虫使い

シェリーが魔王の異変をハカセに伝えに走ったのは早朝の

事だった。


「こんな時間に・・すみません・・」


シェリーが息を切らしている様子を横目でみながら、ハカセは仕事の手を

止めて、魔法で積み重なった本を片付けて、ソファと机を出現させ

シェリーにソファに座るよう促す。


「さ、先ほど・・、魔王様のお部屋に・・勇者様の様子を見に・・行ったのですが・・

勇者様は昨晩・・シキ君のお部屋に宿泊すると・・でも朝にはお帰りになると言う事

でしたので・・朝食の・・時間の確認をと思いまして・・。」


シェリーが慌てているのは、的を得ない話の内容を聞けば分かる。

ハカセは静かにシェリーの話を聞いていた。


「そ、そうしたら・・、魔王様が・・・立ってらして・・、その・・「家出」すると・・

仰られて、転移されて・・・しまって・・」


ハカセが低い声で「痴れ者が」と呟く。

シェリーは自分に言われた言葉と思い「申し訳ありません」と慌てて頭を下げる。


「いや、君に言ったのではないよ。シエリ。知らせに来てくれてありがとう。

また何かあったら私に知らせてくれ」

「・・は、はい・・・。あの・・、私これからどうすれば・・」

「城で、いつものように仕事をしなさい、勇者君が戻ったら魔王様の事は

伏せてタクトの所に行くよう伝えてくれ」

「タクト君の所・・ですか?はい、かしこまりました・・。では」


勇者はシキの家で朝を迎えていた。

夜はよく眠れて暴走もしなかった、その事に一番安心して体を起こす。


「シキ君は、まだ寝てるよね。僕は一度城に戻って朝ご飯貰って来ようっと!」


勇者は音を立てないようシキの家を後にした。

城に戻り魔王の部屋に行くと、いつものように朝食が準備してあった。


「ただいま魔王・・、あれ?魔王ー」


部屋を見渡しながらとりあえず椅子に座る。

食事の前に小さな紙が置いてあることに気づいた。


「・・?手紙??

・・ええと・・、しょくじがおわったら、タクト君・・のいえ・・に・・いって・・ください・・?

たくと・・くん・・。知らない村人だな・・・これが地図かな?

魔王の字じゃないな・・・誰からの手紙だろ?」


勇者は不思議に思いながらも食事を始め。

テーブルにバスケットが用意してある事にも気づいた。

勇者はシキの家に食べ物が入ったバスケットを届けてから「タクト」の家に向かう

事にした。


タクトの家は、シキの家・・村の入り口からずっと遠くにあった。

ハルトの家も通り越し、畑が広がっている場所を通り越し・・

村を一度出るような形で進む。

その森の中にタクトの家はあった。


「こんな森の中に誰か住んでるのかな」

「僕・・・・・・・だけど・・・・・・」

「!!」


勇者が気配を感じ取る事が出来ない程静かに近づいて来たのは

16歳くらいの見た目に、黒髪、茶色の瞳をした少年だった。


タクトは虫取り網を手に、虫籠を肩からかけた格好をして暫く

勇者を眺めて、すっと手を伸ばした。


「家・・」

「・・・あ、あの・・。おはよう・・僕は勇者・・で・・」

「うん。知ってる」


タクトは先に立って森の奥へと歩き出した。


タクトの家は小さい山小屋のようなものだった。

部屋の中にまで大木の枝が伸び、葉が揺れている。


シキの家ともハカセのラボとも城とも様子が違っていて

どこからともなく視線を感じる。


勇者は身構えながら部屋に入った。


「・・そこ」とタクトが指さす先には木で出来た椅子とテーブルがあった。

座れ、と言われているのだと思い言われた通りにする。


「・・そんなに・・・、緊張・・・しないで。虫たちが怯える」

「む、虫?」


勇者はタクトが机に置いた虫かごの中を覗くが、中は空っぽだ。

「今から・・採りに、いくとこ、だった・・、ハカセが・・勇者君を連れて来いって・・

言うから・・帰ってきた」

「え?ハカセが?」

「僕・・にも、用がある・・・みたいだ・・、ハカセの家に行く・・・前に・・・

皆に・・ご飯あげて・・・くるから・・ちょっと・・待ってて・・」

「う・・うん・・・」


とつとつと話すタクトの声は小さいので、勇者はその声を聞き逃さないようにして

理解し、頷いて、椅子に座り直した。


タクトが帰って来たのは、それから1時間程経ったあとだった。


「行こうか」

「あ、うん!」


タクトは歩き出す。

勇者は慌ててその後を追った。


「・・・・なに?」


歩きながらタクトが呟く。


「え?!」

「・・何か・・、聞きたそう・・・・な、顔、してるから」


勇者は考えが読まれた事に気付いて「あの・・その」と言葉を濁す。


「・・・・僕・・は、転移・・組。チートは・・動物や虫との会話出来る・・事」

「え!虫とお話出来るの??」

「うん」

「虫・・好きなの?」

「うん・・昆虫とか・・爬虫類や熱帯魚、勿論淡水魚も・・好き・・人間以外は・・

大体・・好き、・・・かな」

「・・・・・・」

「・・・村の・・人は・・嫌い、・・・じゃないよ・・・・・・、そんな顔・・しない・・」


タクトは勇者の頭を撫でる。

勇者は何も口に出さなくても理解してくれるタクトを見て

『本当は人の心も読める?』と思う。


「君、考えてる事・・顔、に出すぎ・・だから・・」

「え!?そ、そうかな・・」


勇者は恥ずかしくなって自分の顔をつまんでみた。



扉の外の来訪者に、ハカセは「あぁ、君達かね入りたまえ」と

扉を開いた。タクトの後ろには勇者も続く。


今日は比較的片付いているハカセの部屋。

「片付いている」基準はソファとテーブルが見えているか見えていないか

だけで、足元は相変わらず本や紙で埋め尽くされていた。

まるで野山の獣道のように僅かに覗いた床をハカセの後について歩く。


「座り給え」

「・・・うん」「はい」


二人はハカセに言われた通りソファに座る。

ハカセは二人の前に座り話始めた。


「わざわざ呼び立ててすまないね、大した事ではないのだが。まず勇者君」

「は、はい!」


勇者は緊張して次の言葉を待つ。

「魔王様の事だ。魔王様は今朝早くに王国に向かった。

魔王様は人間の通貨を稼ぐ為、しばしば王国に出向き、薬やアイテムを換金

してくる。」

「え!」


驚く勇者を手で制してハカセは話を続ける。


「村の住人には必要な「金」なのだ。その金でニホンに転移した時、

「必要な物」が買えるのだから。ただの出稼ぎだ。3.4日で戻るだろう。

その間君はシキの家に居なさい。夜は特に。

魔王様不在の今、君の狂戦士化を止められるのは私しかないし、シキの家なら

いくら破壊しても問題ない。シキには何かあればすぐに私を呼ぶよう伝えてある。

昼間はまぁ・・村でも回って住人に挨拶でもして交流を深めるも良いだろう。

だが、城には近づくな。君が万が一魔王様の配下、モンスターと遭遇しては困る。

ここまでで、何か質問は?」


勇者はハカセの顔をまじまじと眺め、その首は徐々に斜めに傾いていく。


「魔王は、なんで僕に何も言わずに城を出たの?」

「言えば、自分も連れて行け、と言い出すに違いないからだろう。」

「・・それは・・そうかも・・なんだけど・・」

「魔王様の出稼ぎ先は君の故郷でもある王国だ。君を連れては行けないし、

断るのがめんど・・忍びなかったのだろう。後の事は私に任せる、と言い残して

行かれたよ」

「ハカセ僕に何か隠してる?」

「何故私が君などに隠し事を。その根拠は。」

「・・うーん・・、いつもと・・違うから。「わざわざ呼び立ててすまない」とか「村の人と

交流」とか・・あんまり・・ハカセの言いそうにない事ばかり言うし・・・」

「ふむ。私が君の心配をするのが意外で、しかも何かを隠す為に言葉を取り繕っている。

と、そう言いたいのか」

「それに魔王はハカセが苦手だし・・、直接僕の事をお願いする・・なんて出来るのかな・・って」

「直接ではない事は確かだ、城に住む・・君の食事や生活の世話をしている者から今朝、

伝え聞いた事だ。他に質問は?」

「・・・ない・・です。」

「よかろう、次にタクト」


タクトはハカセの話を聞いているのかいないのか・・

特に興味がないと言う顔で右袖を弄っていた。


「タクト」

「・・きこ・・えてる」

「それは良かった。君には魔王様の旅の様子を「観て」ほしいのだ」

