魔王城の精霊術士

 彼は麗しい姿をした青年の形をとっていた。

 歳は外見で言うなら20代後半くらいに見える。


 水と風を混ぜたような青銀色の長い髪が虹のような光沢を放ちながら床まで流れている。

 瞳は深い、海のごとき青。

 緩やかに流れるローブを身に纏っている。

 紫色のローブは装飾など殆どないのに不思議に艶やかで、彼の存在を浮き立たせている。

 不安定な杖の上に腕を組み、軽々と座る様子。

 さっきの空の精霊とは比較にならない程、はっきりと実態を結んだ姿を見れば、解る。


 これは、フェイが告げた高位の星の精霊。

 彼の杖の化身だと。


「シュルーストラム ご挨拶を。

 この城の主、マリカと僕の妹 エリセですよ」

『まったく、私の姿を他者に簡単に晒すとは。だがまあいい。

 ここはエルフィリーネと妹の顔を立ててやるとしよう』


 フェイの声にも彼は態度を崩しはしない。

 ただ、腕を解き立ち上がる。

 彼が動くだけで、周囲の空気が美しく流れるような鮮やかさを帯びるのは気のせいだろうか?

 かつて、エルフィリーネと出会った時と同じように見る者の心を捕え、奪う美しさがそこにはあった。



 彼は、私とエリセの前に立つと胸に手を当て、優雅にお辞儀をする。


『我が名はシュルーストラム。魔術師の杖。

 輝かしき星の手足にて。どうかお見知りおきを…精霊の主たるものよ』


 人の声…には聞こえなかった。

 まるで夢の中に流れる音楽のように、頭の中に届く。

 低く深く、それでいて風のように爽やかで…うっとりとしてしまう。


 それはエリセも同じだったようだ。

 ぼんやりとする私達の前で、彼はすぐに踵を返し


『これで義理は果たした。戻せ。フェイ』


 鷹揚に胸を張って命令したのだが…


「せっかく出したのです。もう少しそこにいてください。

 実物の教材があるのとないのとではエリセもイメージが違うでしょうからね」


 フェイはニッコリきっぱり命令を無視する。

 その辺で、私達も我に返った。

 なにせ…


『なんだと? 本来主以外に見せることもない姿を晒した上に教材呼ばわりとは。

 相変わらず貴様には精霊に対する敬意が足りておらぬな』

「そういうものを学ぶ前に魔術師になってしまったもので。

 申し訳ないとは思っていますよ。シュルーストラム」

『口で言っても、顔がそう言ってはおらぬわ! この無礼者が!』


 夢見る様な美声で繰り広げられるのが漫才では、魅入っていられない。



 うーん。

 魔術師と杖って、どっちが主導なのかな。

 ぼんやりとそんなことを思う私の横で、


「あ、あの…シュルーストラムさ…ま?」


 エリセが躊躇うような顔で声をかけた。


「様を付ける程のことはありませんよ。エリセ」

『貴様は黙っていろ。フェイ。なんだ、娘』


 首を上げたシュルーストラムにエリセは服の下からペンダントを引きだして見せた。


「貴方は、この石のお兄さん…なんですか?」


 杖の石とよく似た色合いの石が、淡い光を放っている。

 それは、とても暖かい優しい虹色で、感情を色で表すなら喜びや祝福を表していると素直に思えた。


『…ああ、そうだ。覚えていたか?』


 ふと、彼を取り巻く空気が色を変えた。

 視線にも、さっきまで無かった柔らかさが宿る。

 妹を見る、兄の目線だ。


『無論、人の子のそれとは違うが、同じ時、同じ意志の元、共に星から生まれ形をとったものを精霊は兄妹と呼びならわす。

 私程の力は持てなかったが、それでも人には過ぎた力。

 星の手足。…大事に扱うがいい』

「この石…ううん、この子もいつか、貴方のように人間の姿になったり、お話できたりしますか?」

『さて…な。

 長い時の果て、それは随分と力を失ってしまっている。

 姿を取り戻すのは、そう簡単な事ではなかろうさ…』


 噛みしめるように告げ、妹石を見るシュルーストラムの眼には確かな優しさと慈しみが見えた。


『だが、我らが生まれて後、幾度となく主も変わったがその中には確かにそれに力を注ぎ、姿を与え、共に並び立った者もいた。

 励むが良い。術士の卵。

 全てはお前次第だ』


 かつてのフェイと同じことを告げる杖の精霊に、エリセは頷いて石を握りしめる。


「はい。私、がんばります。シュルーストラム様。

 いつか、フェイ兄とシュルーストラム様みたいに、この子とちゃんと並べるように…」

『ああ、期待している』


 フッと、浮かんだその表情は一瞬で消えたけれども、私はなんとなく納得できた。

 この杖と魔術師はなんだかんだで、似た者同士だ。

 気は合うだろう、と。


 石として人間に力を貸すのは星から生まれた星の化身。

 なるほど。

 星そのものが意志を持って動いているから、星の仕組みが解るのか…。


 そのままシュルーストラムは、杖に戻るとふわりとまた、石の上に座した。

 どうやら、戻せ、返せと言わないということは、ここで教材に甘んじてやると、いうことだろうか?

 解りやすい精霊に、小さく微笑んでフェイは、エリセに向かい合う。


 講義の再開だ。



「この世界の根幹を支える精霊を使う魔の技は、大きく三つに分かれます。

 精霊が使う「魔法」

 精霊の力を借りて人間が行う「精霊魔術」

 そして、精霊と人間が力を合わせて作り上げる「魔術」です」


 これは、以前エルフィリーネも言っていた。


「さっきの例えでいうならアーサーが一人でギフトを使って何かをするのが「魔法」

 僕やリオンに言われてギフトを頼まれたとおりに使うのが「精霊魔術」

 リオンの命令に合わせてギフトを的確に使い、獣を倒すのが「魔術」ですね。

 概ね精霊魔術より、魔術の方が色々と応用範囲が広いのは当然です」



「精霊魔術だと…精霊さんと話したり、相談したりはできないの?」



 エリセが首をかしげるとフェイが肩を竦めて苦笑する。

「相談しなくてもできる、のが精霊魔術ですよ。

 極端な話、精霊がいる、と術者が信じなくても『呪文』という精霊に通じる言葉で、石を通じて命令すれば、精霊魔術は発動します。

 その方が、色々と便利なのでしょう」

『風が運ぶ外世の精霊共の声は、今は悲鳴に近いものばかりだ。強制的に力を引き出される続けると、な』

「神々の力が強まり、精霊魔術は古い時代よりも重要視されなくなりましたが、それでも代わりが効かないものもあります。

 便利な道具として使われているようですね」


 二人の声に


「なんか…ヤダな…そういうの」


 エリセの声が下を向いた。


「わたし、精霊さんを道具だなんておもえないし、おもいたくないよ。

 もし術を使うなら、フェイ兄と、同じがいい。

 精霊さんとおはなして、そうだんして、の方がいい…」

「エリセ…」


 優しい子だ。とエリセの言葉を聞いて、思う。

 エリセにとって石は、道具ではなく自分を認めてくれた友達で、その友達と言葉を交わしたいが為に術士になりたいと願った。

 精霊の術を何かに使いたい、とか思ったことは無かったのだろう。


「私は、フェイ兄みたいな…魔術師には…なれない?」



『待て、卵の娘』

「シュルーストラム様?」

 何かを言おうとしたフェイを遮るようにシュルーストラムがエリセを睨む。


『それでは、何も変わらぬ。

 姉に、兄弟に嫉妬してほしい、ほしいと泣き叫んでいたお前は、変わろうと決意したのではなかったのか?』

「あ…」

 悲し気に曇るシュルーストラムの眼に見据えられ、エリセは唇を噛む。


『それに、だ。

 鳥は、鳥として生まれたからとて、直ぐに空を飛べるわけではない。

 卵の殻を破り、外に出でてもそのままではただの毛玉に過ぎぬ。

 母鳥に守られながら、立つを知り、歩むを知り、翼を広げるを学び、食を持って身体を作り、そうして失敗を繰り返しながら空へ羽ばたき、鳥となる。

 魔術に限らず、生きる、学ぶということは、そういうことであろう…』


 杖から降りたシュルーストラムはため息をついて見せた。

 エリセに、ではなくその視線はフェイに向かっている。


『魔術師を目指すに是非は言わぬ。

 だが、フェイを真似ようと思うな。卵の娘。

 こやつは卵の殻を破り、外に出たと同時、飛べと崖から突き落とされたようなもの。


 幸いなんとか飛んで見せたが、下手をすれば首を折り即死、命永らえても翼折れ、二度と飛べぬ目もあった』

「えっ!」


 フェイを見るエリセの瞳が驚愕に揺れる。

「おしゃべりが過ぎますよ、シュルーストラム」

 苦い笑みを浮かべるフェイに、私はあの日の夜を思い出して、ぞわりと背中が泡立つ。

 あれは、本当に危険な状況だったのか…。


