魔王城の宣戦布告
ミルカという少女は、今までこの城にいたどの『子ども』より大きく思えた。
アレク、アーサー、エリセの年長組よりも少し大きい。
私(9歳)より下、エリセ(6歳)より上、という感じだろうか?
赤毛で茶色い瞳。可愛らしい顔をしているけれども、その大きな瞳には怯えた眼差しが宿り、私達を見ている。
「ほら、ミルカ。何度も話しただろう? マリカ様だ。
これから、お前のことを守って下さる方だぞ。ご挨拶しろ」
ガルフが下に降ろし、前に押し出そうとしても足を進めることができない。
それどころかガルフの服をぎゅっと掴んだまま、後ろに隠れてしまった。
「おい! ミルカ!!」
「随分と、大切に面倒を見て下さっていたのですね」
困り顔のガルフにを安心させるように、私は微笑む。
うん、これは別に悪い傾向じゃあない。
ある程度自意識の育ってきた子が、知らない場所に置いて行かれると思えば怯えるのは当然。
それも、信頼していた人物と離れなければならないともなればなおのことだ。
春の保育所、幼稚園は泣き声の大合唱だったよ。
ミルカはガルフを信頼している。
守ってくれる存在と思って頼りにしているのがはっきりと伝わって来る。
それは、この子を保護してから数か月の間、ガルフがこの子を誠実に接してくれたという証拠なのだから。
「いや、お恥ずかしい。
城から戻り、住処を構えた直後に、こいつを見つけ買い取ったんですが、冬を一緒に暮らすうちにすっかり懐かれてしまって…」
ガルフの口調から、彼の思いをリオンも読み取ったのだろう。
「まったく。今度は情が移る前に連れて来い。
この子だけじゃなく、お前もこの子を手放したくないと思ってるだろ」
呆れたように大きく息を吐き出して見せた。
「面目ない」
図星を突かれたと苦笑いしながらも、ミルカを見つめるガルフの瞳は優しい。
「俺は、結婚こそしていたものの、子どもに恵まれないまま不老不死になり、その後妻と別れた。
だから、本当に500年。子どもと接する事なんか無かったんですよ…。
…思いもしませんでした。子どもと、だれかと一緒にいる時間が、こんなにも幸せで満たされたものであったなんて…」
そっと優しくミルカの頭を撫でるガルフ。
きっと冬の間、ガルフはミルカと二人で、親子のように優しい時間を過ごしたのだろう。
そんな光景が見えるようで、私は胸の中に幸せな思いが広がっていく。
「ミルカ」
「! マリカ様?」
「ミルカ。私の言っている事が解りますか?」
私はスッと膝を下げた。ミルカと目線が合う様に。
こくん、と小さく首が動くのを確かめて。
それから、ゆっくり話しかける。なるべく怯えさせないように。
「私は、無理に貴方をガルフから引き離そうとは思いません。
貴女にガルフは、とても良くしてくれたのですね?
ガルフと一緒にいたい、とおもっているのですね?」
また小さく首が前に動いた。
「私が望むのは子ども達の幸せ。
貴女がガルフと一緒にいることが幸せであるのなら無理に城に来なくてもいい、と私は思っています」
「マリカ!」
パッとミルカの顔が花咲くようにほころんだ。
ああ、本当にガルフはこの子を大切にしてくれたのだ。
…本当に、引き離すのは申し訳ない気がする。
「ですが、これから私はガルフに大事な仕事を頼む予定です。
冬と違い、いつも貴女の側にいることはできなくなります」
一緒にいられなくなる。
私の言葉にミルカが身体をまた固くする。ガルフの服を握るミルカの指に力が籠っていた。
「それに、私は貴女に、教育を受けて欲しいとも、思っているのです
文字を読むこと、書く事、話す事。数字の計算、その他にも色々な事を城に来れば教えましょう。
貴女が学び、覚えたならそれはいつかガルフと共にいたいという貴女のこれからにとって大きな力になると思います。
貴女の大切なガルフの役に立つことができますよ」
キュッと引き結ばれた唇は何かを真剣に考えている様子に思えた。
ミルカは賢い子だ。
今の状況も、自分の事も、ガルフの事も多分ちゃんと理解している。
「ガルフはここに暫く滞在してもらうつもりです。
その間、ここでガルフの手伝いをしながら考えて下さい。私や、私の妹のエリセが貴女の面倒を見ます。
最後の日に、もう一度返事を聞きますからよく考えて下さいね」
話を終えた私は立ち上がり、今度はガルフに向かう。
「そういうわけです。
ではガルフ、外の様子などを聞かせては貰えませんか?
