第四部 第五十二話 追いかけられる側

 フィールドに入った宗次郎と正武家は礼をして、それからジャンケンをした。


 最初の鬼は正武家。宗次郎は逃げる側となった。


「おや、いきなり鬼とは幸先がいいね」


「いい?」


 うんうんと満足げに頷く正武家は実に自然体だ。警戒している宗次郎自身がバカらしくなるほどに。


 かといって気を抜けばやられる。そんな確信があった。


「それはそうさ。なんせ追いかけるだけで、探す手間は省かれているからね。宗次郎だってものを探す徒労は知っているだろ?」


「まぁ……」


 学院に通うようになってから宗次郎の持ち物は急に増えた。各種教材にノート、筆記用具、その他もろもろ。それらをなくせば探す必要がある。


 次の授業で必要な教科書が見つからない。こなそうと思っていた宿題がどこかへ行ってしまった。そのストレスは言葉では言い表せない棘がある。


「君も追いかけられる側の心理を学習できるいい機会さ」


「……どうも」


 挑発するように答え、宗次郎は所定の位置につく。


 ━━━さて。


 宗次郎は務めて冷静に状況を確認する。フィールド上の障害物はない。下部には波動に反応する波動符が地雷のように敷き詰められていて、どこにあるのかはわからない。


 各組に何点入るかはタイムアップした際に宗次郎がどの位置にいたかで決まるので、ここは深く考えなくていい。


 単純な鬼ごっことして考えるなら、時間切れのときに鬼だった方が負けだ。


 ━━━体力と脚力、あとは波動術を使うタイミングだな。


 フィールドはお世辞にも広いとは言えない。走って逃げるのならなるべく中央で逃げ回る必要がある。角に行ってしまっては追い詰められてしまう。


 波動術も使うタイミングを誤ればこちらが不利になる。


 ━━━あとはフィールドの外に出ないように注意だな。


 宗次郎は軽くジャンプして力を抜き、逃げる用意をする。


 相対する正武家との距離は十メートル。


「では! 最後の競技、全速力での鬼ごっこスタート!」


 角掛会長の掛け声に合わせ、宗次郎は即座に回れ右をして駆け出す。波動術や活強が使えない以上、ある程度余裕を持ってのダッシュだった。


「ふふ」


 正武家も余裕を持って後ろから追いかけてきているようだ。


 そのまま二人はフィールドを縦横無尽に駆け回った。宗次郎は正武家の手をするりと抜け、走り、逃げ回る。


 ━━━あれ?


 違和感を感じたのは試合開始から三分ほど時間が経過した頃。


 ━━━何で俺、こんなに疲れているんだ?


 たった三分走り続けた。ただそれだけなのに、息が上がっている。


 いくら波動術で体力を強化していないとはいえあまりにも早い。


 ━━━な、なんでだ!?


 試合開始前では体調は万全。メンタルに多少の乱れはあるがコントロールできないほどではなかった。


 理由がわからない。宗次郎はなぜかと考え、意識を逸らしてしまう。


「うわっ!」


 そこへすかさず正武家の手が伸び、すんでのところで躱す。


「おおっと宗次郎選手危ない! ギリギリでした」


「うむ、一瞬集中が切れたな。何かあったのか?」


 今まで聞こえなかった角掛会長たちの声まで聞こえる。


「!」


 さらには、気をつけていたフィールドの角に追い詰められてしまった。


「どうした宗次郎、もうへばったか?」


「っ……まだまだ」


 そういって宗次郎は額の汗を拭う。


 ━━━くそ、なんで……。


 正武家は開始と同じ、余裕の表情のまま腰を低く落とし両手を広げ、宗次郎をさらに追い詰めていくる。


「ふふ。追いかけられるのは大変だろう? それは体力的にではない。精神の話さ」


 ジリジリとにじりよる正武家が緊迫感に似合わない優しい声で語りかける。


「戦いなら迎え撃てばいい。だがこの状況では逃げ続けるしかないんだ。常に自分を狙う相手の動き、目線、呼吸。それらに気を配るには━━━」


 右に左に。宗次郎が揺さぶりをかけるが正武家はすぐに対応してくる。


「君は真剣すぎるな」


「っ!」


 宗次郎は正武家の発言と同時、宗次郎は残り少ない後方へステップする。


 自滅するような行動に驚く正武家の隙を突くように、宗次郎は波動を活性化。活強により身体能力を強化し、前に進みつつ唯一の活路である上に飛ぶ。


 博打もいいところだ。波動に反応する地雷波動符が足元にあったら宗次郎はフィールドの外に出ていたか、足にダメージを追っていただろう。


 運よく、正武家の上を飛び越え、距離を取ることに成功した。


 だが。


 咄嗟に伸びてきた正武家の手を避けるため体を捻る。想定していたよりも高さと勢いがついてしまい、着地にも活強を使ってしまった。


「うお!」


 ジャンプした地点に地雷波動符はなくても、着地した地点にないとは限らない。


 着地した瞬間、足元から水が溢れ出し宗次郎は転倒する。


「くっ!」


 慌てて起き上がり、走り出そうとする。


 幸いジャンプの距離が長かったのでまだ距離はある。すぐに立ち上がれば捕まらない、と思っていたら。


「げ!」


 いつの間にか駆けつけてきた正武家にタッチされてしまった。


「ははは、これで君が鬼だね」


「くそっ!」


 宗次郎は毒づいて立ち上がる。


「ああーっと、ここで宗次郎が捕まってしまった! 宗次郎が鬼になります! 五秒間の停止ののち、競技再開です!」


「うむ、運が悪かったとは一概には言えない。正武家先生の追い詰め方も見事だったな」


 角掛会長のハイテンションな声と門之園会計の冷静な声が耳に響く。


 門之園会計のいう通り。最後は運の悪さで捕まってしまったが、あのままではどのみち捕まっていた。


 それだけ正武家は的確に宗次郎を追いかけていた。


 ━━━しかも最初は手を抜いてやがった。


 開始直後はある程度力を抜き、宗次郎の動きを丁寧に観察していたのだ。動きの癖を見切り、スピードを把握して、宗次郎が体勢を崩した瞬間に全力で襲いかかる。


 まさに猛獣が獲物を狙うようなやり方だ。宗次郎はいつの間にか追い詰められていたのだ。


「ふぅ」


 肩の力を抜いた宗次郎は両頬をぱんと叩く。


 次はこっちが捕まえる番だ。気持ちを切り替えなければ。


 ━━━まだ時間は十分以上ある。


 五秒間の停止時間のうちに呼吸を整え、宗次郎は前を見据える。


 ある程度距離をとった正武家は余裕そうな表情で腰を落としつつ、手をくいくいとあげて挑発してきた。


「っ!」


 込み上げてくる怒りをどうにか抑え、ゆっくりと宗次郎は距離を詰めていく。


 ━━━真剣すぎる、か。


 先程の正武家の言葉を思い出し、宗次郎は息を整える。


 敵の発言を間に受けるなんて本来ならしないが、今回の相手は教師だ。ずっと自分の面倒を見てくれていて、自分よりずっと経験を積んできた先輩だ。


 なら感情的になり我を忘れるのは愚策。そう判断した宗次郎は意識を新たに攻めに転じた。



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