皇国の皇子家
私は今、かなり緊張していると思う。
貴族というか、皇族の家に招かれて料理を教えているのだから。
「卵は、ふんわりとなるまで泡立てて下さい。
その方が口当たり、良くなります」
「解りました」
厨房のスタッフは、私みたいな子どもの言う事を、それでも素直に聞いて侮ったりしないでくれる。
流石ライオット皇子の家の使用人。
主の指導がしっかりしているのだな、と思う。
だから、緊張の原因は実は別。
「粉や砂糖を一度に入れてしまわないのは意味があるの?」
「あ、はい。一度に入れてしまうと一塊になってしまって綺麗に混ざらないんです。
少しずつ、丁寧に混ぜる事で、全体に均一に材料が混ざります」
「なるほど。材料一つ混ぜるにしても理があるのですね」
私達の真横に立って、興味深そうに手元を覗き込む奥様のせいだ。
料理人さんもやり辛そう。
私が料理の給仕以外で二番目に出会った皇国の貴族がこの奥様なので貴族の奥様が厨房に入ってくるのが当たり前の事なのかどうかは解らない。
けれど、この方はまったく遠慮しないで顔を覗き込ませる。
「あまり近づくと、お召し物に粉が付きます。ティラトリーツェ様」
「あら、別に構いませんわ。そしたら着替えればよいことですもの」
本物の超豪華、多分シルクドレスにケーキ生地なんて付けたら簡単には落ちないだろう。
料理人さんと私は顔を見合わせながらため息をつき、
(とにかく早く終わらせよう)(解りました)
必死のアイコンタクト。
作業の手を速めたのだった。
ここは、皇国アルケディウス 第三皇子ライオットの館。
料理を教えてくれと招かれて、やってきた私はそこで、当然と言えば当然ながら皇子の奥様とご対面とあいなった。
「料理ができたら、紹介するつもりだったんだが…」
「だって、待ちきれなかったんですもの。貴方のお気に入りの、お店の料理人なのでしょう?
貴方は私を店に連れて行って下さらないし」
「あそこは、貴族が堂々と行くような店じゃない。庶民の店だ。
…マリカ」
「はい!」
はあ、と大きくため息をついて見せた皇子はくい、と指で私を招く。
慌てて私は皇子の側に駆け寄り跪いた。
「はじめまして。可愛い料理人さん。
私はティラトリーツェ。ライオットの妻です」
私にそう声をかけてくれた奥様に、挨拶を返す。
「勿体ないお言葉、ありがとうございます。
私はマリカと申します。本日は主、ガルフの命により罷りこしました。
お館にてお目汚しとなりますが、お許し下さいませ」
「随分、躾と礼儀が行き届いたお嬢さんだこと。
流石、王都に名高いガルフの店の一員ということかしら」
とりあえずお褒め頂いたということは、今の挨拶で良かった、ってことかな。
少しホッとする。
「無理に呼び出したのはこちらです。
主人も言ったと思いますが、顔を上げて気を楽にして下さいね。今日はとても楽しみにしていたのです」
ティラトリーツェ様に言われて、私はゆっくりと顔をあげる。
美人だな。
それが第一の印象だった。
皇子の横に立つ奥さん、って正直イメージがまったく湧かなかったんだけど、見た途端腑に落ちるというかアリだな、と思う方だった。
長い、きっとストレートの茶色の髪の毛を、中世の貴婦人らしく結っている。
歳の頃は…不老不死世界だから見た目とは違うと解っているけれど…20代後半くらいな感じ。
落ち着いた、知的な感じが漂う。透き通った青色の目が凛とした彼女の芯の強さを惹きたてているようだ。
軍務に忙しい皇子を、内外に支える凛々しい妻、といった雰囲気だ。
皇子と並ぶとどうしても美女と野獣だけど、ただ野獣に食われるだけではない。
