第5話

「大変だね、雄高たちの中学校も。中間試験とか期末試験とかあるんでしょ? 偏差値とかってのもあるみたいだし」


 その口振りから悠里はそれらとは無縁であることがわかる。

 TS娘の通う学校も中学扱いだが教育内容はかなり違う。

 競争にさらされる。

 絶え間ないテスト、受験戦争。部活のしごきに内申書。

 一方の、悠里も初めて詳しい内容をしゃべった。

 調理の時間、お菓子作りや、手芸裁縫。

 お茶に華などの伝統芸。

 バレエダンス。 


「一応、ちゃんと勉強だってやってるよ」


 といいつつ、あっちの学校の教科書を俺に差し出してきた。


「へえ……」


 受け取ってパラパラめくってみたが、微妙に優しい内容のような気もする。

 ただ宿題もテストもあって無いようなもののようだ。


「さっき、野球部の子とかやっぱり雄高も先輩たちから厳しくやられてるの?」


 名前もう忘れてる。


「え、ああ。遅刻するとすげー起こられるし、廊下ですれ違ったら立ち止まってあいさつしないといけないし上下関係厳しいな。そっちはどうなんだ」

「凄く優しいよ、お姉さんと妹みたいなもんだし」


 そういう校風だという。痛みを知る者同士、助け合うという意識があるという。

 そこにいる生徒も教師もみんな素晴らしい、と。

 悠里の答えはまったく曇り無く偽りをいっているようには見えなかった。

 いい施設だったんだと俺は初めて安堵した。

 いじめもない。

 だったらなおさら俺たちなどもう用はないはず。

 それで……なかなか本題を切り出さない悠里にこちらから切り出した。


「それで……今日俺たちを呼んだのは、そんなくだらないことのためなのか?」

「くだらないことってなにさ。せっかく会えたのにそんな言い方はないだろう」

「わざわざ全員を呼び出したのはそうじゃないだろう」

「なんのこと?」


 まだ悠里は笑っている。


「いじめられた奴らに意趣返しってやつか? それとも、過去の埋め合わせをしようってのか?」

「凄いね、雄高は。やっぱり……ね。そんなところまでみてたんだ」

「もういいだろう」

「何がいいのさ」


 悠里の顔からから少しずつ笑みが消えてくる。


「復讐なんて、もう……いいだろう」

「復讐?」

「お前の目がずっと笑っていなかった」


 そして、俺が気づいた決定的なものをーー。


「それに、あれだ」


 今も部屋に飾ってあるクローバーを。


「花言葉は復讐だ」


 悠里の顔から完全に笑みが消えた。

 少し目を逸らした。

 しばしの沈黙の後、再びこちらに戻す。

 ポツリとしゃべり始めた。 


「今日は……「実地訓練」だったのさ。僕たちは課題を与えられたんだ。過去の記憶を克服するためのね」

「訓練?……単なる里帰りじゃなかったってか」

「そうさ。みんな傷を持っていて、抱えたまま大人にならないように、決別をする儀式なんだよ」


 立ち上がった。床の上に置いてあるクローバーの鉢を、窓際の机に置き直す。

 

