勇者の名前

 リグの誕生から三日。


「今日から、どうぞよろしくお願いいたします」


 赤ちゃんを抱いたティーナが、魔王城の大広間でエルフィリーネと、皆の前で頭を下げた。


「うわあっ、ちっちゃい」「あかちゃんだ、あかちゃんだ!」

 留守番組で、初めて赤ちゃんを見る子ども達が色めき立つ。



 産後の回復を待って、ティーナは神の祝福を返還し、不老不死を持たない人間に戻った。

 そして、魔王城に母子一緒に入ることになったのだ。


「まだ、納得できない。エルフィリーネ?」

 

 子ども達を見るよりは、少し厳しい眼差しでティーナを見る守護精霊に私は心配になったのだけれども


「いいえ。この島で生まれ主がとりあげた赤子と、その母です。

 しかも神の呪いを捨てる覚悟を見せた。

 城の一員として迎える事に異義はございません」


 そう言ってエルフィリーネは静かに微笑んでくれた。


「ありがとう。

 ジャック、リュウもおいで。二人の弟だよ。お兄ちゃん」

「おーとと?」「おにいちゃん?」

「ええ、そうです。ジャック様、リュウ様。お二人の弟、リグです。仲良くして下さいませ」

 

 ティーナが膝を折り顔を向けてくれたので、小さな二人にもリグの顔が見えた。

「リグ…」「おにいちゃん!」

 二人は嬉しそうに何度も何度も「リグ」「おにーちゃん」と繰り返す。

 今まで最年少だったから、自分より小さな兄弟がやっぱりうれしいらしい。


「これね。赤ちゃんにあげる」

 そう言ってシュウがティーナに差し出したのは木の皮で編んだ籠だった。

 ベビーバスケットの代わりにならないかな、と思って頼んだら、本当に丁寧に作ってくれた。

 持ち手もちゃんとついているので、布団とクッションを入れて移動させることができる。


 一日の大半を寝て過ごす新生児。

 でも目を離すことはできないので、重宝するだろう。

「ありがとうございます。シュウ様」


 これから秋の収穫シーズンでいろいろ忙しくなるけれど、少なくとも魔王城に居れば掃除洗濯や食事の準備に苦労する事は無い。 

 授乳と身体を休める事に専念しつつ、少しずつ魔王城での生活に慣れてくれればいいと思う。



「夜中の授乳が落ちつくまでは、みんな、ティーナに協力してあげてね」

 

「はーい!」

 

 みんないい返事をしてくれた。

 魔王城に新しい家族が増えたのだ。




 ティーナと赤ちゃんの部屋は一階の女子住居棟。

 ミルカとエリセの部屋から一つ置いた先に決まった。

 何かあったらすぐ駆けつけられる部屋。

 でも、本当に隣だと、多分夜泣きとかで二人が寝不足になる可能性があるからだ。

 今の所、ティーナは元気なので、授乳にも問題は無い。

 万が一、母乳が出ない時はヤギの世話になることも考えたけれども大丈夫そうだ。

 赤ちゃんは数か月間はミルクを飲んで寝ての繰り返し。

 特に夜の授乳は大変なので寝ている間は交代で見てティーナを休ませたりして魔王城全体で二人を見て、助けている。


 だから、数日後には私もみんなにティーナを任せて、外に出られるようになった。



 ティーナの出産が落ちついたら、もう一つ私にはやらなければならない事がある。

 

