皇国の貴婦人
良く晴れた水の月。
私は、少し緊張していた。
身だしなみ、大丈夫かな?
忘れ物、無いよね。
ガルフに作って貰ったばかりの新しい服を着て、門に立つ。
程なく、奥から馬車がやってくるのが見えた。
「マリカ様でございますか?」
御者さんの言葉に頷いて、開けて貰った馬車に乗り込む。
「気を付けて、行ってきて下さい」
「無理はするなよ」
「うん、ありがとう。行ってきます」
すべるように滑らかに馬車が動きだす。
行先は貴族区画。
皇子ライオットの館である。
「パウンドケーキの作り方を教えて貰えないか?」
ガルフの店の上得意。
皇子ライオットから、そう頼まれたのは、木月も終わり、水の一月がかなり過ぎた頃だった。
世は春まっさかり。
私は収穫時期が春だとは知らなかったのだけれど、皇国の春を彩るオランジュの香りがあちらこちらから感じられるようになっていた。
今まで、木の実なんて色や形を楽しんだあとは落ちて腐るのを待つだけだったらしいけれど、今年はガルフの店に持ち込んだら中額銅貨で買い取ると告知しているのでけっこう持ってきてくれる人がいる。
持ち込まれたオランジュは加工して美味しいジュースやお菓子の材料になっていく。
ゆくゆくは果樹園とかも復活してほしいと切に思う今日この頃。
そんなある日。
いつものように料理を食べ終え、デザートのパウンドケーキとオランジュのジュースを飲んでいた皇子ライオットが、私とガルフに少し言い辛そうにそう切り出して来たのだ。
「それは、別に構いませんが…」
「いいのか? 企業秘密だろう?」
あっさり答えた私に、頼んだ皇子の方が驚きに目を見開いていた。
ガルフはもう今後の方針を伝えてあるのでちょっと苦笑い気味だが、何も言わない。
「別に秘密、というほどでもありません。
むしろ世界に食が戻れば、全てのレシピを公開する用意があります。
広がってそれぞれに工夫されて、新しく展開されて行く。
文化というのはそういうものだと思いますから」
そもそも、営利を目的として食事処を開いているわけではない。
私達の目的は世界を変える事。
利益は活動の為に必要な分、あればそれでいい。
無ければないでなんとでもなるし。
「ただ、原材料が本当に今、ギリギリなのです。
小麦は夏まで、砂糖は冬の終わりまで追加生産できません。
ですから、材料を自前でご用意いただくか、実費プラス手数料で買い取って頂く事になるのですが…」
「店に迷惑はかけられんからな。別の、城に食料を納めるルートから自前で用意しよう」
「解りました。では、こちらから料理人を派遣しますか?
それとも、料理人さんがこちらの厨房にいらっしゃいますか?」
ライオット皇子は最近、予約の時、連れを伴ってくることが多い。
騎士団の副官さんとか、家の料理人さんとか。
前は、部下に追いかけられてもこっそり一人で来ていたというけれど、最近はこの店を見せびらかす様に知り合いを連れて来る。
店の宣伝をして下さっているのだと思う。
ありがたや、ありがたや。
騎士団の副官、ヴィクスさん、という人は金髪に青い瞳の背が高い人。
絵に描いたような『忠実な騎士』って感じの人で横柄な様子も無く、私達子どもにも優しい声をかけてくれた。
リオンのことも気に入っているようで、可愛がってくれているとリオンは言っていたっけ。
…リオンがアルフィリーガだとは気付いていないと思うけど。
料理人さんはここの料理を食べて、驚きに目を丸くしていた。
『今まで作ってきた料理に工夫が足りない、もっと勉強しろ、と怒られたんです。
ここの料理を食べて、納得しました。
本当に、私には工夫が足りなかった…』
そう言って、今は休みの日は自腹でここを含む三件の店に通って、勉強しているらしいと報告を受けている。
「館に来てもらえるとありがたい。
店の厨房に、余所者を入れるのもあまり良くないだろう?」
「お気遣い、ありがとうございます」
ガルフが頭を下げた。
レシピを独占するつもりは無いけれど、積極的に広げるのはもう少し後の予定だ。
厨房スタッフにも、口外は慎む様に命じてある。
「では、厨房のスタッフのシフトを確認して、誰を派遣するかを…」
「できれば、君に来て欲しいのだが、マリカ」
「え?」
眼を瞬かせた私を、皇子は面白いものを見るような目で笑って見つめる。
「…私、ですか?」
「君の知識がオリジナル、だろう? 君から教わるのが一番確かで確実だ」
「でも、私は子どもですよ?」
「子どもであろうと、知識と技術を持つ人間だ。
少なくとも俺の館の人間には子どもだからと君を侮るような態度はさせないから安心してくれ」
皇子の言葉に秘められたものを考察する。
『俺の館』
皇子はお城そのものではなく、多分独立した皇族として別な家に住んでいる。
そしてお城とか、他の貴族には子どもだから、と侮ったり下に見たりする者がいる、ということ。
今後に向けて、皇子が家に招く価値のある料理人だという立場を作って下さるおつもりなのかな?
何せ、私は子どもだ。
力と金を持つ商人、ガルフが店で雇っているいわば持ち物だから、手出しは今の所されないでいるけれど、誘拐されたり脅されたりの可能性はどうしたってある。
皇子の後ろ盾が付けば確かに、とてもありがたい。
「それに、俺の妻が会いたい、と言っている。
先日の土産のケーキが気に入ったらしい。夏の戦の前に城で行われる宴会で使いたい、と言い出してな」
…皇子曰く、夏の始まりと秋の終わりに、隣国との戦がある。
それに合わせて、城で宴があるのだという。
普段、貴族、皇族もそんなに頻繁に食事はしない。
そういう特別な宴会の時に豪華な料理が出るくらいだとか。
「言っておくが、そんなに美味くはないぞ。
高い香辛料を使っておけばいい、というような雑な料理ばかりでな。
この店の方がずっと美味い」
ティーナもそんなことを言っていた。
中世で、さらに食文化が死滅していればそんなものだろう。
「だから、ティラトリーツェ…ああ、俺の妻だが、そいつがパウンドケーキを貴族連中に見せつけてやりたい、というのを聞いてそれもアリかな。
とは思ったんだ」
「ちなみに、奥様に以前おっしゃっていた養子の話は?」
「まだしてない。今はまだ君も自分の周りの事で手いっぱいだろう?」
色々と私達を気にして、手を貸して下さる皇子の頼みだし、力になれることがあるなら手伝いたいと思う。
…それに純粋に、皇子の奥さん興味がある。
「ガルフ。そういうことだから、私が行ってもいいかな?」
「マリカ様のお望みのままに。シフトは調節しましょう」
そう言うわけで、後日、正式な招待状が店に届き、私は今日、皇子の館にやってきたのだ。
アルケディウスの王都は、貴族区画と街がきっぱりと分かれている。
貴族区画と街の境、門まで皇子は迎えの馬車を寄越して下さっていた。
私は門までリオン達に送って貰い、そこから馬車に乗って館まで向かう。
「気を付けて行けよ」
「大丈夫。行ってくるね」
生まれて初めて乗る馬車は、かなりがたつくけど、皇子が手配してくれたものだからだろうか。
乗り心地はそんなに悪くなかった。
窓から外を見ると、城下町よりきれいに敷かれた細かい石畳が驚く程広くしっかりと敷き詰められている。
下町よりも美しく整えられた家々が並ぶ街を進んでいくと、大きなお城が見えた。
私達は魔王城に住んでいるから、そんなにビックリしないけれど、立派な中世のお城だ。
魔王城に比べると横に広い。まるで学校かなにかのように、前に立つと端が見えないだろうな、って思うくらい広い。
そこで、キレイな噴水を中心に手入れされた花壇が前にこれも、どこまでも~。
ってくらいに広がっている。
純白の壁。緑の屋根と、縁取りの装飾が凝らされた窓。
外国の有名お城に例えるなら、魔王城はノイシュバンシュタイン城風、このお城はベルサイユ宮殿って感じがする。
きっと、中は広い。
とんでもなく無く広い
お城の周囲には小さいけれど、こんもりとした森も見えてこれが城壁の中か、って思うくらいに広い。
城下町と貴族区画、比べたら貴族区画の方が広いんじゃないかなあ?
