魔王のギフト …精霊との約束
魔王城に本格的な冬がやって来た。
夜の一月から二月にもなれば、向こうの世界の12月から1月に匹敵するくらい寒くなる。
外はもう雪で真っ白。
1mは積もって今の現在進行形。
とても外に出る事はできない。
まあ、室内でやることはたくさんあるので飽きている訳ではないけれど。
「あいたっ!」
「大丈夫? アーサー?」
戦闘訓練中、クリスと打ち合いの練習をしていたアーサーが悲鳴に似た声を上げる。
「うわっ、ごめん!!」
見れば、手の甲から真っ赤な血が流れている。
「ケガ、してるじゃない!!」
私は慌てて用意してあった水で、端きれの布を浸して傷を拭く。
幸い、表面少し切っただけのようだ。
多分、骨とかに異常はない。
「油断したな。戦闘訓練なんだから、気を抜くと怪我をするぞ」
「うん、よそ見した。ゴメン」
「ぼくの方こそ、ゴメン、アーサー」
リオンの注意にアーサー、クリス二人は同時にシュンとなる。
本当に、戦闘訓練を始めて一番心配になるのはこの点だ。
私が子どもに武器を持たせたくない理由も、同じ。
「この点に関してだけは、不老不死が羨ましいね。
怪我を直す精霊術なんてないのかな?」
中世異世界に、絆創膏も消毒薬も無い。
血止めをして清潔にしておくのが精いっぱいだ。
損なわれたら、戻らない。
「風の精霊術に血止め、大地の精霊術に代謝を早くして治りを早くする、があるくらいですね。
病気とかも薬草とかで対処するしかないのが普通ですから」
「その辺は、仕方ないよね…」
子どもを育てる上で一番怖いのは怪我と病気。
幸い、冷暖房完備の魔王城のおかげで、今の所風邪とかとは無縁でいられているけど、病気とかになった場合、対処のしようが私達にはない。
子どもの病気や、看護については保育士として多少知識はあるけれど、あくまで「看護」だ。
根本的な治療法が、私にはない。
これは、本格的にこの世界の薬学や、医学について学んだ方がいいのかも…。
「アーサー様。手を少し、お貸し頂けますか?」
「エルフィリーネ」
アーサーの周りを取り囲んでいた私達に柔らかくエルフィリーネが微笑んだ。
「何かできるの?」
「傷口を塞ぐくらいならなんとか…」
「えっ?」
驚く私達の前で、エルフィリーネはアーサーの手を取って、目を閉じた。
淡い、光がエルフィリーネから、アーサーの手に向かって流れて行き…
「うわっ。すげえ!!」
ぷくぷくと傷口が一瞬泡立ったかと思うと、気が付けば傷口はすっかりと塞がり、消えていた。
布で手を拭くともう傷はどこにも見えない。
キレイで柔らかい、子どもの手に戻っている。
「ありがとう。エルフィリーネ。
そういえば以前、リオンが怪我をした時も傷を塞いでくれたよね。あれは精霊の魔法?」
お礼を言いながら思い出す。
精霊と人間が一緒に使うのが魔術、人間が精霊の力を借りて使うのが精霊術。
そして精霊が単独で使うのが魔法、だと以前聞いた。
「私の、守護精霊としての魔法にございます。
城と、私が加護を与える者の姿を『元に戻す』だけの力ですが」
傷を塞ぎ、外見を元に戻せるだけ、流れた血が再生できるわけではない、とエルフィリーネは笑うけれど、今の私達には十分にありがたい能力だ。
でも、
エルフィリーネは城に宿る守護精霊だから、基本外には出られない。
そして、失われた命は戻せない。
怪我や病気は出来る限り避けて行かないといけない。
子どもの死亡率は本当に高い。
ちょっとしたことで目を離すと子どもは事故や怪我で取り返しの無い事になるのだ…。
「戦闘訓練だから、まったく怪我をしないってわけにはいかない。
気を抜かずに、十分に注意しろよ、それが自分の身を護る事だ」
「「はい!!」」
子ども達が傷つくのはイヤだ。
何もできないまま手をこまねいているのはもっとイヤだ。
子ども達に戦闘訓練を許した以上、怪我をさせないのは私の務め。
リオンの言葉を聞きながら、私は…あることを考えていた。
訓練を終え、夕食を終え、お風呂やその後のくつろぎを楽しみ、みんながそれぞれの部屋に戻った深夜。
「エルフィリーネ」
「なんでございましょうか? 主」
