第80話

 本屋さんの後は、雑貨屋や服屋を回った。そして、夕飯の材料を買うと家に帰った。今日は、葵がご飯を作るらしい。琴美が一緒に作りますと言っていたが、客人なんだからと、葵は譲らなかった。


「うぅ、私が作りたかった……」

「まあまあ、今日くらいはいいだろ。まだ、こっちにいるんだし」

「それもそっか」

「お母さんの小説でも読んで待ってればいいだろ」

「そうだね。蒼月君のお母さんがまさか私の大好きな作家さんだったなんて」

「めっちゃビックリしてたな」


 本屋さんでの琴美の姿を思い出して俺は笑った。


「そりゃあ、ビックリするよ。作家さんに会えるなんて凄いことなんだから!」

「そうなんだ」

「それに、葵さんの小説は面白いよ! 絶対に読んだ方がいいよ!」


 俺は琴美ほど、読書に熱を持ってるわけではないからな。今のところはな。

 琴美がこれほど言うってことは葵は人気作家なのだろうな。自分の親が褒められるのは嬉しいな。


「なら、お母さんから借りてくるかな」

「うん!」

「俺の部屋で読むか?」

「いいの?」

「もちろん。先に行っててくれ」

「わかった」


 俺は葵のもとに向かって、小説を借りることにした。


「珍しいこともあるものね。雄二さん。あの蒼月が自分から本を貸してほしいなんて、しかも私の本を!」

「そうだね」

「そういうのはいいから、早く貸してくれよ」

「わかったよ。好きなの持って行っていいわよ」

 

 葵の仕事部屋に案内されると、壁一面に本がズラッと並んでいた。

 そういえば、初めて入るな。小さなころはなんだか、この部屋に入るのが怖かった。なぜかは分からんけど。


「お母さんの本はどれ?」

「そうね。じゃあ、私の処女作から読んでもらおうかしらね!」


 葵は俺が自分の小説を読んでくれるのがよほどうれしいのか、テンションがいつもより高かった。

 俺は葵から、処女作の本を受け取って自室に戻った。


「これが、お母さんの初めて書いた小説」


 部屋の中に入ると、ベッドにもたれかかっている琴美はすでにほんの世界に入り込んでいる様子だった。食い入るように葵の新作のミステリー小説を読んでいた。

 俺は琴美の気を散らさないように隣に座って本を読み始めた。

『このミステリーで残るものは』それが、その本のタイトルだった。

 最初の一文は、こう始まっていた。


(このミステリーで残るもの。それは……)

 

 その一文を読んだ瞬間から俺はその本の世界に入り込んでしまった。

 それから、俺たちは葵が呼びに来るまで本の世界から戻ってくることはなかった。


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