 シュルーストラムの言う事をフェイが聞かないように、シュルーストラムもまた、フェイの静止を聞こうとはしない。


『しかも…だ。

 こ奴はいきなり鳥となったが為、立つも歩むも翼を広げるも畳むも、知らぬ。

 自分でも言った通り、本来術士を志す者が最初に学ぶ精霊への敬意も、知識も何もかも全て得ぬまま魔術師となった。

 知識は教えてやれても、実際に学び、しくじり、そうして得る経験もないまま、誰よりも高く飛ぶ。

 壊れた魔術師なのだ。


 真似るな。

 目指すはまだしも、決して真似てはならぬ。

 お前が真似れば、死ぬだけだ』


 項垂れるエリセをシュルーストラムは少し優しい眼差しで見つめ、微笑む。


『人を真似るな。卵の娘。


 フェイも言った筈だ、焦らずゆっくりと進め。と。

 精霊術士として学び、力を付けよ。

 己の力で殻を割り、立ち、歩み、翼を広げ、そうしていつか、飛ぶがいい…。


 何、我らは本来気が長い。妹も…お前が鳥となるその日まで…待つであろうよ』


「はい…」


 その返事は囁く程小さく、力ない。

 私は…きっとフェイやシュルーストラムも…

 エリセが自信と目標を失っている事を感じていたがそれ以上、何も告げる事はできなかった。




「今日は、ここまでにしましょうか…」


 フェイの言葉に頷いて、立ち上がろうとするエリセ。

 だが、その動きは突然、止まった。

 まるで凍り付くかのように。


「どうしたの? エリセ?」


 視線は宙を泳ぎ…唇が静かに微かに、でも、確かにある言葉を紡ぎ出す。


「…エルストラーシェ…」 


『なに!!』

「えっ?」


 フェイとシュルーストラム。

 二人は同時に振り返り、驚愕の眼差しでエリセを見ている。

 獣のような鋭い眼は、見ているこっちが怖くなるほどだ。


『今、何を口走った? 卵の娘』


 詰め寄るシュルーストラムに、ハッと我に返ったエリセは


「あ、あの、今、なんだか頭に浮かんで…エルストラーシェ、って。

 これは…?」


 瞬きするが、


『ククククク…、ハハハハハッ! ワーハハハハハッハ!』

「え? ええっ?」


 突然笑いだしたシュルーストラムに意味が分からないと慌てふためいている。


「な、なんなの? 一体」


『いや、愉快、愉快だ。卵の娘。

 我が妹はよほどお前を気に入っているとみえる。まだ、術士未満のお前に名を与えるとはな』


「えっ?」


 見ればペンダントの石がチカチカと瞬いている。

 ペンダントに触れたエリセにシュルーストラムはにやりと笑うと


『よし、興がのった。

 お前達に、特別に精霊の、本物の魔法を見せてやろう。

 卵の娘。それをよこせ』


 手を鷹揚にエリセに差し出した。


「は、はい…」


 ペンダントを外しシュルーストラムに渡したエリセに頷くと、彼は私達の視線を一身に集めながら、手の中に優しく包み込む。


『起きろ。エルストラーシェ』


 低く、柔らかく、呼びかけると同時、彼の髪がふわりと踊り、青い燃えるような虹を帯びた。

 と、次の瞬間ふわりとペンダントが宙に浮かんだ。


『精霊は名を呼ばれることで力を表す。

 主以外に例え兄妹精霊であろうと最初に名を呼ばれる訳にはいかぬ故、今まではできなかったが、主に名を与え、呼ばれたなら是非もない』


 石の中央に赤みを帯びた炎がチカリと輝くと、満足そうに彼は笑って声をかける。


『私が力を貸してやる。

 お前が選んだ主に、挨拶してやるがいい』


 声に応える様にペンダントの石から金粉に似た不思議な光が流れて出てくる。


 溢れる光は一つに集まり、やがて一人の少女を形作っていた。


「わああっ!」

『まさか、これほど早く再会が叶うとは…。

 紹介してやろう。エルストラーシェ。我が妹だ』


 ぴょん、と地面に飛び降りたのはとても、華やかな容姿の少女だった。

 歳の頃はエリセと同じくらい。

 虹のような光沢を放つ長い髪は兄とよく似ているが、柔らかくカールし薄い紅色を宿している。

 正しく天使か精霊か、という美貌で、膝までのローブに飾り気は殆どないのに不思議な気品を感じさせた。

 なにより印象的なのは瞳だ。

 薄桃色の瞳は美しく魅入られる。

 希望と、好奇心、そして喜びに深く輝いている…。


 少女は振り返り、自分を見つめる兄に丁寧なお辞儀をして…それから、エリセの前に駆け寄った。

 キュッと、エリセの手を握り、桃色の瞳で嬉しそうに見つめている。


「精霊…さん?」


『そうだ。エルストラーシェ。お前の精霊だ。名を呼んでやるがいい』

「…エルストラーシェ」


 エリセがその名を呼ぶと同時、再び金の光が舞い、踊る。

 光はエリセと精霊を包む様に、結ぶように輝いている。


「シュルーストラムの名の意味は『風の王』

 その名の通り移動、流動、転移など、ものの動きを司り操ることに強い適性を持っています。

 一方で、大地など動かぬモノに対する術はやや苦手です」


『堅物の奴らには声が届きにくいだけだ。できぬわけではない。

 だがエルストラーシェは『星の娘』 ありとあらゆる精霊に好まれ、真っ直ぐに素直に言葉と思いを伝える。

 お前には扱いやすかろう』


 フェイの言葉に軽く肩を竦めて見せた後、シュルーストラムはエリセの背中を優しくぽん、と叩く。


『お前は耳がいい。精霊の囁きを聞き取って見せたのだからな。

 …精霊術士が全て精霊を無視して術を行使するわけではない。

 お前がそうしなければいいだけの話だ。

 星の精霊の、ここまでの信頼を受けてまだ、迷うか?』

「いいえ、いいえ!」


 大きく首を横に振ると、エリセは光の中、自分の精霊、エルストラーシェを真っ直ぐに見つめる。

 その瞳には自信が宿り、精霊の希望と喜びの光が、まるで鏡に映したかのように輝いていた。


「待ってて。エルストラーシェちゃん。

 私、がんばるから。そして、必ずエルストラーシェちゃんとお話できる精霊術士になる!」



 小首をかしげるエルストラーシェに、その言葉が通じているかは解らない。

 けれども思いは、きっと通じていると確信できる。

 重ねられた手がはっきりと、二人の約束を、思いを伝えていたのだから。


『ああ、お前の道を、お前だけの道を進め。

 我らはそれを待っている』




 その後、エリセの精霊術の勉強に前以上に熱心に取り組むようになった。

 焦らず一歩一歩丁寧に確実に進もうとする様子は好感が持てる、と後にシュルーストラムは笑っていた。


 将来、魔王城に精霊術士が誕生するかもしれない。

 私はそれがそんなに遠くない未来のように感じている。



 そういえば、他者に姿を簡単に晒すな、と言っていた割に私の前にはシュルーストラムは何故かちょくちょく現れ、声をかけてくれる。

 勿論、他の子がいる時には出てこないのだけれど。

 精霊というのは、人間びいきというのは本当なのだな。


 と思いながらペンを動かす。



「風の王 シュルーストラム」

「星の娘 エルストラーシェ」



 並べたカルタの隣同士、兄妹精霊が楽しそうに笑っていた。

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