「・・・・」


タクトは床から高い天井に続く梯子の先に設置された、望遠鏡を指差した。


「森には魔王様が先日かけた魔法で霧が濃く残りその姿は感知は出来るが

確認が出来ない。君は知っているかもしれないが、魔王様は出稼ぎに向かう時は

人間の恰好をして行かれる。つまり、歩いて向かっているはずだ。

何も無いとは思うが、一応な。何かあれば私が出向かねばならないからな。」

「急に・・言われて・・も・・・、魔王様の・・荷物に・・僕の虫が入っていれば・・いいけど・・。

そうじゃ・・なきゃ・・、少し・・時間、かかる・・、と思う・・」

「構わない。「一応の保険」だ。森の虫でも動物でも駆使して魔王様の様子を私に伝えて

欲しい」


タクトは頷いた。


『話は以上だ』と言うなりハカセはふたりに背を向けて作業に戻る。

勇者とタクトは取りあえず外に出る事にした。

二人が居なくなると、ハカセは意識せず溜息をつく。

最近この動作が増える事により、自分の確固たる信念が揺らぐ可能性を

密かに懸念していたハカセは咳払いをしてそれを誤魔化した。



「やっぱりハカセ・・何かおかしかったよね?」

「・・・わざわざ僕に・・あんな事・・頼む・・なんて・・珍しい・・。

僕も・・たまに・・王国に行って・・・、虫たちから情報・・もらって・・・、それを・・

ハカセに伝えてたり・・は・・する・・・・けど・・・」


タクトが歩き出すから、勇者もつられて歩き出す。


「君・・・は、どうす・・るの?今・・から・・」

「え?うーん・・お城には入っちゃ駄目って言われたから・・・。」

「村・・・・人、と、交・・・流?」

「そ、そんな事、急に言われても・・」


困惑する勇者の目の前の建物から丁度村人が出て来た。

相手は勇者より年上だろう、面倒見の良さそうな女性だった。


「あら、おはよう勇者君。珍しいわね、こんな所に!」

「え・・・、あ、おはよう・・ございます・・」

「そっか、初対面だよね!私はヤマ。畑で作物を育ててるの。

それを使った料理を皆に提供したりもしてるわ。」


ヤマは長い髪を束ね、頭には三角巾をつけ、エプロンをしていた。

料理人なのは間違い無いのだろう、彼女が出て来た家からは

良い香りが漂ってきている。


「お店の中、見て行く??」


ヤマは少し背を屈めてにっこりと微笑んで見せた。


「お店?なの?」

「そう、今の時間はパンね、焼きたてを並べたばかりよ?」


ヤマの家は扉からすぐ横がが透明なガラス張りになっていて、そこから

中の商品が見えるようになっていて・・本当に街にあるパン屋のような建物だった。


「他にもおにぎりや、味噌汁なんかも用意してあるわ。」

「おに・・斬り・・?」

「白米って食べた事ない?」

「・・食べ物なんだ。」

「やだもう!そんなの決まってるじゃない!!」


うふふと可笑しそうに笑うヤマは、勇者の後ろにタクトが居る事に初めて気付いた。


「タ!・・・タクト・・。いつからそこに・・」

「ずっと・・居た。パン・・貰っていい・・かな」

「え?!・・・えぇ・・・、その・・。あなた・・、虫は・・」

「居るよ?」


タクトが右袖を振って見せると、ヤマは「ひぃ!!」と叫んで建物の中に消えた。


「勇者・・君。店・・に行って・・・・・・、僕の・・分の・・パンも、貰って来てくれない・・?」

「え!あ、うん・・いいよ!行ってくるね!」


勇者はヤマが消えた建物の扉をそっと開いた。

店の中には多くの種類のパンがあり、どれもこれも美味しそうに見えた。

店の中央には大きな鍋が置いてあり、シチューやコンソメスープなどが

食欲をそそる香りを立てながらふつふつと音を立て煮立っていた。


「あ・・、あぁ・・勇者君・・。ごめんね・・急に・・」

「いいえ」


ヤマはトングでパンを掴みトレーに載せ、小ぶりな器に透明なフタを

されたスープとシチューも一緒に袋に入れる。


「これはタクトの分、勇者君も好きなものを選んで、このトレーに載せて持ってきて

いいわよ?」

「あ!でも僕・・お金・・」

「お金なんて要らないわよ。村人はお金は持たないの。必要ないからね」

「そう・・なの?」

「そう、私の畑で採れるものは、私が刈り取れば次の日にはもう同じ作物を

実らせるから食の心配は無いし、建物はシキが造ってくれるし、お金なんか持ってても

使いようがないのよ。だから安心して?食べたいもの、沢山持って行ってね!」


ヤマの笑顔に勇者は頷いて、トレーとトングを手にした。


勇者は3つの袋を抱えて店から出て来た。


「・・・貰い・・すぎ・・じゃない?」

タクトの静かな意見に

「僕も・・そう、言ったんだけど。ヤマさんが、さっき「あからさまに驚いてごめん」って。

「虫はどうしても苦手なの」って言って、お詫びにって、沢山入れてくれた」

「・・そう・・・」


タクトは荷物を持とうと勇者に手を伸ばすが


「これ、せっかくだからタクト君の家で一緒に食べようよ!あと、村の人の事も

教えて貰えると嬉しいな!」

「・・・・・・・僕の・・家には・・虫が・・居るけど」

「うん!」

「いいの?」

「勿論!」

「沢山・・いるよ・・?」

「ど、どれくらい・・?あと・・、タクト君の右手にも・・いるの?」

「居る・・5000匹くらい」

「・・・・」

店の中からヤマの悲鳴が聞こえてきた・・・。

「僕の命令で、でてくる・・、見る?」

「・・・・・」

「ここ・・では・・、やめて・・おこう・・か。後で・・ね。見せて・・あげる」

「・・・・う・・うん・・」


タクトは左手で荷物を受け取ると、勇者の先に立って歩き出した。


小さな木のテーブルには載せきれない程、色んな種類のパンと温かいスープを

前にタクトは自分が知る限りの村人の事を勇者に伝えた。


「ヤマの・・畑の側・・にある小屋では・・リヨウという・・おばぁさん・・が、麦を粉にしたり、

米を・・脱穀したり・・調味料やジャムを作ったり・・してる・・。

植物の・・種・・の・・事は・・・リヨウに、畑の・・事はヤマに・・聞く、と・・いい。食べたいもの・・

は・・大体・・二人が作って・・くれる・・」


