皇国の人材育成
店舗の従業員も、調理担当者も全員を本店に集合させた。
「みんなに、話がある」
なんだかんだで100人近い人間を前に、ガルフは堂々としたものだ。
流石。剛腕のガルフという二つ名を持つというのはこちらに来てから聞いたけど納得。
隣にはリードさん、その側に私と木札を持ったリオン、フェイ、アルが立っている。
「幸いな事に、今、店は順調だ。王都に店を出してもうすぐ一年。
ここまで大躍進を遂げて来れたのはみんなのおかげだと思っている。
心から感謝している」
従業員たちのガルフを見る目は、信頼と感謝に溢れている。
この時代、多分こんな風に従業員を気遣い、声をかける商業主はあんまりいない、というか多分皆無だろう。
彼等は固唾を呑んで自分達の尊敬する店主を見つめている。
「ただ、俺は店をここで止めておくつもりはない。
食を王都の全体に、ひいてはこの国全体に、いつかは世界全体に広げていきたいと思っている。
その為には、どうしても皆の力が必要なのだ。
さらに可能であれば、皆にも成長してほしいと思う。
俺は裏の裏で、膝を抱える惨めさを知っているし、戻りたくないとも切に願う。
同じ思いで、皆にも戻らせたくはないと思うのだ!」
ガルフを見る従業員たちの目が熱を帯びる。それは子ども達も同じ。
演説をするガルフの熱い思いが移ったかのよう。
「皆、よく聞いてくれ。
マリカ、アル、フェイ、リオン。札を皆に配ってくれ」
「はい」
文字がびっしり書かれた大きめの羊皮紙をガルフは、掲げてからリードに渡した。
この中世。
文字が読める人はそれほど多くない。
昔は読めていても500年の間に読んだり書いたりが出来なくなった人もいるだろう。
彼らの為に、リードさんが読んで聞かせるのだ。
「1、基本文字を、全て覚え、書ける様になること。
2、自分の名前を書き、店のメニューを読めるようになること。
3、担当店舗の開店前業務ができるようになること。
4、担当店舗の掃除の手順を覚え、一人でできるようになること。
5、担当店舗の閉店後業務を覚え、一人でできるようになること。
6、数字の読み書きができるようになり、五桁の計算ができるようになること。
7、来客、同僚、上司に対し、丁寧な言葉遣いと笑顔での対応ができるようになること。
8、料理を5種類以上覚え作れる様になること。
ホール担当者は、食材の種類や調理法を覚え、客に聞かれた時に答えられるようにすること。
9、あいさつ、礼儀作法を覚えること。
10、貴族への礼儀作法を覚え、給仕ができるようになること」
そして私達は、一人一人に名前の書かれた木札を渡す。
木札は十に区切ってあって、番号が振られていた。
「今、リードが読んだ項目を一つ達成するごとに、木札に印をつける。
マリカと、俺と、リード。
三人が確認するが、確実にできたと判断し、印がつけられた者には、給料を高額銅貨一枚ずつアップする。
全て印がつけられた者は、週の給料を二倍にする。さらにその先、店舗の管理や新しい店を任せることも検討する」
従業員たちから、唸り声にも似た声が零れる。
それは、難しい、という思いや、頑張れば給料が上がる、という喜び、期待が入り混じったものに思えた。
「これは、強制ではない。
今のまま、店でのんびり働きたいと、言うものは無理して参加しなくてもよい。
参加しない者の給料を下げるようなことは、原則としてしない。
仕事を怠けたり、悪意をもって他人の仕事や勉強を妨害する以外には」
そんなことはしない、という声にならない声が聞こえたが、幾人かはびくりと、身体を震わせ背筋を伸ばす。
微かな心当たりがある者達だったろう。
「お前達の幾人かはマリカや、子ども達に指示をされることをイヤだと思ったかもしれない。
だが、こいつらは、ここに書いてあることが全てできる。
いいか? やる気になれば子どもでも、できることなんだ」
従業員たちの視線が一気に私達に集まる。
視線が食い入るようで痛いけれど、ここは悠然と立つ。
ガルフの言葉を、疑わせてはいけない。自信を持って真っ直ぐに。
「皆の中から、これを達成した者がいたら、俺はそいつをちゃんと、とり立てる。
これから、もっともっと店も増やすし、商売も広げる。
俺達は、世界を変えるんだ。
優秀な人材は、いくらでも欲しい。
将来の幹部は、優遇するつもりだ」
今度こそ、幾人かの目が強い光を帯びた。
子どもには負けない。
自分達にもできるし、やれる。そんな意志の輝きだと、私には思えた。
「他人を貶めたり、邪魔はするな。
そんなことしても上には上がれない。
