第一章 死に神ワーレッジ
さんさんと、太陽が今日も暖かい。
秋に差し掛かる今日この頃、その陽気は地面を暖めて、暖かい。なのに、森の中はうっすらと寒く感じる。木々が太陽の光を逃すものかと枝葉を広げ、互いにひしめき押し合っているためだ。
森は、意外と暗いのだ。
そこに、叫び声がこだました。
「出たぁ~、死に神ワーレッジだぁぁああああああ――」
男の声だった。
その赤茶けた頭はぼさぼさで、服装もみすぼらしく、汚れまみれだ。片手に斧を持っているが、木こりでない。腰には大型のナイフをはじめとして、色々武器を帯びていた。
男は、傭兵だった。
七年前はウアルデギド帝国に雇われ、ベールディンの土地で活躍し、戦後のごたごたにおいても活躍した方々の、生き残りであった。
ベールディンの土地が帝国領土となり、平和となった今は懐に寒さがこたえる流浪の日々。賞金首を求めて各地を転々とし、とある賞金首の存在を知ったのだ。
ー―死に神ワーレッジ――
賞金首の名前や、そのほかが記された古びた用紙が、男の
なぜ――と言う疑問は、この地域の賞金稼ぎがまぬけであると、彼ら傭兵軍団は判断した。曲がりなりにも、軍団と言うだけ合って、それなりの経験をつんでいる、下手な兵隊よりも強いという自信は、実戦経験と言う裏打ちがあってこそだ。
そのため、ただの賞金稼ぎより危険な相手でも問題ないと、死に神が出没するという、この森にいる。
そして、遭遇した。
だが、叫び声が表すものは、恐怖であった。
「ここだ、死に神だぁあああああああっ」
恐怖の理由が、足元に転がっていた。
男と同じく、着の身着のまま、身につけた姿だった。かなりごっつい剣を下げた大男もいるが、抜く間もなかったようだ。十数人の死体が、転がっていた。頭部のない死体や、胸や腹などに空洞がある死体があった。
“何か”が、その身を貫いたようだ。
弓矢でない“何か”であった。その様子を目撃した男はそのために、恐怖の叫びを上げていた。姿は見えないが、死に神に遭遇したのだと。
そして逃げようと、きびすを返した。
斧を手にしていたが、構えようともしなかった。木々すら倒す威力は、人の肉など、骨もろとも切断する凶器である。それを、男はあっさりと放り投げた。
逃げる邪魔になると判断したのか、慌てて手が滑っただけなのか、分からない。本人に判断する余裕はなく、ただただ、逃げようとしていた。
走り出しながら、叫んだ。
「ここだ、ここだぁあああ――」
男は、十数人の一人。
大所帯ゆえに、広い森である故に、別れて捜索していたのだ。死に神に遭遇した中では、最後の一人。
今、ゼロになった。
唐突に、男の思考は闇に閉ざされた。
ドサリと、地面に倒れる音がしたが、その音は、果たして男の耳に届いたのだろうか。傭兵の男は、死んでいた。
そこへ、大量の弓矢が降り注いだ。
すでに命を終えていた傭兵の男には、どうでもいい話だ。風を切る無数の音と共に、金属にぶつかる音と、木々にさえぎられる音、地面に突き刺さる音が、合わさった。仲間の傭兵たちは、悲鳴の聞こえた方向へ向け、弓を射込んでいた。巻き添えなど、気にしていない。
当然の判断だ。
仲間が生きている可能性より、死に神を倒す可能性だ。直接やりあえば危険であるのならば、弓矢を浴びせるべきなのだ。
………なのだが、死に神ワーレッジは、ここにいるわけではなかった。遠くの木陰から、のんびりと眺めていた。
「ふぅ~ん、遠くから弓矢の雨………ボクに出会わない工夫………かな」
つぶやいた声からは、たくましさよりも、頼りなさと言う印象を受ける。薄い水色のショートヘアに、
身長は大人とほぼ等しいが、たくましさはまだまだのようだ。衣服は茶褐色の生地の長袖、長ズボンに、すねをすっぽり覆うロングブーツ。そして、ひざやひじ、腰や腹部を守る、皮製の鎧。有り合わせの、着の身着のままである。
それは、厳しい暮らしを垣間見せるが、傭兵の方々とは、大きな違いがあった。
清潔感だ。
つぎはぎの
そしてその首からは、琥珀のお守りが下げられていた。
『
言葉通りに宝物の一種でありながら、それ以上の意味があるのだ。神々の血の雫だとか、樹木の命の結晶だとか、様々な伝承と共に、伝わっている。
伝わる由来の数だけ宝玉の数があり、歴史があるのだ。
共通することは、一つ。力を持つ人物が持てば、その力は倍、数倍と高められるということだけ。
宝玉を用いるので、『
「弓を打ち込んでる場所は………二箇所か」
近い方を見つめる。
ワーレッジの琥珀色の瞳が、森の木陰の暗闇に、不気味に輝く。無意識に握っていた宝玉も、光っていた。
ここだと教えているようなものだが、意外と、気付けない。
そこにると当たりをつけて探していても、見つけにくいものである。その上に、とてもすばやいのだ。
もう、消えた。
目標に向かったのだ。
その先では、敵は抵抗することすら出来ず、死を迎えることだろう。そのために、ワーレッジは、こう呼ばれている。
死に神ワーレッジと。
* * * * * *
――賞金首 死に神ワーレッジ――
安っぽい用紙に、大きく横書きに、名前が印字されていた。
風に吹かれるままに飛び去った、古びた用紙だった。先ほど命を落とした傭兵の懐から、風に吹かれて飛び去ったものだ。
賞金稼ぎ向けの、依頼書であった。
全ての事件に帝国兵を使うには、数が足りない。それでも、治安を維持するためには、何かしなければならないということで、賞金稼ぎの出番だ。
名前の次に、白紙の空間が広がっていた。本来は、人相書きや、服装などの外見的特徴が記されているはずだが、白紙だった。
死に神と出会って、生きている者はいないためだ。
次に、注意事項が記される。
森に立ち入らなければ、無害とあった。
妙な話である。まるで、森を守っているようではないか。おかげで、その森の付近にのたくる街道は、最も安全な街道とされている。傭兵崩れの山賊、盗賊の方々も、恐れて近寄れないのだ。
最も、そこは古くから『迷いの森』と呼ばれているため、地元の人々は、足を踏み入れることはない。死に神の噂のおかげで、賞金稼ぎで暮らしを立てる方々も、決して足を踏み入れようとはしない。足を踏み入れるのは、手を出すのは、何も知らない流れ者くらいなものだ。
本日の、死に神の犠牲者の方々であった。
* * * * * *
「み~つけた」
子供のように、ワーレッジはつぶやいた。
まだ男らしさが未熟な顔立ちであれば、女性には恋人ではなく、弟にしたいタイプだと、評価されるであろう。淡い水色のショートヘアが、風になびいていた。
ワーレッジは軽快に、枝葉の上を、走っていた。
まるで、森を駆け抜ける風のように軽快に、軽快すぎて、とうてい人には不可能な移動術であった。いいや、人どころか、森の獣でも難しい。
せいぜい、リスくらいだ。
目的の目標を捕らえたのか、リスのように枝葉を駆け上り、大きな樹木の影に、身を潜めた。
遠くを見通す力も、並みの人や、獣すら上回っているワーレッジは、どこかを見ていた。
そして声も、耳に届いていた。
「――………やったか?」
「――いやぁ、あれだけの矢を浴びれば、さすがに………」
「――油断するな。これだけ木々が茂ってるんだ。せいぜい、かすり傷程度だ」
「――毒矢にすべきだったか?」
「――ダメだ。即効性のやつは、数が少ない。切り札は、とって置くものだ」
「――なら、巻き添え食ったやつの死に損か………」
「――生きていたなら………だろ。死に神と出会って、生きて帰った者はいないって話だからな」
「――生存者に言わせればな」
「――………生存者、いるじゃん」
まだまだ、死に神との距離はある。そう思って、声はヒソヒソ声ではなかった。
全員が弓を手にしていたが、腰の矢筒は空だった。死に神の噂を馬鹿にしていない証だろう、あたりをつけた方向に、ばら撒いたのだ。
無駄撃ちをしてもいいように、矢筒は、もう一つあった。
今回の賞金は、それだけの出費に見合う額だったらしい。そう思うと、ワーレッジは少し、うれしかった。どのような評価であれ、人並みはずれたという評価は、少年心をくすぐるものだ。
同時に、その評価をもっと上げねばならないと、思った。バカな連中も、手を出すことを恐れるほどの噂を、必要としていたのだ。
彼らの目には見えないだろうが、ワーレッジの瞳は、光っていた。周囲にも、光るものが浮かんでいた。
水滴だった。
指先ほどの小さな水滴がふよふよと、浮かんでいた。
十個ほどが、浮かんでいた。
「この距離なら、いいかな………」
ワーレッジはつぶやくと、周囲に浮かんでいた水滴を、そっと飛ばした。
ワーレッジの命令に従う、ハチの集団のようだ。もちろん羽音などなく、すぐ目の前に来ても、認識できるか不明である。
水滴の群れの向かう先、傭兵達は、まだ話していた。仲間の巻き添えを引き換えに、勝利を得た。そんな実感が湧いていないためである。
長話は、不安の表れである。
「――どうする、いっそ、走るか?」
「――やめとけ、ガサガサうるさくして、どうする」
「――そうそう、ここにいるぞって、教えるようなものだろうが」
「――それにだ、死に神がこっちに近づいていたら………」
「――やめろ、ってか、そこにいるのか。何か、感じたのか」
この言葉に、ワーレッジは少し緊張した。
かなり距離をとっているものの、気付かれる恐れはある。宝玉術と言う力を振るうワーレッジだからこそ、その力は絶対ではないと知っている。
自分達のベールディン王国が滅びたことからも、経験済みだ。
何より、宝玉術の使い手は自分だけではなく、敵にもいると知っている。そして、宝玉がなくとも、そもそも力の持ち主は、何らかの力を発揮できるのだ。
宝玉術はその力を高め、あるいは数倍もの威力を発揮できるだけだ。
そのため、ワーレッジが緊張したのは、当然だった。人の性格は、早々変わるものではない。臆病ワーレッジと呼ばれた少年は、死に神と呼ばれていてもなお慎重に、慎重を重ねて、なお慎重なのだ。
敵を、確実に倒すためだった。
失うことへの恐怖が、そうさせていた。
後悔。
自責。
そして、約束。
「あの技なら………けど、目立ちすぎるのも………」
ワーレッジは水滴に意識を集中しつつも、静かに息を吸い込む。
敵の集団はまだ同じ場所にいるが、どこかから別働隊が、ワーレッジを狙っているかもしれない。
のんびりと会話をしているのは、ワーレッジの注意を引くための作戦、おとりと言うことも考えられる。
ならば、目立つ危険を冒しても、一気に倒してしまったほうがいいのではないか。ワーレッジは自らと相談するように、首から下げている琥珀の宝玉を握り締め、静かに息を吐く。
冷静に、自分に問いかける。
「………違う………かな。違う………うん、違う」
つぶやきながら、
なにか気配がすると振り向いていた男は、リスの気配におびえているのだろう、ワーレッジのいる方向とは全く別方向を、警戒していた。
その間に、ワーレッジが迷いながら送り出した水滴が、到着していた。
傭兵の方々には、まだ水滴に気付く様子はない。今度は躊躇せずに、ワーレッジはその刃を放った。
頭を直撃された者も、腹部を貫かれた者も、なにが起こったのかわからないまま命を落とし、倒れこむ。
倒れた死体には、いずれも水滴より数倍大きな穴が、うがたれていた。
貫いたというより、一方向への爆発であった。
数に限りがあるため、全員を同時に倒すことは出来ないが、八割以上は倒せた。
ワーレッジの琥珀の瞳が、静かに細められる。
改めて、集中する。はじけた水滴は、こうして再利用され、形となり、次の攻撃に移ることが出来るのだ。
「――なっ、何が――」
恐怖し、戸惑いながらも懐に手を突っ込んだ男がいた。
だが、そこまでだった。
水滴がふわふわと、男の目の前に躍り出る。はじけた水滴は、すでに水滴だと見て分かるサイズに、集まっていた。
男は動きを止めて、水滴を見つめていた。
「――これは、何だ?」
理解できない現象に、反応できないでいた。そういえば、毒矢を持っている人物ではないかとワーレッジは思い出していたが、思い出しただけであった。
すでに、男は脅威ではなくなっていた。
頭部が、吹き飛んでいた。
確実に命を奪うため、ワーレッジは敵の心臓か、頭を狙っていた。余裕がなければ胴体を狙うが、確実性には、こだわりたかった。
それに――
「回収するとき、あんまり大きな穴が開いていると、悪いしね」
懸命になって、しみをこすり洗う己の姿がまぶたに浮かぶワーレッジ。幼馴染のお姉さんにお説教をされながら、ごしごしとお洗濯をする様が、まぶたに浮かぶのだ。
経験済みであった。
すでに勝利の後のことも考えるワーレッジは、仕事人である。そうするうちに、目の前のグループは全滅していた。
ワーレッジはふっと、瞳を閉じた。