村人の話をする間、タクトの右袖にパンが飲み込まれて行くのを勇者はずっと眺めていた。


「村の・・全員が・・自分の、能力を発揮して・・る訳、じゃないから。

やっぱり、村に・・貢献・・してる・・のは・・シキ君とか・・ドクター・・やハカセ・・・かな。

無機物・・に命を宿らせる・・子も居る・・。ミミって言う・・女の子・・。

鉱物が・・好き・・・で・・・、宝石・・を創り出す事の出来る・・オジサンも・・いる。名前は

・・・ラジ・・。あとは・・」


右袖に飲み込まれたパンはもう10個目だ。

砂糖がまぶされた甘いものばかりがどんどん吸い込まれてゆく。


「この・・子・・達は。食・・欲、が凄い。食べなくて・・も・・生きていられる・・けど・・・・・。

この・・村で・・、砂糖の味・・を知って、から。良く・・食べる・・ように・・・なった。」


普通の麻の服の袖は、時折パンの形に膨らんで、すぐに元に戻る。

勇者の耳には何ものかが「キィ、キィ」と音を鳴らしているのが聞こえていた。


「見る?」


タクトは右腕をそっと上げた。


「う、うん!」


勇者は頷く。


「おいで」タクトの声がしたと思ったら、辺りが急に暗くなる。

外に大きく開け放たれていたドアも闇色に染まり、勇者は思わず立ち上がった。


「な・・」


じっと目を凝らすと、幾千、幾く億もの「視線」を感じた。

その瞳は赤く、何かが「カチ、カチ」と音を立てている。


「・・・・た、タクト・・君」

「戻れ」


部屋はまた一瞬で元の明るさに戻った。


「うーん・・、勇者・・君・・の事・・・が、怖い・・、みたいだ。

いつもは・・「攻撃体勢」なんて、とらない・・んだけど・・・・」

「今のが・・虫・・?」

「虫、というか・・」


タクトがそっと右袖に手を入れて摘み出したのは、黒い体に赤い瞳の小さな昆虫だった。

それはタクトの手を逃れてすぐに袖の中に隠れてしまう。


「蟻・・・、この・・世界・・の・・昆虫・・図鑑は・・、持って、ないから・・名前は・・わからないけど・・・

似てる・・から・・、ディノポネラって、呼んでる・・・・」

「ディ・・?」

「ディノポネラ・・・・サシハリアリ亜科・・低地多雨林に住む、毒を持つ蟻。

この子たちは・・ディノポネラでは・・ない・・けど、ちょっと・・似てる・・・。

体が大きくて外殻は硬く強靭。顎が大きく力も強い、噛まれると発熱して死ぬ。

勿論毒も持ってる、口角から毒腺を伸ばして刺す。1匹に刺されても人間は即死。

さっきみたいにお互いの体を粘液で繋ぎ合わせ巨大な1匹の蟻となり獲物を捕獲・捕食する。

大きな牛でも殺してから食べるのに10分もかからない。」


「そ、そんなに危険な虫・・タクト君の右手は大丈夫?!・・・まさか・・もう・・」

「右手・・・ある・・でしょ?」


タクトは自分の右手を勇者の前で開いて見せる。


「この子たちに言わせれば、僕は、彼らの「王」らしい・・・、初めてあった時

この子達の天敵から巣を守った・・・のが、きっかけ・・。

女王が・・優秀な兵士を連れていってくれ・・って言うから・・・数匹・・貰ってきた。

いつの間にか増えてた・・・。

この子達は寒いのが苦手なんだ・・だからいつも僕の服の中に隠れてる。

でも僕の命令で僕を守ってくれるよ・・。少し前に森で熊みたいな動物に出くわしたんだけど

この子達が片付けてくれたしね。

だからあまり僕や・・この子達を怖がらないでね・・、人間の緊張は、すぐにこの子達に伝わって

しまうから・・。勿論、僕の命令がないとこの子達は動かないけど・・。

この子達を怖がらせるのは・・可哀想だ・・から・・・。」


「・・・・ごめんなさい・・」

「大・・丈夫、もうわかった・・って、言ってる・・。敵じゃない・・って・・」

「僕・・その・・」

「狂戦士化・・・って・・・・やつ?」

「あ・・・・、うん・・・、その・・体が勝手に・・身構えて・・しまって・・その・・」

「うん・・わかった」

「え」

「わかった・・よ」


タクトは静かに言って、食事の続きを始めた。

勇者の事を迷惑だとも言わないし、怖がりもしない・・

『僕・・この村の一番の害悪なのに・・』

ハカセに言われた事を思いだす。


「ちな・・・みに・・」

「え?」

「僕の・・左手・・・には、何が・・いるでしょう・・・・・か?」


タクトは表情は真面目なまま、感情のない瞳で勇者に質問をする。

本人はおどけてみせているのかもしれないが、少し不気味だ。


「・・蟻?」

「はずれ、こっちには解毒作用や回復作用のある、虫が居る。

こっちの子達はアイテムみたいに食べる虫だから・・今は繭になって

眠ってる・・・・見せられないの残念・・だけど・・」

「食用・・の虫・・」

「右手で攻撃、左手で回復・・、僕も・・勇者・・みたい・・でしょ?」

「う、うん・・」

「狂戦士化・・か、・・かっこいい、なぁ・・」

「え!そんな・・僕は、皆に迷惑を・・・・。それに・・僕力が・・強くて・・シキ君の家の

扉・・何度も壊してるし・・」

「力・・が、強い・・・・のは、良い事だよ・・・・。今度・・採取に付き合って欲しいな・・」

「い・・いいの??」

「僕は・・助かる・・。でも採取・・は、村の外に・・・行けるのは僕だけ・・だから・・・、魔王様が・・・帰って

きたら・・・・、お願い・・して・・みようか・・・」

「うん!」


疎まれた「狂戦士化」を「かっこいい」と

いつも叱られてしまう力を「必要だ」と、そう言ってくれるタクトと勇者は

すぐに打ち解けて、それから長い時間虫の話をした。


「暗く・・・・なってきたね・・、もう・・家に・・帰らないと・・・・ね・・」

「あ・・本当だ・・」


タクト秘蔵の昆虫図鑑を、まだ覚えたてのニホンの文字でたどたどしく読んでいるうちに

もう夕方になってた。


「・・シキ・・・君の・・家・・・に、行くんだ、よね・・?」

「うん」

「シキ君・・・も、虫、嫌いだから・・・僕と・・一緒に居た・・・なんて・・言わない方が・・・いい・・よ?」

「・・・でも・・・、シキ君は虫が苦手でも、タクト君が嫌いな訳じゃないと思うから大丈夫!

また明日遊びに来てもいい??」

「・・・・・・え・・・」

「駄目?」

「・・いい・・・けど・・・・」

「やった!じゃあまた明日ね!!ばいばい!!」


勇者は夕暮れの道を走り出す、途中で止まってもう一度大きく手を振って帰っていった。


「・・また・・・・・、明日・・・・ね・・・・。か」


タクトの右腕がざわざわと蠢く。


「・・うん・・、ごめん・・少し・・体温・・上がった・・かな・・。どこでもいいから・・

過ごしやすい処に・・移動して・・いいよ・・・・・、あ、背中・・は・・少し・・、くすぐったい・・かな・・」


結局蟻達は右手に収まって静かになった。


「・・・・はぁ、あんな事・・・言われた・・のは・・・、初めてだ」


タクトはもう陽が落ちて暗くなった夜空を見上げ、目を閉じる。

「さて、魔王様は・・見つかった・・かな・・・」



「こんばんわ、シキ君いますか?勇者です」


扉が開き、中からは当然だがシキが姿を見せる。


「お前・・」

「あの・・ハカセに、夜はシキ君の所に居るようにって言われて。

あ、夜ごはん!ヤマさんの所から夜ごはん貰って来たよ!」

「・・・お前・・初めて・・何も破壊せずに・・俺の家に・・・」


シキは目頭を押さえた。


「人間って、成長するもんなんだな・・・ははっ・・、泣けてくるぜ・・・。」

「そんなに感動しなくても・・」

「あの・・何かあれば猪みてーに突っ込んで来て、俺の家の扉を破壊してきたお前が・・

朝は苦手って言ってんのに無理やりたたき起こして、喰いたくもねー飯を口に突っ込んで来た

お前が・・、朝、静かに出ていっただけでも感動したのに・・。とうとうここまで・・成長しやがって・・」

「だから!そんなに感動しないでよ!」

「はは!悪ぃ悪ぃ!!ヤマさんの飯も久しぶりだ!飯にしょうぜ!」


シキは勇者の髪をぐしゃぐしゃに撫でながら、いつものリビングに向かった。


「魔王って、いつも急に「出稼ぎ」に行くの?」

「は・・・、あぁ・・・まぁな」


魔王の「家出」を知っているのは、シェリーとハカセ、シキとドクター、ウゾの4人と1頭だ。

シキはハカセに勇者の世話を任され、もし魔王の事を勘づかれたり、ばらしたりしたら

「一度死ぬ寸前まで徹底的に痛めつけ、回復させ、また痛めつける」と言われている。


「それで?今日はどこに行ってたんだよ」

シキは恐怖のあまり魔王の話題から話を逸らす事にした。


「今日はね、タクト君と友達になったよ!」

「!!げ!!!タクトかよ!!お前!あいつの虫とか連れ込んでねーだろーな!!」


タクトの言う通り、シキは虫が苦手なようだ。


「タクト君の虫はいい子だから、タクト君のいう事しか聞かないし、タクト君の側を離れないんだ。

タクト君の右手の蟻、見た事ある?凄かったんだよ!こう部屋中にわーっと・・」

「わーーー!!!やめろ!聞きたくない!体が痒くなる!!!大体・・部屋中って・・」

「5000匹、だって」

「わーわーわーーーーー!!聞こえない!何も聞こえない!!

それ喰ったら!フロ入って寝ろ!俺は上に行く!」

「・・えぇ・・、一緒にご飯・・食べようよ・・」

「・・うぅ・・・」

「シキ君・・」


シキは勇者の縋るような目に負けて座りなおした。

「メシだけだからな・・」

「うん!」


そして夜は静かに更けてゆく。


夜更けに声が聞こえて勇者は薄く目を開いた。

シキのリビングにあるソファはベットの形にも変わるらしい。

相変わらず体が沈み込むように柔らかくて寝心地が良い。

半分は夢の中・・・誰かの声を聞いている。


『・・まさか・・魔王様が家出だなんて・・』

『しかも、理由が勇者に相手にされないから、とか魔王様らしいぜ』

『シキ君・・声が大きい・・。とにかくこれ・・勇者様のお着換えと・・お食事は

勇者様が望まれたら私に連絡して・・』

『おぅ・・わかった・・。おい・・大丈夫かよ、シエリ・・』

『・・・・どうしよう・・、魔王様・・このまま戻って来なかったら・・私・・』

『大丈夫だって・・』


「え?魔王・・家出したの?」


勇者は飛び起きた。


ドアを開けて外に出る。


「シキ君!シキ君!!どこ!」


暫くすると遠くから「ここだよ」とシキの声がする。

城への通路の方角だ。

勇者は走り出した。


「んだよ・・、起きたのか?どうした」

「魔王が!魔王が僕のせいで家出したって・・・聞こえて!」

「はぁ?聞こえた・・・って・・・、どういう・・」

「本当なの?!」


勇者は背伸びしてシキの胸倉をつかむ。

あまりの力強さにシキはされるまま、膝を折る。


「シキ君!僕の目を見て!」

「・・暗ぇし、見えねーよ!つか離せ!痛ぇーての!」

「・・・・うっ・・」

「うっせえ!泣くな!!」

「うえぇええええ!!!」


勇者はシキから手を離し声をあげて泣き始めた。


「だからおかしいて、思ったんだ!ハカセが・・あんな事・・言う訳ないもん!

魔王が・・僕に何も言わずにどこかに行くなんて・・有り得ないよ!!