「あれはほんのお遊びさ」

「遊びでも、その気持ちがあったのは確かだろう」


 椅子から立ち上がり、ベッドに座る俺の横に、同じように悠里も座った。


「そうかも……しれないね」

 息が聞こえるぐらいに近寄ってきた。

「さっきのだって、あれ、見せパンだろ? テニスの時にこれ見よがしにみせてたのは」


 パンチラは、巧妙にできていたが、実際は違う。

 それは別にいいんだが、チラ見できたわけではなく最初からそのつもりだったことだ。

 男の気を引くためのアイテムを使ったことだ。

 俺たちの男心を弄んだ。

 今もそうだ。胸の谷間をみせて露骨だ。

 俺の視線が谷間にいっていることにも悠里は気づいている。


「見たい? 今度こそ、本当にみせてあげるよ」


 自分のスカートに手をかけた。


「そういうあざといところが、鼻につくな。俺を呼び戻した目的はなんなんだ?」


 一旦目を逸らした。ちっと舌打ちする。

 上げかけたスカートの裾を元に戻す。


「もう一つ。この課題、もう一つあってね。一番むかついてにくい奴がどんな反応を示したか、提出しないといけないんだ。一番憎たらしいやつにね」

 少し目を細めて俺をじっと見つめた。


「そうか……俺なんだな。その憎い奴って」


 数秒、俺も悠里もお互いを見つめ合った。

 悠里が頷いた。

 そして俺は目を閉じた。

 観念した。見抜かれた。

 あの頃の俺は単にいい格好をしようと思っていた。

 実のところ、深く考えていたわけではなかった。

 いじめの問題も、TS病に対する偏見の根深さも。当時の俺の知ったことではなかった。

 簡単にいうと、当時の俺は漫画の見過ぎだった。

 特にヒーローものを見過ぎで、気取っていただけだった。ただ皆が流れる方の逆張り。

 結局救うことはできなかった。


「君は、さっきからずっと見ていただけでちっとも反応してくれなかった……これじゃやり直しになっちゃうよ……。手をついてあやまってくれないと」

 身を乗り出して、俺に今にものしかかろうとする。

「ボクは、君が手をついて謝るのをみたいんだ。苦しませてごめんってね、そしたら、許してやらないこともない。いい思いだってさせてやるよ」


 耳元で囁いた。

 息づかいが聞こえる。時折、ふうー、と息を吹きかけてくるように大きく呼吸する。

 明らかに俺の男の部分をかきたてるような仕草だ。

 これは、俺の知っている悠里ではない。


「お前、施設とやらで、どんな教育を受けたんだよ。俺たちを何だと思ってるんだ」

「決まってるさ、男は狼で、いつもエッチなことばかり考えてる、くだらない生き物ってね」


 俺はとても大事なことを見落としていた。

 悠里が街を離れて分かれていた三年、どのように施設で過ごしたか俺は全く知らない。

 おかしくない。反動でより過激化していても。

 俺たちにとって悠里がいた場所は完全なブラックボックスだ。そこで何が行われているかまったく情報は皆無だ。

 そこで悠里は三年間純粋培養された。


「あっちの学校ではそう学んだんだよ。むかつくかい? でもそれが事実だろ」


 煽りやがる……。あえて、怒らせる、気に障る一言を呟く。


「いいさ、別に弱虫お子様に何言われたって構わないさ」


 弱虫は一番嫌がる言葉だった。

―お前は弱虫なんじゃない―

 昔は、泣いている悠里をそういって励ました。


「……!」


 果たして目の色が変わった。

 ついでに顔色もさっと変わる。


「周りに影響されて鵜呑みにして復讐なんていきまいているなんて、まだまだ悠里、お前は弱虫のお子様だ」


「周りに流されてるだけの、お前はあいつらと同じだ」


 追い打ちをかける。


「ボクはお子さまでも弱虫でもない!」


 色を失った。


「お子さまさ。単純思考だからわかりやすい。なんなら復讐とやらもーーやれるもんならやってみろって」

「言ったな」


 果たして悠里は怒気を露わにした。


「うぉ!?」


 ぐわっと飛びかかり体重を俺の上半身に乗る。そのままベッドに押し倒された。


「ボクは、子供じゃない。君たち男子にはわからない痛みももう経験済みなんだ」


 再び不適な笑みに戻る。

 ふふっと意味分かるだろ、と。


「君たち男子よりも遙かに早く大人になるんだよ? 胸もお尻も大きくなったし、それに……」


 悠里が少し言いよどんだ。


「計算によると今日は危険日だよ。なんなら……なんなら」


 ようやく見えた。

 本当の悠里がーー。この隙を逃さない。


「もう、やめろ」


 腕を掴んだ。


「あっ!?」


 細い肩を掴んだ。柔らかさと儚さがつたわってくるよう。

 ちょっと力を込めて強く抱きしめたら折れてしまいそうなくらい。


「無理するなよ。震えてるぜ」

「……」

「きちんと認めるのが大人だ」

「うう……」

「俺は本当に心から憎くて仕返ししたいなら、それで気が済むなら構わないけどな」


 掴んだ肩からふっと力が抜けるのを感じた。

 俺も掴んだ肩を離す。


「ははは、雄高にはかなわないよ」


「まだ俺たち早いだろ」

「そうみたいだね」

 