「うん、大丈夫だよ、レーネック。きっと守るから………」
数秒、静かに宝玉を握り締める。
誰につぶやいているのでもない、小さなつぶやきだった。それは、自らに言い聞かせるようであり、誰か、この場にいない人物へ語りかけるようでもあった。
亡き友人、レーネックへの誓いの言葉と、自分への言葉。
託された命と、宝玉。
そして、約束。
ワーレッジの瞳は、静かに、開いた。
「弓矢が飛んできた方角は、あとひとつ………」
すでに、おおよその場所、と言う精度に落ちていた。相手は移動しているはずであり、ワーレッジは傭兵達の実力を、侮ってはいなかった。
ワーレッジは、臆病な少年だった。死に神と呼ばれた今も、人の根本は変わることはなく、常におびえているのだ。
失う恐怖に。
そして、強い後悔に。
そうして誕生した死神は、風のように姿を消していた。
* * * * * *
森に、ガチャガチャと、ガサゴソと、何かをあさる音が響く。着の身着のままの、山賊のような一団が、傭兵軍団の死体をあさっていた。
数人は、周囲を警戒していた。手作りらしい、ナイフをくくりつけたような槍に、木製の弓矢など、貧しさをにおわせる武装の盗賊たちだ。
ガサゴソ、シュルンと、身包みを剥いでいた。
斧や剣など、刃物の類は慎重に毛皮などでくるみ、しっかりとロープで縛む。衣服も、血肉で汚れているものと、そうでないものに分けている。医療品に財布といった貴重品は、大切に皮袋に放り込む。
手馴れていた。
亡骸となった傭兵軍団の皆様は、情けないお姿をさらしていた。しばらくすれば、冬眠前の腹ごしらえだと、熊に狼が大賑わいだろう。森の番人で掃除屋さんのカラスなどは、すでに上空で旋回中だ。
そこへ、すっと影が降り立った。
気の早いカラスだろうか、それにしては影がとても大きい。あまりにも突然のことで、見張りは振り向いてもいない。気付いたのは、声をかけられた後のこと。
「みんな、調子はどう?」
死に神ワーレッジであった。
しかし、荷造り中の皆様には驚く様子はない。見張りもまた、ほっとしたお顔で、胸をなでおろしていた。脅かすんじゃないと言うセリフが、喉まで出掛かっているようだ。
そして、死に神ワーレッジも、攻撃の姿勢はとっていない。そもそも、敵対者に姿を見せることなく、一方的に皆殺しにする、死に神なのだ。
ただ、降り立っただけであった。
「ワーレッジ、相変わらず見事だ」
頭巾に見えるのは、皮製のかぶとである。頭を守るには不足に見えるが、額部分は金具で補強されており、頭巾の見た目によらず、役に立つ様子。
この場には、頭巾のおっさんをはじめ、十五人ほどが死体漁りをしていた。
上は頭巾のおっさんの四十過ぎ。下はワーレッジより若い十五歳………未満。ワーレッジに向けて片手を上げる者、視線を向ける者など、様々に挨拶をしていた。
ワーレッジも片手を上げることで応え、改めて頭巾のおっさんと向かい合う。
「ボク、死に神だからね」
優しく、笑った。
水色のショートヘアーがさわやかな風にそよぐ、子供っぽさをふんだんに残した、やわらかな笑顔であった。
知らない人物が見れば、違和感を覚え、恐怖を覚える姿だった。お散歩の最中ではなく、殺戮の現場では、あまりに不似合いな笑顔なのだ。
山賊といった
一応は大人の仲間入りをする年齢のワーレッジでも、あくまで準備期間に過ぎず、おっさんにとっては子供扱いする年齢である。
その子供の手は、敵の血で、べっとりと染まっている。
そうしたのは誰だ、そうさせているのは、誰なのだと。
まぶたの揺らぎは一瞬であるため、気付ける者は少ないだろう。すぐに、豪快なおっさんに戻る。
「ははは、まったく、作戦が台無しだ。一人で全部やっちまって……あまり無茶をするな、モルテも――」
「あ~、聞こえない、聞こえないぃ~」
おっさんの忠告が、小うるさいオヤジの小言に聞こえたようだ。ワーレッジは子供の仕草で、大げさに耳をふさいでいた。
時と場所が違えば、ほほえましい風景だ。敵対していたとはいえ、多くの
慣れているためだ。
慣れてしまった、ためだった。
刃物を荷造りしていたポニーテールの男が、笑いをかみ殺して告げた。
「ブローニック隊長、お説教はその辺で。戦いの場ですぜ、一応」
年齢は、三十歳を超えたあたりの、名前をオリゲル。まるで副官のようだが、ブローニックとは王国時代からの隊長と副官と言う、長い付き合いであった。
「そうだそうだ、オリゲルの言うとおりだ」
耳をふさいでいてもしっかり聞こえていたようだ。ワーレッジは、子供っぽくオリゲルの言葉に続いた。
本当に、子供の仕草である。
己らが楽しむために殺戮を行うのではない、大切なものを守るため、敵に容赦をしないだけなのだ。
そうした人物を、古代からこう呼ぶ。
戦士と
それでも、子供にさせたい役割ではない。言葉に、態度に出さないながら、おっさんが心配するのは、おっさんの役割なのだ。
「ほらみろ、オリゲル。お前が甘やかすから、子供が――」
「子供っても、ワーレッジも十七歳。子供ってなら、ここには一人しかいませんよ。ワーレッジが『宝玉術』を教えてるボウヤがね」
全員が、目線を一人に集中させた。
視線を受けた小さな背中が、ピクリと動く。いったい誰のことだろうと、ゆっくりと振り向く。
子供っぽいと顔立ちなのではない、本当に子供が一人、混じっていたのだ。柔らかな黒髪のショートへアーに、茶色の瞳の十三歳の少年だった。
ここにいる、誰もと同じ姿、森での活動にふさわしい軽装備の、長袖、長ズボンスタイルだ。厳しい暮らしの例に漏れず、それは古着の寄せ集めであり、ひざやひじなどには、皮が縫いこまれている。
ボロボロ、つぎはぎが当たり前でありながら、この中では、請ったつくりと言えなくもない。
目立つのは、右手にはめている腕輪だ。つる草が巻きついたようなデザインであるが、ネイベックにはサイズが合っていないようだ。少しぶかぶかで、子供っぽさを際立たせていた。
家族の形見の、ネイベックの宝玉であった。
「子供って、オレだってもう十三歳なんだっ」
ぶかぶかの腕輪をした少年ネイベックは、ムキになって立ち上がった。
なお、声変わりはまだのようだ、女の子に化けても違和感のない華奢な背中に、可愛らしいお声である。
十三歳の男の子は、にこやかな男達の笑みに、囲まれていた。
「ははは、分かってるって。ネイベックの宝玉術も、ちゃんと俺たちの切り札なんだ。だからこうして最前線に来てもらってるんだからさ。ねぇ、ブローニック隊長」
「うむ、オリゲルの言葉は正しいが………ふがいないことだ、子供を戦いの場に向かわせてしまうとはな。この手に、宝玉の力があれば………」
ブローニックは両脇の剣を抜いて、天に掲げる。
自らを哀れむ男の懺悔でありながら、おふざけもあった。悲しみ、悔しさを口にして何の意味があると、笑い飛ばすのが彼らの強さだった。
「おっちゃんって、並みの使い手が相手だったら、勝てるんじゃない?」
「隊長のほうが、ワーレッジより見た目強そうだし」
「ははは、言えてる、言えてる」
「両手にナタを持つ姿なんて、山賊っぽいしな」
「いやいや、ナタじゃなくて、剣………?」
「でも、ナタって言うほうが強そうだよな」
ワーレッジに続いて、副官オリゲル、そして同調する仲間たち。
一団の人間関係は、良好のようだ。隊長と呼ばれた頭巾のおっさんブローニックなど、ご近所のおっさん感覚である。
なお、両腕を大きく天に掲げ、十字に構えている剣はナタと呼ばれてもおかしくないほど、幅広で巨大である。豪腕のおっさんでなければ、とても二刀流が不可能であろうし、ちょっとした防御なら、もろとも吹き飛ばしそうだ。
唐突に、ワーレッジが振り向いた。
「あ、モートリスだ」
つられて振り向く面々だが、なにがあるのか、気付いた者はいなかった。
ただでさえ、森の木々は木陰ばかりの、暗闇である。見張りはとても神経を使うのだが、気付けないのも無理はない。
気付けば、葉っぱのお化けがいた。
「カルバ要塞の戦士たちよ、無事で何より」
葉っぱのお化けが、歩いていた。
ワーレッジが、訊ねた。
「モートリス、他に、いなかった?」
葉っぱのお化けは、ワーレッジのそばまで来ると、立ち止まった。
フードのおかげでよく分からないが、ワーレッジよりは背が高いようだ。それほど、葉っぱのお化けの擬態はすばらしいのだ。
「逃がされた一人を除いて、全滅のようだ」
声からして、どうやら若い男らしい。そして、寡黙な性格らしい、モートリスと呼ばれた葉っぱのお化けは、短く答えた。