シキ君のうそつき!うそつき!!うわぁあああああん!!!」

「・・・な、泣くなよ・・バ馬鹿だな、魔王様が家出なんかする訳ねーだろ。

な?泣くなって、こんな所ハカセに見られたら・・俺が痛めつけられる・・徹底的に・・」


勇者を宥めようとするシキの肩に、虫が1匹よじ登ってきた。


「それ、以上・・・勇者、君・・、を、泣かせたら、刺す・・けど。」

「・・その声は・・タクト!!」


月明かりの下。

右手を前に伸ばしたタクトの瞳は青く輝いていた。


シキは全てを諦めたように息を吐くと「ハカセんとこ・・行こうぜ」

と二人の前に立って歩き出した。


夜中の来訪者を予想していたのか、扉は勇者がアイテムをかざす前に開いた。

「魔王が、魔王が家出しちゃった!どうしようハカセ!!!」

ハカセの部屋に飛び込んだ勇者に、ハカセは背を向けたまま


「連れ戻すに決まっているだろう」

と淡々と答える。


「でもっ、でも!相手は魔王だよ??どうしよう・・このまま帰って来なかった・・

僕・・僕・・」


タクトは泣き出しそうになる勇者の頭を優しく撫でる。


「・・・大丈夫・・、僕の虫たちが・・魔王様にくっついてる・・。

魔王様の居場所は・・少し遠いけど・・場所はわかる・・から・・・・・」

「ほんと?!じゃあ僕が迎えに行くよ!!どこなの??」

「・・・んと・・、あっち・・?」


タクトが指さす方へ勇者は目を向ける。


時間は真夜中。

月明かりだけが煌々とその指先を照らしていた。


「確かに・・「方角」は合っているな・・。」

ハカセは部屋の天上に設置された望遠鏡でそれを確認する。


「私が転移して、あのアホ・・、こほん、あの魔王様を連れ帰ろう、座標は・・些かずれる

だろうが・・・」

「僕も行くよ!!」


勇者はハカセにしがみついた。

ハカセは邪険そうに勇者を払うが・・勇者の力に押し負け床に倒される。


「・・ハカセ・・・は・・貧弱・・・」

「口を慎みたまえタクト。それで?君の虫たちは何と?」

「・・うん・・・・、魔王様・・・・人間の女の子と一緒にいる・・・・・・・。

たき火を・・・している・・・。火は怖い・・と、僕の虫が言ってる・・・・・・・・」

「・・・人間の女・・」


ハカセの脳裏にアンジュの姿が浮かぶ。

しかし、彼女は魔王によって王国のすぐそばまで転移されたはずだ。

しかし他の人間の女と魔王が一緒にいる事は考え辛い。


なにせこの魔王城周辺の森は伝説の「迷いの森」なのだから。


「早く魔王の所に行こうよ!ハカセ!」

「・・私は、誰かを連れて転移した経験がない。ともすれば、勇者君、

君の体はバラバラになって虚無の空間を彷徨う事になるが・・」

「いいよ!」

「・・・・・・・・・蘇生はもう出来な」

「大丈夫だよ!ハカセは、凄い魔法使いなんだから大丈夫!早く魔王の所に行こう!」


まっすぐな瞳に見つめられ、ハカセはほんの少し口の端を持ち上げた。


「その前に、私の上からどきたまえよ、君。これでは何も出来まい」

「!あ、ごめん・・あ、すみ・・ません・・」


勇者は慌ててハカセの上から降りると、またタクトに頭を撫でられる。


「・・・勇者・・君、は、・・・・いい子だ。ハカセが・・・・気に入る・・の・・わかる・・・・」

「気に入ってなどいない」

「ハカセ・・・勇者・・君、に・・折り紙・・・教えて・・あげてた・・」

「・・・クソ虫使いめが、私のラボに侵入しおって」

「虫は・・・、どこにでも・・・いる。・・僕に・・沢山の・・事・・教えて・・くれる・・。

本に・・使われる・・・紙が・・・・・・・・・・・・美味しい・・とか」

「全く不愉快な事だ」

「・・・・・・・そう・・」

「ハカセもタクト君の事、大好きだよね・・!シキ君みたいにバカにしてないから

すぐわかったよ!」


『何故そのような結論に至るのだろうか、これだから人間の子供は不愉快なのだ』

ハカセは勇者の意見に無視を決め込んだ。


魔王は城の財政が困難な時や、王国で病が発生した時に「人間の旅人の姿」で旅に出る。

長い黒髪を後ろで一つに縛り、出来るだけ粗末な服に皮のローブを纏う。

持ち物は「人間の旅人、治癒師バージョン」だ。

ズタボロの皮で出来た荷物入れを肩から斜めにかけている。


どこからどうみても、少し体躯の良い、気さくな旅人に見える・・とは魔王の自己評価で、

大抵の人間は魔王の長身と眼光の鋭さに恐怖を抱く。


夜も気にせず移動を続けてもいいのだが、魔王は今「人間のフリ」をしているので

人間のように夜はたき火をして朝を待つ。


『・・・何も言わずに城から家出してきて・・・皆・・驚いているだろうか・・。

ハカセは怒っているだろうけど・・、怒ってるだろうなぁ・・嫌だなぁ・・・。

・・でも、もう・・あの城に僕の居場所は無いんだ・・。』


薪が火にくべられてパチパチと心地よい音を立てる。


『こうやって・・・、長い旅に出るのもいいかもしれない・・。

ふっ・・・僕はもう、一人なのだから・・』


揺らめく炎の向こうから影が見えた。


足取りもおぼつかず、何かを呟いて、この迷いの森を夜になった今でも歩いている人間・・。


『勇気あるなぁ・・人間なのに・・夜に、この森を歩き回るなんて・・』


魔王は暫くその影が近づくのを待った。


よろよろと歩く人影は「ごめんなさい」と繰り返していた。

魔王の事も眼中にないのか、おぼつかない足取りはそのままで歩き続ける。


「あれ?アンジュちゃんじゃないか。まだこの森に居たの?」


魔王に名前を呼ばれて初めて、アンジュは魔王を見る・・観て・・・・



「きゃぁああああああ!!!」

狂ったような悲鳴をあげその場に座り込む。

自らの体を抱くようにして「ごめんなさい」を繰り返した。


「あ、あれ?どうしたの?僕・・の恰好・・おかしいかな?」


魔王はアンジュに近づく。

アンジュには魔王の姿が旅人などには見えていない。

地をも覆うようなどす黒い淀みは魔力なのだろうか、それを身に纏い

真っ暗な顔には白い双眸が炎のように揺れている。

そして感じるのは威圧感。

頭を押さえつけられたような恐怖という威圧感にアンジュは気がおかしくなりそうに

なり必死に目を閉じて観ないようにした。


「・・なに・・何・・これ・・、こんなもの・・観た事ない・・。

いや・・、いやだ・・・!!化け物!!!」

「化け物って・・それは酷い。どこからどう見ても!普通の旅人だろう?