むしろ手なづけ躾けるタイプのベルだろう、この方は。
「先日はお菓子をありがとう。
手土産など、結婚してこのかた一度たりとももらったことなど無かったので、直ぐに貴方達の関与は解ったのだけれども、とても嬉しかったの。
それに…とても美味しかった。
なので、無理をお願いしました。許して下さいね」
「こちらこそ、店の料理をお気に召して頂けて幸いです。ありがとうございます。
今日は精一杯務めさせていただきます」
「お願いね。しっかりと教えてやってくださいな。
この人は、自分ばかり美味しいものを食べに行ってしまうのですもの。私達だって美味しい料理は食べたいのに。
ずるいと思うでしょう?」
「あ…はい」
なんと返して良いものか…。
羨ましそうに、恨めしそうに皇子を見る妻に、皇子も居心地が悪そうだ。
「貴方の店のケーキというものは本当に素晴らしかったわ。
しっとり、ふんわり、柔らかくて。あんな素晴らしいものを食べたのは生まれて初めて。
甘味など、私達でさえ殆ど口にすることはできないのよ。あんな美味を庶民が食べているなんてずるいと思うくらい」
「その辺にしておけ。ティラトリーツェ。マリカが困っている。
ここでいつまでも引き留めていていては菓子がいつまで経っても出てこないぞ」
「そうね、それは大変。では、参りましょう?」
「はい?」
奥様が私の前に立って連れて行こうとするのだけれど。
「あの、奥様…私が参りますのは厨房の筈なのですが…」
「ええ、そうよ。だから一緒に参りましょう?」
「奥様も、厨房へ?」
「ええ。見せて頂きたいの。どのような材料で、どのように作ったら、あんな菓子ができるか。
安心して。調理の邪魔は、致しませんから」
ちょ、ちょっと待って?
いいの? 貴族の奥様が? それも皇族のお一人が、だよ。
そんな簡単に厨房に来るのってアリ?
助けを求めるように見たライオット皇子は、けれど呆れたような、諦めたような目で肩を竦めている。
「ティラトリーツェは、他国から嫁いできた騎士の娘でな。頭はいいんだが、この国の常識とは色々ズレている。
趣味は情報収集と、謀略と公言して憚らない女だ。
見つかる前に、こっそりと思ったんだが、見つかった以上は仕方ない。
好きにさせてやってくれ」
「えっ…と、その…はい。解りました」
亭主関白かとおもったけど、これライオット皇子、奥様の尻に敷かれてたり?
「では、よろしくお願いいたしますね。マリカ?」
「は、はい…」
執事さんを置いてスタスタと歩いていく奥様の後を、私は必死に追いかけて行った。
私が館で作ったのはプレーンなパウンドケーキと、オランジュを使ったパウンドケーキ。
それからミクルを使ったナッツのパウンドケーキだった。
せっかく来たのに一種類じゃもったいないからね。
「砂糖、小麦粉、バター、卵。
材料そのものは、意外にシンプルね」
「基本の作り方を覚えれば、後は色々混ぜたり応用が効くと思います。
オランジュ、サフィーレなどはパウンドケーキに合いますが、ピアンなどはジャムなどで添えるようにした方が美味しいかと」
「面白いわね。研究のしがいがありそう」
皇子になら他のお菓子を教えてもいいかと思うのだけれど、ガルフやみんなの了承を得ていないので今回は見送り。
代わりに、籠の中に持ってきたオランジュの皮の砂糖づけ、いわゆるオレンジピールも作り方を教えておく。
できたパウンドケーキは黄色い生地がとてもキレイだけれど、シンプル。
だから、生クリームを泡立ててホイップにして飾り付ける。
加えてオランジュの飾り切りも何種類か、教えて添えてみた。
バラとか、うさぎとか羽切りとか。
こういうのは手が小さい子どもが得意。
ギフトを使えば楽なのだけれど、流石にここで横着はできないしね。
「まあ、キレイ。とっても華やかね」
「ありがとうございます」
調理中、奥様はずっと私達の側で手元を見ていらっしゃった。
用意された椅子に座って黙って、なんてことはして下さらない。
正直、ホントやり辛いけれどいきなり無礼打ち、なんてことはなさらないだろう。
多分。
午前中の六刻、空の刻くらいから始まって、一通り終わって盛り付けまで済んだのは二の水の刻をかなり過ぎていた。
「これで、今回は一通り終わりです。奥様、お疲れではありませんか?」
丁度お茶の時間だというので、お茶の入れ方を教わって広間で待つ皇子のところに持っていく。
小さめのダイニングで、お二人は向かい合わせに座って、私の給仕を受けて下さった。
紅茶、もしくはそれに類するものがあるのは知っていたけれど、魔王城では簡単に手に入るものでは無いので殆ど出されたことが無かった。
エルフィリーネが特別な時に、私を気遣って出してくれた位だ。
話を聞くに私達の世界の紅茶と扱い方も近いようなので、丁寧に抽出する。
「へえ~、上手いね」
「このような方法もあるのですか?」
と料理人さんも、執事さんも褒めてくれた。
どちらかというと向こうの世界でコーヒーより紅茶派だったので、一度凝ったことがある。
器を温め、じっくりと蒸らして、濃さを均一に。
ゴールデンルールはこちらの世界も通用するかな?
「いいえ、とても楽しかったわ。
バラバラの材料が、正しい理で組み合されて行くと、全く違うものになる。
料理とは本当に素晴らしいこと」
「ありがとうございます」
「面倒をかけてすまなかったな。邪魔だったろう?」
三種類のケーキの盛り合わせを、お二人は躊躇いなく口に運んで下さった。
毒味とか気にしないのかな。と思ったけどここは不老不死世界だと思い出す。
毒とかはあまり気にしないのだろう。
多分。
「まあ、ステキ。とても美味しいわ」
幸せそうに奥様が微笑む。
良かった。とりあえず一安心。
「甘すぎず、ふんわり。できたてだから、ほの暖かくて。頂いたケーキのような深みは薄いけれど、その代り新鮮で鮮やかな味わいがあるのではなくって?」
「ああ、店で食べるのとはまた違う感じがする。
材料の違いか?」
「砂糖が違うので、そうかもしれません。あとオーブンの癖とかもあるので」
皇子が用意して下さった砂糖は、どこかキビ砂糖っぽかった。
上白糖やグラニュー糖はまだ中世では無理だろう。
「どうでしょうか? お口に合いましたか?」
お茶を注ぎ、差し出しながら恐る恐る伺う。
本来ならこういう問いかけさえも無礼なのかもしれないけれど、加減がイマイチよく解らない。
「ああ、十分だ。ワザワザ呼び立てたかいがあったというもの。
何より、この味を家でいつでも味わえるようになる、というのが嬉しいな」
「そうですね。日々の潤いになりそうですわ。お茶の入れ方もとても上手」
お二人の言葉はお世辞では無い事を、お皿も証明してくれている。
私は胸を撫で下ろした。
「このお菓子は日持ちはするのかしら?」
「空気にさらさないように布か何かに包んで保存すれば、二日くらいは大丈夫です。
一晩寝かせた方が、奥様がおっしゃったような深みもでてくるかと」
「それなら、宴の時に事前に焼いて運ばせれば、多めに用意する事も出来そうね」
「季節なら、グレシュールなども色合い的にはいいかもしれません」
「そうね。黄色と赤できっと見た目も綺麗」
そういえば、貴族の宴で使う予定だとおっしゃっていたっけ。
奥様の頭の中では効果的な使い方が、もう検討されているのだろうか?
