魔王城の新しい命

 タイミングは悪かったのだ。

 ミルカがその日、昨夜の大パーティの片づけの為に、城に戻っていた。


 だから、ティーナは家に一人。

 ガルフも隣の家に一人。

 翌朝、ガルフがティーナの家に、様子を見に行くまでベッドで呻くティーナに気付かなかったのだ。

 そして、ガルフは苦痛に喘ぐティーナにおろおろするばかり。

 彼女を一人にもできず、かといって城に知らせにも行けず、

 それでも


「大丈夫だ。しっかりしろよ」


 できる限り励ましたり、背中をさすったりしてくれていたと聞く。




 私達が状況を知ったのは二人の所に食事を届けに行ったクリスから。


「ティーナ姉さん。ガルフ。ごはんだよー」

「丁度良かった。クリス様。大至急マリカ様にお知らせを! ティーナのお産が始まったようなのです」

「えっ? わかった!」


 速攻、ダッシュ。

 正直、驚くほどのスピードでクリスは戻ってきて、私達にガルフの伝言を知らせてくれた。


「マリカ姉。ティーナ姉さんのお産が始まったみたいだって!」

「解った。すぐ行くから。みんな、エルフィリーネ。今日は戻って来れるか解らないからお城の事はお願い」

「解りました。どうか、お気をつけて」


 私は用意して置いた道具を持つと、女の子二人の前に膝を折った。


「エリセ。ミルカ。お願い。手伝ってくれる?」


 正直、私にとっても初めての出産介助だ。

 何がおきるか解らない。お湯の準備や伝言係や、ティーナを励ましてくれる為にも二人には来てほしい。

 その為に、まだ早いかもしれないとは思ったけれど、子どもができるという事はどういうことなのか、どうやったら生まれて来るのか話してはある。

 六歳と八歳の女の子に手伝わせることではないのだけれど、他に頼れる者はいない。


「うん」「私にできる限りの事は致します」

「ありがとう」


「俺達にできることはあるか?」

 リオンは言ってくれるけれど、流石に男の子を出産の場に入れる勇気はない。


「リオン兄、フェイ兄、アル兄、アーサーはガルフの家にいて。

 何かあったら呼ぶから、ガルフと一緒にいてくれると嬉しい。アレクは無理ない程度で構わないからリュートを引いてあげて。

 気持ちが安らぐと思う」


「解った」

「ありがとう。行こう。ミルカ、エリセ」


 私は二人を連れて大急ぎで城下町へと向かった。

 



「ああ、お待ちしておりました。マリカ様」


 私がティーナの家に向かうと青白い顔をしたガルフが、出迎えてくれた。


「ティーナを励ましてくれていたのですね。ありがとう。ガルフ。

 後は私が代わります。家で待機していて下さい。

 水を汲んでお湯を用意して、エリセやミルカが行ったら運んでくれると助かります。

 あと、できれば練習だと思って、料理を作って下さいますか?

 産後、疲れているであろうティーナに食べさせてあげたいのです」

「解りました。ティーナをお願いします」




 ガルフが家の外に出たのを確認して、私は用意して置いた水で手を洗うと、ベッドの上で呻き声を上げるティーナの側に付いた。


「マリカ…様?」

「ティーナ。待たせてごめんなさい。

 どんな状況ですか?」


 顔をしかめながら、ティーナは顔を上げて、私を見る。


「昨夜の…パーティの終わりから、軽い痛みが…定期的にやってくるようになって…。

 それは、まだ始まりだ。と伺っていたので…そのまま、横になりました。

 でも、痛みで…眠ることができず…ベッドが…その…ぐちゃぐちゃに…なってしまい…」

「心配しないでかまいません。それは、破水。

 あかちゃんがもう、生まれるという兆候です…。ごめんなさいね…」

 

 私は、くの字型に身体を縮こませるティーナの身体を伸ばして、背中をベッドに付けさせた。


「ミルカは身体の下に新しいシーツを敷いて手を握っていてあげて、エリセはティーナの肩の下に枕を入れてあげて」

「はい」「わかった」


 二人が動いてくれている間、私はティーナの様子を見た。

 下着は外されている。お腹のあたりが大きく動いているのが触れていても解る。

 先に破水してしまった。

 心配だけれど、それを顔に出してはいけない。

 ティーナが不安になる。


「今、腰とお尻、どちらの方が痛いですか?」

「…最初は腰のあたりの方が…、でも、今は…痛みが、どんどん下に…うっ…」


 出産開始の目安は子宮口10cmと聞く。でもここからでは具体的に見る事はできない。

 助産師とかなら判断することもできるのかもしれないが、私には無理だ。

 お腹の動きと、後は痛みの間隔で判断するしかない。

 陣痛は定期的な痛みと、そうでない合間が長く続く。

 この間隔が一分くらいになると、出産開始が近いということだ。

 まだ間隔はかなり開いている。

 進んでは来ているが、まだまだという感じ。

 初産婦は、陣痛開始から一日から長い時で二日、かかると聞いたことがある。

 今の様子だと、もう少し時間がかかりそうだ。



「いいですか。リラックスして。痛いでしょうが、息を止めないで。呼吸をすることだけ、今は考えて下さい。

 大きく深呼吸するように、スー―っと息を吸って、大きくハ――と吐く。

 痛みが強くなって、深呼吸できない、という時には、ヒッヒッと二回息を吸って、フーッと一回深く吐くようにするといいですよ」


 ティーナは私に言われた通り、大きく息を吸おうとするが苦痛に顔を歪めてしまった。

 その後は「ヒッヒッ、フーー」と細かい呼吸を繰り返す。

 だいぶ陣痛も進んでいるようだ。


 陣痛の微かな間隔、ティーナは大きく息を吐き、天井を仰いだ。

「子どもを…産むということは…こんなに、辛くて、痛い…ものなのですね…」

「ええ、そうですね」

 そう思うのは無理もないのだけれど。

 私はティーナの手を握る。

「でも、お腹の中で子どもも必死に頑張っているのです。生まれよう、この世界に生きようとして。

 だから…もう少しだけ、頑張りましょう。大丈夫です、私達がついていますから…」

「はい…」




 その後は、私達はできるだけ、ティーナをリラックスさせることに努めた。

 ジュースを飲ませたり、ケーキを食べさせたり。

 アレクが弾いてくれるリュートに耳を傾けたり。

 エリセは城の中での話や、私が聞かせた童話や歌を話したりもしてくれた。

 そして、時間が朝から、昼を超え、夕方に近くなってきた、と思った頃。




「…うっ…、ああっ…」


 陣痛の間隔が目に見えて短くなっている事が、見て取れるようになってきた。

 多分、痛みも増している筈だ。

 

「こちらの台に移って下さい。エリセ、ミルカ。肩を貸してあげて」

 

 小さな二人に支えられて、ティーナが分娩台もどきの台に背中を付ける。


「まだ、腰に力を入れないで、力を逃がす様に、深く吸って、吐いて…。呼吸だけは止めないで」


 私は声かけながらお腹に手を触れた。赤ちゃんの頭が、さっきよりも下に降りてきているのが解る。

 多分、そろそろだ。


「二回息を吸ったら、少し息を逃がして、それから腰に力を入れて下さい。脇につけている棒を持って…」


 小刻みに二回息を吸い、少し吐いた後、いきむ。

 それを繰り返してもらううち


「あっ…」

 

 するっと、赤ちゃんの頭の位置が下に移動したのが解った。子宮口を抜けて産道に降りたのだ。

 どんどん下に降りて来て、もう頭が見える。

「ミルカ! 隣からお湯を貰ってきて、エリセ。ティーナの肩を起こす様に支えてあげて」

「はい!」

「もう腰に力を入れないで。身体を楽にして、軽く息を吐いていてください。大丈夫、もう出てきます…」

  

 あと少しだ。

 私は赤ちゃんの動きを助ける様にゆっくりと下腹部を押す。

 するりと、頭が、そして肩が出て来た。

 ゆっくりと温かい、確かなぬくもりを手に確かめて、そっと、頭と肩を掴んで引きだす。

 軽い、軽い小さな身体が手の中に現れた。


「おぎゃあああ!!」


 はあっ。

 元気な産声にホッとする。

 泣いてくれた。

 無事、生まれてくれたのだ。

 ここで何かトラブルかあったら、私にはどうしようもできなかった。


「姉様!」「マリカ姉」

「生まれましたよ。元気な男の子です」

「あああっ…」


 ティーナに向けて赤ちゃんを掲げて見せた後、私はお湯でそっと身体を洗い、へその緒を切った。

 後産の始末をして、キレイに清めてから布でくるんで、ベッドに移動したティーナの枕元に赤ちゃんを置く。

「よくがんばりましたね…。貴女の子どもです」

「ありがとうございます。…マリカ様。…私の…子…、私の、赤ちゃん…」

 ミルカとエリセが目を輝かせるようにして赤ちゃんを見ているのが解った。

 そして、ティーナもまた、恐る恐るといったふうで、我が子を見るとそっと、優しくふれる。

 目元が淡く、濡れているのが解った。

 


「…ミルカ、外のみんなに伝えてきて。

 無事生まれたって」

「はい!」

「ティーナ。注意深くするから、赤ちゃんを皆で祝福してもいい?」

「はい。お願いします。マリカ様…」


 私は、そっと身体を起こしたティーナから赤ちゃんを受け取った。

 軽い。ジャックやリュウの重さより断然軽い。まるで羽のようだ。

 重さは測れないけれど、多分3kgちょっと。平均的な大きさだと思う。


 小さくて、赤くて頭が大きくて、くしゃくしゃの顔で。指先なんか本当に折れそうな程に細くって。

 でも、人間としての身体の全てが揃っているのは不思議だ。


 向こうでも出産の経験は無かったけれど、私が見て来たたくさんの子ども達も、魔王城の子ども達も、そして私も。

 みんなこうして母親の命がけの出産で生まれてきたのだと思うと、胸が熱くなる。

 



 命は不思議だ。そして、凄い。

 私は、本当に涙が出て来た。




「マリカ姉…。私も、抱っこしちゃダメ?」

「どうぞ。エリセ様、お願いします」

 私が言うより先にティーナが微笑んでくれたので、下で手を添えながら赤ちゃんをエリセに抱かせる。

「うわ~。ちっちゃい、かるい…、そしてかわいい」

 嬉しそうに頬づりするエリセ。自分も出産に立ち会ったのだ。

 愛しさはひとしおだろう。


「伝えてまいりました」

「生まれたって!」

 ドタドタドタ

 慌てた声と足音と共に、外で待っていた男子が入って来る。

「しっ! しずかにして!」

 エリセに、キッと睨まれて足を止めた男達に、私は入り口の桶を指示した。

「そこで手を洗って、静かに入って来て…それから、この子を祝福してあげて欲しいの。

 ミルカ…」

 

 エリセに合図をして、一足先に戻って来たミルカに私は赤ちゃんを抱かせる。


「…あっ…」


 ミルカもまた、愛おし気に赤ちゃんを見つめた。その眼にははっきりとした感動が見える。


「ガルフ」

「ああ、なんだか落としそうで怖いな…」


 ガルフは服で手を拭ってからそっと抱き上げた。

 彼が命を賭けて救わなかったら、生まれて来なかった命。

 愛し気に見つめたガルフは、ティーナと視線を交わすと


「ほらよ、お前達も」


 リオンの前に赤ちゃんを差し出した。

 ガルフと赤ちゃんを遠巻きに見つめていた男子達は、突然自分の方に向いた矛先に目を丸くする。


「えっ?」「僕達も…いいんですか?」

「どうか、お願いいたします。魔王城の城に入れば、この子は皆様の弟ですから」

「リオン」

「あ、ああ…」


 私とティーナに促され、リオンが最初に赤ちゃんを抱き上げた。

 おっかなびっくりの様子が見て取れるが、顔を見つめる様子は、とても優しい。


「…どうか、この子の上に星と、全ての精霊の祝福があるように…」

 祈るように、額を撫でたリオンの服を、アーサーが引っ張る。


「リオン兄。俺にもだっこさせて!」

「待ちなさい。アーサー。次は僕です」

 その言葉通り、ちょっと待てと目でアーサーに告げてからリオンはフェイに赤ちゃんを渡す。


「本当に、小さいですね。

 星の魔術師の名に懸けて。精霊の祝福を…」

 

 フェイは本当に魔術で祝福したようだ。微かな青い光が赤ちゃんを包む。

 それから、アルへとそっと優しく手渡す。


「アル。どう? 身体におかしいところとか、ありそう?」

「ううん、大丈夫だ。きっと。どこにも変な感じは視えねえよ」


 私達は医者とかじゃないから身体のどこかが悪いとかあっても気付いてあげられない。

 アルが視てくれれば、少しは安心できる。


「決して落としてはなりませんよ」

「おれがこんなちっちゃくて、軽いの落とすわけないじゃん。

 でも…ホント、ちっちゃいな。おい、おれがお前のお兄ちゃんだぞ」

「アーサー、次ぼく。…でも本当にかるいね。リュートよりかるい」


 最後の二人が、それぞれ抱き上げたあと、赤ちゃんはガルフの腕へと戻った。


「ガルフ様。その子に名付けて頂けませんか?」

「あ? 俺でいいのか?」

「ぜひ…」


 ティーナの言葉に、ガルフは腕の中の赤ちゃんを見る。

 赤ちゃんの目がパチンと開いて母親と同じ色の青い瞳が揺れた。


「女だったら、マリカ様から名前を頂くところだが、男だからな…」


 少し考えるようにして、ガルフは


「リグ。というのはどうだ? この星で最も強く、優しい男のように育つ様に…」

「ありがとうございます。リグ…私の子」


 ティーナに名前と共に子どもを返した。

 愛し気に我が子の名を呼ぶティーナの姿に

 そう言えば、リーガとかは愛しいって意味があると言ってたっけと前にエルフィリーネのが言っていたことを思い出す。

 リグもそんな感じの意味の名前かもしれない。


 リオンの瞳が微かに揺れ、フェイの微笑が深まったのを、私は確かに見たのだけれど、特に気には止めなかった。


 

 幸せだった。

 身体はもうくたくただったけれど、本当に幸せだった。


 新しい命の、家族の誕生を助け、立ち会う事ができたのだから。

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