私は自室で、城に呼びかけた。
ふわりと、部屋に舞い降りた守護精霊は、部屋の様子に目を瞬かせている。
「これは…一体?」
滅多にかけない鍵を、内側からかけた自室。
用意された水と、布。置かれた大きなナイフ。
私が何かをしようとしているのが、解ったのだろう。
「何をお考えなのですか? 我が主」
「ここから先の事は、他言無用。リオンやフェイにも絶対に言っちゃダメ」
「だから、何を?」
「誓って、エルフィリーネ」
今迄、私は主として頼み事はしたことがあってもエルフィリーネに命令なんてしたことはない。
その私の厳しい目に、エルフィリーネは何かを感じたのだろう。
「解りました。決して他言は致しません」
跪き胸に手を当て、目を閉じる。
主の命令を待ち、従うという仕草であると、以前ティーナに聞いた。
「ありがとう。もし、私が失敗したら傷を塞いで欲しいの。
できそうな気はするんだけれど、初めての事で自信は無いから…」
「?」
エルフィリーネを立ち上がらせ、側に置くと私は、ナイフを手にとる。
大きく深呼吸してから、机に手を置き、意を決して
ざくっ!!
「マリカ様!!!」
自分の右手首、それを深く切り裂いた。
「うっ!!」
覚悟をしていても痛い。凄く痛い。
血がだらだらと流れていく。
肉がパックリ切れて、神経もブチッと音を立てて逝った。
本気でやったから骨も見えてる。
痛い、以外の言葉と思考が出てこない位に痛いし熱い。
「一体、何をなさるのですか? 今、直ぐに傷を…」
「ちょっと、待って…。少しだけ…黙って、見てて…」
「マリカ様?」
私は駆け寄るエルフィリーネを制して、私は荒れる息を精一杯に制して意識を集中させる。
元に、戻す。元に戻れ。
私の身体よ。傷を負う前の元の身体に戻れ…!
ちりちりと、傷口が泡立った。
傷口だけじゃない。全身がかあーっと熱を帯びる。
そして、そこからは本当に一瞬。
「!」
スッと、傷口が消えて、熱と痛みが無くなった。
手首は真っ赤だけれど、バケツに血を流して拭き取れば、もう傷口はどこにも見えない。
「できた…」
ふう、と安堵の息が口から零れた。
「これは…一体」
「私のギフトは、ものの形を変えること、でしょう?
エルフィリーネがやっていた『元に戻す』ができれば、傷口の治療ができるんじゃないかな? って思ったの。
…成功して良かった」
「ですが、無茶をし過ぎです! もし上手く行かなかったらどうなさるおつもりだったのですか?」
「その時は、エルフィリーネが治してくれるかな、って思って」
事前に説明しなかったのは、絶対に止められる事が解っていたから。
事実、跪き、私の手を取ってくれるエルフィリーネは、真っ白な顔をしていた。
血の流れない精霊だけれど、本当に私を心配してくれているのだと知っている。
「心配かけてゴメンね。エルフィリーネ。
でも、これで、子ども達が外でケガした時、私も何とか傷を防げる自信がついたから」
わざと笑ってみせる私の方を、エルフィリーネは見ていない。
私の手をじっと見つめ、揺れる肩。
俯くエルフィリーネに私は膝を折って視線を合わせた。
「怪我や事故はいつ起きるか解らない。
戦う訓練も始めたから、きっと怪我も増える。
それこそリオンの事故みたいに外で、エルフィリーネの手の届かないところで、誰か怪我をして助けられない、なんてことになったら、私は一生後悔する。
ぶっつけ本番で、子ども達の命を危険にさらしたくなかったから。
だから…」
試すなら、自分の身体しかなかったと、続けようとした私の言葉を、思いを
「…私は、精霊です」
絞り出す様な声で、エルフィリーネは遮る。
「一人では、何も出来ぬモノ。主と共に在り、使われて初めて意味を成す者です。
かつてエルトゥリアが滅んだ時も、主を失った私は城を護る以外の事ができなかった。死んでいく民たちを守ることも、救う事もできませんでした。
城に立ち入った者達に罰を与えても、ただ空虚な思いが広がるだけ…」
ぎゅっと、強く握りしめられた私の手に、今まで殆ど感情を表す事の無かったエルフィリーネの思いが伝わってくるようだ。
「お願いです。どうか、自らを炎にくべて、他者を守る様なことはお止め下さい。
