私の居場所

 二人に問われるまま、思いつくまま、私はかつて住んでいた世界。

 日本を、その生活を、私を…語る。



「私の住んでいたのは日本、っていうところ。

 たくさんの国…、って言って通じる?」

「ええ、解ります。王が治める領土のこと、ですね」

「まあ、そんなとこ。

 でも、そこは王様、じゃなくって普通の人の中から代表が選ばれて、その人がみんなの意見を聞いて国を治めるの」


「精霊はいないのか?」

「うん、いない。いないってことになってる。

 精霊って言葉はあるし、昔話とかには出てくるんだけど、私は、一度も見たことないなあ、物語とかにはいっぱい出てくるから、いるなら会ってみたかったね」


「不老不死は…ないんですよね」

「ないよ。寿命は結構長くて…病気とかにならなければ50歳から長くて100歳ちょと生きるかな?

 でも、病気や事故で若くして死んでしまう人もいるから、不老不死はやっぱりみんなのあこがれ」


「ホイクシってのはどういう仕事なんだ?」

「んっ…と、小さな子どもを集めて色々な事を教えていくところがあってね。

 幼稚園。とかこども園とか、分けるとけっこう面倒なんだけれど、基本的には親が子どもを見られない時間、子どもを預かって守るところ、教育を与えるところ、かな? そこで働くのが保育士」


「親が子どもを見られない? 普通は見ているんですか?」

「そう。

 夫婦と、その間に生まれた子ども、っていうのが家族、って言って最小の生活単位で、基幹なの。

 子どもが大人になったら大抵の人は、好きな人と夫婦になってまた子どもを産んで、そして命を繋いでいく…」


「親が働いてる間って子どもは働かないのか? 何してるんだ?」

「基本は遊んでるよ。

 ほら、みんなでやった鬼ごっことか、積み木あそびとか。

 でも、ただ遊ぶんじゃなくって、遊びの中でいろいろなことを勉強するの。

 文字の読み方、書き方とかは年長…エリセやアーサー達くらいならけっこう覚える。

 もっと本格的な勉強は、そのあと学校、ってところに行ってやるんだけど」


「…一体何年勉強しているんです?」

「小学校ってところに6~7歳で入る。その後それぞれにもよるけど20歳くらいまでは勉強している人が多い…かな?」


「そんなに、長い時間何を学んで? 魔術ですか?」

「精霊がいないから、魔法とか魔術とかは物語の中だけ。

 学校で学ぶのは…いろいろ。

 基本の文字や計算、言葉も勿論、習う。

 国ごとに言葉が違うから、覚えるのも大変だったなあ。

 地理とか、理科…精霊とは違う法則があるからそれも勉強して。

 あとは、音楽や絵を描く事。料理をする事とか、人とうまく付き合う方法とか、気持ちをほぐす方法とか、自分の思いを相手に伝える方法とか、本当に色々。

 自分に合ったものを選んで学ぶの」


「ガルフの時に見せた人心掌握術も学んだこと、なのか?」

「人心掌握術、って大げさな。

 あれは、カウンセリング…辛い思いをしている人の心を助けるための技法、技術なの。

 保育士って人と関わる職場だから少しね。

 ちゃんとした専門家なら、もっと上手くできたんじゃないかって今も思ってるよ」


「ああいう、人の心を動かす方法まで技術として研究され、確立されているのですか?

 それは、それで凄いですね…」

「私も短大まで行かせて貰ったから14年間、色々な事を勉強させて貰って…それから保育士になったんだ。

 母が保育士だったし、私も子どもが大好きだったから…」


 二人は私の話を真剣に聞いている。

 時に頷き、時に驚き、時によく解らないと首をかしげながら。



 話していると、自分の中で忘れていた、忘れたと思っていたことが鮮やかに蘇ってくる。


 家族と過ごした時間。

 学校での事。勉強の事。


 そして保育士の仕事の事も。



「私は就職…仕事をする時に家族の元を離れて一人暮らしを始めた。

 いろんなクラスを持っていたけど、最後は三歳の子だったかな? ギルやジョイ位の子達を19人見ていたよ。

 みんな、やんちゃでね。なかなかいうコト聞いてくれなくて。

 でも、私を大好きって、言ってくれる子もいて…毎日が楽しかった」



 ただ、三歳児19人一人の担任は結構大変で、仕事の持ち帰りや休日出勤も多かった。無茶もした。

 …それが、もしかしたら自分の死因だったのではないか、とも思うけれど…これは言う必要のないことだ。



「毎日、どうやったら子ども達が安全に、良く育つか考えて、何の遊びをしよう。何を教えよう。って環境…周囲を整えて、計画を立てて、子ども達の前に立って実行して、反省して…その繰り返し」

「…マリカの世界では、子ども達が本当に愛されて、大切に育てられていたのですね」

「うん。私達の世界でも子どもにちゃんと人権が与えられるようになったのはここ100年くらいのことだったし、実際には親を亡くしたり、親と上手くいかなくて苦労している子も結構いた。

 でも…」



 私は噛みしめる。

 あの世界も決して楽園では無かった。けれど…



「子どもを人間として尊重し、守ることが出来る世界。

 子どもを傷つけるのは間違っている。

 そう言える世界だったこと、その世界で、保育士って仕事をしていたことを、私は誇りに思ってるよ」




 今は、胸を張って言える。

 多くの子どもが笑顔でいられる世界。

 子どもを守ろうと思う人々。


 あの世界は確かに素晴らしかった、と。

 だからこそ、今、この世界でも私は「保育士」であろうと思えるのだ。




「マリカ…」


「な、なに?」

 本棚に背を預けていたリオンが、私の前に立って膝を折って目線を合わせる。

 ドキンと胸が音を立てた。


「泣いてる…」



 リオンの指が、私の目元の雫をぐいと、拭う。


 ああ、どうやら私は泣いていたらしい。

 気が付かなかった。



「向こうの世界に…帰りたいか?」


 ふと、リオンの静かな問いかけが私の胸に届いた。

 まるで投げられた石が波紋を作るように…私の胸に、その問いが広がっていく。


「…帰れないよ。帰る方法も解らないし、こっちに来てもう8年以上経ってるし」

「帰れる、帰れないじゃない。帰りたいかって、聞いてる。

 いい世界だったんだろう?