どうだいこの治癒師バージョン1.6改!は。」


魔王はアンジュの前でくるりと回って、うやうやしく礼をしてみせた。

力を抜いて再度確認した魔王の姿は、自身が言う通り旅人に見えた。

いや、旅人に見せているのだ。


「・・ちゆ・・・し・・」

「そうだよ!どこからどう見ても」

「魔王・・」


アンジュの呟きに魔王は

『しまったーー!この娘転生者だった!確か魔法を見破るとかなんとかだったな。

じゃあ・・僕の姿もいつもの「アレ」に見えているのか??それとも「アレ」の方?』

「・・あなたが・・魔王なの・・?」


怯えながらもアンジュは少しづつ魔王に近づいて来た。


「いやぁ・・魔王は・・勇者が倒したんだよ!もし君が僕の姿が魔王に見えるのなら、

それは「いい魔王」さ!」

「・・私を殺して・・」

「えぇ?!ななな、何だい突然・・、君、現世から転生してきたんだろ?2度目の死なんて

望むものじゃないよ?」

「どうして私が転生したってわかるの?」

「・・・・・・いやぁ・・、それは・・その風の噂で・・・。あ!それより夜は冷えるから

たき火の側においでよ。あ!食べ物もあるさ!僕は人間の旅人だからね!」

「この森の中を・・そんな風に・・、正気で歩いている人間なんて一人もいないわ・・

この森に入ると皆頭がおかしくなるのよ・・。まっすぐ歩く事も出来ない。出口も見つからない。

こんな地獄を作り出せるのは・・魔王くらい・・、こんな場所でのんびりたき火が出来るのも

・・魔王くらい・・・・」


ふらふらとアンジュが近づいてくる。

終いには魔王のすぐ側でその腕を引き「殺して・・」と呟き俯いた。


「君の事は王国の・・この森の出口まで転移させたはずだけどなぁ・・

どうして王国に行かなかったの?」

「え?!」


アンジュが驚いて顔をあげ魔王を見つめる。


「あ!いや・・その・・風の噂で・・・」


魔王は必死に誤魔化すが、アンジュは「王国・・は」と呟いて再度項垂れた。


「・・あの・・国は・・、駄目・・。わた・・私の・・村を・・焼いた・・兵士が・・居る・・」

「あぁ、確かそうだったね。君の村」

「見ていたの?」

「・・・・あ、いやその・・風の噂さ!商売人は情報が命・・・・だから・・・」

「・・・そう・・、なんだ・・。あの時・・私を助けてくれたのが・・魔王・・ふふ・・変なの・・。

村では王国の兵士が神様みたいに崇められてた・・魔王は・・諸悪の権化・・。

村に病が訪れたのも魔王の仕業だと・・思って・・たわ・・。」

「失礼な。僕はそんな事はしやしないさ。何の意味があると言うんだ」

「・・意味・・、が、・・・・・無い・・・」

「そうだよ、メリットって言うのかな?村に疫病をばら撒いて僕に何の得があると。

僕が病原菌を作り人間に感染させる?そんな面倒な事・・

手間を考えたら、何の意味も無い、そうだろう?」

「・・意味が・・無くて・・、皆・・殺さ・・れた。」


アンジュは大粒の涙を零しながら途切れ途切れに言葉を続ける。


「・・・わたっ・・しの・・せい・・なの。

さいしょ・・に、発病・・した人の・・症状・・に、見覚えが・・あった。


私も・・病気で・・死んで・・・・この世界に・・転生してきた・・からぁ・・・


わかっ・・たの・・。このっ病気は・・・感染・・するって・・。


軽い・・風邪でも・・、熱が出るって・・だけでも、村の人にとっては大事件なのっ

村には・・抗生・・物質も・・・・・治癒師もっ薬師も・・居ない・・、唯一・・領主様だけが

お抱えの・・お医者様を・・・持っていて・・・、だから・・わたし・・領主・・様に・・お願いして・・。


なのにっ・・ひぐっ・・領主・・は・・一番最初に家族を連れて・・にげ・・たの!

だから私・・っ・・王国に・・っ・・お医者様を・・っ・・、あんな事になるなら!!!


あんな事になるなら・・!!皆で・・辛いけど・・、皆と一緒に・・!!死にたかったよ!!

