第三部 第十五話 祝宴の席にて その1
午後七時四十五分。皐月杯決勝における妖討伐を記念した祝宴が開始されるまであと十五分。
墓参りから戻った宗次郎は別の礼装に着替えた。謁見のときほど高級感のある服装ではないが、祝宴の席に出ても恥ずかしくないだけの格式を感じる。
宗次郎たちは客間から祝宴が開かれる大広間に移動した。
基本的な造りと間取りは謁見の間と変わらない。違いは大広間の方には壁があり、なおかつ柱の数が少ないことだろう。人が大勢ある丸には便利だ。そこかしこにある燭台の焔が広間全体を朱い床に人影を映している。
宗次郎たちが入室すると、ざわめきあっていた貴族諸侯たちの熱気がすでに充満していた。
━━━すげぇ数だな……。
謁見の間にいたときより倍以上はいるだろうか。輪を作って歓談に興じる者たちもいれば、酒や料理に舌鼓を打つものもいる。
机に並ばれている料理も見事なものだ。はるか南の鵬奏から取れた巨大な魚が机の上でこんがりと焼き上げられている。その周囲には色とりどりの野菜、穀物が並べられている。酒が入ったつぼもあちこちに置かれており、すでに酔っ払っている貴族もいた。
━━━腹減ったなぁ。
宿で朝飯を食べて以降、なにも口にしていない。宗次郎の腹と背中はくっつきそうだ。正直なところ、ここにある料理を全て平らげたい欲求に駆られている。
だがそうはいかない。
貴族たちは宗次郎たちの姿を認めると、自分のしていたことを中断して興味を向けてきた。
「もっと堂々としなさい、宗次郎」
「ま、こういう機会は増えていく。じき慣れるさ」
燈も玄静もいつも通りだ。むしろいつもよりリラックスしているようにすら見える。
祝宴において、玄静はともかく燈は宗次郎のそばにいるらしい。宗次郎を自分の剣にするという無言のアピールのためだ。
━━━むぅ。
こうして視線に晒される機会は前にもあった。だから慣れていると宗次郎は思っていたのだが、やはり緊張する。
質が違うのだ。
所々にとんでもない波動を感じる。六大貴族か、十二神将か、王族か。感知が苦手な宗次郎にもその圧を感じられる。
加えて、猛獣が獲物を仕留めるように貴族たちに隠れ潜みながら、こちらの様子を伺っている。
誰から声をかけるのか。どのように声をかけるのか。皆が出方を伺っているのだ。
それとも、祝宴が始まるまで動かないつもりなのか。
━━━それは嫌だなぁ。
祝宴が始まるまで十分近く。表面張力ギリギリまで水を注いだコップを持ったまま立たされるような緊張感に支配されるのはごめん被りたい宗次郎。
そこへ、救いの手が差し出された。
「おや、浮かない顔をしてどうされました? 宗次郎殿」
「え?」
意外な人物から声をかけられ、宗次郎の目が点になる。
長い黒髪を後ろで束ね、丸眼鏡をかけたお淑やかな女性だった。小豆色の和服がよく似合っている。
皐月杯を主催した剣爛闘技場の場長、中津椎菜がそこにいた。
「燈殿下。こうして再び顔を合わせることができて嬉しく思います」
「椎菜場長こそ。その服装、大変お似合いですよ」
揃って優雅に一礼する燈と椎菜。闘技場の待合室でも同じ光景を見た。
「椎菜場長も来られたのですね」
「えぇ、玄静殿。今回の祝宴は皐月杯における妖の討伐を記念してのもの。故に、国王陛下より直々に招待状が届いた次第でございます」
王城という公式の場であるから、全員が猫をかぶって他人行儀に徹している。
宗次郎もペコリと頭を下げ、またお会いできて光栄ですと伝えた。
「こちらこそ。それと、宗次郎殿。あまり暗い表情をされるな」
宗次郎たちだけに聞こえる声で、椎菜は呟く。
「そのような顔をされると、嗜虐心が刺激されます」
「は、はぁ」
━━━ほんと、ブレないなぁ。
ほんのりを頬を上気させる椎菜に宗次郎は一歩下がる。
椎菜は剣爛闘技場のオーナーであると同時に、趣味では女王様をしている。
SMクラブの女王様だ。
なんと闘技場の一室を、それも場長室を改造し、真っピンクなSM部屋を作り出したのだ。
━━━うっ。
三角木馬。X字型の磔台。ボールギャグ。響き渡る鞭の音と屈強な剣闘士たちの悲鳴。甘ったるい匂い。
それら全てが脳裏によぎり、宗次郎は吐き気を催した。
「それで、お店の方は順調?」
「あぁ。場所はもう決まっていてね。あとは……」
皐月杯の決勝で宗次郎と玄静は戦った。その注目度の高さから、今回の皐月杯は最高の売り上げを記録したらしい。その結果、椎菜は夢を叶えた。
自分のSMクラブを持つという夢を。
燈と椎菜は女性二人で会話に興じている内容はまさにそれだ。ことがことだけに詳しい内容は伏せているせいで、周囲で聞いている人間は何の話だかさっぱりわからないはずだ。
対して、内容を知っている宗次郎は苦笑いだ。玄静も青い顔をしている。
側から見ればさぞおかしな四人組に見えることだろう。
そのとき、バタンと大広間に扉が開く音がした。
入ってきたのは四十代半ばくらいの男だ。細面で細身。顎には灰色の髭が伸びている。
「静粛に! まもなく国王陛下がお出ましになる!」
男の言葉に合わせ、ざわめきが次第に収まっていく。全員が示し合わせたかのように扉の方を向き、各々が服装を整える。
宗次郎は波動の加護で時間を正確に測る。祝宴が始まるまであと一分弱といったところか。
扉の両脇には楽士が並び、荘厳な音楽を奏で始める。一定のリズムで叩かれる和太鼓と鼓、琴が紡いだ音色に琵琶が華を添える。
その中央から黄金の羽織に身を包んだ国王が姿を現す。服装は謁見の間で宗次郎たちと会った時と同じだ。
「諸卿ら、よくぞこの場に集まってくれた」
大広間の中央までやってくると、国王は周囲を見渡す。
謁見の間と違い壁があるので、張り上げなくても国王の声は全体に響き渡った。
「此度の祝宴、天斬剣の復活と妖の討伐を記念して行われる。皇燈、穂積宗次郎、雲丹亀玄静の三名は心ゆくまで楽しむが良い」
国王から直々に指名された宗次郎たちは拝礼し、頭を下げる。
続いて国王は侍従長から杯を受け取り、高く掲げた。
「歴代の諸王よ。天より来たる厄災を退けし初代国王、皇大地。異大陸との交流により繁栄をもたらした七代国王、皇照史。その他、歴史に名を刻みし偉大な王たちよ。我らに栄光と繁栄、勝利と実りをもたらし給え!」
大広間に集まった全員が国王に続いて提唱する。宗次郎もあらかじめ教わっていたので、すらすらと口から言葉を紡ぐ。
要人の顔と名前を覚えるのと同様に、何度も練習したのだ。
提唱により大広間全体が振動し、やがて収まると国王は盃を戻した。
「では、存分に宴を楽しむが良い」
静かになった大広間に再び喧騒が戻る。
「では、私はもう行く。燈たちも楽しめるといいな」
「もういいの?」
「ああ。いつまでも四人でいるわけにはいかないだろう?」
椎菜が意味ありげに目配せをする。
宗次郎たちの周囲にはいつの間にか大勢の貴族たちが目を光らせていた。今か今かと話す機会を伺うように。
「私も自分のお得意様になるような貴族を探したいしな。さぁて、しばき甲斐のある金持ちはいないか……」
舌なめずりをしながら立ち去る椎菜は、それじゃ、と歩き去っていった。
「ほんと、自分の要求に忠実な女性だよね。場長は」
「全くだ」
玄静に同意する宗次郎は顔を引き攣らせてはいるが、同時に肩の力が抜けた気がした。
なんだか、変に緊張している自分がアホらしくなった。
「よし、行こう。燈」
「……そうね。そうしましょう」
燈はフッと微笑んで、宗次郎の隣に並ぶ。
こうして祝宴が始まった。
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