第三部 第三十七話 王とは その4

 柳哉の宣戦布告には、他の出席者も驚いたようだ。




「柳哉兄、それは」




「歩も落ち着け。燈が考えを改めなかったらの話だよ」




 にこやかな声で柳哉は答えるが、その内容は全く笑えない。




 考えを改めろというが、燈が考えを改めるなんて微塵も思っていないだろう。いくら腹違いとはいえ兄弟だ。過ごしてきた時間はそれなりに長い。燈が柳哉について知っているように、柳哉だって燈について知っている。




 ━━━お兄様の思い通りにはならないわ。




 王位継承権を放棄すれば次の国王にはなれない。燈の”初代国王を超える王になる”と言う夢が叶えられなくなる。




「私が国民を不幸にするとは、どう言う意味かしら」




「戦う力が戦う力を呼ぶ。憎しみは憎しみを呼ぶ。瑠香の発言は真理だ。燈が国王になれば王国の兵力は増強されるだろう。天主極楽教は滅び、貴族の数は減るだろう。そうすれば国民が幸福になると、本当に考えているのか?」




 柳哉は燈にだけでなく、兄弟たち全員に語るようにあたりを見回した。




「僕はならないと思う。貴族の数が減っても八咫烏の数が増える。それは、国民を搾取する対象が貴族から八咫烏に変わるだけだ。同じことの繰り返しでしかない」




「……」




「燈の言う通り、貴族の不祥事は年々増えている。無視はできない。だが同時に、八咫烏の不祥事が増えていることは知っているか? その点についてどう考える?」




 痛いところを突かれ、燈は黙り込む。




 柳哉の発言の通り、恥ずかしい話ではあるが八咫烏の不祥事も年々増加傾向になる。市民への暴行、窃盗、不当な逮捕、中には殺人を犯す者もいる。




「不祥事の発生件数は増えていますが、発生率は増えていません」




「その通りだ。なら貴族と同じく、八咫烏の数を減らせばその不祥事も減ると言うことだろう?」




「っ!」




 同じ理屈を返され、燈は息を呑む。




「誰だって権力を持てば増長する。だからこそ八咫烏のように取り締まる役目が必要だ。だが、取り締まる側が権力を持つと、誰も止められなくなる。その先は軍閥による簒奪だ。それを止めるとなると、より多くの武力が必要なる。結果、争いの規模は大きくなり、死傷者も増える」




「……それはわかっています。だからこそ━━━」




「八咫烏に権力を与えないようにするか? 無理だろうな。彼らは貴族を粛清した報酬を必ず要求する。空いた権力の座をな」




「……」




「燈は頭がいいから、僕の言うことは理解できるだろう」




 悪戯をした子供に語りかけるような優しい声音に、思わず頷きかけてしまう燈。




 柳哉の理論は正しいと思えてしまう。それはいい。




 よくはないが、それよりも問題なのは、柳哉の理論を思いつかなかった自分だ。




 ━━━私は。




 自分が茶飲みをしっかりと握りしめていると気づく。




 怒りに任せて表面が凍りついていたが、体温でいつの間にか溶けていたらしい。




 ふと、その水面に映る自分の顔を見る。




 ひどい顔だ。引き攣っていて、目も血走っていて。どことなくやつれているようにも見える。




 ━━━これが、私の望みなの?




 天主極楽教を倒し、貴族の数を減らし。その先について、燈は考えていなかったわけではない。




 自分が国王として君臨し、王国に忠誠を誓う貴族とともに国を動かす未来。




 でも、もし。柳哉のいう未来が訪れたとしたら。




 自分は大勢の国民を不幸にした国王になってしまう。




 ━━━私、は……。




 初代国王を超える王になる。その夢は自分の根幹にある。




 では、その夢をどうやって叶える?




