魔王城のお風呂

 朝起きて外に出ると、音がする程に空気が張り詰めているのを感じる。

 視線を森に向ければ、木々は華やかだった着物を脱ぎ終え、静かな眠りにつきはじめた。


 冬の足音は、もうすぐ側まで近づいているようだった。


 来訪者ガルフの一件以降の魔王城は至って静かだ。

 情報収集を依頼した以上、彼はまた島を訪れるだろうがそれは直ぐの話ではない。

 まもなく冬が来る。

 魔王城の冬気候がどんなものかはまだわからないけれど、厳しいことは予想できる。もちろん、外の世界もだ。

 彼の再来訪は早くても冬を超えた春になるだろう。


 だから、私達はいつもの穏やかな生活に戻っていた。



 と、いう訳でいきなりだが、お風呂の話をしよう。

 冬と言えばお風呂。

 私は今、真剣にお風呂に入りたい。


 異世界に来てから私はまったく入浴していない、訳では実はない。

 最初は川で子ども達を洗ったり、お湯を沸かして身体を拭くくらいが精一杯だったけれども、エルフィリーネが目覚めたくらいに、作業棟の方にバスタブを見つけたのだ。

 白くて、陶器製で床に密着しないように足がついている。

 いわゆる猫足バスタブ、と呼ばれるタイプのものだろう。

 足は猫では無かったけれど。

 何の足なのかな?


 とにかく沸かしたお湯をバスタブに入れて入ると身体がじんわりと奥まで温まって、とても気持ち良かった。

 私は日本人なので、お風呂は大好きだ。

 できれば毎日入りたいくらい。



 けれど、日常使うにはいくつかの問題点があった。

 まず、猫足バスタブは子どもが使うには大きすぎる、ということ。

 大人が使う事しか想定していないので仕方がない。

 特に、小さい子を入れると身長より高くなってしまうのでかなり危険だ。


 高さ問題は後にギフトを使う事で解決した。

 バスタブ部分を広げ、高さを低めにすることでミニプールのような子どもでも使いやすいバスタブにすることができたのだ。

 ただ、お湯を沸かした上でバスタブに運ぶのが、私一人ではなかなか困難なのでお風呂は週に1~2度。

 子ども達を半分ずつ分けて入れていた。

 最初は熱いお湯に身体をつけるのを嫌がり、悲鳴を上げていた子達もだんだん慣れて喜んで入ってくれるようになった。


 で、終わった後に私があまり湯を使って入る。

 そんな流れがずっと続いていた。



 お風呂環境が劇的に変化したのはフェイが魔術師になってからのこと。


「なんだ。早く言ってくれれば良かったんですよ」 


 そう言って、彼はお湯運びに難儀していた私に代わり、あっさりとお風呂にお湯を張ってくれたのだ。

 魔術で。


「え? あ…あの…いいの? こんなことに魔術使って。

 杖が、怒ったりしない?」

「こういうことで、怒ったりはしませんよ。シュルーストラムは」


 薄く笑ったフェイによると、精霊たちは基本人間びいきなので生活を豊かにしたり、便利にしたり、困っている時に魔術を使うことには寛容らしい。

 そういえば、最初の魔術も麦のバイ菌とりだったっけ。


 ただ、自分でやるべきことを怠けたり、魔術を使わなくてもできることなのに魔術を使う事は怒る。

 狩りで言うなら魔術を使うより、弓で射た方が早いし確実なのに魔術を使おうとするのは嫌がるそうだ。



 お風呂の場合は生活に必要な事で、なおかつ私=子どもが困っている。

 お湯をお風呂に張るのは魔術でなくてもできるが大変。

 なら、魔術を使ってもいい。

 ということか。


「精霊、って優しいね。ありがとう。

 フェイ兄。シュルーストラム」


 私はフェイの持つ杖の石をそっと撫でた。

 子どもの頭を撫でるのと同じノリだ。

 石が微かに光ったような気がする…けど、気のせい…かな?