「リグは、元気にしていますか? 赤子というのは可愛いですが、大変なものですね」

「ミルカも親身になって面倒を見てくれていますから。

 でもちゃんと育てようと思えば、一日付きっ切りで面倒を見ないといけませんからね。助ける者がいないと大変ですよ」


 それはガルフが王都に戻る為の準備と手伝いだ。


 生まれてから城に入るまでの三日間、ティーナの面倒を手伝ったガルフは結構憔悴していたっけ。

 何せ朝も深夜も関係なしに赤ちゃんは泣くのだから。

 …それを面倒、大変と思い、子どもを放置する者もいるわけで…

 いや、考えるのは止めよう。


「話は変わりますが、ガルフ、いつまで魔王城の島に滞在できますか?」

「なるべく早くに戻って欲しいとは言われています。

 店を任せているのは信頼できる片腕で、ある程度準備もしてきましたが、二週間が限度でしょう」

「では、戻る時間も考えるとあと数日ですね」


 なので私はなるべくたくさんのレシピを用意し、実践してみせることにした。

 その後、ガルフにも作って貰う。

 粉物中心で後は、ハンバーグなど焼きものが中心だ。

 食材の扱いに長けてもいるし、ガルフは比較的器用で数回で上手に作れる様になった。

 今回はレシピの木札も用意してあるから、なんとかなるだろうと思う。



 後は、持ち帰るものの準備もした。

 金貨、銀貨、宝石を怪しまれない範囲で十分に。


「一応、他の領地の貴族から支援を受けている。という話にしています。

 まあ、嘘はついていませんからね」

 

 金遣いに驚かれていても、疑われてはいない。

 とガルフは笑う。

 多分、それではすまない大変さもあると思うけれど、今はガルフの腕を信じるしかない。


 それからお酢とカエラ糖も持てるだけ。

 後は木札もあるから荷物は相当多くなる。重いだろうけれどこればっかりは助けられないので、頑張って貰うしかない。




 そうして大よその準備が整って、明日には戻るという日、私はガルフを魔王城の森に連れ出した。

 護衛代わりのリオンも一緒だ。


「これがカエラの木です。冬の終わり、この木に穴を開けて採取した樹液を煮詰めるとあの砂糖ができます」

 

 私はまずカエラの木の所に案内する。

 木には去年穴を開けた痕跡が今もうっすら残っている。


「本当に木から砂糖ができるのですか…」

「足元を見られないように気を付けながら。なんとかこれと同じ木を探して確保できるように努めて下さい」

「解りました」 



 あと、現代風の食事を再現するなら欲しいものがいくつかある。

 醤油、味噌は大豆が必要だし、大豆があっても麹がないと無理だから、とりあえずは諦めるけれど。


「食用油と香辛料が特に欲しいのです。

 貴方の眼から見てなにか役に立ちそうなものはありませんか?」


 食用油は今はミクルの実とイノシシの油を使っている。

 油の入手ができれば揚げ物ができて料理のバリエーションが広がるのだが、これがなかなか難しい。


「こうした森の中で見ると、取り扱っていたものと形が違いますからね…」


 まあ、そうだろう。

 私だって、この森の中から食べられるものを探せと言われても簡単には解らない。

 木の実系には有毒植物が少ないので、アルに見て貰った上で食べてみているだけだ。

 あとは、誰でも知っているらしい果物系。


「ああ、これは使えると思いますよ。マールの実」

「え? このトゲトゲが?」

 

 地面に落ちた棘の塊のようなものをガルフが指さした。

「中にある種子がけっこう美味いんです」

「あ、栗!」


 そう言えば、滅多に実物を見る事は無かったけれども、向こうの世界でも棘に包まれた木の実がある。

 栗だ。

 思わず手を伸ばしかけた私の服の首根っこをリオンが引っ張って止める。


「待て、触るな、手に刺さるぞ」

「じゃあ、リオン、中を割って貰える?」

「ああ」


 手近な棒を拾い、リオンが足で踏み割ると…確かに栗とほぼほぼ同じ果実が出て来た。


「油も取れますが、ちと勿体ないですね。ガキの頃、暖炉に入れて焼いて食ったりしたんですよ」


 向こうの栗と同じなら、砂糖で甘く煮れば相当に美味しくなるはずだ。

 これはいいものを見つけた。



「あと…これは、もしかしたらナーハの種かもしれません。春頃黄色い花が咲いていませんでしたか?」

 

