遠い思い出
とある夜
私は子ども達が寝静まったのを確かめると、ゆっくりと身体を起こした。
毛布や布団を蹴ったりしていないか、確かめてから、そっと部屋を出る。
エルフィリーネのおかげで真冬でも魔王城では寒さに震える、ということはないが、やはり廊下は少し底冷えがする感じだ。
少し身を縮ませながら速足で廊下を歩く。
「あれ?」
目指す部屋の扉が細く開き、中から明かりが零れているのが解る。
「誰かいるの?」
扉を軽く叩いて声をかけると
「マリカ?」「こんな時間に?」
中から少し驚くような声がして、パタパタパタと少し慌てた足音と共に
「どうしたんだ? こんな夜遅くに」
リオンが扉を開けて出迎えてくれた。
ここは書庫。
以前、最初の探索の時に見つけた所。
いろいろな本が棚に納められている。
「ちょっと、本を探したくて…」
私は目的を説明する。
具体的に言うなら資料探し、だ。
冬の間に私は、子ども達に体力づくりと一緒に文字の勉強もさせていきたいなあ。と思っていた。
実のところ魔王城の子ども達は今の時点で、最年少のジャックとリュウを除けばおおよそ基本文字を読むことはできる。
あいうえお、もとい基本文字積み木と、ロッカーの名前などで覚えたからだ。
向こうでいうなら
「あー、いー、うー」
と読んで言えるようになったくらいと言えば解るだろうか?
年長組は今は書き取りの練習中。
この冬の間に自分の名前と、基本文字が書ける様になる事。
そして身近なものの名前を憶える事。
エリセはこの課題を終えれば、精霊術の勉強をさせてもらえるとあって、超真剣である。
私もこの数カ月で一応一通りは覚えたと思う。
簡単な文章なら読めるし書けるようになった。
ただ、子ども達以上に『基本』が解らないのが困る。
どうぶつまねっこ体操の時も思ったけれど、動物の名前も形もイメージできていないし、花の名前、物の名前もあやふや。
果物、野菜も採取したものくらいしか知らない。
本当は保育士として子どもに文字の勉強をさせるなら欲しいモノがある。
『学習ポスター』と『カルタ』
だ。
どちらも視覚から子ども達に字を覚えさせるには最適。
特にカルタは遊びながら学べる最高の知的玩具だ。
日本だとカルタはもういろんな種類があって、キャラクターなどで親しみながら字を覚えられる。
この世界は精霊と魔術の世界。
精霊が実際に存在して、私達に力を貸してくれるのだから、精霊モチーフのカルタとか作れたら、エリセの勉強の役に立つだけでなく、他の子達も楽しんでくれるのではないか、と思ったのだ。
ちなみに、イメージが掴めれば絵は私が描きます。
保育士だし。
説明が長くなったけれど、
「そう言うわけで、精霊に関する本とか、植物や動物に関する本、ないかな? って思って。
前に画集とかあったよね?」
私がそう二人に話すと…それぞれ、少し考えてから
「フェイ。俺はあっちの画集持ってくる。
お前はあの本、出してやったらどうだ?」
「解りました」
と動き出す。そしてあっという間に本を探してくれたのだ。
「これは、動物と、植物の本。
絵も入ってるから、解りやすいんじゃないかな?」
「…これは、精霊術士の初級本です。
エリセに教えるときに使おうと思って出しておいたんですけれどどうぞ。
絵は少ないですが、火、とか水、とか身近な単語が多いですから役に立つかと…」
二人が選んでくれた本を私は注意深く受け取ると、大切に胸に抱えた。
かなり大きいし、中世の世界だ。
本はなかなか大量生産できない貴重品だろう。
粗末にはできない。
「ありがとう! 二人も勉強に来てたの?」
「…ええ、そうです。
魔術師になったとはいえ、本来学ぶべきことをいろいろなことをふっ飛ばしてしまいましたからね。
シュルーストラムも煩いんで、リオンにお…、付き合って貰って勉強し直してるところなんですよ」
「すごいね。リオン兄も。
フェイ兄とこんな夜遅くまで勉強するなんて」
ぽりぽりと、眉間のあたりを照れくさそうに書きながらリオンは顔を逸らす。
最初は書き取りにも四苦八苦してたのに、本の内容を覚えられるくらい読んでるんだから素直に凄いと思う。
「古い言葉の本も多くてなかなか進みませんがね。
冬の間に読み終わるといいんですが…」
フェイは相変わらず勉強熱心だなあ、とのんきに思っていたところで、ふと…気付く。
「…フェイ兄、あの…読み終わるって、どの本?」
「? この書庫の本ですよ。まだ半分程度しか進んでなくて…」
ちょっとまてー!
まだ冬が始まったばっかりだよ?
それなのに、もう半分も読んだの?
ここ、蔵書けっこうあるよ?100冊じゃきかないよ?
ま、まけた…。
いや、まあ勝てる筈もない勝負ですが。
「どうしたんです? マリカ?」
私のため息があんまり大きくて、どうやら心配させたらしい。
顔を覗き込むリオンに、私は大丈夫、と手を振って見せた。
ホントに大丈夫です。
ただ、モノホンの天才の凄さを思い知っただけ…。
「そういえば、マリカ。今、時間はあるか?」
「ん? 大丈夫だけど何か?」
子ども達も寝かしつけたから後はもう自由時間だ。
あんまり夜更かししているとエルフィリーネに灯りを消されてしまうけれど、もう少しくらい平気でしょう。
リオンに頷いて見せると
「そっか。…なら少し話ができないか?
マリカのいた異世界って所の話を聞いてみたいんだ」
「異世界…日本の、話?」
「ああ、マリカがどんなところで育ったのか、興味がある」
彼は頷く。
驚くほどに真剣な眼差しで。
「それは、確かに僕も興味があります。
話の端々やマリカの行動、知識などから素晴らしい世界だと感じていますが…どのような所なのでしょうか?」
そういえば、ちゃんと話したことは無かったなと思い出す。
「もし、思い出すのが辛い、とかなら、断ってくれていい」
「そんなことは…ないよ」
うん、ない。
ない筈だ。
自分の初心を忘れない為にも、一度、客観的に思い出しておいた方がいいかもしれない。
「エリセや、子ども達には内緒にしていてね」
「ああ」
「約束します」
二人の言葉に頷いて、私は借りた本を横に置き、書庫にあった椅子。
その一つにストンと腰を下ろす。
フェイは手近な椅子に座り、リオンは本棚に身体を預けて聞く姿勢。
だから、私は目を閉じた。
瞼の裏に浮かび上がるもう遠い故郷。
日本を思い出し、語る為に…。
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