 また悠里に笑みが戻った。


「はははははは」


 そして急に笑い出す。

 馬乗りになっていたベッドからやおら立ち上がった。

 俺も起きあがった。

 ややでかめになった尻を払いつつ悠里は椅子に座った。


「やっぱり雄高に土下座させるのは無理だったか……」

「はあ?」


 椅子を回転させて俺の方には背を向ける。

 せっせと何かを始めた。


「なにやってんだ」

「宿題だよ」


 机に向かってレポートを書き始めた。

 今日の顛末を提出するらしい。


「特に……むかついた相手には思いっきりお礼をしてやれってね」

「やっぱり俺なのかよ」

「もちろん」


 ふふっと笑った。また明るさが戻った。


「気を引いて、その気にさせてやれって後悔させてやれってさ」


 さんざんからかった山田じゃなく俺かよ。


「他は相手する意味もないし」

「まあ、たしかにな」


 これからの未来、そのことに固執しても何の意味もない。

 笑顔にどことなく乾いたものを感じたのはやっぱり間違いではなかった。


「それはともかく……聞かせてくれないか」

 

 悠里は拒否しなかったが、なかなか言い出すのに時間がかかった。

 俺は急かさずにその口からでてくるのを待った。


「……君が、優しくなんかしてくれたから……」


 ぽつりと呟いた。


「最初はありがとうって思ってた」


 あっちの施設でどんな思いでいたのかも初めてしゃべり始める。


「ずっと君のことを考えてた。いなくなることを伝えられなかったし、面倒を見てくれたお礼も言えなかったから……」


 最初は悠里の気持ちは少しずつ少しずつ。だが大きな流れとなってあふれ出てゆく。


「一年ぐらいしたら、おかしくなったんだ。君のことを考えると、だんだん胸が痛くなるようになった。焼け付くように、何度も何度も眠れない夜を過ごした」


 枕を抱えてぎゅっと締め付けた。そして天井を仰ぎ見た。


「だからむかついた。むちゃくちゃむかついた。こんなに苦しめる張本人をどうしようって」

「俺が悪いのかよ」

「そうだよ、こんなに苦しめといて、どうせ、学校で馬鹿やってるんだろうって考えたら余計に腹がたった」

「そんなことねえよ、お前のこと忘れてなかったよ。おまえが一人泣いてないかってな」

「そんなわけないじゃん」


 お互いに吹き出した。



 そして小一時間後、ようやく課題レポートが終わっったと悠里は机から離れた。

 悠里は詳しい思い出を語ってくれた。

 施設は、過酷なところではなく、楽しいところだったと。

 食堂はお洒落なテラス。

 部屋も広くて綺麗。望めば個室も与えてもらえるが共同部屋が楽しいからみんなで過ごしている。

 嘘ではなく楽しそうに語った。

 俺はようやく安堵した。

 ようやくコーヒーとクッキーが運ばれてきた。

 少し腹をこなした俺は遠慮なくいただいた。 



「そうだ、もう一度これやろうよ」


 二人でやると楽しいレースゲームだ。

 その他にもいっぱいゲームを持っていた。


 そして俺たちは夜遅くまで夕飯までご馳走になってさらに遊んだ。

 最後は、悠里があくびしてうつらうつらしてしまったので、流石に退出することにした。

 欠伸をしつつも、玄関までは見送ってくれた。

 明日は早くでるから見送りは来なくてもいいと言われた。


「また会おうね」

 と初めて俺に言った。

 そして握手。

 去り際も、振り返る度に悠里はずっと手を振って俺を送り続けた。


 


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