あ、新しい・・お父さんと・・お母さんと・・、もうすぐ産まれてくるはずだった・・私の・・っ

兄弟と・・いっしょに・・死にたかったぁ・・・!!」


「でも、病原菌が人間に感染する速さは尋常ではないからね。

風土病で滅んだ国もあるくらいだし。

領主の判断は正しかったんじゃないのかな。

それに病人がまだ少ないうちに教えてくれた君に感謝していると思うよ?」


「・・かん・・しゃ・・」

「そうとも!君のおかげで多くの命が救われたんだ。だから死ぬなんて言ってはいけないよ」

「・・・・」

「あれ?どうしたの??まだ、何か辛いの?」

「・・・魔王には・・人の心が・・無いって・・・絵本で・・読んだ・・」

「あー・・それね。んー・・確かに僕は人間の考えに深くかかわる事はわからないんだけど・・。

ま、それが魔族だからね」

「本当に・・悪魔みたい・・」

「悪魔族と魔王は流派が違うから一緒にすると悪魔が怒ると思うよ?」


少女の拳が魔王の胸を叩く。

何度も。

しかし傷つくのは少女の拳だけだ。


「・・ごめんね・・、僕はまた・・人間を怒らせるような事を言ってしまったようだ・・」


魔王に腕を押さえられても、アンジュの抵抗は続く。

魔王の腕に噛みつき、暴れて、叫んだ。

そして声をあげて泣いた。


「・・水を飲みなよ・・、ほら、喉が渇いたろう?」


魔王は水が入った革袋をアンジュに差し出す。

アンジュはそれを両手に持ち、少しだけ中身を口にすると、次にはごくごくと

喉を鳴らして水を飲んだ。


「お腹もすいているんじゃないか?パンとチーズがあるんだ。」

魔王は袋からパンとチーズを取り出し、小ぶりなパンを少し割くと、その間にチーズを

挟んで、素手でたき火の上に翳した。


「パンを少し焼くと、やわらかくなって、チーズも解けておいしいよ?多分」


アンジュの手にまだ熱を持ったパンが手渡される。

火傷しそうな熱もすぐに引いて、アンジュはそれを頬張った。

一口二口・・何も言わずにすべて食べてしまうと立てた膝に顔を埋める。


「・・どうして・・、助けて・・くれたの?」

「君が「死にたくない」と、言ったからさ」

「・・ふふ・・私・・、死にたいと言ったり、死にたくないと言ったり・・・

馬鹿みたいね・・・、今も・・水や食べ物を・・貰って。こんなに辛くて苦しくて・・

悲しいのに・・お腹はすくんだもの・・・。もう・・やだな・・こんなの・・」

「ふぅん・・、そういうものか?ごく自然な流れだと思うけれどね・・人間は

それに罪を感じるのか・・。」


アンジュはちらりと魔王を見て、少しだけ笑った。


「変な悪魔・・」

「悪魔じゃないよ、僕は」

「魔王!!!!」


全速力で走って飛びついて来た勇者を、魔王は驚いた表情で抱きとめる。


「こんなとこで・・何してんだよ!家出なんて!皆心配してるよ!帰ろうよ!!」

「・・ゆう・・しゃ・・、どうして、ここに・・」


遥か遠くに膝に手を着き肩で息をしているハカセの姿が見えた。


「まさか!ハカセの転移についてきたのか?!彼の転移はまだ」

「ハカセとタクト君が魔王を探し出してくれたんだよ!・・ねぇ魔王・・本当に・・僕のせいで

家出したの?」

「そ!それは・・・、そうさ!勇者にはもう・・村の皆が居る・・。誰も僕に頼らなくてもいいんだ。

あの村に・・僕の居場所なんて無いんだ・・」

「魔王の・・ばかーー!!!!!」


勇者の拳は、魔王の右頬に強い衝撃を与えた。

魔王の体が僅かに揺らぐ。


『・・え?今・・僕・・殴られ・・、人間に?素手で?』

「居場所がなかった僕に・・部屋を・・くれたのは、魔王じゃないかぁ・・。

なんでそんな・・事、言うんだよ・・、僕は、村の人が好きだよ、皆も魔王の事大事だし、好きだよ!

魔王城に魔王が居なくてどうするんだよー・・・・、魔王の・・ばか野郎・・・っ・・」


魔王の膝に突っ伏して泣く勇者を見て、魔王はかける言葉がみつからない。

服をきつく掴んでくる手が熱くて、流れ落ちて服に染みる涙が温かくて・・

それを「感じる」事が出来る事実に魔王自身が驚いていた。


満点の空の下。

たき火の心地よい音と、冷たい風。

遠い昔・・このぬくもりを感じた事があるような・・魔王は記憶を探るが出てくるはずもない。


「・・ごめんよ、勇者・・心配をかけ」

「あや・・・っ・・まる・・、のは・・・・はぁ・・・はぁ・・・、わたしっ・・からに・・・・、して・・・・いただこう・・

か・・・・貴様・・様よ・・」


いつの間にか側には鬼のような形相をしたハカセが立っていた。


「その娘を連れ帰りたいなら好きにしたまえ、さぁ、誰かに見られる前に転移を」


てっきり頭ごなしに暴言を吐かれる・・と覚悟していた魔王に、ハカセは額に落ちた髪を

かきあげて口早に告げた。


「わかったよ。じゃあ・・帰ろう勇者・・。君も」


勇者はまだ魔王にしがみついて顔をあげない。

魔王に手を差し出され、アンジュが立ち上がる。

その体はまだ震えていて、その目は信じられないものを見るように勇者を見ていた。


魔王はアンジュの目をそっと伏せさせると「もう二度と。あの目で勇者を見てはいけない」と

その耳元に囁いた。


魔王が二人を連れて転移すると、ハカセは大きく溜息をつき、先ほどまで魔王たちが座っていた

丸太の上に腰かける。


「全く・・後始末はいつも私の仕事だな」


ハカセはスラックスのポケットからビンを取り出す。


「間に合えよ、虫共」


ビンの中身はタクトの虫だ。

それを野に放つと、それは一個の塊に形を変え標的を追い始めた。


暫くすると遠くで人間の声が上がり・・・更に数分後・・何かを引きずるような音が近づき、

「それ」はハカセの足元に転がった。


「矢張り、王国兵・・・クラドの紋章だな・・。よくやったお前達。約束通り「王」の元に連れ帰ろう。

私に触れることなく・・「戻れ」」


ザァっと音がして、虫たちはビンの中に納まった。


「ほぅ・・、なかなか良く躾てあるな・・、これなら魔力も消費せずに事が運べそうだ」


ハカセは遠くに朝焼けを見ながら転移した。

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