 マリカは、向こうの世界に帰りたいと思わないのか?」


 リオンの眼は、私を見つめている。

 ごまかせないか、と思ったけれど逃がしてはくれないらしい。


 私は…目を閉じて自分の心に問いかける。



「うん、…向こうの世界に心残りが全然ない、っていったら嘘になる、かな?」



 まだ、年度の途中だったし行事がもうすぐに迫っていた。

 友人や同僚にも迷惑をかけただろうし、子ども達も、ビックリして…心に傷を負わせたかもしれない。


 何より、独立したとはいえ、結婚もしていなかった娘が孤独死したのだ。

 父や、母をきっと、驚かせたり、悲しませたりしただろう。

 心臓がキュッと掴まれる思いだった。

 私は、確かに父母に愛して貰った。愛を受けて育った。

 育てて貰ったお礼も、恩返しも何も言えないまま、できないまま、逆縁の罪を犯した。

 そのことを思うと、情けなくて涙も出てくる。


「それでも……」


 …ああ、でも本当に不思議な程に


「向こうの世界が、便利だったなとか思っても、帰りたい。

 って思ったことは、こっちの世界に来て『私』になってから、一度も無かったよ。


 私は、この世界でやることがあったから」




 見捨てられた子ども達。

 彼らに笑顔を取り戻したい。


 それ以外考えられなかった。

 向こうの事を、懐かしく思う事さえ殆ど無かった。



「あっちの世界には私より優秀な人がたくさんいたし、私がいなくても、多分、大丈夫」



 二人は褒めてくれたけれど、カウンセリングの手法も、料理も保育も、向こうの世界にはもっと優秀な人が、専門家がたくさんいる。

 本職としてだって、私は各段優秀だったわけじゃない。


 毎日、悩んだり、悔んだり、劣等感を抱えて…。

 でも子どもが好き。

 その思いだけで突っ走って来た未熟な保育士…だ。


「でも…」


 両親だけには謝っても謝り切れないけれど。きっと、解って貰えると思う。

 私には、今、どうしてもやりたいことがあるのだ。



「こっちの世界で子どもを助けようって人は、できる人は、多分他にはいないから、私は…そうしたいな。って思ってる」



 最初の日、リオン達が私にくれた約束。


 子ども達が笑って過ごせる世界、自分で自分の未来を選べる世界を取り戻す。


 私に目標をくれたあの言葉があるから頑張れる。


 子ども達の為に私ができることがあるのなら、何でもする。

 きっと、その為に…私は今、ここにいるのだから。




「…マリカは……」


 リオンの言葉が…止まる。

 何か、言うべき事を言わなくてはならない。

 でも、言い出せない。そんな、迷いが黒い瞳の奥に…見えた。



「…きっと、最初からこの世界の住人だったんだ。

 間違えて、いや、違う。いろいろな知識を学ぶ為に向こうに行って、そしてこっちに戻って来たんだ。

 マリカの力が…この世界に、必要だったから」


「わっ!」

 突然、ぎゅっとリオンの腕が、私を抱きしめた。

 顔を埋めた背中が、が小刻みに揺れている。


 ああ、…泣いているのは、きっと、リオンの方だ。


「だから、頼む。帰らないでくれ。

 どこにもいかないでくれ。

 …俺達には…マリカが必要なんだ」


 まるで届かない遠い星に祈る様に、リオンは言う。

 私はすぐ側に、腕の中にいるというのに。


「どこにもいかないよ…。私はここにいる…」


 私はリオンの肩に自分の手を回した。

 だいぶ逞しくはなって来たけれど、まだ細さの残る少年の背中にぎゅっと力を籠める。

 …手の中に伝わって来るぬくもりが、私の心の中に移ってしまったのかもしれない。

 熱いなにかが…胸の中に広がっていく。


「ここに、いるから…」


 リオンの胸に、私の思いも届くといい、と心から…思った。




 ふっ、とも、くすっとも言えない、微かな音が空気を揺らす。


 と、同時、リオンはガバッと、顔を上げ、飛びずさった。

 あっと言う間に私に背を向けてしまうけれど、その顔はエナの実よりも赤い。


 振り向くと、フェイが小さく笑っている。

 楽しそうに、嬉しそうに。


「ち、違うぞ!! 違うからな!!」 


 何が違うのか、私にはよく解らない。

 解らないけど、かわいい。

 思春期、という奴かな?

 頬が思わず緩むのを感じて止められなかった。


 はいはい。と肩を竦めて見せたフェイは、今度は私と目を合わせると胸に手を当てて腰を折る。


「辛い事を語らせてしまったのなら、許して下さい。

 でも、マリカの話を聞けて、よかったと思います。

 失ってしまったものは、戻らないけれど…戻せないけれど…」


 私を気遣うフェイの優しさに、私は精一杯の笑顔を返す。



「大丈夫。もっといいものを作っていけばいいだけだもの」

「ええ、マリカとリオンと僕、アルや、アーサー、エリセ、アレク…みんなで未来を作れたら、いいと思います」

「うん、一緒に、ね」


 私はまだ赤い顔をしたリオンの右手と、フェイの左手をぎゅっと、胸元に引き寄せた。




 日本の思い出が、すっ…っと遠くなっていくようだ。

 寂しさや、後悔や、未練は涙と一緒に、きっとリオンが拭ってくれた。




 私には転生した時、よく転生小説の基本テンプレートにあるような意思確認をしてくれる神様は現れなかった。

 でももし、

 もし今現れて、日本に返してくれる。

 と言っても、いらないとはっきり言える。



 私は、この世界で生きて、保育士として子どもを、みんなを守るのだ。



 私の…マリカの居場所はここなのだから。

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