 自分に自信がなくなり、さらに燈は俯きがちになる。




「……ちょうどいい。僕が国王になったらどうこの国を治めるのかについて、ここで話そう」




 腕を組んで少しの間考え込んでいた柳哉は、意を決したように立ち上がった。




「簡単に概要を説明すると、国王としての責務を果たす、と言うことになるかな。瑠香の言葉を借りるようで申し訳ないけれど」




「あら? 柳哉兄様も貴族の上に立つ自覚はあるみたいね」




 瑠香の言葉には複雑さが感じられた。




 自分と同じ意見であってくれたことの嬉しさ。同時に、自分より実力がある柳哉が同じ立場なので勝ち目があるのかどうか、と言う不安。




 そんな相反する二つの感情は見事に裏切られた。




「いや、違う。違うよ、瑠香」




 柳哉は首を振り、改めて周りを見渡す。








「僕の考える国王の責務とは、国民の願いを叶えることだ」








 兄弟たちの間に、衝撃が走った。




「国とは、王だけでも、貴族だけでも成り立たない。そこに暮らす国民があって初めて成り立つ。そんな当たり前の事実を、僕たちは忘れてしまったような気がするんだ」




 歩はむぅと呻き、綾は目を輝かせ。瑠香は自分と正反対の意見に唇を噛んでいた。




「なんて偉そうに言ってるけど、僕も王城を出て、国民の生活に触れて気がついたんだけどね」




 あはは、と恥ずかしそうにはにかむ柳哉はすぐに顔を引き締めた。




「とにかく! 国民の願い、要望を叶えることが国王の仕事だ。歩のいう法律も、綾のいう財政も、燈のいう軍事的な側面も全てだ。そして━━━」




 柳哉はここで大きく息を吸った。




「貴族の願いも、叶えなければならないと思っている」




 瑠香をいつくしむように見つめながら柳哉はいった。




 それは、間接的に貴族の権力を抑えようとする歩や綾にとっては意外な提案であり。




 貴族を直接排除するつもりだった燈にとっては驚天動地な考え方だった。




「正気ですか、お兄様!?」




「もちろん、僕は正気だよ。だって、貴族も国民の一部だろう?」




「っ!」




 燈は思わず息を呑んだ。




 柳哉は国を蝕み、あまつさえ叛逆の意思すら隠し持つ貴族すら、国民として見ているのか。




「僕はこの国に暮らすすべての人を大切にしたい。幸せでいてほしいと思っている。そのためには僕はなんだってするつもりだ」




「……なら、具体的な考えをお持ちですか?」




 なけなしの抵抗心を振り絞り、燈は口を開く。




 今柳哉が語ったのは理想論だ。あくまで。




 燈のように具体的な実行案がないのなら机上の空論でしかない。




「そうだね。極端な例をあげるなら━━━」




 柳哉は腕を組み、今までで一番長く考え込んだ。








「王国制を廃止するのも悪くないと思っているよ」








 今度こそ、空気に衝撃が走ったような気がした。




 いや、気がしたではなく本当に走った。




 さすがの案に兄弟全員が目を見開く。




「柳哉兄。いくらなんでも、それは」




「わかっている。わかっているよ歩。例えばで、なおかつ極端な話さ」




 小さく乾いた笑いをする柳哉だが、内容は全くもって笑えない。




 ━━━本気なのね。




 笑っているが、柳哉の目は全く笑っていない。灰色の兜の奥底では、やる気の炎が渦巻いている。




 ━━━そうはさせるか。




 柳哉は、この王国を。




 初代国王から脈々と千年かけて培ってきた王国を。




 なくすことすら視野に入れているのだ。




 そんな暴挙、許されるはずがない。




「呆れるわ。国民が王国の排斥を望むと、本気で思っているの? 柳哉兄様」




「さぁ、ありえない話ではないと思うよ。現に燈は王国の廃止を企むような人たちと戦っているじゃないか」




 発言の意味が理解できず、一瞬考え込む。




 やがてその解答を思いつき、まさかと疑い、その発想に煮湯を飲まされたような気分を味わう。




「……天主極楽教のことを言っているのですか」




「そうだよ」




 あっさりと肯定する柳哉に、燈はついに恐怖を覚えた。




「正気ですか!?」




「もちろん。燈は彼らと愛争っているから、わからないかも知れないが━━━」




 柳哉は燈だけでなく、他の兄弟にも語る。




「天主極楽教は皆も知っているだろう。皇王国最大のテロ組織だ。では、その根底にある想いはなんだと思う?」




 誰も答えない。長い沈黙が流れる。




「柳哉兄様。もったいぶらずに答えを教えてください!」




 綾が目を輝かせながら机に身を乗り出す。




 普段ならその行儀の悪さを叱るであろう瑠香も、柳哉の話に呑まれている。




「答えは、皇王国に対する不満だ。王国の政治に不満があるから、彼らは蟠桃餅と呼ばれる麻薬をばら撒き、国民を苦しめるている。確かにその行いは悪だ。裁く必要がある。だが、彼らの意見を無視していい理由にはならない」