でも、皇居とかのことを思い出すと、この世界の七人しかいない王様のお城と思えばこれが普通、なのかもしれない。
私を乗せた馬車は、お城の方には行かず、城近くの森の方に向かう。
そこには城に比べると当然だけれどもこじんまりとした、でも庭付き、壁に囲まれた立派な館があった。
白い壁、碧の窓の縁取りは王城と同じだけれども、どこか可愛らしい印象がある。
屋根は無い。高校とか学校のような平屋風だ。
本当に独立した皇族の個人の館、なのだろう。
「え、あ、皇子?」
門の前、皇子が家人らしい人と一緒に立っていた。
その前に馬車が、するりと滑るように流れ、止まる。
「良く来たな。待っていたぞ」
私の手をエスコートするようにとって、皇子は私を馬車から降ろしてくれたけれど、改めて考えればこれは、ちょっと凄い状況だ。
皇族様が、一個人を招待してくれているようなものじゃない?
「この度は、ご招待頂き、心から感謝申し上げます。
精一杯努めますので、よろしくお願いいたします」
地面に降りたと同時、私は跪き胸に手を当てた。
ティーナから教わった、身分が下の者から上の者に対する挨拶だ。
「そう固くなるな。招いたのはこちらだ。
わざわざ遠くまで足を運ばせてすまなかった。
今日はよろしく頼む」
頷いて、立つ様に言ってくれたので、私は皇子の後ろに立ち促されるままに後についていくことにした。
緊張する。
ガルフか、誰かについてきて貰えば良かったと思うくらい緊張する。
門を入ってすぐがエントランス。
「うわあ~」
私は思わず声を上げた。
魔王城の豪華な装飾を見なれているけれども、それとはまったく違うベクトルの貴族の館だった。
緑を基調にした、フローリングのような床。落ち着いた色合いの壁。
左右対称を意識して作られたのではないか、と思うエントランスの中央には大きな盾とそれを生かす様に包み込む、美しい装飾の施された壁があった。
銀の打ちだしの鎧が盾の左右、盾を仰ぎ見るように飾られ、盾の上には剣がクロスするようにかけられている。
シャンデリアは蝋燭を使っているのだろう。細かい細工の施されたシェードから暖かい光を放っていて魔王城の魔法の光より不思議な温かみがある。
そして、白地の壁に白で施された装飾は精緻ではあるけれど、目立たずシンプルで趣味がよく、華美を好まない王族戦士のプライベートな住居という趣に溢れていた。
「どうした?」
立ち尽くす私に皇子が振り返って声をかけて下さる。
「いえ、とってもキレイで住やすそうで、ステキなお家だなあ、って…思って」
「…そうか。この家に客を招く事は、そう多くは無いからな。そう言って貰えると妻も喜ぶだろう。
クヴェルタ」
照れたように笑った皇子は、顔を上げると私と、皇子の横の、多分家令か執事ポジと思われる、年配の男性を見る。
「この子を厨房へ。
料理を教えて貰う約束だからな」
「かしこまりました。お嬢様、どうぞこちらへ」
執事さんに案内されるまま、仕事を始めようとした私は
「お待ちくださいな。あなた。
私に、お気に入りの可愛い料理人さんを、紹介して下さいませんの?」
頭上から聞こえて来たそんな声に、足を止めさせられた。
さらさらと聞こえる衣擦れの音。階段をゆっくりと降りて来る靴の音。
楽しそうで柔らかい、女性の声。
思ったよりしっかりとして強い、澄んだソプラノ。
皇子が囁くように名前を呼ぶ。
「ティラトリーツェ…」
茶色の長く美しい髪。
知的に輝く青い瞳。
館の女主人がそこに立っていた。
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