ミルカにも言った通り、数日滞在してほしいと思っているので、家を用意しました。
そこで、食事といたしましょう」
魔王城の城下町は500年使われていなかった廃墟だ。
でも、石造りの頑丈な家組は、けっこう形が残っている。
そこを少し直して私は、ガルフに滞在して貰う事にしたのだ。
「どうでしょう? 不自由はあると思うのですが、許して下さいね」
「いえ。屋根と寝床を用意して頂けるだけでもありがたかったのに、まさかこのような…」
部屋を掃除した後、あまり部屋の絨毯やカーテンなどをここに運び込んだ。
ベッドや布団もそっくりそのまま持ってきたので住居棟の一室が、このままここに移動した感じだ。
アーサーとオルドクスがいてくれて、本当に助かった。
彼らが辿り着くタイミングを見計らって、エリセに食事を持ってきて貰った。
メニューはこの間のディナーの簡素バージョン。
メインはメイプルシロップたっぷりのパンケーキ、イノシシ肉のヒレステーキ。野菜スープ。
それにちょっとした野菜とソーセージ、飲み物を添えたワンプレートランチだ。
「おお! これはすげえ!!」
ひゅうっ、とガルフが息を呑む音が聞こえた。
横でミルカも目を丸くしている。
エリセが頑張ってくれた魔王城渾身のメニュー。
喜んでもらえる自信はある。
「どうぞ。暖かいうちに召しあがって。お話はその後にしましょう」
「では、お言葉に甘えて…」
私が促すとほぼ同時、ガルフは嬉々として食事に手を伸ばした。
まずはパンケーキをナイフで切って一口。
流石に今回は手づかみはしないか。
「おう!! うめえぇ!」
「前とは違う味ですが、いかがです?」
「美味いです。本当に美味いです。ああ、生きていて本当に良かった…」
目を閉じて、噛みしめる様に天を仰ぐガルフの様子に私の方が嬉しくなってしまう。
「ミルカ。お前も食え。美味いぞ?」
だがミルカは料理を前に固まったまま…。
ああ、そうか。食べ物そのものを食べた事が無いか。
もしくはカラトリーが使えない。
「ミルカ。こうして小さく切って、口に入れて下さい。
これは、食べ物。身体と心にとても力を与えてくれるのですよ」
私は、ミルカに怯えられないように気を付けながら手を添えてカラトリーの持ち方を教える。
パンケーキとお肉を小さく切って、一つをフォークに刺した。
「さあ、どうぞ。召し上がれ」
おそるおそる、といった顔でパンケーキを口に運んだミルカだったが、一口食べた後はもう、他の子ども達と同じだった。
猛然という言葉がピッタリという感じで真剣に食べ始める。
「ほら、顔についてるぞ」
口周りをシロップ汚れでいっぱいにしたミルカの頬を拭いてやるガルフの様子は優しい父親そのもので。
私は零れそうになるため息を、そっと手で隠した。
こんな風に、全ての子どもが愛されて、幸せでいられるのなら、人々が不老不死であっても構わないのに。
食事を終えて人心地ついたガルフは幸せそうに大きく息を吐き出した後、
「本については、とりあえず今回はこれ一冊で。申し訳ありません。
まだ伝手が少なく。
次回はもう少し何とかなると思うのですが…」
鞄から一冊の本を取り出して、差し出した。
「神の教えを知らせる『聖典』です」
ある程度のランクの家になら割とあるという、聖書の様なものかな、と。私は理解した。
「いいえ、感謝しますわ。この島には神の関係の書物が殆どありませんから」
受け取ってぱらぱら、っとめくってみる。
この世界の根幹は神であり、精霊は神によって作られた。
主神はこの星を作り、七柱の自然神が精霊たちの頂点に立ち、命令を与える事で世界は動いている。
という感じでプロローグが始まっている。
精霊主体のフェイの講義とは随分違う印象だ。
けっこう分厚い。
全てを読んで理解するには時間がかかりそうに思える。
一度閉じて横に置く。そして、用意して置いた木板とペンを取り出した。
他にも色々と聞いてみたいことがあるのだ。
「ガルフ。私の質問に応えて下さいますか?
