿だが、中央広場は、すぐそこだ。

 そこは、開けた空間だった。

 通路を抜けると、岸壁に囲まれた空間が、草原が広がっている。洞窟を抜けて、外に出たと勘違いしても不思議はない、すでに月は見えていた。

 巨大な大なべの内側にいるのかと勘違いするほど、壁はきれいな弧を描いている。クレーターの、内側だった。

 規則的に続く点の連続の一つ一つは、全てが窓となっている。地上数十階建ての、とても巨大な構造物の、内庭なのだ。クレーターの内側に窓をしつらえることで、外から見れば、ただの岩山にしか見えないのだ。

 直径は、おおよそ二キロメートル。古代の戦いより遥かに古い、神話の時代の戦いの痕跡であると言う。

 それも、人の手が生み出した破壊の痕跡だというのだから、御伽噺だと笑うのも仕方がない。どれほど強力な爆薬を用いても、不可能に思えるほど巨大すぎて、それも、きれいな球体の痕跡なのだ。草原に見えるのは、堆積物のおかげである。カルバ要塞は、この破壊の痕跡を利用して、作り出されたという。

 それが、この要塞へと導いてくれた当時、森の民モートリスたちから、教えられたことであった。

 今はお祭りのように、松明が赤々と燃え上がっていた。


「さぁ、さぁ、戦士たちの凱旋がいせんだ」


 老婆の声が、草原に響く。

 草原の中央付近にある、木製の台場からだった。中央広場と言われる草原では、お祭り騒ぎであった。

 クレーターの内壁に並ぶ点の何割かは、明るく照らされていた。それは地上の星のようであり、ここに人々が暮らしているという、ぬくもりをくれる。

 この場所こそが、ベールディン王国の民の、最後の自由の地であった。


「王国は滅びても、我らベールディンの民はここにあり。さぁ、みんなの無事を、共に祝おうじゃないか」


 老婆の言葉を合図に、歓声が上がった。

 隠れ住んでいるとは思えないほど、大盛り上がりだ。それだけ、このカルバ要塞は安全なのだ。

 そして、この歓声は、自分達のために上げられたのだと思うと、奥様方に運ばれた荷物は誇らしく、そして照れくさかった。

 自分達のために、祝ってくれるのだと、荷物を背負った苦労も、報われると………感慨に浸る間に、到着したようだ。

 どすんと、荷物は地面に落とされた。


「ほぉれ、持ってきたもの、全部だしな」

「ほらほら、早くしな」


 お祝い………の、はずである。奥様方は、荷物と共に、身包み剥いでいた。


「待てって、ズボン脱がそうとするな、オレの身包みまで剥ぐ気かよ」


 さすがは、カルバ要塞の奥様方である、まるで盗賊のようにすがすがしい追いはぎっぷりだ。久々の入荷であるので、仕方もない。その間にも、二人目、三人目と、荷物が運ばれてくる。


「わぁ、一杯売ってくれたねぇ」

「弓矢もたくさん。服もたくさん。本当に、大安売りだ」

「でも、代わりにまた、色々買ったんじゃないの?恨みとかさ」

「大丈夫だよ、先にケンカを売ってきたのは相手なんだからさ」


 かしましく、早い者勝ちセールが開催された。獲物が広げられるまもなく、品物が奪われ、品評会が行われていく。


「あら、この衣装………」


 奥様の一人が、気付いたようにしげしげと、衣服を見る。

 騒ぎが、とたんに静まり返る。まさか、見覚えがあるというのか、ありえない話ではない。生きるためには、何でもするご時世なのだ。知り合いが賞金稼ぎとして、自分たちを殺しに来た。知らぬ間に、殺しあっていたということも、ありえるのだ。

 だからこそ、彼らはふざけあい、笑い合う。

 そこへ、肉が歩いてきた。

 鹿の角が、ゆっさゆっさと頭一つ分、高い位置で主張していた。最後尾の、ワーレッジたちであった。


「どうしたの?」


 鹿を背負ったワーレッジが、きょとんとしていた。賑わいが静まっていたため、興味を引かれたのだ。

 草原に吹くさわやかな風が、どこか頼りない十七歳男子の、淡い水色の髪の毛をなでてゆく。ワーレッジ一人、何も分からない子供のお顔であったが、大人たちの表情は沈うつの色を帯び始めていた。

 季節は秋を向かえ、夜ともなれば冷えるものだが、この場の空気は、それよりもなお、寒気を帯びる。自分達を守るためといっても、手を下した相手が目の前なのだ。

 ワーレッジが悪いわけではない、それと知っていても、仕方がないのだ。

 だが………


「い~い品だよ。ちゃんと汚れを落とせば、元の色合いがきっと戻ってくるよ」


 奥様達は、ずっこけた。

 心配したじゃないかと、よかったと、大いに笑いが起こる。悲しさや悔しさ、憎しみを紛らわせるために、冗談が日常のカルバ要塞である。悪ふざけが過ぎることもあるが、不平、不満ばかりを口にしては、鬱憤が、鬱屈が募るだけだ。

 ならば、笑い飛ばせばいい。逃げ延びた人々は、そうして知恵を磨いていく。

 そこへ、元気なお子様の声が、響いた。


「お兄ちゃんっ」


 タタタタタ――という、かけっこの音まで聞こえる勢いだ。ワーレッジと同じ、琥珀色の元気の良い瞳の、小さな女の子だ。ただ、神の色はやや異なる銀のロングヘアーをなびかせて、力いっぱい、かけてきた。

