甘えの代償

 いつの間にか、甘えていた。

 自分達が、幸せな事を忘れていた。


 言い聞かせる。

 甘えるな、忘れるな。

 この世界は、決してオレ達に優しい世界じゃないんだから。





 リオン兄が怪我をした。



 城の外にみんなで遊びに行って、そこで木から落ちたアーサーを庇ったのだ。

 凄く、血が出た。

 人からは、こんなに血が流れるんだ。

 そんなことを思い出す位に、それは衝撃的なことだった。


 自分が、傷つけられたことはある。

 でも、他人が傷つくのを見るのは初めてだった。

 だから、オレは何もできず、動く事さえできず


「リオン! しっかりして下さい!!」

「フェイ。落ち着いて。止血はしたから」


 相棒の怪我に震えるフェイを。

 そして、そんな中でも冷静に動くマリカを、ただ見ているだけしかできなかったのだ。



 リオンを連れて先に戻ったフェイの後を追い、俺達が城に帰りついたのはリオンの事故から、それほど時間が経ってはいなかったと思う。

 チビ共を連れて、必死に戻りついたオレは守護精霊から、リオンの無事を聞かされて、ホッと胸をなでおろす。


「アル様」


 マリカと何かを話していたエルフィリーネが頭を下げる。


「子ども達の着替えと面倒を、お手伝いできないでしょうか?」

「勿論だ。任せてくれ」


 マリカをリオンの所に行かせてやりたい。

 そう告げた彼女に俺は二も無く頷いた。

 今、ここで側に付き添っているであろうフェイを覗いてリオンを一番心配しているのはマリカだ。

 様子を見に行きたいに決まっている。


 俺達は残された子ども達の手を引いて、大広間に向かった。

 水遊びで汚れたり濡れた服は大よそ、もうマリカが着替えさせてくれていた。

 オレの仕事は、状況に驚き落ち着かないチビ共をこれ以上、怪我しないように見ている事だ。


「にいに、にいに」

 エリセがオレの服を引く。


「リオンにいに、だいじょうぶ?」

「ああ、心配するな。エリセ。リオン兄はこれくらいじゃ、くたばらねえよ」


 心配そうなエリセに、オレは思いっきり明るく言ってやった。

 側にいた他のチビたちにも聞こえたのだろう。

 少し、落ち込んだ空気が明るくなる。


 ただ一人。

 部屋の隅で膝を抱える、アーサーを除いては。



 今回の件はアーサーが、リオンの真似をして木に登ったのが原因だ。


 木の上から落ちる恐怖。

 腕の中でリオンが怪我をする有様。

 リオンから流れ出す真っ赤な血。

 アーサーはそれを、一番近くで見る事になった。


 今回の件はアーサーが悪い。

 アーサーがリオンの真似をしなければ、木に登らなければリオンは怪我をしなかった。

 危ない事はするな、と言われていたのに。


 どうしようもない、否定できない事実だから、オレはアーサーを慰めるつもりは無かった。

 必要なら、戻って来たマリカがするだろう。

 オレ自身も少し怒っていたからアーサーを放置する。

 他の子ども達も空気を察してか、遠巻きに見ているだけだ。


 だから、アーサーはずっと、一人で膝を抱えていた。




 ガチャッ。

 暫くして扉が開いて誰かが入って来た。

 マリカが戻って来たのかと思ったけど違った。


「フェイ兄」


 リオンに付き添っていた筈のフェイは、オレの呼びかけにも答えず部屋に入ると周囲を見回した。

 そして、部屋の隅に座り込んでいたアーサーを見つけると、真っ直ぐに、ツカツカと足音を響かせて近づいて行った。


「…フェイにい…、あの…あの…」

 フェイに目の前に立たれたアーサーは慌てて立ち上がり、頭を下げようとした。

「ごめんな…さ」

 紡がれる筈だった言葉は、アーサーの口元に止まる。

 目を合わせたフェイの…氷の眼差しによって。


「…甘えるな」

「ヒッ」


 フェイが告げた瞬間、あたりの空気が急速に冷えた。

 そう感じた。

 ジャックとリュウがオレの足元にしがみ付いてくる。

 他のチビ共も動かない。動けない。


 ただ、全身から、はっきりと目に見える程の怒りを放つフェイと、それを叩きつけられたアーサーを、黙って見ているだけだった。


「お前達は、恵まれ過ぎている。

 甘えている。

 この魔王城の生活に、マリカに、リオンに…甘えすぎている」


 普段優しくて、オレ達、下の者にも丁寧な言葉を崩さないフェイの発した

 『言葉』


 オレの眼にはフェイが抱いているやり場のない焦燥、苛立ちが、凍り付いた刃のように周囲に荒れ狂っているのが見えるようだ。

 その一番の矛先はアーサーだけれども


『お前達』


 それは、オレたち全員に向けられた者だと全員が、解っていた。


「もう、忘れたのですか?

 魔王城に来る前、どんな仕打ちを受けていたのか?

 食事も無く、鞭打たれ、虐げられていた日々を、忘れたというのですか?」


 口調そのものは、戻った。

 いつもと変わらない。

 荒げられても、怒鳴られてもいない。


 だからこそ…恐い。

 まるで肉食獣の前にいるようだ。

 きっと一瞬でも気を抜けば、喉元を食い破られる。


「忘れているなら思い出しなさい。

 この魔王城に有る幸運を、魂に刻むのです。

 甘えて、二人に負担をかけることは、僕が許しません。

 例え、二人が許そうと、甘やかそうと…僕がいる限り…絶対に」


 こんな声も出せたのか、という程冷えて、凄みのあるフェイの声に逆らえる者がいるだろうか、とオレは思う。

 少なくともオレは無理だ。

 絶対に。

 今のこの状態のフェイに、逆らう事なんて絶対できない!


「アーサー」


 冷ややかな声、視線、その全てを受けたアーサーが肩を震わせている。

 カチカチと歯を鳴らしている。

 その様子は、まるで真冬の雪原にいるかのようだ。


「リオンのようになりたいと、身の程知らずに囀るのなら、甘えるのを止めなさい。

 自分には、まだその力が無いのだと理解しなさい。

 少なくともリオンは、貴方と同じ歳、自らの力を自覚し鍛え、己が目指すものを心に定めていました。

 同じことをしろ、とは言いません。

 でも、リオンの姿に憧れ、そう在りたいと願うなら、形、行いを真似るより先になすべきことに気付きなさい」


 アーサーが、肩を下げる。

 自分の無思慮な行いが、どんな結果を巻き起こしたか、思い出したのだろう。

 ぐっ、と噛みしめられた唇に、手に力が込められているのが見えた。


「皆もです。

 この世界で、飢えず、暖かい部屋で、清潔な着物で眠れる子どもなど、どれほどいるのか。

 忘れているのなら、思い出しなさい。 

 救われ、ここに在ることが幸運なのだ、と。

 あの地獄に、もう一度戻りたいのですか?」


 フェイの言葉が、今度は部屋中に響く。

 オレ達、全員の胸に…響いていく。


 魔王城に来る前の生活になんて決して戻りたくない!


「マリカは…優しい。

 この世界では他に有りえぬ程、大きな視点で『僕達』を見て、守ってくれています。

 その優しさの中で、僕達は、貴方達はきっと安らかに暮らし、育つことができるでしょう。


 でも、その優しさにただ甘えて、成長しようとすることを放棄するなら。

 ぬるま湯につかり続けるなら。

 マリカが、リオンが許しても…僕は、僕が…許しません」


 誰も、何も言わない。

 言葉がまだ理解できているかどうか解らない、ジャックやリュウでさえ身動き一つせずにフェイを見ている。


「僕には、夢がある。

 マリカは言いました。この魔王城を子ども達が安心して暮らせる場所にしたいと。

 僕はその先を願う。

 世界中を魔王城のように、僕達が何の憂いも無く笑い、学び、眠り、生きる世界にすると…」


 フェイの口から紡がれたそれは、本当に眩しい夢。

 でも、今なら不可能ではないと、思える。


 だからこそ…



「マリカを、リオンを、この城での生活を大切に思うなら。

 自分達も、努力しなさい。

 …いつか、失って後悔する事のないように。

 言いたいのは、それだけです」 


「フェイ…兄」


 話を打ち切って踵を返したフェイを、アーサーが呼び止めた。



「なんです?」

「…あの、ごめん…なさい」

「それを、言う相手は僕ではありません。

 言うべき相手にちゃんと伝えなさい。そして、行動で示しなさい。

 まだ解りませんか?」



 振り返ったフェイは呆れたように肩を竦めて見せる。

 けれども

 その空気はさっきまでの氷の魔性のものではなく、いつもの「兄」に戻っていた。


「ああ、リオンの怪我は落ち着きました。

 多分、明日には起き出してくるでしょう。

 そしたら、いつものように迎えてやってください。

 …リオンは、きっと喜びます」



 そう言うと。

 フェイは今度は振り返ることなく部屋を出て言ってしまった。


 閉まった扉を、オレ達は見つめる。

 それぞれの、思いと共に…。

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