第三部 第三十八話 探し求めて その1

 およそ二時間ほど前━━━。




「痛ぅ」




 燈の波動により右手を負傷した宗次郎は、不意に自身の痛みを自覚した。




 ━━━しまった。ボケっとしていた。




 頭にかかったモヤを振り払うように頭を振る。




 燈によって傷つけられた。確かに衝撃的だ。




 もっと驚いたのは、初めて見た、燈の悲しそうな表情の方だ。




 以前、シオンに天斬剣を強奪され、お目付役だった南練馬に裏切られた際。絶体絶命のピンチに陥っても、燈はあんな顔をしなかった。




 それも、自分のせいで。




 ━━━っ!




 宗次郎は自分の迂闊さを呪う。




 あんな顔をされれば、いかに鈍い宗次郎でも何が原因かははっきりする。




 あの夜、吐くほど衝撃を受けて。様子を見に来てくれた玄静は最後にこう言った。




「誰に忠義を尽くすのか、さ」




 その言葉の意味するところは。




 燈に忠義を尽くすのか。




 それとも、大地に忠義を尽くすのか。




 今までは割り切れているつもりでいた。千年前と今。それぞれに自分の信じる、信じられる人間に出会えたのは幸運だと思っていた。




 だが、柳哉に大地の面影を重ねて。もしかしたらという思いが生まれて。




 宗次郎は今、揺れているのだ。




 燈からすれば、そんな宗次郎を剣にしたいとは思えないだろう。




 忠臣は二君に仕えずという。言葉通り、忠義溢れる臣下はいったん主君を定めて仕えた以上、他に仕えることをしないという意味だ。




 その言葉に照らし合わせるなら、今の宗次郎は半端ものだ。




 燈との約束も、大地との約束も。同じくらい大切な宗次郎は。




 ━━━って、今はあとだ。




 右手の痛みの意識を集中させる。




 とっさに離したおかげで氷漬けにはなっていない。軽症だ。




 宗次郎は活強を使って体に熱を持たせる。




「よし」




 右手に痛み以外の感覚が戻ってきたところで、宗次郎は立ち上がる。




 ともかく燈を探しに行かなければならない。宗次郎は燈の部屋を出て周囲を探した。




 時間が空いたせいで、燈がどこにいるのか全く検討がつかない。宗次郎は波動を感知する能力はお世辞にも高いとは言えず、歩き回る羽目になる。




「……迷った」




 宗次郎が王城に来たのは今回が初めて。行った場所も割り当てられた客間と、謁見の間、神将会議が行われた会議室くらいだ。




 うろうろとあてもなく彷徨ったせいで、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまった。




 ━━━しかも誰ともすれ違わなかったな……。




 使用人か近衛兵に会って燈について聞こうと思っていた宗次郎の目論見は見事外れた。




 ━━━もしかして、立ち入り禁止の場所に入っちまったか?




 王城に来るにあたり、燈から色々と教えられた。そのうちの一つに、限られた人間しか立ち入れない場所や部屋がある、というものがあった。




 立ち入り禁止の場所にいるとしたら、波動庁で無許可で暴れたように、燈から折檻を喰らう可能性が高い。




 ━━━やばいかな。




 このまま進むか。引き返すか。そう逡巡したとき、




「おや、人がいる」




 突然背後から声をかけられ、宗次郎は勢いよく振り向いた。




 いつの間にか背後にいたことより、その幼い声に驚かされた。




 振り向いた先にいたのは、幼い声の通り小さな体躯をした少女だった。




 年齢は十三か十四くらいだろうか。髪は黒く、なおかつ短い。メガネの奥にある瞳は瞼がだらしなく垂れ下がっており、いかにも眠たげだ。体格に似合わぬ白衣はダボダボで、裾が床の埃を巻き取って汚れている。




 ━━━誰だ?




 王城の雰囲気とはあまりにもミスマッチな少女に、宗次郎は首を傾げる。




 使用人だとしたらあまりにも若い。近衛兵のように戦うとも思えない。宗次郎が記憶する限り、要人の資料にこの顔は載っていなかった。




 対する少女も宗次郎を見つめている。じーっという効果音が聞こえてきそうだ。




「怪我」




「え?」




「怪我、してる。見せて」




 ほれ、と両手を差し出す少女。袖が長すぎて両腕が隠れており、さながら幽霊のようだ。




 少女が袖を捲る間、宗次郎は言われるがまま右手を差し出す。




「凍傷だ。珍しいね」




「……まぁな」




 ほー、へー、と言いながら興味津々な様子を見せる少女に、宗次郎は顔を逸らす。




 冬の山でもない限り凍傷にはならない。燈の属性が特殊だから、そう滅多に見られるものじゃないだろう。




「はい、これでよし」




「え!?」




 少女が宗次郎の右手を握った瞬間、あっという間に痛みが消えた。




 あまりの早技に宗次郎は素っ頓狂な声をあげる。




「軽症だったから。あと、念のために包帯」




「あ、どーも」




 袖から取り出された包帯と固定するためのテープを受け取る宗次郎。




 ━━━城に勤務しているお医者さんか何かか?




 波動術による治療は、相手の波動に同調し、自身の活強を送り込むというメカニズムで行われる。いくら軽度の凍傷とはいえ、あんな一瞬でできるとは相当な腕前だ。




 明らかに自分より年下の少女が持つ技術に感心していると、いまだに視線がこちらに向いていることに気がつく。


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