 誰かのお迎えなのだろうか、奥様方や荷物たちが振り向く中、真っ先に反応したのは、ワーレッジだった。

 お兄ちゃん――と、力いっぱいに呼ばれたからだ。

 殺戮の現場にあっても、子供っぽい笑みを浮かべたワーレッジである。まるで、全てに無関心で、無感動に思えるワーレッジの笑みは、どこか寒気を抱くこともある。

 心を失った殺戮者が、仮面の笑みを貼り付けたと、勘違いするのだ。

 今の顔を見れば、その疑念は吹き飛ぶだろう、妹にべったりの“お兄ちゃん”のお顔になっていた。


「モルテ」


 ワーレッジは背負っていた鹿ちゃんを奥様達に預けると、ひざ立ちになる。さすがの奥様も、数人がかりで受け取るが、もはやワーレッジの視界には入っていない。

 視界にあるのは、かけてくる小さな女の子、ただ一人。

 そして、両腕を、目いっぱいひろげた。

 抱きしめ準備、完了だ。

 すぐに、ワーレッジにモルテと呼ばれた、元気な女の子が飛び込んだ。髪質はやや異なるが、同じ琥珀の瞳である。周囲は、少し年の離れた兄妹の再会に、優しい瞳を送った。

 とても、カルバ要塞の守りの要、最強の宝玉術の使い手だとは思えない、どこにでもいる、兄妹の姿があった。

 そこにいるのが当然と言う、抱きしめるのが当然という一体感だ。

 周りでは運ばれた荷物たちが、家族の出迎えを受けていた。ワーレッジを出迎えたのはモルテと、そして――


「ワーレッジ君、まずはご挨拶でしょ」


 お姉さんが、気付けば目の前にいた。

 ロングスカートの腰に、手を当てている。ブラウンのショートヘアーに、オレンジの瞳の二十一歳のお姉さんだ。十七歳のワーレッジにとって、お姉さんと言う年齢である。

 まぁ、お姉さんか、お母さんか、立場は微妙だ。どのみち、男子が逆らえる相手ではない。ワーレッジは、素直に従った。


「ただいま、ニルミア姉」


 微笑むワーレッジの視界に、モルテちゃんの不機嫌なお顔が飛び込んできた。

 どうやら、自分より先に挨拶をされたことが、お気に召さないらしい。両の手のひらでワーレッジの顔をわしっとつかむと、ぐいぐいと、自らに顔を向けうようとしている。

 逆らうワーレッジではない、素直にモルテに向き直る。


「お兄ちゃん、モルテにもご挨拶は?」


 口ぶりは、ニルミアお姉さんの真似のようだ。お姉さんぶる背伸びが可愛らしく、ワーレッジは、笑みをこぼしながらご挨拶をした。


「ただいま、ボクたちのお姫様」


 周りの人々は、にこやかに見守っていた。

 わずか十七歳にして死に神と呼ばれるほど恐れられ、また、そのように演出してきたワーレッジである。いかに宝玉術と言う力を振るうとはいえ、それだけのことを成し遂げるのは、並みの力ではない。

 なによりも、殺戮を成し遂げて、平然としている少年なのだ。心が壊れているのではと、その精神の危うさを、大人たちは危ぶんでいた。

 それは七年前の、初めてワーレッジに出会って以来の感想だ。故郷を失い、家族を、友人を失うことで、心が壊れることも珍しくない。

 その節もありながら、ワーレッジはどこにでもいる少年だと、大切な仲間だと疑うことがない光景が今、ここにある。

 ワーレッジには、冷酷になってまで戦う理由が、あるのだと。

 そして、何人もが耳にしている。

 約束だと、モルテを守ると、ワーレッジが誰かに向かって口にするのを。約束が誰に向けてのものかは、立ち入った話であり、誰も確かめたことはない。それでも、それだけで十分だ。


「さぁ、お祭りだよ、ボクたちのお姫様」


 ワーレッジは、モルテを抱きなおすと、歩き出した。

 お姫様。

 それは、小さな女の子への呼びかけとして、珍しくない。大切で、可愛いという気持ちが込められている。ワーレッジの態度から、まったく違和感はない。

 ボクたちの。

 少し違和感があるが、呼び名はご家庭によって、様々である。そのため、周囲の人々は、そういうものだと納得している。


「お祭り、お祭り」


 モルテちゃんのご機嫌は、直ったらしい。ワーレッジの腕の中で両手を挙げて、無邪気に喜びを表していた。ワーレッジに絶対の信頼を預けているのだ、元気いっぱいにすぎるが、しっかり抱きしめられているので、多少暴れても、平気なのだ。

 その様子をにこやかに見守りつつ、お姉さんは腰に手を置いて、命じた。


「二人とも、ご飯の前には、ちゃんと、手を洗うのよ」


 ニルミアお姉さんの言葉は、まさにお母さんだ。素直にお返事をするワーレッジと、モルテちゃん。

 これが、今のワーレッジの家族。

 そして、ベールディン王国が滅びた後、逃げ延びた人々はここ、カルバ要塞で新たに家族となっていた。

 今は、ほぼ全ての住人が草原に集い、お祭り騒ぎだ。

 方々では、無事を喜び会う声と、お土産に喜ぶ歓声とが混ざり合っていた。

 演目も、すでに始まっていた。


「さぁ~て、みなさまお立会い。本日の死に神の餌食は、何と団体様の、傭兵軍団だ」


 吟遊詩人を気取っているのは、副官オリゲルであった。

 疲れているだろうに、本日の戦いの様子を、面白おかしく語り聞かせていた。その語りに合わせて、五人ほどが、即興で演技をしていた。楽器も、笛に太鼓にと、種類が豊富だ。王国陥落の折に持ち出した品は例外で、ほとんどが手作りである。弓矢の音は、笛の音でひゅるひゅると、射抜かれる音は、小太鼓の音で、トントトトコトンと、面白おかしく演じていた。人の死を軽んじているわけではないが、娯楽にしてしまえば、怖くないのだ。

 もちろん、演目は一つではない。草原の一角では、お肉様の解体ショーが行われていた。


「さぁ~、さぁ~、みんなのお待ちかね、解体ショーだよぉ~っ」


 豪快なおじさんが、声を張り上げていた。

 我らがブローニック将軍である。

 毛むくじゃらのごっつい腕に、ナタのような剣を、二刀流していた。将軍ではなく、山賊のようだと、よく言われる御仁である。

 しかし、そのナイフ捌きは、正に見事。たちまち毛皮と肉と骨に解体されていく、本日の獲物たち。


「「「「「「わぁ~」」」」」


 子供達は、食材が山積みされる様子に、歓声を上げる。奥様方も、ナイフ捌きに熱い視線を向けている。助手の皆様も、大忙しだ。熱湯に、清潔なタオルに、安全のためのその他に、人手はいくらでもいるのだ。


「はい、しっかりとかき混ぜてね」

「腸や胃袋は二度洗いしてね、味に響くよ」

「ほい、香辛料。今日は大盤振る舞いってさ」


 十人ほどが手を尽くし、料理の準備が進んでいく。子供達は、早く食わせろの大合唱だ。

 今日はお祭り。

 無事に凱旋した英雄達を、たたえる宴会である。その英雄の一人は………もてあそばれていた。


「はい、ネイベックちゃん、よ~しよ~し」

「怪我してない?ちょっとぬぎぬぎしてみよっかぁ~」

「やめてよ、もうオレは大人なんだ」

「だってさ、かわい~」

「はぁ~い、こっちも抱っこさせて~」


 数少ない宝玉術の使い手、ネイベック君十三歳が、生意気にも、お姉さん達をはべらせている。

 構図としてはそうなのだが、どこか哀れであった。

 柔らかな黒髪のショートヘアーを、代わる代わるナデナデされている。これが、弟というお人形の運命なのだ。七年前は六歳児の、まだまだお世話が必要なネイベックである。私がお姉ちゃんになると名乗りを上げたお姉さん達との関係は、今に続く。

 大人扱い?

 無理である。お姉さん達には、いつまでも歩くお人形扱いなのだ。そこへ、出来立て衣服がもたらされた。大量に持ち込まれた材料による、仕立てたばかりの子供服である。


「さぁ~て、着せ替えは、誰が最初~?」

「「「「「わたし、わたし、わたしぃい」」」」

「やめ、やめてぇえええええっ~………」

 哀れであった。



 *    *    *    *    *    *



 月夜に、不敵な笑みが浮かんでいた。

 若い男だった。

 黒髪を乱雑に、ただ短くするだけに切りそろえた、二十代も前半の若い男だ。すでに何らかの役職を得ているようで、座る椅子は、立派なものだった。優秀なのか、それとも、特別な生まれなのだろうか。不似合いなのは、服装にも表れていた。服装と言うか、武装である。薄い金属の板で全身を覆われた、板金鎧を身につけている。


「ははははは、退屈な地方都市と思っていたが、着任早々、死神………か」


 不敵な笑みは、自信の表れだった。

 しかし、新品同然の板金鎧からして、実戦に出たことはなさそうだ。自身の根拠はどこから来るのだろう、きれいな輝きは、その地位がお飾りであることを自白する。


「輝く“何か”が、仲間を襲った………ははははは、間違いない。『宝玉術』だ。王国の使い手が、生き残っていやがったんだ」


 ここは、死に神が出没する森から、徒歩で半日の距離にある地方都市。ベールディン王国の東の果てにあるため、『東の果ての都』と名づけられていた。

 今は帝国の支配下にある地方都市に過ぎない。男は、帝国本土から、新規に派遣された警備部隊の、隊長であった。

 任務はそのまま、都市の警備だ。

 出世には程遠い、つまらない任務だと思っていたところに、好機到来。帝国にとって『宝玉術』の使い手が厄介な敵であるなら、倒した者は、英雄なのだ。

 出世の、好機であった。


「はははは、待っていろ、死に神。お前だけが『宝玉術』を使えると思ったら大間違いだ、ははははは」


 男、バルガデアンは勝利の後の栄光を夢見て、大いにご機嫌であった。

 月夜に馬鹿笑いが、響いていた。


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