魔王城 同胞の帰還
ずっと心配だった。
たった一人、異郷で戦い続ける同士。
こちらからは連絡が取れず、向こうの来訪を待つだけ。
だから、無事な顔を見れてホッとした。
「お帰りなさい。ガルフ。お疲れさまです」
「おかえりなさい。ガルフ」
出迎えた私とミルカに
「ただいま戻りました」
そう、微笑んでくれた。
安堵を宿す優しい笑みで。
ガルフがこちらに向かっているようだ。
とフェイが教えてくれたのは秋もだいぶ深まって来た頃だった。
大雑把な暦換算だと風の二月もそろそろ終ろうかという時
ティーナのお腹もかなり大きくなり、臨月の様子を見せ始めている。
「こんなに大きなものが本当に出てくるのでしょうか?」
ティーナは随分と不安そうだ。
あと、一~ニ週間の範囲で生まれるのではないかと思い、皆で交代での見回りを進めている。
分娩用の机や、水、鍋、タライ、布などは持ち込んでおいた。
本当なら消毒用にアルコールや手袋が欲しい所だけれど、贅沢は言えない。
蜜ろうで作った手作り石けんなどで手洗いを徹底して産褥熱は可能な限り防止するつもりではあるけれど。
私にとっても初めての事だ。
知識はあっても向こうの世界の事。できないこともある。
とにかく、無事赤ちゃんが生まれる事を願って全力を尽くすしかない。
みんなで採取がてらこまめにティーナの家を見回るという事で話し合いと分担を決めた直後にガルフの来訪が知れた。
「丁度いいね。万が一、夜などにティーナが産気づいた時、ガルフが側にいてくれれば心強いと思うし。
ミルカもガルフ滞在時は一緒に過ごす?」
「いいのですか?」
「ええ、ティーナの家の側に、もう一つ来訪者の家を整えよう」
突貫で掃除をして、荷物を運び準備を終えた直後に、ガルフは島に辿り着いた。
今回は色々と荷物は多いが、一人だ。
「ご無沙汰をしておりました。
ガルフ、ただいま戻りました」
「おかえりなさい。ガルフ!」
ミルカは嬉しそうにガルフに飛びつき、ガルフもまた
「ただいま、ミルカ。元気にしていたようで何よりだ」
心からの笑顔で、ミルカを抱き上げた。
「ガルフ様、その節はお世話になりました」
「おお、ティーナ。無事で島に辿り着いてたか?」
ティーナも嬉しそうにお辞儀をする。
「良かった。心配してたんだ。島に辿り着きさえすればマリカ様が助けてくれるとは信じていたんだがな」
「自分が相当に危ない橋を渡っていた自覚はあるのですか? ガルフ。
他者に島のことを洩らせば死ぬ契約だったのですよ?」
満面の笑みを浮かべてティーナを見るガルフにやれやれと言った顔を浮かべフェイは杖を叩く。
「えっ?」
「いや…まあ、その最悪でも俺一人と、母親と子の二人の引き算ならあっちの方が多いかな…と」
フェイの言葉にティーナとミルカは血の気が引いた顔をしている。
そりゃそうだ。
もしかしたら命の恩人が死んでいたかもしれないと思えば。
だから、二人の言えない分、私が説教する。
「そのような考えは控えて下さい。ガルフ。
前にも言いましたでしょう? 貴方は私達にとっても、ティーナ、ミルカにとってもかけがえのない人です。
命は大切にして下さい。不老不死とはいえ死は訪れる時には訪れるのですから」
「…申し訳ございません」
俯くガルフにフェイは杖を向けると術をかけた、らしかった。
らしい、というのはガルフを淡い光が包み込んだだけで、私達にはフェイが何をしたのか解らなかったからなのだけれど。
「?」
「少しだけ、術の範囲を軽くしました。
貴方が、命を賭けても信じられる、と思った人間に関しては島の事を話しても術は発動しません。
ただし、その人物が他者に洩らした場合、死ぬのは貴方です。危険度は上がっていますからそのつもりで」
「あ、ああ。感謝する。
マリカ様と、魔王城に改めての忠誠を」
胸の前で祈りの形に手を組み、ガルフが深い礼をとった。
「では、とりあえず移動しましょう。
ガルフもつかれているでしょう? まずはゆっくりして、それから今後について話をいたしましょう」
私はガルフを立たせて促す。
とりあえず、ガルフには話したいこと、聞きたいこと、相談したいこと、お願いしたいことが山ほどあるのだから。
前にガルフに使わせていた家は、今ティーナが使っているのでその隣にガルフ用の家を設えた。
鍵もかかるし、ミルカもいるし、ティーナにも許可をとったから問題ない。
「今日の食事はミルカがエリセと一緒に作ったんですよ」
「おお! こいつはスゴイ! 腕を上げたな。ミルカ」
卵、牛乳、バター、メイプルシロップのフルコースパンケーキとクロトリのサラダ。
ミニハンバーグ、ピアンのコンポートとフレッシュジュース。
「本当に、これが食べたかったんだ」
待ちきれない、というようにパンケーキを大きく切ると口いっぱいに頬張る。
恍惚と言った表情だ。
今現在、手に入る最高の材料で、娘が愛情をたっぷり込めて作った料理だ。美味しくない筈がない。
「ああ、美味い。本当に美味いぞ。ありがとうな。ミルカ」
大切な人に褒められて、ミルカは心から幸せそうな顔を寄せる。
私はこんな幸せが、世界中に広がって欲しいと心から思うのだ。
一皿分の料理をぺろりと平らげるとガルフは深く頭を下げて手を合わせる。
「本当に美味しかったです。いつもありがとうございます」
「いえ、どういたしまして。
褒め言葉はミルカに。この半年勉強も、料理もとてもがんばっていましたよ。
基本文字の読み書き、簡単な計算もできるようになりました」
「ほお、そいつは凄い。頑張ったな。ミルカ」
ガルフの隣に座り、ミルカは嬉しそうに微笑んでいる。
「本を何冊かと、時を刻むカラクリは持ってきました」
そう言って食事を終えたガルフは荷物を漁る。
本は王都の歴史書と、騎士物語、それから精霊に関するもののようだ。
カラクリはちょっとした置時計のような形をしている。
華美な装飾は無く、見える範囲でも歯車などを使った複雑な構造をしているように見えた。
「起動に精霊力がいるのだそうです。
俺にはよく解りませんが、こちらでなら使えるかと」
「後で、詳しく見てみましょう。ありがとうございます」
それから、とガルフが鞄から出したのは素焼きの小瓶だった。
「香辛料、胡椒と呼ばれるものです。貴族に収めているところから伝手を手繰って入手しました」
「胡椒! 今も入手できたのですね。感謝します。
これは、肉料理に使うととても風味が増すのです。可能であるなら、貴方の店でも使える様に手を回すと良いですよ」
「はい。貴族の邪魔をしない程度ですが、入手の見込みを付けてあります」
私は自分の眼が思いっきり輝いたのを感じていた。
魔王城にいくらか、残滓と言える程度であったが胡椒があったのでこの世界にもあるとは解っていたが、今も入手できるなら確保はしておきたい。
かつて、向こうの世界ですら同じ重さの金と取引された時代が合った程の貴重品なのだ。
あとは、できれば生姜、ニンニクとかがあれば…。
「ガルフ、貴方はかつて食料商人でしたよね?
この間のパータトのように、私達には解らない食材の形など解りませんか?」
「解るものも、あるかもしれませんが、なにぶん昔の事なので…」
「魔王城の森は豊かです。食べられる食材などあれば教えて欲しいのですが」
「解りました。見てみましょう」
それから、とガルフは話し始める。
約半年間の間が空いた。報告案件は互いに尽きない。
「王都で現在、手に入る限りの麦は入手しました。次年度の育成の目途もつけてきました」
「流石ですね。麦に関してはとにかく、管理可能な限り栽培し、収穫を目指して下さい。どんなに量があっても多分足りません。
それから、牛乳は入手しているようですが、卵は手に入りそうですか?」
「化粧品としての需要があるので細々ではあるが、今もクロトリの卵を採卵しているところがありました。
そこと契約を交わして大量にではありませんが、入手できる見込みです」
「良かった。では、これを…」
私はガルフに、数枚の木板を渡す。
「これは…」
それは、麦を使った調理法だった。
基本はパンケーキ、クレープ、ガレットなど小麦を使った焼き物メイン。
これを基本に挟むものや、混ぜるものを変えればそれだけで、専門店ができるくらいのバリエーションが作れる。
そして、パンとパウンドケーキの作り方。
「こちらは切り札にして下さい。貴族との関わりなどに使うと良いと思います。
オーブンは用意してありますね?
