第三部 第三十六話 王とは その3
「私が八咫烏を続けているのは、私が味わった悲劇を二度と起こさせないためよ」
キッパリと燈は告げた。
「私の母は天主極楽教のテロにより殺された。妹は心に深い傷を負い、視力すら失ってしまった。みんなも知っているでしょう」
「もちろんです。でも、それはただの━━━復讐では?」
綾が言葉を選びながら反論してくる。
「……復讐する気がないとは言わないわ。私は聖人ではないもの」
母が殺されてすぐは、綾の言う通り復讐にかられていた。
天主極楽教だけではない。この王国自体にも嫌気がさしていた。こうして顔を合わせる兄弟たちも憎くてしょうがないほどに。
「でも、私は王族よ。国民のために動く使命があるの。国民にも被害が出ているのなら、無視するなんてできないわ」
復讐に駆られていた燈を変えたのは、意識を取り戻した眞姫だった。自分が何に変えても守ると誓った存在に、燈は救われた。
「それが天主極楽教と戦う理由よ。そもそも復讐をするつもりなら、三ヶ月前の作戦で構成員を皆殺しにしているわよ。そうでしょう、歩兄様」
「そうだな」
うんうんと頷く歩に、綾は納得したらしい。
「申し訳ありません、燈お姉さま。口が過ぎました」
「いいのよ。頭をあげて頂戴、綾」
八咫烏になると話したとき、父からも復讐のためだと誤解された。燈の身の上を考えれば仕方がないだろう。
「それじゃあ、どうしてまだ戦うの?」
瑠香が真剣な表情で燈に尋ねる。
「天主極楽教は壊滅状態なのでしょう? ならもう燈が戦う必要はないのではなくて?」
「瑠香お姉さま……」
瑠香はなんとしても燈に戦うのをやめて欲しいらしい。
「天主極楽教は滅んだわけではないわ。むしろ新しい敵が現れたのよ」
「そうなの?」
多くの貴族と交流を図っている瑠香も、流石に天主極楽教については最新の情報は持ち合わせていないらしい。
燈は甕星について簡単に説明した。
「まだまだ気を緩めるわけにはいかないの。わかっていただけますか、お姉さま」
「……」
瑠香は少しだけ俯き、黙り込んだ。
「天主極楽教を倒し、国の不穏分子を無くす。それから先はどうするんだい?」
兜の奥から見える黒い相貌が燈を捉える。
柳哉が何を考えているのか、全く読めない。幼い頃からそうだった。だからこそ、何をやっても勝てなかった気がする。将棋、波動術、剣術、拙い子供遊びであっても、燈は本気で戦いを挑んだ。
それでも勝てない兄。壁として立ち塞がる偉大な長男。
━━━今日こそ、超える。
燈は大きく息を吸い込んだ。
「私が国王になった暁には、現状の皇王国が抱えている課題を順次解決していきます。例えば、今話題出たもの。法律、経済、税務。これらの問題に順次対応していきます」
「具体性のない意見ですわね」
綾が咎めるというよりは、意外そうな顔をする。
「そうかしら? 国王なのだからある程度の道筋さえ示して、あとは貴族に任せておけばいいじゃない」
瑠香はそう言って新しいお茶の香りを確かめる。
「いえ、私はお姉様とは別の方法を取ります」
「ふぅん?」
「私は自らが主体で改革を実行します。貴族に任せるつもりはありません」
言い放つ燈に柳哉以外の全員が目を丸くする。
「豪胆だな、燈」
「相変わらず恐れを知らないですね。燈お姉さまは」
「そうかしら? 歩兄様も綾も、問題の本質に気づいているでしょうに」
込み上げてくる愉快さを抑えきれず、燈は小さく笑う。
「もう、燈、もったいぶらずに教えなさいな」
「では申し上げます、瑠香お姉さま。皇王国の問題は全て貴族を間引きすれば解決しますわ」
空気に激震が走る。
綾は息を呑み、瑠香は手にしていた湯呑みを落とし、歩は瞠目する。
唯一変化がないのは柳哉くらいだろうか。身じろぎもせず黙ったままだ。
「そんなに驚くことではないでしょう? 歩兄様も綾も、貴族の自治権を問題にしていたではないですか。そして、私が捕縛した天主極楽教の教主も物流を預かる貴族でした。なら、諸悪の根源は決まったようなものでしょう」
「燈、いくらなんでも言い過ぎよ。訂正なさい!」
貴族を全面的に信頼している瑠香が声を荒げる。
「貴族を全て根絶やしにするなんて、許されることではないわ!」
「瑠香お姉さま。私は何も根絶やしにするだなんて申しておりません。ただ、数を減らすと言っているのです。王国に忠誠を誓い、良識のある貴族ばかりがいるわけではありません。王国に害をなす、または毒にも薬にもならない貴族は排除されるべきです」
「……」
妹の発言に瑠香は絶句した。
自分とあまりにも正反対な意見を聞き、もはやどう反論していいのかわからくなっているようだ。
「それは武力を持って、ということかな」
「必要とあれば」
柳哉の質問にもあしらうように対応する。
「王国に反抗しようとする勢力が武力を持っているのです。ならばこちらも武装するのは自明の理。躊躇う理由がありません」
冷たい沈黙が場を支配する。
自分以外の顔が曇る中、燈はこれでいいと自分に言い聞かせた。
歩も綾も、貴族を全面的に信頼している瑠香でさえも、わかっているのだ。燈は本気であり、何より燈の発言には無視できない現実と事実が含まれていることを。
なんとかしなければならないと頭ではわかっていながら、どうすればいいのか解決策を見出せない。
法律でもダメだ。財政でもダメだ。交流を図っても解決できない。
ならば武力で解決するしかない。
ここで流れを食い止めないと国民の被害は増すばかりだ。
「いつまでも同じ大陸で相争うなんてことはやめたいのです。みんなも外国が今どうなっているのか、知っているでしょう?」
皇王国とかれこれ三百年もの間交易を図っている、遥か海の向こうにある異国。そこは今、内乱によって真っ二つに割れているらしい。
皇王国は異国と距離がありすぎるため、その内乱には不可侵を貫いている。しかし今後はその異国が攻めてこないとも限らない。
「……はぁ」
これ見よがしに瑠香がため息をつく。
「なんだか、わかった気がするわ」
「何かしら?」
瑠香は哀れみの、悲しいものを見るかのような目を燈に向けた。
「あなたがそんなだから、戦いや力にこだわるから、いつまでも争いが絶えないのではなくて?」
「……では、こちらは戦わずにただやられろというのですか?」
戦士を侮辱するような発言に、燈は露骨に怒りを示す。
「八咫烏は、波動師は。自らの大切な人を、国民を守るため、命を削って己を鍛えています。それを侮辱することはたとえ姉上でも許しません」
「あなたが許そうが許すまいが、関係ないわ。私は今のあなたを見て確信しました。戦う力が戦う力を呼ぶ。憎しみは憎しみを呼ぶ。あなたは王族として、いますぐに八咫烏を止めるべきよ」
いよいよ燈の怒りが頂点に達する。
精神状態が波動にも影響を及ぼし、燈の周囲に冷気が漂う。握っていた湯飲みのお茶が急速に冷却され、表面が凍る。
隣に座っていた綾が小さな悲鳴をあげて、燈から距離をとった。
一方、瑠香は負けじと自身の波動を活性化させる。瑠香の属性は炎。燈の持つ氷の属性と対極に位置するため、少ないはどうでも対抗できている。
まさに一触即発。実力的に兄弟たちは二人を止められず、庭園には近衛兵もいない。
そのときだった。
パン、と。
空気が破裂したような音が鼓膜を揺さぶる。
「ふたりとも」
柳哉だ。怯えの色を見せる歩や綾と違い、ただ一人冷静に、いつも通りで。両手を合わせている。
「いい加減にしないか。この美しい庭園が壊れてしまうだろう」
平坦な声には、あらゆる感情が感じられない。叱っているようにも聞こえるが、どこか他人事のようにも聞こえた。
「……」
まず瑠香が波動を抑え込み、そのすぐあとに燈が波動を引っ込める。
互いの属性が正反対だったおかげで、うまく相殺することができたのはある意味で僥倖だった。
とはいえ、瑠香も燈も不満を隠そうともしない。いつまた怒りが爆発するかわかったものではない。
柳哉はため息をついて、燈の方に振り向いた。
「燈。君の意見はわかった」
「そうですか。では最後に、柳哉兄様のご意見を伺わせていただいても?」
これで残るは柳哉だけになった。まさに大物が一番最後に残った形だ。
瑠香も、歩も、綾も、燈すらも。自らの専門分野を駆使してこの国をよくしていこうと考えている。ある意味わかりやすく、予測もしやすい。
だが柳哉は違う。専門としているのは政治学や帝王学といわれているが、いろいろな分野に詳しい。オールマイティに活躍できる。
そんな兄が、どのように国を治めるつもりなのか。興味は尽きない。
「いいとも。ただしその前に━━━」
柳哉はおほんと咳をして、お茶を飲んだ。
「燈。僕は君が八咫烏として働くことについて反対しなかった。天主極楽教は脅威であるし、国民の生活と安全を保障する立派な仕事につく燈を誇りに思っていた」
「……」
燈の覚えた嫌な予感はすぐに的中した。
「でも、気が変わった」
「そう。瑠香お姉さまに賛同するわけですね」
「いや、八咫烏を止めろとか、十二神将の席から外れろというつもりはない」
「あら、ではどうしろと言うのかしら」
「簡単だ」
そこで柳哉は大きく息を吸った。
「燈、もし今の考えを捨てるつもりがないなら、王位継承権を放棄しなさい。今のままでは、国民が不幸になるだけだ」
それは、まさに宣戦布告とも取れる発言だった。
王位をかけて争う妹に対して、その継承権を放棄しろと言う。
正面から喧嘩をふっかけられたも同義だ。
━━━やってやろうじゃないの。
瑠香よりも失礼な発言ではあるが、頭は冷静でいられる。怒りに任せて波動を乱すこともない。
このチャンスを生かし、自らの正しさを証明する。
燈は座りながら、机のしたで拳を握りしめた。
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