第一部 第十七話 人探し、自分探し6

 波動師の才能を持つ者なら誰もが入学する三塔学院に入学していない。


 逸らしていた目を戻すと燈は静かにこちらを見ていた。


「入学する前、父から実験に協力するように言われてさ。首都にある研究所に行ったんだ」


 寮に入るための荷作りをしていたとき、父から急に呼び出された。  


 父は宗次郎の波動があまりにも特殊なので、波動の研究をしている知り合いに相談をしていた。


 その知り合いが所属する波動研究所から、宗次郎の波動を分析したいと打診があったらしい。


 実験材料になるのは気が引けたが、宗次郎も自身の力を解明できるいい機会だと思って参加したのだ。


「実験は失敗した。多分、波動が暴走したんだ」


「何があったの?」


「時空間の渦に飲み込まれたんだと思う」


 そのときのことはよく覚えていない。真っ黒い宇宙の中に一人でいるような孤独と息苦しさだけは鮮明に思い出せた。


「何をしていたのか、記憶はないのね」


「ああ。属性からして、違う時代に飛んだか、全く別の異世界に移動したか、それとも外国に移動したか」


 皇王国がある大陸は海に囲まれている。そのはるか向こうには別の大陸があり、別の国がある。


 漂流がきっかけで、今より三百年ほど前から交流を続けていて、大陸西部には専用

の港が配備されている。


「結果として行方不明になって、今から一年前、俺は山の中で倒れていたところを門さんに保護された」


 門によると、かなり衰弱していたそうだ。いつ死んでもおかしくなかったらしい。宗次郎にとって門はまさしく命の恩人なのだ。


「そういうわけで、俺はかれこれ十二歳から二十歳の間行方不明になっていたわけだ」


「……」


「俺自身、記憶がないから実感はないけど、納得せざるを得ないんだ。八年間の間に両親は死んでるし、妹は穂積家の当主になってるし」


 宗次郎は自嘲気味に笑った。


 特に変化を感じたのは、妹の成長ぶりだった。昔は自分の後ろに引っ付いて歩き、何かにつけて泣き出すような大人しい女の子だった。記憶を失ってから初めて会った彼女は、穂積家の当主として、貴族として立派な振る舞いをしていた。


