第63話

「弟が病気なんです。お医者さんにも診せたけど、もう長くはないだろうって。不滅の勇者が来たって聞いて、その人なら、もしかしたら弟を」

 少女の言葉はそこで終わった。剣のミツキが顔を上げると、一瞬だけマスターと目が合った。

「なるほどな。弟さんを助けてやりたいってことか。大事な人を助けてやりたい、その気持ちは痛いくらいによく分かる。だが医者が無理だと言ったのなら、勇者達がどうこうできる話じゃないはずだ。それでも良ければ紹介してやるよ」

 マスターは俯く少女を見下ろす。

「お願いします」

「だってよ。聞いたなミツキ」

 手にしたカップを置く音が静か過ぎる店に響く。ミツキは鼻から小さくため息をつき、初めて少女に目を向けた。

「依頼は受けてあげる。その代わり、何があっても私の言うことは必ず聞く事。約束できる?」

 どう見ても貧民層の育ちであった。色褪せ古くなった外套に、何度も洗濯したとみられる衣服を着ている。竜人のマスターよりも人間的だが長い尾を見るに、人間ではなく猫の獣人だった。

 呼吸の音さえ聞こえるほどに静かな時間が過ぎていく。やや間を置いて、やがて少女は小さく口を開いた。

「はい」

 彼女は猫らしい、目尻が少しだけ吊り上がった大きく澄んだ瞳を向ける。赤と黄金が一つの瞳に宿る、猫でさえも珍しいダイクロイックアイの持ち主だ。その目の端でランタンの火が輝いた。

「ミツキ、正式に依頼を受注する。勇者証をだせ」

「ないよ」

「は?」

 容易く言ってのけたミツキの言葉にマスターは固まる。

「無くした」

「お前、勇者証だぞ」

「無い物は無い」

 マスターは目を瞬かせると深々とした、ため息をつく。そして奥から羊皮紙と、革の小袋を二つ取り出した。

「わかったよ。再発行する」

 小袋から長方形の石を取り出す。黒くて薄く光沢があり、見た目はカードのようだった。艶のある表面には何も書かれておらず、裏もまた表と全く変わりない。

 手で触れた位置から赤へと変わる。

 グラデーションの赤い円が広がっていく。カードを覆い尽くすより早く、中心が赤から橙へとさらに変わった。橙から黄緑青藍と順に変化して、最後に紫色が広がっていく。隅々にまで色が届くと、二人のミツキの手には淡く綺麗な紫色のカードが握られていた。

「お前たち名前はどうする。二人ともミツキじゃ困るよな。武器の他に違いが無いなら、ソードとメイスなんてどうだ?」

「それでいい」

 剣のミツキ改め、ソードは椅子から降りる。一人店の奥へと向かうソードに向かって、マスターが尋ねた。

「どちらへ?」

「シャワー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る