魔王城の来訪者 …見えない力

「ぶははははっ! あははっはは! わーはっはっは!!」


 部屋の中には豪快な笑い声が響いている。

 もう、さっきからずっとだ。

 笑い声の主はリオン。


 お腹を抱え、ベッドの上を転がってバカ笑いを続けている。


『アルフィリーガ、笑い過ぎ』

『放っておけ。エルーシュウィン。こうなればしばらく止まらぬ』


 ベッドサイドに置かれた短剣の精霊や、壁に立てかけられた杖の精霊の呆れ声も、耳に入っていないようで、目じりに涙を浮かべ、マットを叩いて哂っている。

 これは本当に、落ちつくまで待つしかないだろう。

 別に悪い気はしていない。こんな楽しそうなリオンを見るのは初めての事だし。


「あー、笑った笑った。

 こんなに笑ったのは何百年ぶりだ。長生きはするもんだな」


 どのくらい経ったのか。

 ようやく、少し落ち着いたらしいリオンは目元の涙を指で拭うと寝台の上に大の字に寝そべり、天井に手を向けた。

 そして…


「フェイ」


 僕に顔を向け


「どうだ? 俺達の大魔王は凄いだろ。

 不老不死の呪いに倦んで死を選ぼうとした人間を、パンケーキ一つで懐柔して味方につけちまうんだ」


 自慢げに、誇らしげに笑ったのだった。




 リオンの言葉には全面的に同意できる。

 今日、魔王城のある島に来訪者が現れた。


 不老不死の世界に倦み、死を選ぼうとするもの、だ。


 世界でただ一ヶ所。

 この島でだけ人は死ねる。その為ごく稀にそういう招かれざる客が訪れる事があるのは知っていた。



 魔王城の安全を守るためなら放置するのが最善。

 けれど、マリカはそうしなかった。

 そして、見事に来訪者の心を掴み、味方にしてしまったのだ。



 誰が思うだろう。信じるだろう。

 そのきっかけが、

 一食の食事。

 パンケーキであったなどと。



『そんなに美味しいの? パンケーキって?』

『我ら精霊には縁遠い話よ。だが、利には叶っている。

 食というのはそもそも、口を通して食べ物の持つ力を己のうちに取り込むことだ。精霊の力を得る遠い手段でもある。

 何百年もそれをしてこなかった人間が、強い気を取り込めば、力と意志も漲ろうというもの』


「…ああ、本当に。食べるという事は本当に重要なのだと、俺自身忘れかけていた。

 魔王城に来るまでは…。彼女と出会うまでは…」


 精霊達の囁き声に応える様にリオンは呟き、目を閉じる。

 寝台にごろんと寝ころんだまま大きく手を開く。

 身体から、薄い力が立ち上っているのが目に見えた。


「ここに来て、やっと『この身体』に少しずつ力が、精霊たちの祝福が戻って来たのを感じる。

 今まで、幾度転生を繰り返してきても叶わなかったのに…」


『食事、してこなかったの? アルフィリーガ?』

「外は食という文化そのものが、消えかけてたから…な」



 寂しげに笑うリオンの横に座り、僕は彼を見る。


「それに、彼女の凄さは食のことだけに限りませんよ。

 見たでしょう? 

 見事な人心掌握術。

 あれをほんの僅かな時間で思いつき実行できる胆力と技術は、異世界で培ったものなのでしょうか?」

「かもな。ホイクシってのがどんな教育を受けてなるものなか、解らないが…大したものだ…」



 死を望む人間の心に寄り添い、掴み、ほんの僅かな時間で忠誠を勝ち取ってしまった。

 魔術でも、能力でもなく、己の技量と言葉のみ、で。

 あれを見たら知性に自信があるなど、とても言えないと思う。

 自分には到底思いつかないし、実行できない。



「リオン。あの男。ガルフは野放しにして大丈夫だと思いますか?」

「大丈夫だろ。

 アルも心配ないと言ってたし、マリカに胃袋がっちり掴まれてる。

 裏切るとは思えない。

 契約を受け入れた以上、裏切ったらすぐに解るし始末できるしな」

「そうですね」


 ガルフにかけた契約の魔術は体内に深く食い込んでいる。

 奴がマリカを裏切ろうと決意したら、その瞬間に心臓が止まるだろう。

 ただ今の所、そうなる可能性は低いと自分も思う。

 自分たちは子どもだと言うのに実力を認めたら、ちゃんと仲間として見る。


 ああいう豪快で真っ直ぐな人間は、大人は…嫌いではない。



「…五年、いや、あと三年だな」

 リオンが天井に手を伸ばす。

 その視線は、自分の手ではない何かを見つめているように思えた。


「何がです? リオン」

「この身体が、成長し、力を蓄え…攻勢に出られるようになるまで、だ。

 魔王城は精霊の力が強い。

 ここであと三年、今の生活と訓練を続ければ俺は、多分昔に近いところまで力を取り戻せる…」


『まったく、もっと早くに戻ってくれば良かったのだ。アルフィリーガ。

 そうすれば、限界以下まで力を失いそのような姿にならずにすんだものを』

『そうだよ。本当に変わりすぎてびっくりしたんだから』


 心配する精霊たちの思いは本心だろう。

 彼らは、人に、愛し子に優しい。

 驚くほどに。



「…どうしてのこのこ顔を出せる。

 彼女を死に追いやり、星を奴らの呪いに奪われたこの俺が…」


 けれど静かにリオンは目を伏せる。

 彼が、今なお心に罪と傷と、苦しみを背負っているのは明らかだった。


「500年だ。

 俺が間違いさえしなければここまで、人と星と精霊に呪いが進むことはなかったのに」


「過ぎた事を言っても、過去は戻りませんよ。

 大事なのは、これからです。未来です」



 だから、事情を知らないのをいいことに彼の迷いを笑い飛ばす


「フェイ…」 

 目を見開く彼の横で僕は指を折った。


「あと…三年、と貴方は言いました。

 三年あれば、僕やマリカも身体がある程度完成し、外に出ても怪しまれなくなります。

 兄弟たちも自立し、数名はギフトや術を身に着ける筈。

 力になってくれるでしょう。


 ガルフの才にもよりますが、魔王城の財力を元に、商いを広げ足場を作るにも数年かかるでしょうし、丁度いい。

 一人では行かせませんよ。

 攻勢に出るときは、みんなでです」



 あれこれと、この先の有利な点を指折り数えていく。

 不利な点など無いので考える必要はない。


 あっても潰せばいいだけだ。とは口に出さないけれど。



「その間に、リオンも学んでください。

 マリカから、人心掌握術や異世界の知識、色々な事を。

 リオンも伝えるといいでしょう。マリカにこの世界の事。精霊の事。

 そして、自分の事を…」



 きっと、真実を告げてもマリカは受け入れてくれる。

 いつもの笑顔で、いつもの通りに。



『僕達もいるんだからね! 今度は置いて行かないで。アルフィリーガ!』

『一人で抱え込み、悩み過ぎるのが其方の悪い癖だ。我らや魔術師に遠慮なく頼るが良い』



 精霊たちの励ましにリオンは顔を上げて笑った。


「ああ、解ってる。もう俺は、一人じゃないからな」


 人も、精霊をも魅了する美しい笑顔で。




「そういえば、今回の件とガルフを見て、ちょっと考えた事があるんだ。

 どう思う? 俺の魔術師?」

「何です? 一体?」

「実は…だな」



 リオンの提案は、後に世界を、人の心の在り方を変える。

 その小さくて、大きなきっかけの始まりだったのだけれど、今はそのことに誰も。


 僕自身でさえ、気づいてはいなかった。

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