霜降月(Part4)

 雫森玲香は、《プロスぺラ》のオープンテラスにいた。冬が近いことを知らせているかのような肌寒い日。


 テーブルには、店のメニュー、フォークとナイフ、彼女の分厚いメモ帳とボールペン、文字で埋まっているペーパーが置かれている。


 設置されたパーテーションの先には村越が座っていた。彼は、紫のシャツに紺のテーラードジャケットを着ている。


 ここ実質、外なんだけど、寒くないのかしら、玲香は思う。ひょっとして寒さに強いタイプ? 

 彼女はトレンチコートを着たままだった。


 村越は、満席になっているフロアをしばらく眺めていたが、やがて口を開いた。

「この店、ランチ始めたんだね。デリバリーも――」

 その声に、玲香は両方の人さし指を交差させて✕をつくった。メモ帳にペンを走らせる。彼女は、村越にメモ帳を見せた。

『声出し禁止。言いだしっぺは村越さん』


「ごめん、もうとっくにトレーニング期間に入ってたね。あっ」

 玲香は、ムッとしてメモの下半分を隠して、もう一度村越に見せた。

『声出し禁止』

 彼は、親指と人差し指で〇をつくった。


 玲香は、メモ帳を数枚切って、パーテーションの下から村越に渡した。またペンを走らせる。

『昼間のスタッフが雇えて、ランチメニューも作ることができたの』


 村越はメモ用紙を玲香に返して、鞄からシャープペンシルがはさまった手帳を取り出し、走り書きをした。

『なるほど。資金は? よく銀行から借入できたね』

『ちがう。まとまったお金が入ったのよ』


 店長のなぎさが、オープンテラスに入って来て、二人のテーブルにやって来た。

「いらっしゃい。中が満席で、ごめんね。寒いでしょ」

 玲香は、もみじ柄の布マスクの上から人差し指を立てて、しーっのポーズをした。

「ああ、ダマットレね。それも、ごめんなさい。うちの店は来月からやるわ。お客さんに周知してから始めないと」


 最近では、黙るトレーニングのことをダマットレと言うのが、流行りになっていた。


 なぎさは注文伝票に走り書きした。

『ご注文は?』

『昼特ランチ、ふたつ』

『かしこまりました』


 なぎさが去った後、玲香は手元に置いてあったペーパーをパーテーションの下からくぐらせて、村越に渡した。彼は、それを読みはじめる。


【諸問題の進捗状況について】※口外絶対禁止


◎ パンフレットとミニアルコールボトルを全国民に郵送する作業は、現在6割ぐらい終了しています。今月中には終了する予定です。全国の公的な場所への配布は既に終了し、そこから任意に受け取る人の分も合わせると、全国民の8割近くの方が手にしていると思われます。


◎音声管理局は、全国の地方公共団体レベルで設置できる見込みです。現在急ピッチで導入作業が進んでいます。既存のネットワークを一元化します。設置完了は来月上旬をめどにと考えています。また、音声管理局のスタッフについては、人材派遣会社から採用する予定です。電話が不通になることにより、電話会社に派遣されている方々が失職することが予想されますので、そちらの方から優先的に採用していきます。


◎携帯電話会社はどこも、諸手を挙げて賛成でした。自社製品の宣伝になり、収束した後も継続契約が期待できるからです。どこで発せられた声なのか、特定するために必要なGPSデータの提供も同意していただきました。アプリの開発は終了し、今月中に配信する予定です。持っていない人へのスマホの配布は、来月中旬には終わる予定です。


◎電話会社に対しては既に了承をもらい、現在は支援金額を算定するための資料の提出を求めています。


◎警備業協会・銀行協会等監視カメラを有する業界団体との折衝は、数が多いこともあって難航してますが、基本報酬及び成功報酬を高めに設定することにより、最終的には説得できる予定です。また、個人の協力は持ち主の特定に時間が掛かるので、こちらは断念しました。しかしながら、全国のカメラ台数の9割はカバーできると思います。


◎結論 概ね順調に推移!


 読み終えた村越は、また手帳に走り書きをした。

『完ぺきだね。もう僕の出番はなさそうだ』

『まだまだですよ。これからどんな問題が起こるか分からないんだから』

『起こらないと思う』


 玲香のもとに、ペーパーが滑って戻ってきた。ちょっと態度が冷たい感じがして、彼女はメモ帳に、急いで言葉を書き込んだ。


『また会いましょ。問題が起こらなくたっていいじゃない。アドバイザーに経過報告を定期的にするのは当然だし。こんどはこの店の夜とかどう。見てみたくないですか。どんな感じなのか』


 細かい字でびっしり書かれたメモを見て、村越はびっくりしたような目をし、そのあと何度もうなずいた。


 ――えっ。これって。勘違いされてもしょうがないやつ?


 玲香は、顔が熱くなるのを感じた。書いたメモのページをちぎって、くしゃくしゃにする。


 店長のなぎさが昼特ランチを運んできて、テーブルに並べた。


「わあ」

 思わず出た声に、玲香はマスクを押さえた。


 昼特と銘打っているだけあって、皿には代表的なスパニッシュの料理が小分けで盛られている。子羊のあばら肉、パエリア、生ハム、トルティージャ、ししとうのオリーブオイル煮、焼いた肉厚のマッシュルーム……。


 二人はマスクを外し、視線を合わせて黙っておじぎをすると、すぐに皿の上に没頭していった。

 挨拶などのかわりに礼をする習慣を身に付けることは、第五次宣言下の新しい生活様式のひとつなのだった。

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