「それと、波動も失った。時間を止めたり、空間ごと移動したりするのは、もう出来ないんだ」


 波動の源は諸説あるが、特に精神が重要とされている。それゆえ精神に異常をきたした波動師はその波動を失い、回復と同時に波動を取り戻す事例が報告されている。


 王族並みと言われていた波動の総量も、今や一般人のレベルにまで低下している有様だ。


「不幸中の幸いで、俺には加護だけは残った」


「波動の加護のこと?」


 波動師の中には目覚めた属性に応じて特別な体質を持つものがいる。例えば水の波動師が意識して水の上に立ったり、炎の波動師がいかなる炎でも火傷を負わなかったりする。


 そう言った特別な体質を、加護と呼ぶ。


「そ。俺は時間と空間を正確に測ることができる。君の剣をギリギリでかわせたのは加護のおかげだ」


 宗次郎の場合は意識を集中すると、時間感覚と空間認識力が飛躍的に高まる。


 道場での決闘で、宗次郎はこの体質を使って燈の剣速と間合いを完璧に見切ったのだ。


「こういう事情があるから、燈が俺を空っぽだと言ったのは間違いじゃないんだ」


「そう……」


 話し終わると、二人揃って沈黙した。岸辺で凧揚げをしながら遊んでいる子供達の声が響き渡る。


 ━━━反応なし、か。


 昔の話をしたものの、燈は宗次郎を知っているそぶりを見せなかった。


 もし夢で見た銀髪の少女が目の前にいる第二王女であるのなら、何らかの反応があ

ってもいいのに。


 ━━━馬鹿か俺は。


 宗次郎は自分の頭を小突いた。


 燈が昔の宗次郎を知っていたからなんだというのか。


 今と昔は違う。こんな変わり果てた自分の姿を見せつけても困るだけだ。


「あ、あの子!」


 土手の上から聞こえる声に宗次郎は体を震わせる。


 自分のことを話している、と直感した。


「知ってるわ。呪われた子、でしょう」


「そうそう。こんなところで何をしているのかしら」


「早くこの市を出て行って欲しいんだけどねー」


 振り向かなくても察しはつく。買い物袋の擦れる音と中年女性の会話。買い物帰り

の何気ないひと時に、宗次郎の噂で盛り上がっているのだ。


 門に保護されてから一年と少し。失った記憶を少しづつ回復させ、常識を学習して

どうにか人並み程度の生活を送れるようにはなった。


 いいことではある。ただ、宗次郎は自分が周りからどう見られているのかもわかるようになってしまった。


 貴族の長男でありながら、波動を暴走させて行方不明になった青年。八年ぶりに、それも廃人になって戻ってきた呪われた子。


 市の住民の何割かは、まことしやかにこの噂をしているのだ。


 宗次郎は疲れて土手に寝そべった。草のチクチクとした感触が後頭部に伝わる。少

し痛い。


「俺は記憶を取り戻したい。特に、行方不明になった間の記憶が欲しい」


 どういうわけか、いくら治療をしてもその期間の記憶だけは取り戻せた試しがない。


 もしかしたら何もやっていない可能性はある。時間と空間の渦を無意識のまま彷徨い、幸運にも八年後に戻ってこれただけかもしれない。


 けれど、もし。


 未来でも過去でもいい。別の世界でもいい。どこかで生きていたら。


 どこにいて、何を為したのか。何を考え、どのように行動したのか。


 知りたい。


「それだけ?」


「え?」


「あなたは、どうしたいの?」


 宗次郎は口ごもる。


 起き上がると再び燈と目があった。純粋に疑問に思っているのだろう。宗次郎は頭

を掻いた。


「あなたが本当に求めるものは、記憶の先にあるような気がするわ」


「うーん……」


 記憶の治療も、常識の習得も。ただ漠然とやっていた。他にやることもなく、そうしなければ生きていけないから。どうしたいかなんて考える余裕もなく必死だった。


 ━━━記憶の先。どうしたい、か。


 燈に指摘されるまで考えが至らなかった。


 やりたいこと。目標。夢。


 自分の人生で思い描いた将来像があるとすれば、それは。


「……はは」


 乾いた笑いが漏れる。


 気がつけば実に単純な話だ。自分の夢は、燈に何よりも先に語っていた。



 英雄になりたい。




 母親に読んでもらった絵本に出てくるような、英雄になりたい。


 その思いが根幹にあるからこそ、宗次郎は波動の覚醒を喜び、師匠との修行を心か

ら楽しめたのだ。


 記憶を取り戻せば波動も戻る可能性が高い。時間と空間を操る強力な属性が。今まで鍛えてきた力が。


 そうすれば、きっと。


「俺、まだ夢を諦めきれないんだ」


 何もかも失っても、宗次郎はまだ、子供の頃に描いていた夢を捨てきれないのだ。


 宗次郎はやっと、喉から手が出るほど欲しいものがわかった気がした。追い求めてい

た答えに手が届きそうな感触を胸に、宗次郎は立ち上がる。


 心と一緒に体まで軽くなった。自分という存在を客観的に見つめ、他人に打ち明けるのは怖かった。


 その分、得られるものも格段に大きかった。


「ありがとう。話を聞いてくれたおかげで、だいぶスッキリした」


「そうね。顔つきはさっきより良くなってるわ」


 宗次郎は立ち上がって燈の目の前に立ち、頭を下げた。


「それじゃあ、戻りましょうか」


「ああ」


 宗次郎は土手を上りながら、自分の夢を頭の中で反芻した。

 

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