 カラカラに枯れかけた雑草をガルフは指さす。

 細く茶色に乾いた莢はほぼ開いて種が飛んでしまっているけれど、いくつか割れずに残っていたものを開いてみると小さな小さな種が手のひらに転がった。


「黄色い花、そういえば…え? …菜の花?」


 向こうの世界とよく似た果実や野菜がそれなりに多い事は感じていた。

 全く違うものもあるのだけれど。

 これが、もし菜の花なら…


「食油が採れる、ということですね」

「ええ、結構な量が必要なのですが、含まれる油分は多かったと思います。種の量の四~五割くらいにはなったかと」


 今からではちょっと遅いけれど来年の春は気を付けて見てみようと思う。

 向こうの世界でも菜の花油は食油の定番だった。

 

 でも、こういう時に街育ちは本当に弱いと知る。

 植物を見ても、何が何だか解らないのだ。


「春にもう一度見てみたいですね。

 前の時はとても余裕がありませんでしたが、色々と面白いものがありそうだ」

「その時はお願いします。頼りにしていますから」


 とりあえず今回はマーロの実が大きな収穫だった。

 冬が本格化する前に、みんなでミクルの実と一緒に収穫しに来よう。


「そう言えば王都では魚はとれますか?」

「あんまり一般的ではないですが、かつてはそこそこ売れましたね。海が遠いのでもっぱら川魚。サーマンとか、セリルとか…」

「この川にも魚がいるのでしょうか。ものによっては魚も薫製にできますよ」

 そんなのんきな話をしながら歩いていると


「二人とも、動くな」

 

 リオンが私達を足止めた。


「どうかしたの?」

「そっちに獣の気配がある。ここで大人しくしていろよ」


 茂みを指さしたリオンは短剣を構え踏み込んでいく。


「大した戦士ですな。リオン様は」

「ええ、魔王城でもっとも頼りになる騎士です」


 感心するガルフに私は胸を張る。

 リオンやフェイが褒められるのはすごく嬉しい。

 だが、その幸せな、意気揚々とした気分は



「まるで、アルフィリーガのようだ」

「え?」



 一瞬で風船のように弾けて消えた。




「今、なんと?」

「ですから、勇者アルフィリーガのようだ。と。

 魔王を滅ぼした勇者をアルフィリーガと呼びます。

 まあ、俗称のようなもので正確な名は伝わってないんですが…。

 リグの名もそこから取ったんですよ。アル、はもうアル様がいますからね…」


 ガルフの言葉がやけに遠くに聞こえる。

 頭がくらくらする。眩暈がするのに妙に頭の芯がはっきりしている。


 ああ、そうか…そうだったんだ。


 なんだか、全然わからないのに、全てが解った気さえする。




「どうかなさいましたか? マリカ様」

「なんでもありません。今の会話は他の誰にも言わないで下さい。リオンにも、フェイにもです」

「は、はい…」


 私が強引に会話を打ち切ったと、ほぼ同時茂みの奥からリオンが戻って来た。


「待たせたな。イノシシがいた。仕留めておいたから後でアーサーにでも取りに来させるから」

「ご苦労様、いつもありがとう」


 リオンが私の顔を覗き込む。

「マリカ…どうかしたのか?」

「だ、大丈夫。なんでもないよ」


 私はドキドキと高鳴る心臓の音を必死で押さえて、笑顔を作って浮かべた。

 隠し通せ。悟られるな。

 演技は得意だ。得意の筈だ。


 自分に必死に言い聞かせる。


「マリカ…」

「とりあえず、戻りましょう。

 遅くなると獣も増えるし、皆も心配しますから。

 リオン、先に城に戻ってミルカを連れてきて貰えますか? 今日がガルフと過ごせる最後の夜ですから一緒に過ごさせてあげたいのです」


 何かを言いかけたであろうリオンの言葉を遮り、私は逆にリオンを見据えた。


「解った。ガルフ。街までマリカを頼む。すぐ戻るから」

「ああ、任せておけ」


 トンと胸を叩くガルフに頷いてリオンは姿を消す。

 それを見送って私は息を吐いた。

 自分でも呆れるほどの大きな、大きな息を。




 ミルカを街に送り、二人で城に戻る帰り道。


 どちらも何も言わなかった。

 私は何も言えなかったし、リオンも何も言わなかった。


 ただ、静かにゆっくりと二人で、並んで歩く。


 何も知らせず伝えず、笑っていられた甘い時間の終わりをお互いに感じながら…。    


 

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