世界の保育士兼魔王 始めます。


 夢を見ていた気がする。

 長い長い夢を。




「おーい、マリカ姉。はらへった~」

「ごはんまだ?」


 足元に纏わりついていたギルとジャックが期待した目で私がかき混ぜる鍋を覗いていた。

 エプロンの紐にじゃれるように引っ張っているリュウ。可愛いけど、ちょっと危ない。


「あと少しだから。みんな手を洗って机の準備して待ってて」

「りょーかい!」

「わーい、ごはんだごはんだ~」


 走り去っていく子ども達を見送った私は



「お鍋運ぶの手伝いますよ。マリカ」

「ありがとう。フェイ兄」

「今日の夕ごはんはクロトリのシチューにヤミイノシシのサイコロステーキ。グレシュールソースね」

「やったー。だいこうぶつ!」


 フェイとヨハンと一緒に台所からカートにカトラリーや皿を乗せて、廊下を押していく。



 飾り立てられた大きな扉をよいしょ、と押し開けてシャンデリア輝く大広間に待つ皆に声をかける。

 外はもう日が沈んでいる筈だけど、魔王城の大広間はエルフィリーネのエターナルライトの魔法がかかっているのでいつもキラキラだ。


「ごはんだよー、ならんで!!!」

「お疲れさん」

「わーい」「まってました!」


 みんなが一列に並ぶ。

 この一年間で子ども達はみんな、自分でできることはしてくれるようになった。


「マリカ姉、おてつだいするよ」

 エリセが駆け寄って手を伸ばす。


「ありがとう。エリセ。じゃあシチューをお椀によそってあげて」

「はーい」

「エルフィリーネはステーキ運んで」


 守護精霊は食事をしないけれど、給仕の仕方を覚えたいと、最近は積極的に手伝ってくれるので助かる。


「かしこまりました」


 盆を持って並ぶ子ども達の様子は向こうの世界での給食時間を思い出す。

 順番に、それぞれに合った量を盛りつけていく。

 身体の大きいアーサーやリオンは少し多め。

 お肉があんまり好きじゃないミルカには少し少なめっと、


「あ、そっちのほうが多くね?」


 アーサーのお椀を見てクリスが頬を丸く膨らませる。


「オレの方が身体が大きいんだから当然だろ? クロトリ捕って来たのオレだし」

「ずりー。見てろオレだってすぐにお前なんか追い越してやるからな」

「ケンカしてるとこぼれるよ~」

「はいはい、喧嘩しないで料理を貰ったら座る座る」



 私とエリセに言われて、アーサー達はケンカを止め席に座った。

 私も、エリセも自分達の分をよそって席に着く。


「それじゃあ、みんな、手を合わせて」


「おいしい、ごはん。いただきます」


「「「「いただきます」」」」



 みんなで、わやわやとおしゃべりしながら食事をする。

 麦の成長具合の事。

 奥庭に、今年もクロトリ達が巣をかけ始めた事。

 二組のヤギの子ども同士、最近仲がいい事。などなど、他愛も無い話が殆どだけど、本当に大好きで、楽しい時間だ。


 だから


「…みんな。明日から、私と、リオン兄、フェイ兄、アル兄は少しお出かけするね」


 なるべく明るく、さっぱりとした声をかけて、いつものようにそう笑って言った。


 けれども、場の空気はやっぱり急に温度を無くし、皆、言葉を失う。


「…そっか、むこうの用意、できたんだ」

 大きな息と共に吐き出されたエリセの言葉に、私は頷いた。


「うん。お部屋も用意して貰ったし、一緒にお仕事する人たちに挨拶もしてきた。

 明日から、向こうでお仕事して来るから。

 みんなは、こっちのことよろしくね」


 うん、と元気な返事は返らなかった。

 みんな、それぞれに肉をつついたり、スプーンを運んだりして口を塞いでいる。


「…夜のうちに、行ってくれよな。

 見送りとか、さよなら言うの…嫌だ」


 ガシガシとステーキをまるで敵のように切りつけながら、こちらを見ないでアーサーが言う。


「見送りなんかいらないよ。

 そんなにずっと会えなくなるわけじゃないし」

「そうですよ。僕らがいなくなって好きな事できる、なんて甘えていたら大間違いですからね」

 

 私の言葉を追いかける様に諌めたフェイにプッと、

 吹きだし笑いをしたのは誰だったろうか。



「大丈夫です。姉様、兄様。

 城の生活と約束はちゃんと守ると、誓いますから」

 カトラリーを起き、祈るように手を組んだミルカの目は微かに潤んでいる。

「だから、安心して…行って来て」


 精一杯に涙をこらえるエリセもだ。

 泣き出しそうな思いを、一生懸命我慢してくれていた。

 だから、私は今、できる限りの笑顔で、告げる。


「うん、信じてる。みんなのこと。

 エルフィリーネやティーナのいうことよく聞いて、怪我しないようにね」


 信頼を、願いを。

 告げるのは、ただ一言。

 それだけでいい。


「うん」「はい」「解った…」


 今度はぽつぽつと返事をしてくれる子も増えた。

 だから、そこから先はもうその話をするのも止める。


「ああ、そうだ。みんなにも話しておかなくっちゃ。

 皇子ライオットって方が、外にはいるんだけどね。

 彼は、リオン兄のお友達なんだよ」

「へえ、どんな人?」


 みんなで過ごす、最後の魔王城の時間を涙で曇らせない為に。




 夕食を終えた子ども達をお風呂に入れて、寝かしつけたのは、それからけっこう経ってからのことだった。




 本当。

 …なんだか、長い夢を見ていた気がする。

 

 


 トントン。

 ぼんやりとしていた私は、扉を静かにノックする音で私は気が付いた。

 ジャックやリュウ、ギルやジョイを起こさないようにそっと立ち上がり、扉を開ける。


「あ、リオン」

「まだ、チビ共寝ないのか? 皆で、そろそろ行こうかって話をしてるんだが…」

「あ、大丈夫。みんな寝たみたいだから」


 私は手に持った本を持って静かに外に出た。


 二人で並んで歩く廊下はなんだか不思議に静かで、足音が良く響く。

 いつもと何も変わらないのに、妙に切なく感じるのは何故だろうか?


「この一年半、もうすぐ二年だけど、色々な事があったよね」

「ああ…二年前は、本当にこんなことになるとはまったく思っていなかった」


 他愛も無いおしゃべり。

 私も思い出す。


 この城で過ごした二年間。

 

 異世界にやってきて手に入れた、たくさんのものを。

 

 ビックリして、大変で、苦しくて、痛くて、泣きたいことも辛い事もたくさんあったけれど。

 本当にたくさんのものを手に入れたのは間違いのない事だ。




 もう向こうに最低限必要なものは、運び終えている。

 今日持っていく荷物は何もない。

 体一つ、心一つあればいい。


「お疲れさまでございました」


 私がリオンと共にエントランスに行くと、リグを横の籠に置いたティーナと、エルフィリーネが跪き、待っていた。

 アルも、フェイも一緒だ。


「行ってらっしゃいませ。マリカ様。

 お留守の間、魔王城の子ども達は、私が存在全てを賭けてお守りいたします」

「うん、エルフィリーネ。

 貴女だから安心して任せられる。…それから、ティーナ」


 私は、ティーナに手に持っていた聖典を渡す。


「勇者伝説のところだけでいいから、時々読んでやってくれる?」

「よろしいのですか?」




 勇者伝説。

 神に作られ、曲げられた、けれど今のこの世界の『正義』たる、美しい物話。



『かつて、世界は強大な力を持つ魔王によって闇に包まれました。

 異世界からやってきたという魔王は、その世界を作った神々より強く世界の秩序は崩れ、闇に呑まれる一歩手前まで進んだのです。


 それを救ったのは貧民生まれの一人の勇者アルフィリーガでした。

 仲間達と共に苦悩の果て、魔王を倒した勇者は神に、一つだけ願いを叶えると約束されこう願いました。


『世界中の人々が死の苦痛から解放され、永遠に幸せに暮らせますように』


 それは、大きすぎるねがい。

 自らの命と引き換えならそれを叶えると言われた勇者は、躊躇わず神に命を捧げました。

 それでも足らないと、知ると勇者の仲間達も彼と運命を共にしました。


 そして世界は死の訪れない平和な世界になったのです』





「それが、今のこの世界の『正義』だから。

 向き合わないと、知らないと、それがどんなに酷い事かも解らない」



 勇者伝説も、その名前の意味も知らなかった私のように…。

 知らなければ、疑問に思う事さえできないのだから。



 知識とは、選択肢であり可能性だと思う。

 ただ、詰め込むだけのものではない。

 自分の選ぶ道を照らしてくれる、灯のようなものなのだと、私はこの世界に来て実感した。

 だから、この城の子ども達にも、世界の子ども達にも知識をちゃんと伝えたい。


「リオンからあの話を聞いた子達は、きっと『真実』は違うって解ってくれる。

 そして、新しく来た子達にも話して伝えて、教えてくれる。

 あの子達は、それができる子達だと信じてるから」


「解りました。

 リオン様から伺った伝説の真実と合わせ、繰り返し伝えていきます」

「お願い。子ども達を助けて、導いてやって。私の大事な友達」


 ぎゅっと、ティーナの肩を抱きしめる。

「マリカ様…」


 彼女がいなかったら、決断できなかった。

 命の大切さを。勇気を、優しさを教えてくれた。

 この異世界で出会った、本当に、大事な最初の私の友達だ。


「もったいないお言葉です。私も、私のできる限り、全てで子ども達をお守りすると誓います」


 私の服の肩口が熱くなった。

 そっと離れ、立ち上がらせた時、その眼はいつもの優しいものに戻っていたけれど。


「あと、これを持っていて下さい。ティーナ」

 

