帰って来た『味』
俺は、ザック。
王都の商人である。
この世が神の祝福を受ける前から服飾品を商っている。
王都の貴族や、王族の方からも依頼を受ける老舗中の老舗だ。
今、王都の商人の話題は商売の世界に戻って来たガルフの新事業で持ちきりである。
『祝福』によって地上に生きる全ての人々が不老不死を得るようになって、我々の生き方、有り方は大いに変わった。
何を食さなくても生きていける以上、あくせく働く必要は誰も無くなった。
生きているだけなら、何をしないでもできるのだ。
だが、一方で「食料品」という必須アイテムが無くなったことで、貧富の差は一層拡大した。
元から持っていた者達。そして食料品以外に携わっていた者達はなんとかなっている。
けれど、世の中の半数以上を占めていた「食料品」の生産者、商人達は収入源を失くし、新しい仕事もないまま、家や生活を維持する為の金を稼ぐことができなくり…地に墜ちた。
下層でただ、その日を過ごす事しかできなくなったのだ。
両者を分けたのは、ただ運であったと思う。
今、自分が勝ち組にいるのはただ、衣料を扱っていたというそれだけのことでしかないとよく解っている。
だから…
いや、言うまい。
あの時、俺は確かに墜ちて行くガルフを見て、かつて自分の上に立っていたものが破滅していく様を見て心のどこかで溜飲を下げていたのは事実、なのだから。
『祝福』以前、食料品を扱う剛腕商人であったガルフが、一度は商人の登録も失い消息不明になっていた奴が、再び王都に戻ってきて、商売を始めた。と聞いて驚いた者は多かった。
なにせ500年、世界に大きな動きは無い。
小競り合いの戦は絶えないが、神の祝福の元、同じ王がずっと国を統治しているのだ。
大した変化も有ろう筈がない。
商人も皆、退屈していた。
そんな時にガルフが帰ってきたのだ。
しかも、大きな後ろ盾らしきものを得て。
何をやらかすのか、と興味津々であった彼らは、だがガルフが扱うのが食料品であると聞いて、失敗を確信していた。
世に必要ないものを売って、何になるのか? と。
今、彼らは自らの見識が500年の間に錆びついていたことを噛みしめているだろう。
奴が本格的に動き出して一月足らず。
しかし、既にその事業は大成功を確信させる手ごたえを見せているのだ。
「暫く、黙って見ていろ」
とガルフが言った通り、いくつかの注文を受けた後、俺は奴の手並みを見守ることにした。
まずガルフが最初にやったのは、森での狩りをする狩人たちを把握し、やつら全員から肉を買い取ることだった。
今まで、狩りをする時、皮や油は値がついても、肉はほぼ放置されていた。
それを500年前の相場からすれば安めではあるが、ちゃんとした額で全て引き取る契約をして、言葉通り用意された全てを買い取った。
狩人たちは収入の増加に大喜びで、今は進んで奴の所に肉を持ち込む様になったという。
次に王都周辺に放置されている耕作地を安い金額で借り受けた。
特にピアンやセフィーレの木が生えている土地、麦やエナやパータトの実のつく土地はかなりな値段をつけたらしい。
何せ、何の役にも立たず500年放置されていたものだ。
果実など、腐って地に落ちるしか役には立たないと、誰もが踏みつけていた。
そんな木が土地が高値になる。
自ら売り込みに来るものもいて、ガルフはそれらを全て引き取った。
何をしているのだ、と思った。
と、同時に呆れもした。
一体、ガルフはどれほどの金額を預けられているのだろう。と。
ガルフの後ろ盾は何を考えているのだろう? と。
王都に家をいくつも立ててもおかしくない位の金が消費され、まだ王都に残っていた食料品の欠片をほぼ手中に収めたと同時、奴は攻勢に出た。
まずは小さな屋台が下町に不定期に現れた。
人の多めの所ではあったが、下層のあまり金を持っていない連中の所に何故かその店は現れる。
そして食べ物、肉の串焼きと腸詰を食わせるのだ。
「最初の一本はツケでいい。二本目からは中額銅貨一枚だ」
言われて、手にとった貧乏人たちは口にしたその串焼きに目を剥いた、という。
用意していた分を捌き終えると早々に姿を消してしまう屋台を、奴らは次からは追いかけるようになった。
そんなことを繰り返しているうちに、商業地の外れに固定の店ができた。
売るものは同じだ。
塊肉のステーキと腸詰。
だが店の中に席があり、エナの実のスープとパータトの炒め焼きが付く。
中額銅貨五枚のそれを食べた者は、全員が食い終えた途端、もう一度列に並ぶという。
店の外への持ち出しが禁止だというそれを、俺も一度振舞われた。
「食って見ろ。これが、お前達が一度はいらないと捨てた『味』だ」
勝ち誇る様なガルフの顔を見て、それでも俺は納得する。
ああ、これを一度食べたらもう、後戻りはできないだろう。
本当に美味かった。
数百年ぶりに舌が、身体が味覚を取り戻した衝撃は言葉にならない。
頭が冴え、身体に力がみなぎった。
無論、そんなものが無くても、生きる事はできる。
でも『違うのだ』と理屈ではない何かが、語っていた。
ガルフの店は売り切れば、そこで終了だ。
不定期に現れる屋台と固定の店も、その日用意している分が切れるとどんなに人が並んでいようと終了する。
用意されている数は最初から表示されているが、それでも希望を求めて並ぶ者も多い。
二号店がこの前出て、間もなく三号店も出るという。
下層の人間を雇い、奴は商いをどんどん広げていく。
最近は取れたてのセフィーレやピアンを絞った飲み物を出し始めた。
これがまた美味い。
ただ、果実を絞っただけなのになぜこれほど美味いのかと思うほどに美味い。
当然、真似をしようとする者もあらわれる。
けれども、既に王都の食料の残滓は全てガルフの手の中にある。
纏まった量は手に入らない。
なんとか、肉の串焼きもどきを作って出したとしても、まったく味が違っていた。
それでも需要はあって、食い物を扱う店も増えては来ているが、やはりガルフの店が一番だと評判が評判を呼び、客が集まる。
俺の店に注文した揃いの服を着せているので、他の店と見間違う事も無い。
「やられた」
と思う。
やはり、ガルフは剛腕だと思い知らされる。
だが、同時に楽しい気分にもなった。
既に貴族にも噂は広まりつつあるという。
もうすぐ、世界に『味』が戻るだろう。
その時、世界がどう変わっていくのか。
変わらぬ500年に正直飽きていた俺は、それを見るのが今、とても楽しみでいる。
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