第三部 第二十九話 神将会議 その6
「では、私たちはこれにて」
神将会議が終わった途端、刹羅と献士郎の両名はさっさと会議室を後にした。
「献士郎長官! お待ちを……」
二人を追うように伊織も会議室を出る。
微妙な空気が漂う部屋に残ったのは、宗次郎、燈、帝児、増麗。巌の五人。
「あー、なんつーか。残念だったな」
「あぁ、いいえ……」
帝児が気を遣ってくれたのか、優しげに話しかける。
「燈、大丈夫?」
「……ありがとう、増麗」
増麗は燈を気にしているようだが、燈の表情は明るくない。
宗次郎を八咫烏にし、対天部に所属させる。その狙いは大臣と献士郎によって阻まれてしまった。
━━━まぁ、条件を飲めばいいって言ってたけど……。
どんな条件になるのかわからない以上、素直に喜べない。
「そう気を落とすな」
いつの間にか巌が宗次郎の近くまで来ていた。
「八咫烏になれないと決まったわけではない。条件とやらに期待するとしよう」
「そんなにうまくいきますかねェ。あの大臣ですよ?」
机に足を乗っけながら、グラグラと体をゆらす帝児。
「あのおっさん、平気な顔をして裏切ったり罠に嵌めたりするじゃないですか」
「それはそうだが、今の宗次郎は知名度が高い。下手な手は打てないはずだ」
「……ありがとうございます、部長」
言い聞かせるような口調に燈が頭を下げる。
「礼には及ばない。むしろ━━━」
ごほん、と巌は咳払いをする。
「会議では殿下の意見に賛同したが、刹羅大臣の意見ももっともだ」
巌が手を顔の前にかざし、韻を結ぶ。
「っ!」
突然、体の力が抜け、宗次郎は膝から崩れ落ちる。
━━━波動、術!?
甕星からかけられたものと同じ、精神感応の一種。他者に自身の波動を流し込んでコントロールする波動術だ。
「おいおい」
「巌部長!?」
慌てる帝児と増麗の声を聞きながら、宗次郎は考えを巡らせる。
━━━あの時、か!
巌が会議室に入ってすぐ。宗次郎とあいさつしたとき、握手をした。
あの時だ。
「くっ!」
宗次郎はすぐさま波動を活性化させ、精神感応を力技で排除する。
甕星と相対したときと違い、宗次郎は疲弊していない。巌から流し込まれた波動も少なかったので、何とか解除できた。
「ふむ。この距離ならばこの程度か」
巌はぽつりとつぶやいく。
「いくらなんでもやりすぎじゃねェですかい?」
「強さとは、ただ力があればいいというわけではないのだ。特に、うちの部ではな」
そう帝児に語る巌部長の目は厳しさと優しさが同居しているように宗次郎は思えた。
「そういうことだ。殿下、いまは我慢していただきたい」
「……わかりました」
燈が頭を下げると、増麗が一歩前に出る。
「巌部長の権限でどうにかならないのでしょうか? 例えば、現場にて教育をするとか━━━」
「難しいのだよ、増麗殿。大臣だけならまだしも、献士郎長官や第一王子であらせられる柳哉殿下の反対もあっては」
「柳哉殿下か? 珍しいですわね。波動庁の人事に口をだすなんて」
増麗が意外そうに反応する。
「それほど天斬剣の持ち主に注目しておるのだろう。宗次郎殿。不満はあるだろうが、おぬしはまだ若い。精進せよ」
「はい」
巌からの励ましに宗次郎も頭を下げる。
「ま、気張れや」
「あ、いえ━━━」
帝児に励まされた宗次郎はつい力なく笑った。
「柳哉殿下がおっしゃられたのでは仕方がないでしょう」
ガタン、と。
燈が音を立てて立ち上がった。
「燈━━━」
「……」
声をかけるも、燈は無言のまま宗次郎に背を向け、歩き出す。
「待っぐぅえ」
「おーい殿下、ちょっといいか!」
帝児に首根っこをつかまれ、絞殺された雄鶏のような声を上げる宗次郎。
宗次郎の声では振り返らなかったのに、今になって燈は後ろを向いた。
「いいわよ」
「んじゃ、そういうことで」
帝児に無理やり会議室に戻される宗次郎。
「なんですか?」
宗次郎は不機嫌さを隠さないままおとなしく戻る。
帝児の話とは師匠の鮎についてだろう。帝児が鮎に惚れているのはわかるが、燈が気がかりな宗次郎にとっては迷惑でしかない。
「宗次郎よォ、おめェ殿下に何かしたか?」
その予想は外れ、話題は当の燈についてだった。
「あんなに機嫌の悪い殿下は久しぶりだぜ。なァ」
「そうですね。刹羅大臣に対してあんなにおとなしい殿下は初めてかも」
ふらっとオレンジ色の髪をなびかせて増麗が立ち上がる。
「宗次郎殿、身に覚えは?」
「……」
増麗の緑柱玉のような瞳に見つめられながら、宗次郎は押し黙る。
身に覚えはないが心当たりはある。
燈が不機嫌になったのは今朝から。昨日も祝宴の席ではいつも通りだった。
つまり、原因は━━━
「ふふ」
宗次郎が黙っていると、不意に増麗がほほ笑んだ。
「殿下のおっしゃる通り、誠実でわかりやすい方なのですね。宗次郎殿は」
「?」
宗次郎は首を傾げつつ気まずくなる。
教育係の門からも燈からもいろいろ見抜かれているので今さらではあるのだが、初対面の女性に見抜かれるというのは少々恥ずかしい。
「宗次郎殿、今すぐに燈殿下に━━━」
「まて。私は彼と話したい」
増麗の発言を巌が遮る。
「構わないかな?」
「もちろんですわ。では、一旦は私が燈殿下の様子を見てきます」
「頼む」
「お任せください。帝児、行くわよ」
「え、俺も?」
増麗に引きずられるように帝児は会議室を出ていった。
会議室に残された宗次郎と巌。
━━━話ってなんだ?
もし宗次郎が八咫烏となり波動犯罪捜査部に所属すれば、巌は直属の上司になる。そんな男と部屋で二人きりという状況に、宗次郎は緊張で体がこわばった。
「宗次郎。君は波動犯罪捜査部に入りたいのか?」
「はい」
宗次郎は即答した。
宗次郎の夢は英雄になることだ。その過程で、燈と交わした「剣になる」という約束や、大地と交わした約束を果たしたいと考えている。
夢の為にも、天主極楽教はまさに倒すべき相手だ。
「なるほどな……」
巌は腕を組み、少しの間考える。
「では、他にはないか?」
「他?」
宗次郎はついオウム返しする。
「そうだ。他にかなえたい望みや望むものはないかと聞いているのだ」
「…………」
しばらくの間頭を悩ませる。
しいて言うなら大地と交わした約束を思い出したいくらいだが、それは人に求めるものではない。
「!」
気づけば巌の鋭い視線が宗次郎を捉えていた。
「……死ぬぞ」
短く、単純な言葉。声はしわがれていて覇気がない。
そんな巌の一言に、宗次郎は全身に鳥肌が立っていた。
「欲がないのは悪いが、それを素直に表に出すのはなお悪い。多大な功績をあげながら何の野心も望みもないのでは、周囲は不信感を抱く。いまはまだおぬしの邪魔をする程度でとどまっているが、やがてその牙はおぬしの喉を食い破るぞ」
淡々と、力強く。巌の言葉は宗次郎の胸に響いた。
皐月杯で実力を示したのに、自分の要望がかなえられない理由がやっとわかった。
巌は宗次郎の在り方を否定しているのではなく、ふさわしくないと言っているだけだ。
なら、答えは簡単だ。
ふさわしい男になればいいのだ。
「人の機微を学ぶことだ。まずは、身近な人間からな」
そう言って巌は部屋を出ようとした。
「巌さん」
宗次郎は息を大きく吸い込み、呼吸を整え、
「ありがとうございました!」
勢いよく頭を下げた。
精神感応によってひどい目にあったが、宗次郎は気づきを得た。
一つは宗次郎に波動犯罪に対する心構えがないことだ。
天斬剣強奪の際はシオンにはいいようにしてやられていたし、先ほどはあっさり巌の術中にハマった。宗次郎は妖との戦いは熟知しているが、人との戦闘経験はあまりないのだ。
その欠点を巌は身をもって宗次郎に教えてくれた。
「精進するのだな」
そう告げる巌の声に、どこか優しさを感じた宗次郎だった。
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