第4章

睦月――上旬(Part1)

 二〇二✕年元旦。真昼。

 世界的に有名なスクランブル交差点。多くの若者が主人公になって集う広場。かたわらにある駅の出入り口から、次々に人が出てきて、その広場に溜まってゆく。マスクをつけている人は、ごく少数だ。


 この街のシンボルのひとつになっている忠犬の銅像とともに、人々は交差点の信号を見つめている。人々は、その交差点の先に何かがあると思い、今日もこの街を訪れているのであった。


 信号の色が青緑に変わる。一斉に歩き出す人々。交差点の横断歩道はあっという間に、うごめく人々で埋まった。

 行き交う人々に、ざわめきが起こることはない。それは、一ヶ月半に渡って行われたダマットレの成果のあらわれであった。だが、ほほえみはある。かすかな希望と期待が胸にあるからだ。シャラップ宣言が、今までの宣言とは違う成果を生み出すかもしれないという考えが人々にはあった。


 昨日の新規感染者数は、全国で二千九百九十四人。三千人を下回るのは、実に半年ぶりのことであった。感染爆発と云う言葉は、もう人々の脳裡から消えつつあった。


 ビルの上部にある四基の大型ビジョンが、交差点を囲むように設置されている。そのビジョンの全てが切り替わり、あのゼロシキパンフレットの表紙のイラストが映った。みんながバンザイをしているイラスト。それが三十秒ほど映ったあと、内容の説明をするビデオが流れはじめた。

 しかしそのビデオは、昨日まで流されていたものとは明らかに違っていた。


 活気のある陽気なBGMは流れているものの、声が無いのだ。声のかわりに詳細なテロップが表示されている。ときおり画面がテロップで埋め尽くされるほどに。


 ……ビデオの録音された声も、今日から基本的には流すことが禁止になったのである。人々の発声を誘発しかねないというのが、その理由であった。


 交差点を歩く人々の中で大型ビジョンに目をやる者は、ほとんどいない。ゼロシキの内容は、昨日までに頭の中に叩き込まれていたからである。


 自分がしゃべりさえしなければ、面と向かっている人もしゃべったりはしない。だから、マスクをしていなくても感染しない――人々はそれを肝に銘じながら、覚悟をもって、新年を迎えた喜びを満喫するために街へ繰り出して行った。





 徳山拓信は、家族といっしょに自身の実家を訪れていた。


 両親の人生とともに歩んできた古い和室の居間で、五人の者が同じ席についている。

 徳山たちは、大きめのコタツを三方に囲んで遅い昼食を摂っていた。

 拓信の両親――明彦と恵子は、初孫の大樹の姿を久しぶりに見れたうれしさで、顔がゆるんだままだ。


 五人が揃うのは二年ぶりのことであった。コロナ禍の前は元旦の会食を恒例にしていたが、昨年は自粛した。両親への感染を拓信と繁美は、恐れたからである。


 コタツの上のテーブルには『かんぱい!』と書かれたメモ帳とボールペンが、四セットばらばらに置かれ、さらにお正月の料理がところ狭しと並んでいた。すまし汁仕立てのお雑煮、伊達巻や黒豆や栗きんとんなどのおせち料理、正月特製ラベルの瓶ビール。そして五人全員、大好きなタラバガニが乗った大皿は中央に。