自分自身を、高める努力をするんだ。
皆の力を、俺は期待する」
ガルフが話を終え、台上から去るとざわめきが消えない従業員たちに、リードが補足する。
この目標達成は任意であること。
その為の訓練をすることに協力は惜しまないが、通常業務に支障をきたさないようにすること。
他者の努力の妨害は決してしないこと。
などだ。
「自分は達成できた、と自信がついたらマリカ、もしくは私に連絡をすること。
手心も、偏見も一切入れず、年齢、経験、その他全て関係なく、実力と行動で判断します」
羊皮紙は各店舗のバックヤードに1枚ずつ貼りだされることになった。
文字がまだ読めない者もいるけれど、貼りだされる事でいつでも再確認できるようになる。
それから、木札に仕事のマニュアルのようなものを書いてこれも、誰でも読めるようにしておく。
掃除の手順、接客の対応、言葉使いなど、基本的な事を書いておいたのだ。
厨房にはレシピを木札に書いて用意する。
厨房から持ち出し禁止ではあるけれど、誰でも読めるようにして覚えて貰うことで、見習いもこれを作ることを目標にできるようになる。
従業員達に活気と熱気が宿る中、五人の子ども達もまた、それぞれに思いを宿した目をしていた。
「………マリカ」
「? ジェイドさん?」
ジェイドが、初めて私の名を呼び、声をかけてきたのはガルフの声明発表から、一夜明けてのこと、だった。
いつもの通り、開店業務をしようと店の鍵を開けると、待ち構えていたらしいジェイドが私に声をかけて来たのだ。
「………………頼みが…ある」
「なんでしょうか?」
淡いアッシュブロンドが左右に揺れる。
言いたくない、言いたくない、頼みたくない頼みたくない。
はっきりと顔にそう書いてあるけれど、それでもはっきりと告げた少年に、私は微笑んで応えた。
「…俺に…文字を…教えて…くれ」
「文字、だけでいいんですか?」
「いや、…覚えられること…全部。教えられる事、全部だ!!!」
吼えるように、ジェイドは私に向けて、叫んだ。
「中に入りましょう。ジェイドさん」
ここは店の前、路地だ。
私は大急ぎで扉を開けると、彼の手を引き中へと入った。
私の手が触れた瞬間、彼がビクリと肩を震わせたのが解ったけども、気にはしない。
扉を閉め、テーブルに持ってきた籠を置き、私は手をお腹の前で組んでジェイドを見上げた。
茶色の目が私を見つめ返した。
「もう一度、ちゃんとお伺いします。
ジェイドさんが学びたいことは、なんですか?」
「俺が、知らない事、を全部…知りたい。
この札に、全部、印がつけられるように…なりたい。でも、俺には…まだ、何にも…できないんだ」
彼の手には、昨日渡された木札があった。
ガルフの話の後、料理人や長くやっているホールスタッフの何人かはいくつか印がついた者もいる。
でも、ジェイドの木札は、まだ白いままだ。
『俺と来るか? 屋根の下で寝かせてやるし…美味いものを、食わせてやるぞ』
ぽつり、ぽつり…と零れるようにジェイドは口にする。
路地でゴロツキに利用されていた日々。
そこから救い出してくれた、ガルフへの…感謝の思いを…。
「俺は…俺を、拾ってくれた…ガルフ様の…力に…なりたい。
リード様のように…側で、助けられる…力が…欲しい」
役立たず、邪魔、自分勝手、我が儘。
そう言われ続けていた自分に、手を伸ばしてくれた人がいた。
『お前の名は? ジェイド? 良い名だな』
そう言って笑いかけてくれた人がいた。
あの人の為に、力になりたい。心から、ジェイドは思っているらしい。
いい子だ、と思う。
誰にも教えて貰えなかったけれど、この子はちゃんと、人を思いやることができる。
人に感謝することができる。
誰かの為に、なりたいと、思うことができる。
それは、とっても素晴らしい才能だと、私は本当に思う。
「…俺は、お前らが…うらやましい、お前らみたいになれるのなら…なんだってする。
だから…おしえてくれ。
たのむ…」
「じゃあ、まず、開店業務からいっしょにやりましょうか? ジェイドさん、手伝って下さい」
「え?」
「開店業務です。あの指示の中にもあったでしょう?
6番、店舗の開店業務を覚え、できるようになること。
椅子を上げて掃き掃除。それから机を全部拭いて、棚や配膳台も綺麗にします。
手伝って下さいますか?」
断られるか、嫌味を言われるか、そんな覚悟をしていたらしいジェイドは眼を瞬かせて私を見る。
「いいのか?」
「手伝って下さらないんですか?」
自分で頼んだのに。私は小さく肩を揺らす。
いいのか? の意味が怒ってないのか?
なのは私も解っているけど。
まあ、ね。
晴天に泥団子の雨は降るし、足元をひっかけられたり後ろから押されたり、指示を無視されたり、怒鳴られたりいろいろされたけど、でも別に私はそんなことは気にしない。
子どもの焼きもちや、癇癪を一々気にしていたら保育士なんて務まらないもの。
はい、と渡した箒を、戸惑いながらも上手に使ってジェイドはゴミを集めていく。
その手つきは思うよりも丁寧で優しい。
態度に見える荒っぽさはあまり見えない。
「わあ、丁寧に集めて下さってありがとうございます。箒使い上手ですね。
私より背が高いから全体が良く見えるんですね」
掃き掃除を終えたジェイドに私はお礼を言った。
まだ、一人で全部できた訳ではないから、木板に印はつけられないけれど頑張ったことは褒めてあげたい。
「計算と文字の練習は閉店後にしましょうか。
全部覚えるには時間がかかるからゆっくり焦らず覚えていくといいですよ」
まだ硬直しているジェイドの背中をぽんぽんと叩く。
16歳だけれど、栄養があんまり行ってなかったからだろうか?
ジェイドは小柄だ。160cmくらいかな?
「大丈夫です。できますから。
ガルフ様も頑張ればきっと褒めて下さいますよ」
「あ…ああ、やってみせる。絶対にクリアしてやるからな! 見てろ!!」
「その意気です。がんばりましょう」
私とジェイドが店の掃除を終える頃
「わあっ! 早い。開店業務の練習しようと思ったのに!」
従業員の一人が顔を覗かせた。
「おはようございます。ハンスさん。まだ全部は終わってないので、手順確認、一緒にやりましょうか?」
「ああ、頼むよ。…ええっと、ジェイド、だっけ? 君も、開店業務勉強? 一緒にやるかい?」
ガルフ達以外からかけられた大人の、優しい声。
いつもは子ども同士つるんでいる事が多いから、きっと初めてだったのだろう。
「は、はい…よろしく…お願いします」
ジェイドは、頭を下げた。
本当に綺麗で、丁寧なお辞儀だった。
その後、私の勤務時間は少し長くなった。
朝は開店業務確認、閉店後は閉店業務の練習の後、希望者への文字、計算の勉強会をするようになったから。
「マリカ様のご負担が増えているのでは?」
「開店、閉店業務とかみんなに任せてるから仕事は減ってるよ。大丈夫」
ジェイドが抜け駆けしたことに少し腹を立てながらも、程なく、イアンや二ムル、グランも勉強会に参加するようになる。
魔王城から勉強カルタ、食べ物、身の回り用品編を持って来てからは、遊びながら勉強できるので、さらに熱が入るようになったように思う。
いつの間にか、大人達も混ざって、夕方、けっこう遅くまでカルタバトル。
「やっぱり若い奴は反射神経がいいな」「でも知識は年の功で敵いませんよ」
楽しい笑い声が、店に響いている。
きっかけはお金でもいい。
でも、もっと大事なのは人の心だ。
自分は認められている。自分は役に立っている。
誰かの為になりたい。
そういうやりがいこそが、本当に人を動かすと私は教わった。
だから、私も同じように教えるし、褒める。
「笑顔で挨拶してくれて、すごく気持ちがいいです」
「料理の並べ方、すごくキレイですね。お客様も食べやすいと思います」
「隅々まで丁寧に掃除してくれてありがとうございます」
「見ろ! 木札、三つ埋まったんだ」
「うわあっ、本当にこの短期間で。すごく頑張ってますね」
褒められると誰でも嬉しいし、優しい気持ちになる。
自分ができることを他の人に教えようともしてくれている。
不老不死の世界で、一人で生きる事はできるけれども、だからこそ、人と人との交流。
繋がりに飢えている人も多いんじゃないかな?
と私は思う。
従業員同士、厨房スタッフ同士の交流も出てきて、互いに教え合い、認め合い、店全体のチームワークも上がったような気がするのは、多分気のせいではないだろう。
顧客のリピーター度が最近ものすごいのも。
この調子だと、新しい店をオープンすることになったら、その店はちゃんとしたレストラン接客を売りにできるんじゃないかな。
流石、世界が誇るファーストフードの人材育成システム。
ありがとうございます。
私は遠くに向けて手を合わせる。
実感した。
人間というのは現代も中世も、あんまり変わりはしない。
そして人を育てるということも、変わらないのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます