第3話

 だから俺たちが今日悠里に呼び出されたことに違和感があったのだ。

 俺たちは、あいつがまた会いたいと思う相手だろうか。

 その資格はないと思っていた。俺も結局は非力でなにも解決することができなかった当事者だ。

 周囲の様子を伺うと、皆深いことを考えているようすもない。

 当人たちにとっては、ちょっとした悪ふざけとやんちゃが過ぎただけのの子供時代の想いでなのだろうか。

 あるいは過ぎてゆく時間とは案外残酷なのかもしれないと、俺は思った。

 罪も荒んだ心も洗い流してゆく。


   ☆   ☆


 あれから三年。再び俺たちの前に現れた悠里は別人のように美しい少女になっていた。

 美少女という言葉はこいつのためにあるのではないかというぐらいにーー。

 再会の場の空気は一変した。

 時に、皆が一人の女を狙う壮絶な争いだった。


「みんな元気そうで、なによりだよ」


 悠里が笑って俺たち一同を見渡す。

 また俺と視線が会った。

 だが、何食わぬ顔で紅茶をすすった。

 その仕草も声色も優雅で上品だった。


「そっちの中学はどんな感じなのかな? こっちと全然違うらしいから知りたいんだ」


 一応は同じ中学校だが、全く違う。TS病の子だけを集めた学校で、内容も特殊なんだという。

 悠里は俺たちが通う学校へは行きたくても行けなかった。


「お、俺今野球部なんだよ。今度の大会にもでるんだぜ」

「へえ、凄いね。頑張ってよ、ポジションはどこなの」

 いちいち頷いている。

「それがよ……へへ、ピッチャーなんだ。エースで4番、試合良かったら見に来て……」

「俺は、陸上部で県大会にでるんだよ」


 別の奴が隙をついて会話に割り込む。


「おい、俺がまだ話してるんだぞ」

「くだらない話いつまでもするんじゃねえよ、退屈してるだろ」


 お互いがにらみ合う。つかみ合いが始まりそうだった。


「喧嘩しないでって、みんな」


 悠里は戸惑いつつも、どことなくこの状況を楽しんでいるように見えるのは気のせいだろうか。

 俺たちを競わせているようにも見える。

 男たちの目の色を変えさせるほどの魅力を持っているのは確かかもしれない。

 