「じゃあ、お湯が冷めないうちに子ども達、入れて来る。

 本当にありがとう」



 駆け出した私の背後で


「…何照れてるんですか? シュルーストラム」


 フェイが必死に笑いを堪えていたことは、気づかなかったのだけれど。




 で、そんな日々が続いた冬目前のある日。

 食料準備もあらかた終わったので、私はフェイ兄とアルを誘って城内の探索に出る事にした。

 目標は作業棟の地下。

 香辛料の貯蔵庫とかあったら美味しいと思ったのだ。


 今回は年長児もお留守番。

 早く行って、早く戻って来るつもりだった。


「今度は騒ぎを起こすなよ」


 リオンに苦笑交じりの顔で見送られながら、私達は地下に進んでいく。

 作業棟の地下は、住居棟の地下程広くは無かった。


 階段を降りて間もなくの所に部屋が一つ、あっただけだ。


 曇りガラスが大きく使われたその扉を開けると小さな小部屋があり、奥にまた扉があった。

 扉を開けて…私は驚く。

「なんだこりゃ?」

 アルは首をかしげるけど私はそれを知っていた。


「お、お風呂!??」

 そこには懐かしき、お風呂があったのだ。


 床は小さめのカットされた石が綺麗に敷き詰められている。

 ツルンとした感覚は、大理石とかそういう類なのかもしれない。

 天井は壁や床と同じ石材。

 灯りらしいものは見当たらないけれど、暗さは感じない。

 ここにもエルフィリーネの管理する魔法の光の効果があるのかもしれないと思った。


「わああっ」


 そして奥の方に埋め込み式の湯船があった。

 湯船に入るところが小さな段差になっていて、湯船の奥に多分お湯の流れる取り入れ口がある。

 溢れたお湯が段差から排水溝に流れて循環するのかもしれない。

 温泉旅館にとかに割とよくあるタイプだ。

 湯船はかなり大きい。

 個人用ではない。大浴場の風情だ。

 大人数人が入ってゆっくり足を伸ばせるくらいの広さもある。


 勿論、というか当然、というかお湯は張られていなかったけれど。

 何百年も使われていなかった割には痛みは少ない。直ぐにでも使えそうだ。


「えっと、湯汲口はこっち?」


 おそらく脱衣所だった部屋に戻り、横の方にあった小さな扉を開けるとそこは明らかにバックヤードだった。

 大きな釜のようなものがあり、何本かの筒が繋がっている。

 今は空だけれど多分、ここに水を入れて沸かしてパイプから浴室にお湯を入れ、零れたお湯のゴミなどをとって循環させるのだろう。


 日本だったらポンプとかがあると思うのだけれど、そういうものはまったくない。

 火をつける為のボイラーすらない。

 釜とパイプだけ。実にシンプルだ。


「これ、どうやってお湯を作って巡回させてたんだろう?」

 私が釜に手を触れながら考えていると


「魔術を使っていたようですね」

 フェイがあたりを見回し、そう教えてくれた。


「魔術?」

「ええ、外の井戸から水を入れてお湯を沸かすのと、巡回させるのは精霊に魔術で手伝って貰っていたようです」 


 温泉旅館のように一日ずっとお湯を沸かしておく必要はないから精霊達に負担はさほどないという。


 凄いな。魔王城。

 精霊を便利に使って、本当に快適生活してたんだ。

 思わず感心してしまう。


「使ってみますか?」

「え、いいの?」

 私の問いに、フェイはもう杖を出している。


「マリカと子ども達の為ならいいそうですよ。良かったですね」


 明るい笑顔でフェイが杖を掲げると宝石が、応える様に強く光った。

 と同時。

 こぽ、こぽぽと軽い音と共に釜に水が注ぎ込まれていく。

 私は慌てて浴室に戻った。

 湯口から、少しずつ、ゆっくりとお湯が流れはじめ、みるみるうちに湯船に溜まっていく。


「うわああっ!!」


 すごい!スゴイ!

 思わず感動してしまう。本物の、日本の温泉にも負けない大浴場がそこにある!


「ありがとう! フェイ兄! ありがとうシュルーストラム!! 

 みんな!! お風呂だよ。お風呂に入ろう!!」

「おい、待てよ。マリカ!!」


 大興奮した私は速攻ダッシュで部屋に戻り、子ども達をお風呂に入れる準備をする。

 ジャック、リュウ、ギル、ジョイまでは私が入浴させ、他の子はリオンとフェイ、アルに頼んだ。


 みんな大きなお風呂に大喜びで、はしゃぎまくっていたという。 


 全員がお風呂に入り終わった後、私はエリセと一緒に広いお風呂を堪能した。

 髪や身体を洗いっこして、並んでゆっくりと湯船につかる。


「うわあ、気持ちいね。これ」


 エリセもうっとりとした表情だ。

 じんわり、ゆっくりと染みるように身体が暖まっていく。

 自分でも思う以上に身体は冷えていたらしい。

 ピリピリとする指先や腕を揉むとお湯の中に疲れも寒さも溶けていくようで…。


「は~、ごくらくごくらく~」

「? なにそれ?」


 思わず零れた言葉はエリセには通じなかったけれど、本当に私は、幸せな気分になれた。


 今度は石鹸作りにも挑戦してみよう。

 植物油からシャンプー作る、なんて話どっかであったけ?

 夢はどんどん広がるばかりである。



 フェイとシュルーストラムのおかげで、私達は冬を前に毎日のお風呂を堪能できるようになった。

 お湯が使えるので洗濯も格段に楽になった。

 本当に嬉しい。



 そして私達の冬支度の完了を待っていたかのように、外には静かに、音も無く今年最初の雪が降り始めた。

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