マリカ様が皆の為に傷つく事は、誰も望まない筈です。
何より、私が嫌です。どうか、本当に…、心からお願いいたします」
人間のように、涙を流す事の無い精霊。けれど彼女の心は泣いている。
彼女を呼んだのは信じていたからこそだけれど、必要な事だから後悔はしていないけれど、彼女を傷つけてしまったと、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「エルフィリーネ…」
その思いごと、私はエルフィリーネの細い身体を抱きしめる。
エルフィリーネは、人の死が、別れが嫌いだと言った。
器物に宿る精霊達は、壊れない限り死が訪れない代わり、主の死をきっと幾度となく見送ってきたのだと思う。
「大丈夫。フェイたちとも約束したし、命は大切にする。
簡単に死んだりしない。エルフィリーネを、置いて行ったりしないから」
本心だけれど、根拠のない約束。
エルフィリーネも多分、解っている。
でも、私は自分のできる限りで守って行こうと心に決めていた。
流れる事の無い、精霊の涙に誓って。
「…ええっと、もう少し検証したいんだけど…ダメ?」
「ダメです。お止め下さい。これ以上マリカ様が目の前で傷つく姿を見る等、私の身が持ちません」
エルフィリーネが断固として協力を拒否したので、ギフトを使っての治療実験は終了となった。
切断指や骨折も対処できるか確かめたかったけれど、そんなことをしたら、本当にエルフィリーネが激怒する。
私もちょっぴり怖いし。
この力が自分だけでなく、他者に通じるかどうかは今は、解らないし、それは流石に実験する訳にはいかない。
ならばあとは、とにかく怪我をしないよう、させないように気を付けていくしかないだろう。
用意した道具を片付けながら、私はエルフィリーネを甘えるように見た。
「今回の事、本当にリオン達には内緒にしてね。
絶対に怒られる」
「怒られるようなことを、しない、考えないで下さいませ」
「ハハハハハ…」
まったくもってエルフィリーネの言葉は正論なのだけれど、実はまだ、言ったら怒られるような、でも試しておきたいことのストックはいくつかある。
仕方ない。
後でこっそり…。
「マリカ様、もうしない、とはおっしゃって下さいませんでしたね。
今度、同じことをなさるようでしたら、部屋の鍵をかけられないようにさせて頂きますから、そのおつもりで。
他言無用の誓いは守っても、他の方法で知らせる手段がないわけではないのですよ。
万が一、マリカ様に何かあったら、鍵があってもアルフィリーガは蹴破るでしょうけれど」
「え! それヤダ。プライバシーの侵害!」
リオンの顔が、頭に浮かぶと、まだどうしようもなく顔が熱くなる。
「今までも、鍵などおかけになっていないのに何を今更」
「うーーー」
実際、子ども達のところに直ぐに駆けつけられるように部屋に鍵はかけていないけれど、いざ、リオンが部屋に入ってくることを想像するとやっぱり、恥ずかしい。
となると後は本当にぶっつけ本番かな。
…最近、私の中の力。
ギフトがはっきりと成長してきている事を私は感じている。
特に決意を固めてから、音を立て、ミシミシと、まるで殻を破ろうとするように力が強くなってきているのが解るのだ。
『物の形を変える』私のギフト。
今回の件で、物体だけでなく、生体にも関与できるようになったと確信できた。
自分だけでなく他者にも介入できるとしたら、便利な反面、それはとても怖い事になる。
「エルフィリーネ。私が暴走しそうになったら止めてね」
「その時は勿論全力を尽くしますが、できるなら暴走する前に、自重をお願いいたします。
マリカ様が決意して行動されたら、今回のように、私にはとても止められませんので」
「うん。気を付ける」
心も身体も、育てなくっちゃ。
リオンを、みんなを、子ども達を守る為に…。
私は強くなりたい。
私の胸の奥で、その思いに応える様に
トクン
何かが、小さな、でもはっきりとした音を立てた。
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