 柳哉の発言の意図がまるで読めない。理解したくもない。




 自分の母を殺し、妹の視力を奪った天主極楽教に情けをかけるどころか、その意見に耳を傾けろという。




 何を言っているのだ、この男は。




「理解できない、という顔だね。燈」




 唐突に話題を振られて、パッと顔を上げる。




 兜の奥にある瞳は自分を捉えていた。




「これも先程の貴族と同じ理屈だよ」




 聞きたくないと思った。耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。




 これ以上、この場にいたくない。








「彼らだって国民なんだ。なら、彼らの意思もまた、鑑みるべきだろう」








 燈の願いも虚しく、目を逸らしていた事実を突きつけられる。




「天主極楽教の勢力はそのまま王国への不満ととるべきだ。なら、もし天主極楽教に賛同する国民が多くなれば、僕たちはその責任を取らなければならない。違うかい?」




 その語りはまさに演説。




 国王が国民に語り聞かせる言葉となんら遜色ない、耳を癒す暖かさを持っていた。




「もちろん、そうしないための努力を僕たちはするべきだと思うんだ。僕はこの国を愛しているからね。そのためには、天主極楽教を無視したり強引に排除するより、その根底にある不満を取り除いた方がいいと思わないか?」




 燈は座布団に力無く座り込んだ。




 姿勢を正すことができない。もし立っていたら力無くその場に座り込んでいただろう。




 ━━━負けた。




 抗いようのない敗北感が燈の全身を支配した。




 勝てない。自分より遥かに大きいスケールでものを見ている。自分よりも国王として優秀な能力を持っている。




 ━━━あ。




 ここにきて、燈は気がついた。




 宗次郎が柳哉と初代国王が似ていると言っただけで、なぜ自分があんなにイライラしていたのか。




 最初は嫉妬心だと思っていた。自分の剣になると約束してくれた男が、前の主をいつまでも気にしているのが嫌なのだと。




 それを仕方がないと理性でわかっていたのに、余計にイライラする自分がますます嫌になった。




 でも違った。そうじゃなかった。




 燈は柳哉に勝負事を挑み、一度として勝てた試しがない。じゃんけんのような小さな勝負も、討論でも、将棋でも。波動術や剣術だって幼い頃は勝てなかった。




 もし、もしも。




 自分以外の誰かが国王になるとしたら、それは柳哉以外にはありえないだろうと。




 自分を打ち負かすのは柳哉以外にはいないと。




 心のどこかで、そう認めてしまうほどに。




 それでも負けまいと頑張った。波動術を鍛え、剣術を学び、人身掌握術を実践し、八咫烏として必死に働いた。天主極楽教の拠点を壊滅させ、教主を捉え、最年少で十二神将に選ばれるまで頑張った。




 その全ては、妹との約束を叶えるために。




 初代国王を超える王になるという、自分の夢のために。




 なのに。




 絶対に勝てないと心のどこかで思っている柳哉が、初代国王と瓜二つなのだとしたら。




 自分の夢はどう足掻いても叶えられない。




 そう自覚してしまうのが嫌だから、あんなにイラついていたのだ。




 ━━━あ、やだ……。




 悲観と絶望に、思わず涙が溢れそうになる。




 話の途中なのに。まだ兄弟たちが目の前にいるのに。




 泣いているところなど、見られてしまった。




 ━━━や、だ。




 止められない。顔を伏せようとした瞬間。




 バタン、と。




 大きな音を立てて、襖が開かれた。




「え?」




 思わず声をあげる。




 そこにいたのは、息を荒くし、右手に包帯を巻いた━━━穂積宗次郎だった。






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