作り方、砂糖や酵母の扱い方は、今回の滞在中に基本を覚えて貰って、書き記してもおきましょう。
王都に生セフィーレはまだ残っていますか? ならば向こうでも作れる様に酵母、それから酢の作り方も教えます」
食品は絶滅していも、多分、お酒の類は残っている筈。
ワインや穀物酒があれば量産も可能な筈だ。
お酢があればマヨネーズも作れるし、料理に幅が出る。
「それは、勿論ですが…よろしいのですか?」
木板にレシピを書き記した事を言っているのだろう。
前回は情報漏えい防止の為に全て暗記して貰ったのだから。
「重いとは思いますが、記録してあった方がいざという時に確認しやすいだろうと思いました」
「ありがたいです。とても。ですがもし情報が漏れたら…」
「別に漏れても構いません。貴方の判断で信頼できるものに明かしたり、売却や使用契約を交わして広めるのもありだと思います。
相当に人気を博していると、ティーナから聞きました。
王都全ての食は一店舗で支えきれるものでもなく、他者からのやっかみなども酷くなってくる頃合いでしょう?」
「まあ、それは確かに…」
ガルフの歯切れは良くない。
食料品の事前買い占めというガルフの剛腕によって、初期のアドバンテージは採れたが、今後も継続して食を広めていくなら、一店舗独占経営はやはり不可能だ。
「ガルフの目で見て、信頼できる。
もしくは教えてもいい、と思う相手に食材を回し、調理法を教えて、食を求める人を分散させるといいと思います。
相手に貸しを作れますし、手が空けばこちらは新しい事が進められます」
できれば秘しておいた方がいいのは燻製調理技術。
肉の長期保存が可能になることは、冷蔵庫などが魔王城と違って簡単に用意できない向こうでは重要なことだからだ。
一方で基本の料理法は広めてもいい。
材料の流通をガルフが握っているのなら、ある程度把握できるだろうし、広がった方がそれぞれの工夫の加わった新しい味が生まれる可能性もある。
客がそちらに流れたところで、こちらには、新しい味のアイデアはいくらでもあるのだ。
「理想は世界の各家で食事の準備ができるくらい、食の習慣が人の世に戻る事。
私達の目的は儲けを独占する事ではないので、貴族を味方に付けながら食をコントロールしていきましょう」
木板と私の顔を交互に眺めていたガルフは、席から立つと膝をついた。
「ご無礼を承知で申し上げます」
「なんですか?」
「マリカ様を王都にご出座願う事は、不可能でありましょうか」
ドキンと、胸が音を立てた。
「こうして話を伺うにつけ、その見識と知識にやはり俺は及びもつきません。
今後王都以外にも、食の流通を広げて行くのならやはり、マリカ様に側にいてお知恵とお力をお借りしていきたいのですが…」
「それは、考えないでもありません…。でも…」
私は無意識に後ろを振り向いていた。
控えてくれているリオンにフェイ。エリセ、ミルカ。
私の後ろには守らなくてはならない子ども達がいる。
「私には、この島と魔王城を守る役目があります。
軽々と外には出られない事を、理解して下さい」
「解っております」
ガルフも、解ってはいたのだろう。
スッと願いを引く。
「何か方法がないか、考えてはおきます。
もう少し時間を下さい」
「ありがとうございます」
滞在期間中の予定を立てる頃には、夜も更けて来たので戻ることにする。
ミルカを残して、私達は帰路についた。
帰り道
「外に行きたいか?」
リオンの質問に私は、うん、と答えた。
「世界を変えて外の子ども達を救う為に、城の子ども達を外に出してあげる為にも外に行きたいな、とは思う」
でも、一方で魔王城の子ども達を完全に放り出しても行くつもりはまったくない。
そんなことをしたら保育士失格だ。
「魔王城の子ども達がある程度自立できるようになった上で、子ども達を任せられる誰かができて、なおかつ頻繁に行き来できる手段が有れば…かな…」
そんな都合よくはなかなか行かないだろう。
「マリカ」
「なあに? フェイ兄」
「僕にも、少し時間を貰えますか?」
「え? できそうなの?」
私はフェイの言葉に目を剥く。
少し考えるような仕草をしたフェイはそれでも頷いてくれた。
「魔王城と王都を繋ぐ、扉の新設。
とても難しい術ですし危険も伴う。ただ、まったくの不可能ではないと思うのです。
シュルーストラムとも相談して、城の文献も調べて方法がないか探ってみます」
「お願い」
マリカであった八年間に外での記憶は殆どない。
外の世界はどんななのだろう?
人々はどんな生活をしているのだろう?
今すぐに行きたい、とまでは思わないけれど、外の人間の話を聞くにつけそんな興味が湧き出て来るのを抑える事はできなかった。
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