外の世界の事なら、当然のことなのかもしれませんが、この城に住まう私達には解らない事もたくさんありますので」
「喜んで」
「エリセ。食器を片付けたらミルカと遊んであげて下さい。…城に入れてあげてもかまいませんよ」
「はい、解りました。行こう。ミルカちゃん!」
「ミルカ。一緒に遊んで頂け。エリセ様、よろしくお願いいたします。」
お盆を片手にミルカの手を引いていくエリセを見送って後、私はガルフの方を向いた。
横にはフェイとリオンが騎士のように控えてくれている。
彼らには解っている事かもしれないが、成人男性と一対一になるのは、この身体ではちょっと怖いので助かる。
「まずは、暦ですが、どうなっています?」
「七柱の神々がそのまま、暦を司っています。
木、水、地、火、風、空、夜ですね。夜の日が安息日ですよ」
自然とそれを司るモノを神と仰ぎ、世界を刻む。
人間の考える事はそんなには変わらないんだな。と素直に思った。
七日間がくるりと四回、回って一月。それが十六回繰り返されて一年という感じらしい。
今は一の木月、二の木月、一の水月と続き二の水月まで春。
地と火の月が夏、空と風の月が秋。夜の月が終わった最後に大神の星月が入って、春になる。
冬の終わりがやはり一年の切り替え時らしい。
時間については万国共通ではないとのこと。
国ごとに微妙に呼び方が違うがおおよそ、時間を十四で割り、その国ごとの鐘やカラクリで知らせていることが多いとか。
「どこの国のものでもかまいません。
カラクリを手に入れられるようならもってきて下さい。興味があります」
「やってみましょう」
この世界の地理については一番知りたかったんだけれども、やはりこの時代も正確な地図の入手は難しいようだ。
「俺は王都生まれの王都育ち何で、そもそも外を良く知らないんですよ。
ただ、圧倒的な支配力を持っているのは神のおわす大聖国で、次が皇国王都。
後は小国がそれぞれ、争ってる感じですかね?」
「争う…って、誰もが死なないのでしょう? それでも戦があるというのですか?」
戦争というのは奪い合いだ。
領土や食料、人間の命。それらを奪い合い、どちらかが争いを維持できなくなるまで物を無くした時点で敗北が決まる。
でも、この世界では人は不老不死。
人間は食べ物を食べなくても生きていける。
争う理由も、奪う必要もないし、そもそもいくら争っても何も奪われないのだから戦う理由が、と普通は思うのだけれど。
「そこは、お偉いさんの娯楽、なんでしょうかね。
死にゃあしませんし、身体も傷つきませんがそこはそれ、捕虜とか逆らう者を捕まえとくのに手間はいりませんから」
「………救いがありませんね」
頭を抱えずにはいられない。
国に住む税金が払えなければ、暇つぶしの戦に徴兵される。
逆らえは幽閉。戦いで捕まっても幽閉。
不老不死の長い命を、ただただ暗い牢屋で過ごす者も少なくないという。
「俺はお預かりした金で税を払い、まともな家を買えたので最下層からは抜け出せましたが、下の方はみんなそんなもんですよ。
不老不死の命も、上の連中は永遠に楽しめるんでしょうが、下は苦しみが永遠に続く。それだけです」
「子どもはどうしていますか?」
「そもそもそんなに生まれませんが…その「生むしかなかった」連中は大体放置のようです。
女は売りに出されることもあって…ミルカはそうやって手に入れました。
男はなおのこと放置されていたようです。最近はそいつらを買い取って集めているところもあるって噂をちょっと耳にしましたがまだ詳しくは…」
プチッ。
私は、私の中で何かが切れる音を確かに聞いた。
頭は凍り付くように冷えているのに、怒りはふつふつと燃える様に湧き上がってくる。
人間を、子どもを何だと思ってるの?
不老不死が無いから人間じゃない? 不老不死があったって人間扱いされない人もいる。
なら、やっぱり不老不死なんか、無くったっていい!
「ガルフ」
「なんでしょう?」
諦めた様に乾いた笑みを浮かべていたガルフを私は見据えた。
「貴方は、私に忠誠を誓ってくれました。それをどの程度まで信じてもいいですか?」
「疑われるのは心外ですな。この場で死ねとおっしゃるならその通りに。
ご命令は…ミルカを殺せとかでもない限りは全て、従ってお見せしましょう」
「そんなことは、冗談でも命じません。安心して下さい。
ですが、世界を、神をも敵に回すかも、と言っても従ってくれますか?」
強く、強く挑戦するように見据えた私の眼を、ガルフは怯む事無く受けて立った。
「面白い! どうせ、マリカ様に出会わなければ場末で転がるか、獣に喰われるかしかなかった命です。
使うなら派手な方がいい!」
「その先にで不老不死を、失うことになっても?」
「面白みのない人生なんて、500年もやりゃあ、十分です。
俺は、魔王城の島に死にに来た人間なんですよ。…どうぞ、御存分に」
祈るように手を組んで、ガルフは跪くが、顔は私達を楽しそうに、期待の籠った眼で見ている。
実に頼もしい。
左右に控えるリオンとフェイと視線を交わす。
言葉にしなくても、気持ちは伝わったと確信できるそれは眼差しだった。
私は大きく深呼吸して宣言する。
口に出したら、戻れない。
でも、それでも構わない。
子ども達が幸せに生きられない世界に、私は未来を取り戻す。
「ガルフ。
私達は、
どうか、力を貸して下さいませ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます