睦月――上旬(Part2)
百万都市としては列島の最北に位置している大都会、その街なみ。
この都市は真冬になると、厳しい冷気につつまれる。空から舞い降りたせっかくのさらさらの雪を、その冷気が、白くて固い氷に変えてしまう。
アイスバーンになった路面を歩くひとりの男。地元民なので、足元がおぼつかなくなることはないが、手にはスマホを持っていて、バランスが取りづらそうである。
男の名前は、鹿泉勇人。つるりとした卵型の顔に肩まで伸びた髪。着古した茶色のダッフルコートで寒さをしのいでいる彼は、かなり小柄である。
鹿泉は、地上を長く歩き過ぎて顔面が冷気でこわばってきたのを感じていた。もうとても地上を歩き続けることができそうもない。彼の足は、自然に地下街へと向かった。
階段を降りると、地上と比べて人通りが、かなり多かった。三が日の休みは、今日が最後とあって、買い物や食事を楽しむ人たちで活気に満ちていた。
――失敗したな。始めから地下を歩いていれば、よかった。
彼は、人の流れに乗りながら、ゆく当てもなく地下街を回遊しはじめた。そして、耳をそばだてて、人の声が聞こえないか集中する。
しかしながら、鹿泉が期待しているような声は、なかなか聞こえてこなかった。彼は、小さい子供を連れた家族たちには特に注意を向けた。だが、子供たちは親に抱きかかえられて手で口をふさがれているか、歩いていても極小の布マスクをしていた。みんなおとなしくしていて、しゃべり出しそうな気配はなかった。
――やっぱり、うまくいくはずないよな。
鹿泉は、密告の報奨金である十万円を手に入れようとして街を徘徊しているのであった。
それほどまでに彼のふところは寂しくなっていた。雪に街が覆われるまでは、自転車の荷台に黒い箱を載せて、料理を飲食店から近くの住民へと運ぶ配達員の仕事をしていた。しかしそれも今は路面の走行が危険になったので休業している。自動車の運転免許を持っていれば車を借りて続けることができたが、あいにく彼は、免許を持っていなかった。
ふと思い立ち、声を求めての探索を開始してから二日目。成果はまだない。昨日は駅周辺のいくつかの観光地を回ったが、見事な空振りだった。ただ歩いているだけなので、食費以外の出費はなかったが、さすがに俺は何をやっているんだろうと、鹿泉は思いはじめていた。
「正月早々、高い買い物させやがって」
しわがれた男の声がした。鹿泉は、瞬間的に声をした方を見た。
落ち着いた明かりに照らされたジュエリーショップの前に、白髪の体格のがっしりとした老人と若い女の二人連れが立っていた。光沢が美しい黒い革のコートと、派手なデザインの毛皮のコート。
――空耳でない。たしかに聞こえた。
鹿泉は、手にしていたスマホに急いで入力しはじめた。発声者目撃情報の画面は、ずっと開いたままにしてあった。左端上部の小さな文字で、時間を確認する。
彼は十数秒の後に、音声管理局への送信を終えた。
続いて、あたりを見渡す。スマホを手にしている者を数名見かけたが、まだ入力の最中のように見えた。
――トップいけたかも。
鹿泉は、成果が出そうなことにホッとした。寒い中、朝からうろつきまわった甲斐があったというものである。
彼の視界の片隅に、先ほどの二人連れが映った。老人と若い女はぴったりと寄り添っていて、どうみても親子には見えない。どうやら地下街の西の外れに向かって歩いているようだ。
鹿泉は、つけていることを二人に悟られないような距離まで、速足で寄った。足音を立てず、滑るように。
不釣り合いなカップルの後ろ姿は、ときおり会話をしているように見えたが、声までは聞き取れない。見つめ合っているだけの可能性もあった。鹿泉は、情報を送ることをためらっていた。誤った情報として音声管理局に認定された場合、逆に十万円の過料を払わなければならなくなる。不確かな情報を送るのは、避けるべきだった。先ほどのように、複数の情報が寄せられれば誤った情報として認定されることはまずないだろうが、カップルの周りを歩いている人たちで、声を聞き取ってスマホを取り出している素振りを見せる者はなかった。
二人は、地下街と直結している駐車場に入って行った。鹿泉は、その後を追った。
入口近くに設けられている管理室のおじさんから、じろっと見られたが、鹿泉はとっさにコートのポケットに手を入れて、車のキーを探すふりをしながら、通り過ぎた。
駐車場の中は、三人の他には誰もいない。しんと静まり返っている。午前中で買い物をすまして、そのまま帰るという人は、まれだ。なおも後をつけていくと、二人は広い駐車場の奥の方に置いてあったライトブルーの高級車の前で立ち止まった。しっかりとしたボディが際立つ、世界有数のブランドのものだった。
老人と女の姿は、その車の中に消えた。
鹿泉は、せめてナンバーでも控えようと思い、大胆にも外車の近くまでまで行って、駐車している車の陰に隠れた。出ていく一瞬をとらえて、ナンバープレートの数字を確認できそうな気がしていた。
すぐにでも車は出ていくだろうと鹿泉は予想していたが、意外にも老人と女は、もう一度姿をあらわした。
二人はタバコを吸っていた。かぼそい紫煙が、二筋、空中をただよう。駐車場は、もちろん禁煙だが、それを気にする人たちではなさそうだった。
「腹減ったな。何か食いに行かないか」
「いいわよ。夜まではひまだし」
「ジンギスカンにするか。落ち着いて食べられる店を知ってる」
「そうしましょ」
「じゃあ決まりだな。どうせ飲むから、帰りのために誰か呼びつけておくか」
老人はタバコを口にくわえて、車の後部座席から、ウレタンスポンジでパンパンになっているビニール袋を持ち出した。そして袋を開けて、ガサゴソやり、中からある物を取り出した。スマホが二台だった。一台を女に渡し、残りの一台を老人は、いじりはじめる。
鹿泉も、すかさずスマホに視線を移し、発声者目撃情報を二人分作成し、送信した。認定されれば二十万円になる。さっきのと合わせると三十万円だ。彼の顔が、思わずほころんだ。
車のエンジンがかかる音がした。鹿泉は、外車に視線を戻した。
やがて車は、のっそりと動いて駐車場を出ていった。鹿泉は、ナンバープレートの数字を目に焼き付け、それをスマホのメモ画面に打ち込んだ。
――それにしても、変なジジイだったな。
彼は、老人の顔を思い浮かべ、強く記憶にとどめようとした。ボリュームのある白髪に、角ばった輪郭、眼光の鋭い細い目。この老人を追いかければ、まだ稼げそうだった。金持ちであるのは間違いない。どこかの会社の社長のようだった。ネットで調べれば、素性が割れるかもしれない。
鹿泉は、はずむ気持ちになって管理室の前を駆け抜けて、再び地下街に出ていった。次なる獲物をさがすために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます