流れ転じて廻る月

第69話

「姉ちゃん？」

　彼は言った。

「なにしてるの？　恐いよ」

「大丈夫だよ。大丈夫だから」

　少年の手に力が入る。彼は必死になって暴れるも彼の力はとても弱く、容易く抑え込められる。

「病気を、よくするために、必要な事だから、ね。大丈夫だよ。姉ちゃんがついてるから」

　大丈夫と、口の中で繰り返す。彼女の大きな目は一層大きく見開き歯は震え打ち鳴らされる。

「さぁ、目を閉じて。いい子だから。今はゆっくり眠る時間だよ」

　息を吐き出すことさえ忘れ、何度も何度も息を吸う。少女はグローブ越しに彼の頬を撫で、目を閉じるのをじっと待つ。

　少年は何も言わずに目を閉じる。

　大丈夫だよと繰り返し、少女はゆっくり息を吐き出す。そして両目を強く閉じると、少年の胸にナイフを向ける。刃は一切ぶれる事無く、彼の胸を差している。

　ゆっくり彼女が目を開けた時、輝く刃は少年の胸を刺し貫いた。

　血が溢れ出す。彼のボロが赤く染まる。少女がナイフを引き抜くと、反動で力無く尻もちをつく。

　痙攣と共にシーツまでもが赤くなる。激しく肩で呼吸する彼女の手からナイフが落ちる。それは冷たい石の床に当たって、無機質な音を奏で上げた。

　抑えた手には、もう脈は無い。それでも彼の体温だけは今もまだ手に残る。

　少女の肩を包み込むミツキを見ながら、ソードはそっと手を離す。赤色をした水たまりの中で、少年だった物に意識を向けた。

「弟は。大丈夫ですか。これで病気は」

　少女の言葉を遮って、少年が目を開け激しく咳き込む。口の端から赤い液を零しつつ、ひっきりなしに咳き込んでいる。ミツキの制止を振り切って少女は少年の手を取った。

「私が分かる？」

　脇腹にできた、こぶしほどの腫瘍は健在で、嫌忌すべき姿を見せている。少年の咳は治まるどころか一層激しく荒くなり、呼吸も碌にできないままに喘いでいた。

「咳が止まらないの？　熱は？　治まった？　待っててね。すぐに水を取ってくるから」

　少年は力の無く少女の握る。立ち上がりかけた少女を見上げると、目にいっぱいの涙を湛えながら激しく咳き込む。ありったけの血を吐き出すと、やっとの事で口を開いた。

「姉ちゃん。お願い。助けて。こんなに辛いの、もう嫌だ」

　少女はナイフを取り上げる。そして高々と振り上げると、叫び声をあげながら、輝く突き立てる。少女は力任せにナイフを抜くと、刃を何度も突き立てた。

「もういい。もう、充分だ」

　ミツキが少女の腕を止める。刃はさながら血管のように、幾本もの赤い流れが枝分かれし合流し、少女の手から伝って落ちる。肩で息をする少女へと、ソードは小さく口を開いた。

「悪かった」

「元々、有って無かった希望です。希望を見せてくれた。それだけでも感謝しています」

　言いながら何度も何度もしゃくりあげ、その度涙がこぼれ出す。震える小さなその背中を、もう一人のミツキが優しく擦る。

　少女は強く歯を食いしばると、捻りだすように、苦労しながら言った。

「でも、やっぱり。生きていて欲しかった」

　ソードは何も言わなかった。掛けるべき言葉が無かったのだ。

　ナイフを拾い鞘に戻す。開いたままの少年の目を閉じさせると、赤く染まったシーツで頭の先まで覆い隠した。