 俺はただ眺めていた。

 俺が言うのもなんだが、皆が燃えるほど冷めてしまうタイプだ。

 逆に冷え込んでいると燃えたくなる。

 ひねくれものの自覚はあった。

 どうせこの状況では会話する隙間もない。

 手持ちぶさたなので、かわりに一人ケーキを頬張った。

 ぽつんと、ひとり食っている。

 その様子が、悠里の目に留まった。


「美味しい? そのケーキ」


 俺がケーキを頬張って咀嚼している様子を眺めている。

 急いでごくん、と飲み込む。


「え? ああ、美味しいよ」


 最初の挨拶を別として、初めて悠里と会話を交わした。

 ただしスポンジを一気に飲み込んだのでのどがぱさぱさだ。ジュースを飲み込む。 


「そのケーキ、わたしもお母さんと一緒に作ったんだ」

「ほ、ほんとう? 料理もやるんだ」

 一同驚く。

「もちろんだよ」

 得意満面で頷く。

 そういえば、甘さも舌に残る感覚も、どことなく嫌らしい味ではない。必要最低限の素材で最高の味を作り出す手作りの味……。

「あっちの学校は調理の授業が多いんだ。ケーキだけじゃなくて、煮物も魚の裁き方までみっちりやるから」

 そういえば、授業の内容がかなり違うんだっけか。

「みんな、どうだった? あたしの焼いたケーキ」

 今度は悠里は全員に語りかける。

「もちろんお、おいしかったよ」

「富士堂のケーキよりも何十倍もおいしいよっ」

「お、おかわりしたいぐらいだよ」


 美味しいのは確かだが、ちょっとへりくだり気味。

 優しく聞いているようにも見えるが、その実悠里は冷笑しているように見えた。


「ほんとう? もっといっぱいあるから食べてよ」


 もちろん断るという回答はあり得ないだろう。

「お、俺も」

「まだまだいけるよ」


 皆一斉におかわりを求める。 


「じゃあ、今持ってくるね」


 悠里は立ち上がった。

 来る前に昼飯を早めに食ってきた俺はあまり減ってない。


「香取君は?」

「いや、別に。もういっぱいだから」

「あ、そう」


 せっかく持ってきてくれるのに馬鹿な奴という反応も気にしない。


「昔から空気を読まない奴だったからな」

「相変わらずだろ?」


 俺はちょうどいいいじられ役だ。


「そうだね、香取君は昔と変わってないなあ」


 ふふっと笑った。そして部屋を出ていった。

 でるとき、悠里は少し目を細めた。何か企んでるような気が一瞬した。トラップにひっかけた勝利の笑みーー。


 そして数分後、大きな皿に一杯のケーキを持ってきた。家にいるらしきお手伝いさんに手伝わせてーー。

 当然、一個だけじゃない。

 ショートケーキ、チョコレートケーキ、マロン、アップルパイ、チーズタルト。等々どれも巨大だ。

 皆、流石に驚愕した。


「こ、これ、全部作ったの?」

「うん、ちょっとはりきっちゃったんだ」


 その凄まじい量に皆、驚いたが、みんな食べると言ってしまった手前、フォークを取った。

 悠里が自らナイフを使って切り出してくれた。

 どこもこれも大きな塊のよう。

「さあ、好きなだけ食べていいよ」


 ここまでされたら、逃げられない。

 ふうふういいながら食べ始める。

 遠慮した俺は高見の見物ーーと思ったが……。

 

「おい、香取も少し手伝え」


 結局俺も手伝わされた。一つ一つは確かに美味しいのだが、もはや味は関係ない。

 げっぷがでるくらいに限界。

 もうこれ以上は逆流するまで。

 皆食べるのに夢中で、また、あの冷笑をしているのに気がつかない。


「く、くいきったぞ……」

 ショートケーキ3個、チョコレートケーキ2個、チーズタルト1個。

 なんで俺が巻き込まれるのかはわからないが、俺も限界まで頑張った。

 皆、お腹がはちきれそうになった頃。


「ふふふ……」

 みんな腹を抱えて苦しんでいる様子を見つつにこやかに立ち上がった。

「みんな。あたし、音楽も勉強してるんだ聞いてくれるかな?」

 皆、まだ腹のものを消化しきれていないのに、もう次に何かやるのか、という表情。だが、とりあえず音楽鑑賞と聞いて安堵。

「もちろんだよ」

「ぜ、是非……聞かせてよ」

 

 ピアノとバイオリンーー。

 ピアノは確か昔からやっていたと聞いていた。だがバイオリンは初めて聞く。

 おそらく向こうの学校生活で覚えたのだろう。

 聞いていたが、流石上手だ。

 様になる。しばし、耳を傾けた。

「……」

 聞くだけなら造作もない。

 それはとんでもない勘違いだった。

 この満腹感にあのゆったりとした音楽……。

 案の定、2、3分で眠りの神様が降臨した。 


 腹一杯になった後にあの曲は卑怯だ。

 妖精に子守歌を聴かされたように、眠りに引きずり込まれていく。

 うたた寝しては、時折はっと目を覚ます。

 地獄だ。

 眠い。

 これは巧妙な嫌がらせに見えるんだが。

 何故か俺は負けてなるものかと思うようになった。手のひらに踊らされているようで……なんか悔しい。


 静かで長い曲がようやく終わりを迎える。

 なんとか耐えきった俺が手をたたく。

 朦朧としていた奴らも、はっと気づいて慌てて手をたたく。

 拍手喝采。凄いよ。良かったよ。

 多分、わかってない。というか大半はゆったりとした演奏に眠りに誘われていた。


「どうだった?」

「き、綺麗な音だったよ、すごく落ち着いてリラックスできて」

 大半は寝ていた山田が答えに窮して慌てる。

「そう、他には? どの辺がよかったかな?」

 しどろもどろ。

 助け船を出した。

「最後、少し走ってたな。滑らかな音がでていなかったぞ」


 昔とったきねづか。実は俺も一時期英才教育にはまった親に、ピアノを無理くり習わされた。

 恥ずかしい発表会のアルバムがあったりする。

 残念ながら素質のなかった習い事は数年で終わった。

 あれは家族以外には絶対に知らせることはない、墓場まで持って行く所存である。

 なので、多少知らないこともなかった。

 あいつも知っている。話したことはあるがお互い演奏したことはない。


「アドバイス、ありがとう」

「どういたしまして」

「じゃあ……香取君がやってみる?」


 周りが余計なことをいいやがる。

 切りかえされた。


「遠慮しておくよ」


 もう辞めて何年も経っている。大見栄を切っといて逃げる。場の空気を白けさせてしまって別に俺は平気だ。


「あはははは、もう」


 


「そうだ、みんなで歌でも歌ってくれると嬉しいよ」


 歌を歌わされていた。

 小学校の校歌。

 それに、合唱曲。そういえば……この合唱の練習をする前にいなくなったよな。

 その次は卒業式の曲……。

 少し前に流行った歌。


「ねえ、そういえば、これ。踊りがあったよね」


 アイドルグループのダンス。やたら腰ふって決めポーズする特徴的な踊りだ。


「おい、これ香取も知ってるだろ?」


 待て。それは男がいる時しかやらない俺の隠し芸だぞ。


「へえ」


 悠里が口元に意地悪い笑みを浮かべた。


「じゃあ……見てみたいな」

 

 テンションがおかしくなってきた。

 一体何を俺たちはやってるんだ。


「うおおお」


 もちろんやらされたよ。 

 腰を振ってウインクまでする。

 悠里はけらけら笑っていた。


「こ、これで良かったか?」

「うん、もう十分すぎるよ」

「そ、それは何よりだ……」


 だんだん小意地の悪い悪戯をされている気分になってきた。

 それも俺を標的にしている。


「あ、やべえ。破産だ」

「うわ、俺は会社辞めたってよ」


 人生ゲームで遊んでいた。

 悠里は、順調に結婚して子供を産むイベントが発生。


「やったあ、男の子にしようかな、女の子にしようかな」

「あはは」


 子供が入りきらないくらいにできた。

 その度にいちいち名前を付けて、どっと笑いと拍手が起こる。


「じゃあ、この子は……順一だね」

「俺の名前つけんな」

「あはは、じゃあこの子は清孝君にしよう。よしよし清孝」


 おまえ等自分に重ねてるだろう。

 だが、男が女になるイベントは無いけどな。


「やったあ、あたしが一番目だ」


 最後の収支を計算する。

 それも悠里がトップだった。

 これってゴールって死ぬことなんかどうかいつも不明なんだよな。

 一番早く死んだ奴が勝ちってのもよくわからん。

 すまない、このゲームは8人用なんだ。

 俺は進んでゲームに加わらなかった。


「……」

 

 とりあえずスマホを使って暇つぶし。

 まあ勝手に楽しんでくれよ。

「あ、何やってるの?」

 後ろからいつの間にかゲームを終えた悠里がのぞき込んできた。甘い香りがふわっと鼻をついた。

 少し香水をつけているかもしれない。けれども……それにもましてもっと異質な匂いがある。女の匂いかもしれない。

「う……」

 スマホを後ろからのぞき込んでくる。

「お、おい」

「へえ、今こんなゲームが流行ってるんだ」

 少し乳があたっている。

 柔らかくて暖かいものが背中に押し当てられている……。

(本物の膨らみだ……)

 胸の奥から何か呼び覚まされそうだ。

 俺、どうしたんだ? 

 男の部分が反応している。

 多分、悠里も俺の体の反応に気づいている。

 高ぶっているーー。


 さっと離れてしまった。

 胸を押しつけられた感覚がいつまでも残ってやがる……。

 クールに無関心を装うとしている俺に逃がさないぞという意志を感じる。


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