 シャラップ宣言下では、カニは重宝な食べ物であった。会話を忘れて食べることができる。五人は、先ほどから黙々とタラバガニを食べ続けていた。


 コタツから少し離れたところには、大型のテレビが置いてある。

 カニを食べる音に混じって、テレビのスピーカーからも、音が流れ出ていた。


 その画面を拓信は、タラバガニを咀嚼しながら見つめている。他の四人は、どちらかというとカニの方に注意がいっているが、拓信は違っていた。


 テレビの画面に映っているのは、今年は元旦に行われることとなったサッカーの決勝戦だ。クライマックスを迎えている。後半残り十五分。二対一の接戦。

 激しく切り替わる映像とは裏腹に、音はいたって静かなものだ。ロック調のBGMが小さめに流れ、主に聞こえてくるのは、サッカーボールを蹴る音、選手が走る音。

 ソーシャルディスタンスの規制が撤廃された超満員の観客席が映っても、歓声はない。熱心にボールを追いかけているたくさんの顔があるだけだ。

 実況や解説もない。テレビ放送でも、声を出すことは禁じられているからだ。


 その他にも、昨年から変わったところがある。


 選手も審判も、みなユニフォームの腕の部分に、半透明の黒い硬質のプラスチックにガードされたスマホを、バンドで括り付けているのだ。それは、試合中でもスマホを持っているぞというアピールと同時に、見る人たちに対して常にスマホを持ち歩きましょうというプロパガンダにもなっていた。

 さらに。彼らはみなマスクをしていた。激しい運動をする者からの呼気には、やはり新型コロナウイルスが混じっている危険があるということで、スポーツなどをする時はマスク着用を義務付けられたのだった。


 ――けっこうレアで、おもしろいな。こんな試合、二度と見れないかもしれないぞ。拓信は、そう思って先ほどからテレビに釘付けになっていた。


 マスクをしていることで選手たちの疲労度は、いつもより増し、足がほとんど止まっている。たたでさえキツイ時間帯なのだ。

 そんな中、渾身と思われる鋭いシュートが画面左側のゴールのネットに突き刺さった。蹴ったのは、赤いユニフォームを着たゼッケン三十番の選手だった。


 テレビを注視していた拓信は、思わず声を上げそうになったが、口いっぱいにほおばっているタラバガニの弾力ある身が、それを防いでくれた。


 スコアは三対一になった。ゲームの行く末は、ほとんど決まった。

 赤いレプリカのユニフォームを着た観客が、総立ちになっているシーンが、映し出される。その中に、感激のあまり口を大きく開けて叫んだ者がいたのを、拓信は見逃さなかった。


 彼はタラバガニの咀嚼を止めて、あわてて背後に置いてあったバッグからスマホを取り出した。

 スマホのホーム画面の時計を見たあと、すぐに『音声管理局』と名付けられたアプリを開く。


 密告をするための送信用のフォームが、パッとあらわれた。拓信は、そのフォームに矢継ぎ早に文字を打ち込む。

 ☆発声者目撃情報☆

【日時】一日午後二時四十七分

【場所】国立競技場の観客席

【人の特徴】赤いユニフォームを着た四角い顔のおっさん

【どんな声】おそらくウオーと叫んだ

【その他】テレビで見ました

 拓信は、文字を打ち終わると、間髪入れずに送信ボタンを押した。

 画面に『ご連絡ありがとうございました。情報を受け付けました。あなたの行動に政府は心より感謝致します』の文字が浮かぶ。

 ――よし、これでいい。でもテレビだからな。自分より早く送信したヤツがいるだろうな。


 ゼロシキによると、送信された内容が事実と確認されると、違反者の住んでいる地方公共団体から報奨金として十万円を受け取れることになっていた。ただし複数の者から同じ情報が寄せられた場合、報奨金は先着の一名に限られるのであった。


 拓信は、軽いゲーム感覚とともに、何か社会の役に立ったような、ちょっとした満足感も味わった。


 テレビは、サッカーの試合中継が終わり、やがてニュースがはじまつた。

『シャラップ宣言、本日発令される。各地のようすは……』

 画面の下の方にテロップが出て、首都を皮切りに全国の街の風景が次々に映る。アナウンサーの声も、レポーターの姿もない。人々の足音や車の音、電車の音、様々な音が混じり合ったわーんとした感じのものが、ただ聞こえるばかりだ。


 拓信たち五人は、大皿から消えかかっているタラバガニの味を惜しむように楽しみながら、テレビの画面を黙って見続けた。


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