 フェイがティーナに何かを渡す。

 見れば青い小さな石のついたブレスレットだ。


「これは?」

「同じ鉱石から分けたカレドナイトは呼び合う性質があります。

 それを利用して、転移門などを作るのですが、その石には伝達の力を強化してあります。

 本当に困った時があれば、それを持って念じて下さい。

 僕、リオン、アル、マリカ。それぞれが持っているカレドナイトに伝わるでしょう。

 可能な限り、急いでかけつけます」

「解りました。お預かりいたします」


 ティーナはそれを腕に付け、大事そうに手で触れた。




「そろそろ、行くか」

「…うん」


 私は大きく深呼吸して前を向く。

 と、

「マリカねえ!!」

「あ、ばかっ!」


 廊下の影から走り出してくる小さな影が見えた。

 一つ、二つ。

 それは、気が付けばまたたく間に増えて…十一。


「起こしちゃった? ごめんね」


 寝巻のままのジャックを、私は抱き上げた。

 リュウも、ギルも、ジョイもいる。

 クリス、ヨハン、シュウ。

 遠慮がちに出てくるアレク、エリセ、ミルカ…そしてアーサー。

 気が付けば、全員が揃っていた。


 スカートの袖を小さな手が引っ張る。


 いかないで…。


 リュウの真っ直ぐな目が私を見ている。

 リュウだけじゃない。きゅっと、私の首に回されたジャックの腕も同じことを言っている。


 みんなが抱く、寂しい気持ちを呑みこんで、呑みこもうとしてくれているのが解った。



 私は、保育士だったから、仕事に行く子どもと保護者を引き離す側だった。

 幼稚園や保育園に子どもを預けるとき、保護者もきっとこんな感じだったのだろうな。

 後ろ髪を引かれる思い。

 この子達が辛いなら…。仕事なんて…。

 そんな思いが、やっと解った気がする。


 涙で潤んでぼやける視界を、私は手で擦ってクリアにした。



 ジャックを下ろし私はぐっとお腹に力を入れて、顔を上げる。

 そして、

 

 ジャックを、リュウを、ギルを、ジョイを。

 どこか照れた顔の、クリス、ヨハン、シュウ。

 アレク、エリセ、ミルカにアーサー。


 一人ひとりを一回ずつ、強く抱きしめて、約束する。



 大切な子どもの命を救い、守る。

 自分の全力で子ども達を保育する。


 それが私達保育士のプライドだ。



 二年かけて、魔王城の子ども達は、生活習慣や社会性を身に付け、自立できるようになった。

 笑えるように、自分のやりたいことを見つけられるようになった。


 今度は、世界の子ども達を、私は助け、守りたい。 



「私は、どこにもいかない。ちょっとお出かけするだけ。

 お仕事に行って来るだけ。だから、待っていて…。必ず、帰って来るから」


 寂しい思いをさせてしまう子ども達に、私が涙を見せてたらもっと不安にさせる。

 涙は、保育士の根性で眦の奥に隠した。


「ほんとうに、かえってくるよね」


「うん、ぜったい。やくそく。

 私は、魔王城の保育士で。

 みんなのお姉ちゃんで、家族だからね」


 保育所に、子どもを預け、仕事をする保育士も多い。

 エゴに思えるかもしれないけれど、少しでも多くの子どもに私は笑顔を取り戻したいのだ。


「…いってらっしゃい」

 

 ジャックが小さな手を振って、そう言ってくれた。


「ありがとう」


 その言葉をきっかけに、私は子ども達からきっぱりと離れて背を向ける。


「行くぞ」

 歩き出すリオンの後を追って、扉の前に立つ。 


「いってらっしゃい」「待ってるから」「気を付けてね!」


 子ども達の精一杯の思いを聞きながら、私は扉を開けた。

 外は暗闇。

 でも、前に進んでいく。


 怖くはない。

 横に、リオンが、フェイが、アルがいる。

 そして何より、心の中にある、子ども達の思いが、言葉が、思い出が灯となって私を照らしてくれているから。


「いってきます」


 最後に一回だけ後ろを振り向いて手を振ると、前に進み、扉を閉めた。


 バタン。


 と隔てられた扉の向こうで、子ども達の泣きじゃくる声が聞こえる。



「マリカ…」

「リオン!」



 私も、リオンの胸に自分の顔を埋めて泣いた。

 止まらなかった。


「ごめん…。今日だけ…許して…。

 後は…もう、絶対に、泣かないから…」


 子ども達に声が聞こえないように、声を殺して…、でも自分の全部をさらけ出す様に…泣いて、泣いて、泣き続けた。


 リオンも、フェイもアルも…。

 そんな私を少し困ったように、でも、優しい目で待っていてくれた。




 子離れ、分離ができないなんて、私は本当に修業が足りないと思う。

 情けない。本当に。



 それでも

 私は自分が、私の仕事。

『保育士』を選んだことを後悔はしない。


 子どもが大好きで、子どもの笑顔の為なら、なんでもできる。

 頑張れる。

 保育士とはそういう者だから。




 私は異世界保育士。


 世界の子ども達を、助け、守るのが、私の目標だ。

 自分の全部をかけて、絶対にやりとげてみせる。



 マリカ10歳。


 世界の保育士兼魔王を始めます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る