宝玉と、約束

柿咲三造

序章 臆病ワーレッジ


「無理だよ、ボクになんて………」


 少年は目に涙をため、か弱くつぶやいた。

 琥珀色の瞳に、薄い水色のショートヘアーの、十歳の男の子だった。身にまとうローブは泥や擦り切れだらけで、少年がまともな暮らしから遠のいていると、見て取れる。

 住まいだとは思いたくもない、隙間風の吹きすさぶ木造の部屋の隅に、うずくまっていた。その頼りない腕の中には、布につつまれた何かを、大切そうに抱きしめている。

 寒さだけが、理由ではない。琥珀の瞳が、恐怖に震えながらも見つめる扉の向こうでは、カチカチと、音がしていた。

 炎が近づく音だ。


「逃げても、帝国兵に追いつかれる。ボクたちは、もう………」


 床を這うように、煙も触手を伸ばしてきた。

 扉にボロ布を詰め込んでも、気休めだったのだ。階下では、炎が渦巻いているに違いない。ここは廃墟となった木造二階建ての、屋根裏。火が届くまでは少しは時間があるのの、逃げ道は、どこにもない。

 死が、目の前に迫っていた。


“大丈夫だよ、ワーレッジ。君にも………ううん、君には、誰よりも強い力があるんだから。僕の父さまが言っていたろ?臆病おくびょうワーレッジなんかじゃない、いつか自分の強さを知る日が来るって………”


 ワーレッジと呼ばれた少年の頭の中に、優しい励ましの言葉が聞こえる。

 だが、隙間風吹きすさぶ屋根裏部屋には、ワーレッジ以外の人影は見られない。哀れにも、死を前に、幻聴が聞こえているのだろうか。

 いいや、違う。

 力を持つ少年、ワーレッジには、はっきりと聞こえていた。これは、幽霊と呼ばれる存在の声であった。

 すぐそばには、亡き友人の幽霊が、たたずんでいた。


「レーネック………だって、ボクは、ボクは………」


 ワーレッジは胸に、小さな命を抱きしめていた。

 可愛らしい、女の子の赤ん坊だった。その小さな手には、宝石がはめ込まれた胸飾りが握られていた。そしてワーレッジの首にも、お守りが下げられている。

 

 『宝玉ほうぎょく』と、呼ばれている。

 

 古代より伝わる、命の力が詰まった石。力を発揮する、道しるべ。友人レーネックが、赤ん坊と共に、ワーレッジに預けたものだ。

 強引に、託されたのだ。

 そして、もう返せない。ワーレッジは、気付けば『宝玉』を握り締めていた。

 祈りをささげるように、強く、握り締めていた。


“勇気を出して。君の力を信じて。僕たちの宝玉が、きっと導いてくれるから”


 レーネックは、優しく諭す。

 ワーレッジは宝玉を握りながら、琥珀の瞳を、ぎゅっと閉じた。たまっていた涙が、つっと、あふれていた涙が頬を伝う。

 叫びたかった。

 出来るわけがないと。

 助けて欲しいと。

 そして、知っている。もう、助けはこないと。

 ワーレッジたちを逃がすために、レーネックは囮となったのだ。

 その結果、幽霊としてここにいる。

 それなのに、生きている自分は、何も出来ないと、悔しさに、恐怖に、ワーレッジは強く瞳を閉じていた。

 とたんに、爆発が起こった。

 ワーレッジは願った。

 具体的に、何を――と言うものではなかった。死にたくないと、このまま死ぬのは、いやだと。

 そして、もう、後悔したくないと。

 ワーレッジは気付かなかった、後悔を続けていることが、生きている証だと。目を閉じ、死を覚悟しながら、死を否定し続けていたのだ。

 音が消えていることにも、気付かなかった。


“――ほらね?”


 レーネックは、優しく告げた。

 ワーレッジが恐る恐る目を開けると、爆風はワーレッジを避けるように流れていた。

 無音で、何かが流れている。そうとしか表現できない現象が、起こっていた。


「ボクは………」


 本能が、生きたいと願った。

 それが、目覚めさせた。

 臆病ワーレッジと言われた少年が、臆病だった理由。使ってはならないと、無意識に抑制していた、強すぎる力。

 その力が今、解放された。


“ワーレッジ、君は、やっぱりすごいんだよ。すごすぎて、力を使うことが出来なかっただけなんだ”


 床は、崩れ始めていた。

 続いて、天井も崩れていく。天井の梁だったのか、太い木材がワーレッジをめがけて、降り落ちてきた。

 ワーレッジが気付いたのは、ぶつかった後のことだ。炎をまとわせた太い木材の陰が、目の端に砕けるのを見たためだ。

 ドスン――という音がするはずだが、衝撃も感じない。ワーレッジに直撃するより前に、まるで、岩にでもぶつかったかのように見えない何かにぶつかり、砕け、落ちていった。

 木造家屋の、最後である。

 ワーレッジたちには何事もなく、ごうごうと炎の渦巻く空中に、たたずんでいた。

 ワーレッジは、涙をためていた。

 恐怖ではなく、悔しさからだった。


「レーネック……ボクがもっと早く、もっと………ボクは………」


 うつむいた拍子に、ワーレッジの髪の毛が、赤ん坊の額にかかった。それがむずかったのか、赤ん坊は可愛らしく、うめき声を上げる。

 慌ててあやすワーレッジに、レーネックは優しく笑った。

 煙にも動じなかったのに、たいしたものだと。

 さすがは、僕たちのお姫さまだと。


“君の友達になれてよかった。ありがとう、ワーレッジ”


 レーネックの声が、聞こえにくくなる。

 赤ん坊をあやしていたワーレッジが慌てて顔を上げると、レーネックの幽霊が、うつろにゆらいでいた。

 レーネックが消えてしまう、ワーレッジは消えないでと、叫びそうになった。

 レーネックは、笑っていた。

 気休めや気休めや、励ましのためではない、安堵の笑みだった。


“モルテを、僕たちのモルテナ姫を守ってあげて………その子は、いつかきっと――”


 淡く、最後に光った。

 モルテと呼ばれた赤ん坊が、ムズがっていた。本名は、モルテナと言うらしい。ワーレッジはそっと優しく、赤ん坊モルテを抱きしめた。

 小さく、か弱いはずの赤ん坊のぬくもりが伝わる。それだけで、強い力が、流れ汲んでくるようだった。互いの持つ宝玉が輝き、ぬくもりは更に熱く、輝いていた。

 地面は、赤々と燃えていた。

 木造家屋の床は崩れ、屋根は崩れ、壁も崩れ落ち、赤々と炎を吹き上げる、炎の塊と化していた。

 その上空に、ワーレッジは赤ん坊を抱きしめ、たたずむ。

 家屋を取り囲む帝国兵が何かを叫んでいる気がするが、ワーレッジの耳には届かない。放たれた弓矢も、もはや脅威ではなくなっていた。

 ただ、レーネックの言葉が、ワーレッジの心で静かに、繰り返された。


 ワーレッジは、小さくつぶやいた。


「うん、レーネック、約束する………約束するから………だから………」


 赤ん坊モルテを抱きしめて、ワーレッジは何度も、約束の言葉を口にしていた。



 七年前、ベールディン王国が滅びる最中の出来事であった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る