第四部 第五十三話 勝敗の行方

 気持ちを新たに、鬼となった宗次郎は正武家を追いかけ始めた。反省を生かし、活強をなるべく使わないようにしながらフィールド上を走り回る。


 追いかけられる精神的負担からは解放され、制限時間に余裕があることも手伝って先程の疲労感はない。心なしか広くなった視界で正武家を追いかける。


 体格差と性別差、さらには年齢差も相まって宗次郎は正武家から距離を離されることはなく、常に至近距離で追いかけ続けた。時にはあと一歩のところまで追い詰めもした。


 これなら、いける。


 宗次郎はそう確信しさらに追いかけ続ける。


 だが。


「ちぃっ!」


 もう何度目になるか。届くと思って伸ばした右手が空を切った。


「ああっと! 宗次郎選手、またしても正武家先生を捉えられず!」


「躱すのが上手いのか。いや、あれは……」


 実況の声に耳を傾けつつ、宗次郎は正武家に離されないように足を動かす。


 捕まえられない。いや、捕まえたと確信して手を伸ばしてもこぼれ落ちるようにするりと躱されるのだ。


 ━━━落ち着け! まだ時間はある!


 宗次郎は正武家のスピードと体の癖は把握していた。


 波動には加護という属性に応じた特典のようなものがある。例えば氷の波動を持つ燈は冷気に対する絶対耐性がある。


 宗次郎が持つ時間と空間の波動の加護は、並外れた時間感覚と空間把握能力だ。この能力のおかげでフィールド全体の距離を把握できるし、正武家の動くタイミングも体で覚えることができる。


 それなのに、捕まえられない。


「はは、不思議そうな顔をしているね」


 焦りが顔に出ていたのか。若干汗をかきつつも正武家は余裕そうに宗次郎を見ている。


「動きも見切っている。手を伸ばすタイミングも完璧。なのにどうして、と顔に書いてあるようだ。そこも隠す訓練が必要だね」


「随分と余裕ですね。俺に捕まったらほぼ負けは確定ですよ」


 残り時間は三分を切っている。そろそろ捕まえないと後が無い。さらに言えば、ここで捕まえてさえ仕舞えばあとは少し逃げれば勝ち逃げできる。


 捕まえられないとはいえ、ギリギリのとこまで追い詰めているのだ。残り時間で捕まえられる自信は十分にあった。


「いや、残念ながらそれはないよ。このまま逃げ切って私の勝ちだ」


 宗次郎は目を少しだけ見開く。


 今までの付き合いで正武家が冗談を口にしたことはない。本気で、勝つつもりでいると直感した。


「初めてじゃないですか? 先生が冗談を言うのは」


「いやいや、冗談ではないよ。君はすでに私の術中にハマっている」


 正武家が驚きの行動に出る。


 子を出迎える母親のように両手を広げ、なんと近づいてきたのだ。


「っ!?」


 宗次郎は思わず後退りそうになる。


 ━━━何かの罠か? 


 正武家には敵意が微塵も感じられない。それが宗次郎の不安を煽る。


 ━━━いや、これは好機!


 自らを奮い立たせて宗次郎は一歩前に出て左手を伸ばした。


 だが、


「!?」


 宗次郎の視界がぐにゃりと歪む。結果、宗次郎が伸ばした手は空気を掴んだだけ。


 ━━━なんだ今の感覚は!?


 正面にいたはずの正武家がいつの間にか左前方にいる。先ほどと同じく敵意はなく、リラックスした状態のまま。


「どうした宗次郎。私はここだぞ?」


「くっ!」


 宗次郎はまた正武家に飛びかかった。


 捕まえられるなんて思っていない。ただ、自分の身に何が起きているのか確認するために。


 ━━━やっぱりか!


 今度は、正武家は宗次郎が想定していたよりもはるか先にいた。宗次郎はずっと手前で手を振ってしまう。


 以前にも似たような感覚を味わっていた宗次郎は自分の身に何が起きているのかはっきりと理解した。


「精神感応とはっ……」


 理解はできたと同時に、こうもあっさりと敵の罠にハマる自分の迂闊さを呪い、さらに正武家の巧妙なやり方に感心する。


「さすがだね。もうわかったのか」


 正武家はふぅとため息をついた。


「そういえば言っていなかったね。私の波動はね、相手に幻を見せるのさ」


「!?」


 自分の周りをクルクルと歩き出す正武家に宗次郎は驚愕する。


 波動は精神が源と言われている。身体能力を強化する活強、外部に物理的に放出する属性があまりにも有名だが、源に直結する精神にも波動は影響を及ぼす。


 便宜上精神感応と呼ばれるそれは、強力な波動師であれば波動を使えない一般人を精神的に操ることも可能だ。


「このまま終わってしまうのか、宗次郎!」


「……」


 実況の声を尻目に、宗次郎はうめく。


「いつ、のまに」


「追いかけっこをしている間中ずっとさ。少しずつ波動を放出し、君の波動と馴染ませた。このフィールドでは足元の波動にさえ気をつけていれば地雷は反応しないからね」


 ふふ、と笑う正武家に宗次郎は戦慄を覚える。


 ━━━なんて繊細な波動のコントロール……。


 追いかけることに夢中になっていたとはいえ、宗次郎に気付かれないレベルにまで抑えた波動を操るのは並大抵のことではない。それも、宗次郎を追いかけ、また追いかけられながら行うとばればより難易度は上がる。


「地雷があって本当に助かったよ。通常なら少量の波動を馴染ませるのは難しい。強力な波動師なら体外を覆う波動で弾いてしまうからね。でも君は活強をほとんど使わなかった。おかげで上手く行った」


「……」


「覚えておくといい宗次郎。捕獲のコツはな、自身の強みを活かし、かつ相手に悟られぬよう立ち回ることだ」


 宗次郎は目を閉じ、力無く片膝をつきそうになる。


 そこへ、


「兄さん!」


 不意に舞友の声が聞こえ、宗次郎は思わず顔を向けた。


「美しい兄妹愛だ。さて、どうする? 視界を奪われた状態で」


 最後に放った正武家の一言が宗次郎を復活させる。


 そう。舞友の声ははっきりと聞こえた。実況の声もだ。正武家の宗次郎の視覚を奪ったが、それは視界しか奪えなかったのだ。波動は少量しか出せていないのだから。


 視覚以外の五感はちゃんと動く。そして、意識も、思考も。


 ━━━時間は、一分を切ったか。


 波動の加護による時間感覚が試合の残り時間を教えてくれる。


 残り時間は少ないが、できることはある。


 ━━━よし。


 宗次郎は立ち上がり、息を大きく吸う。


「宗次郎選手、残り三十秒で幻術を解くつもりだ!!」


「━━━本当にやるのかい?」


 正武家は訝しげに言う。


 精神感応は強力な波動術だ。波動を相手の体内に送り込み、相手の神経に流れる波動を操る。幻術であれば視神経を操る高騰技術だ。


 一見すると術にはまったが最後なすすべはないように思えるが、幻術を解く方法はある。


 波動を意図的に暴走させ、主導権を奪い返すのだ。


 だが、コントロールが苦手な宗次郎が波動を暴走させれば体外に波動が漏れ出す。そうすれば、地面に埋まった波動符が間違いなく反応する。


 正武家が訝しげにした理由はそれだ。


 一方、


「ははっ」


 宗次郎の口から笑いが漏れた。


 このまま正武家の精神感応を解くだけでは勝てない。僅かな残り時間で捕まえられる確率は低い。逆転するための策が必要だ。


 その策を、宗次郎は思いついたのだ。


 我ながらどうかしてるとしか思えない、間抜けな策だ。玄静が聞いたら鼻で笑うだろう。


 それでも、楽しいと思える策だった。


 そう、このまま追いつけないのなら。


 フィールドごとめちゃくちゃにしてしまえばいい。


「ふっ!」


 まず自身にかけられた幻術を解くため、波動を抑える。


 このまま活性化させ、暴走させる。


 そして、


「まさか━━━」


 宗次郎の考えがわかったのか、正武家が慌てて後ずさる。


 しかしもう遅い。


「はあああああああ!」


 蛇口を思い切りひねるように。


 あるいは、爆弾が爆発するように。


 宗次郎は体内で暴走させた波動を体外に放出させる。時間と波動を操る黄金色の波動が、フィールドどころか訓練場全体を覆う。


 観客であれば客席からその美しい黄金色に目を輝かせていられるが、宗次郎たちはそうもいかない。


 宗次郎の狙い通り、波動に反応して地雷波動符が発動する。


 それも、設置された全ての波動符が、だ。


 花火のように炎が吹き上がったかと思えば、溢れ出た水がかき消し。


 荒れ狂う風を切り裂く稲妻を土の塊が堰き止める。


 ただでさえ混沌とした状況の中なのに、宗次郎の波動は黄金色に輝き目をつぶしにくるのだ。


「くぅ!」


 正武家の呻き声が聞こえる。


 ━━━そこか。


 波動は限界まで放出したので底をつきかけている。体力もそろそろ危ない。


 ここで決める。宗次郎は最後の大勝負に出た。


 地雷が起こした波動術のせいで地形が変わっている。追いづらいことこの上ないが、幻術よりは遥かにマシだ。


 いける。そう思った直後。


「しまっ!」


 前を走っていた正武家が転倒した。隆起した土の塊につまづいたようだ。


 ━━━勝った!


 手を伸ばせば届く。正武家が立ち上がるよりも早くタッチできる。


 奇しくも、宗次郎が最初に捕まったときと同じ状況になる。宗次郎は右手を伸ばし、まさにその指先が正武家に触れようとした瞬間。


 ピーッと甲高いブザーの音が鳴り響いた。


「試合終了ーっ! 鬼ごっこの勝者は正武家尚美先生! 宗次郎は最後まで追い詰めたが最後の手は届かず!」


「うわぁここで終わりかぁ!」


 いつも冷静で落ち着いている門之園兄すら悲鳴をあげている。


 観客からも悲鳴とも歓声ともつかぬ声が上がっている。


「はぁ」


 宗次郎の口から出たのは、悔しさが滲んだため息だった。


 負けた。


 あと一歩が届けば。試合時間があと一秒長ければ。


 ━━━いや、無意味な問いかけだ。


 どうあれ、宗次郎は負けたのだ。


「危なかった。本当に危なかったよ。やはり強いな、君は」


「いえ、最後以外はずっと先生の手の上で踊らされていました。勉強になりました」


 宗次郎は捕まえるための手を、正武家が立ち上がれるように手のひらを上に向ける。


「ありがとう」


 正武家の手を引く宗次郎。その体重の軽さに、目の前にいる人はやはり女性なのだと意識する。


「そう暗い顔をするな。これから卒業するまで、勉強と一緒に波動犯罪捜査部に所属する上で大切なことを色々と教えてあげるから」


「……ありがとうございます」


  頭を下げる次いでに唇を噛み、上げたところでいつもの顔に戻して正武家と固く握手する。

それから拍手する観客に応えて手を振った。


 勝負に勝った正武家を賞賛する声もあれば敗北した宗次郎をねぎらう声もある。


「さ、これで全競技が終了した! 最後に宗次郎がいた位置のフィールドの色を確認して、点数の配分を行おう」


「あ」


 そういえばそうだった、と宗次郎は冷めた心で思い出す。


 子供じみた遊び故か、思った以上に熱中していたようだ。点数配分のやり方などすっかり忘れていた。


「では、退場しようか」


「はい」


 正武家に促されて宗次郎はフィールドを降りる。


 ━━━明日は疲労と筋肉痛がひどいだろうな。


 自虐的な笑みを浮かべると、迎えてくれた舞友と目が合った。


「……兄さん」


「舞友」


 泣きそうな、驚いたような、何と声をかけていいのかわからないといったような顔をする舞友に宗次郎は苦笑する。


「悪い。負けた」


「……謝る必要はありません。兄さんが全力を尽くしたのはわかっていますから」


 ふいと顔を背け、舞友はすたすたと歩き去る。


 宗次郎はどう声をかけていいか分からず、とりあえず舞友の後を追った。

 




 ここで最後の結果を手短にまとめておく。


 鬼ごっこの最後に宗次郎がいた場所は、事前の指定では黄組のエリアだった。


 よって黄組に百点が加算され、


 赤組:二九五七点


 青組:三〇二四点


 黄組:三〇八九点


 緑組:三〇〇一点



 総合優勝は黄組となり、ビリは赤組となった。

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