ワーレッジたちのノリについてこれるか、心配だ。
「協力に感謝を、森の民モートリス」
頭巾のおっさんブローニックは、ねぎらいの言葉をかけた。
だが、その言葉は仲間に向けるにしては、少し距離を感じる。モートリスと言う葉っぱのお化けは、おっさん達の仲間と言うわけではなさそうだ。
森の民――と、おっさんが呼んだモートリスは、静かにうなずくことで、謝意に応えた。
どこが首だか、頭だか分かりにくいが、多分、うなずいたのだ。森の民モートリスは、本当に寡黙な性格のようだ。
あるいは、隠れ住むために、身についた習慣かもしれない。そして、もう挨拶は終わったらしい、立ち去った。足音ががさがさと、森のざわめきにまぎれていく。確かにその姿を見送っていたはずなのに、ワーレッジ以外にはすでにその姿を追う事は出来なくなっていた。
長年蓄積された、知恵と技術であった。
「相変わらず、すごいな~、モートリスは。森に侵入者がいたら、教えてくれるし」
この場で最強の十七歳が、不思議そうに見送っていた。
ただ一人、ぼんやりと動きを目で追うワーレッジもすごいのだが、誰も突っ込みは入れなかった。
ネイベックは代わりに、質問をした。
「力があるって………宝玉術じゃ………ないんだよね、それって」
宝玉を右手にしている十三歳の男の子にとっては、自分達と異なる力への好奇心が抑えられなかったのだ。
「うん、魔法の一種って言ってた。えっとね、宝玉術が宝玉を使う魔法で、モートリスたちのは、自然を使う魔法………っていうのかな」
「森に侵入者がいたら、教えてくれる………えっと、森事態が警報装置ってこと?」
「あぁ、そういえば、古くから迷いの森って言われるのも、けっこうあいつらの仕業だっけ?」
「カルバ要塞を守るため………って話だっけか」
「けど、要塞に住んでなかったし、今も別々だし………」
ネイベックの質問から、話題は森の秘密へと移っていく。
死に神が出ると恐れられるこの森は、王国の時代からすでに、迷いの森として恐れられてきたのだ。
もとより、東の果てには闇のように霧が深く、立ち込めている。
そして、この森は王国の東の果てにあるのだ。当然、進むほど霧が深くなり、その霧の濃淡によって、出口の方角だけは、かろうじて分かるという有様だ。
だが、戻ってこれなかったのは、霧のためだけでは、なかったと言うことだ。
それは、何のために。
頭巾のおっさんブローニックは、思い出すようにうなずいた。
「守る………か、ワーレッジが森の秘密を知っていて、よかった。そうでなければ、我々も、今頃………」
「ボクも、最初は攻撃されたけどね。防ぐって分かって――なかったかな、あれ?」
笑っていた。
七年前の出会いを思い出していたのだ。
難民の一団と合流したワーレッジが、この森へと導いた。森の存在を知る人々は危険だとおびえたが、すでに王国のどこにも安全な場所はなく、ワーレッジの言葉を信じるしかなかったのだ。
ところが、予想外と言う事態が待っていた。
森を進むほどに霧が深くなることは予想していたのだが、不思議な攻撃を受けたのだ。
ワーレッジ一人が、平然としていた。攻撃を受けたご本人であるが、全く気にしていない様子なのだ。
警告に過ぎない威力だったのか、本気で殺す一撃も、ワーレッジが余裕で防いだということなのかは、誰にもわからない。
それは笑い事ではないが、ワーレッジたちは笑っていた。出会いは、今ではいい思い出らしい。
その森の民も、こうして共に秘密を守る仲間である。
しかし――と、ブローニックは考える。
今でも距離があり、まだ明らかにされていない秘密を持っている様子でもある。それは、自分達ベールディン王国のためではないようだと。
誰のために、何のためにカルバ要塞を守っていたのか――と。
頭を振ることで、ブローニックは余計な考えを振り払う。貴重な協力者へ疑いを持つことなど、ばかげていると。今の彼らに、その余裕はないのだから。
ブローニックは気持ちを切り替え、宣言した。
「では、戻ろうか。我らが住まい、カルバ要塞へ」
若者達は、元気いっぱいに、お返事をした。
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