流石、皇子の奥様。頼もしい。
「次の機会があれば、他の料理も頼む。
特にスープや肉料理、だな」
「本当に、いつも貴方ばかりおいしいものを食べてずるいわ。
留守番を押し付けられる、哀れな私の為に、ねえ可愛い料理人さん。
どうかまた来て美味しいものを教えて下さいな」
藪蛇に、皇子は苦笑いするけれど、こういう軽口ができる間、ということは、夫婦仲も悪くないのだと思う。
野生派皇子に、知的な奥さん。
お似合いだな、となんだか楽しい気分になる。
帰ったらリオン達に教えてあげよう。
「お申し付け下さればいつなりと」
皇族のお二人から発信されれば、貴族社会にも食の魅力が伝わるだろう。
お二人の言葉に、これからのレシピの公開予定などを考えながら私は、深々と頭を下げたのだった。
後片付けを終え、奥様や料理人さんからいくつか質問を受けた後、私は屋敷を辞することになった。
なんだかんだで二の火の刻を過ぎてあたりが薄暗くなり始めている。
早く帰らないと。
「今日は世話になったな。
また寄らせて貰うからよろしくな」
「とても楽しかったわ」
玄関の馬車まで皇子と、さらには奥様までが見送りに来て下さる。
なんだかすごく恐れ多いんだけど。
「貴方、これを」
「ああ、忘れるところだった。マリカ。今日の礼だ。持っていけ」
ポーンと、投げるように渡されたものを私はキャッチする。
白い小さなきんちゃく袋のようなそれを、なんだろうと、何の気なしに開けて私はビックリした。
「お、皇子。こ、これは!」
金貨が一枚、袋の中に入っていたのだ。
無造作に100万円、札束を投げられたようなものだ。
「お前の出張代と、レシピの使用料だ。価値を考えると少ないかもしれんが」
「いえ、今回はいつも皇子に、ご贔屓、お引き立て下さっているお礼と…」
「それではいけませんよ。マリカ」
慌てて返そうとした私を、厳しい眼差しで見る。
「情報というものは、価値のあるものです。
価値のあるものには正当な対価を払わないと、やがて価値なきものとして低く扱われ、本当に役に立たないものになってしまうでしょう。
情報を大事になさい。それが、貴方達の身を護ることに繋がるのですよ」
王宮で、貴族という皇子とは別の戦場で、別の敵と戦う奥様の言葉はやはり、戦士の奥方。
強く、深い。
「それに、だ。今後、このレシピを俺達が使うと、他の貴族連中から教えろ、だのの要求が強くなるだろう。
その時に、皇子からもちゃんと代金を受け取ったのだ、と言ってふっかけてやればいい。
いずれ広めるにしても、資金はあるに越したことはない筈だ。あるところからはせいぜいふんだくれ。遠慮はするな」
にやりと、悪い笑みを浮かべる皇子だけれど、私はその優しさに言葉が出ない。
気を付けているつもりでも、やっぱり私は情報の使い方とか、商人思考ができていない、甘い子どもだな。
と、こういう時、実感する。
お二方は、私達のことを思ってアドバイスをして下さっているのだ。
「ありがとうございます」
この世界で、この国で最初に接した貴族がこの方々で良かったと心から思う。
運命と精霊に感謝したい。
「これから、私もこの人も貴方達には世話をかけることもあるかもしれません。
今後とも宜しくね」
「もったいなきお言葉。
こちらこそ、今後ともお引き立てをよろしくお願いいたします」
私は睦まじいお二人に見送られて、馬車に乗り、館を後にした。
たくさんのお土産話と、金貨を大事に胸に抱いて。
その後、リオンの伝手でやってきた皇子の副官、ヴィクスさんは話を聞くと頭を抱えながら
「良いか? 頼むからあのお二方を普通の貴族、普通の皇族と思うなよ。
お二人方を基準に貴族に接すると下手したら首が飛ぶぞ」
そう忠告して下さった。
やっぱりそうだよね。
普通、王族貴族が、下町の、料理人とはいえ孤児を、馬車を遣わして家に招いたりしない。
うん。
他の貴族に対しては、もう少し、緊張して対処しよう。
後に、私達は、ヴィクスさんの言葉を改めて、別の形で実感することになる。
あのご夫婦は、本当に普通じゃなかったんだって…。
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