第二部 第四十九話 伝説の戦い その6

 

「ギャオオオオオオオ!」




「くそっ!」




 妖の吠え声を前に宗次郎は毒づく。




 燈と一緒にグラウンドに飛び出して十分弱。交戦していた波動師の部隊と協力し、部隊が撹乱を、宗次郎が攻撃を受け持つフォーメーションを展開。燈の波動術によって氷漬けにするべく作戦を開始した。




 その結果は惨憺たる有様だ。八名いた部隊は三名が負傷し、既に戦線を離脱。多少の傷を負わせても妖の再生能力を前に全てが無に帰した。




 むしろ妖は再生と同時に成長し、今やトゲの着いた尾は三本に、頭は二つに増えている。氷漬けにするどころか強くなっているのだ。




「きゃああ!」




「香取!」




 宗次郎が右前脚から繰り出される鉤爪を身をかがめてやり過ごし、距離を取るとまた一人。術士がトゲを避けきれずに肩にダメージを負う。




 致命傷ではない。治る傷だ。




 その手当てをする時間を妖が与えてくれればの話であるが。




「くっ」




 宗次郎は活強で一気に負傷した術士の元に駆け寄り、すぐさま転身。足に走る痛みを無視してそのまま回転と同時に斬撃を放つ。




 その数、実に六回。追撃で放たれたトゲを斬り落とした。




「あ、ありがとうございます」




「いいから、退避を……」




「は、はい」




 肩を押さえたまま離脱する術士を見送ったところで目眩を起こし、天斬剣を地面に刺して倒れるのを堪える。




 ━━━くそ、どうすればいい。




 燈は部隊の指揮をとりつつ、戦闘のカバーに入っている。波動を溜めて術を放ちダメージを与えているが、全体を凍らせるには至っていない。




 ━━━玄静がいれば。いや、それでも……。




 妖は巨体ながら素早い。土の波動で拘束できるかどうかも怪しい。このままでは八咫烏の数が減り続け、宗次郎たち


が不利になる一方だ。




 打開できない状況のせいで精神に暗雲が立ち込める。体から力が抜け、地面に倒れ込みたい衝動にかられた。




 時間をかければかけるだけ宗次郎達に不利だ。そろそろ術を発動しなければ、宗次郎の波動の残量では元に戻せない可能性がある。




「しまっ!」




 疲労で気が抜けた一瞬、頭の一つが宗次郎に向き、目が合う。




 こっちに来る。戦闘態勢に入るも遅かった。




「ぐぅっは!」




 突進を受け止めきれず、壁にたたきつけられる。肺にあった空気が強制的に吐き出され、視界が点滅する。




「くぅ!」




 追撃で放たれた鍵爪をなんとか天斬剣で受け止める。背中が減り込んだ闘技場の壁がメキメキと悲鳴を上げた。




 少しでも力を抜けば鍵爪で輪切りにされる状況。回避するための空間がなく、それを波動術で作り上げる余裕もない。




「宗次郎!」




 妖の背後から燈たちが斬りかかるが、トゲの攻撃で阻止される。




「こ、の……」




 宗次郎の波動は時間と空間を司る。そして、加護により時間と空間を正確に測ることが出来る。




 命を刈り取る鍵爪がどのくらいで自分に届くのか、明確に理解できるのだ。




 壁に背中を押し付ける形で受け止めているため、足の踏ん張りがきかない。腕の力だけで受け止めるには限界がある。




「カ……ツ……」




「!」




 妖が発する言葉に宗次郎の意識が反応する。




「マケ……ナイ……ニドト」




「!」




 勝利への執念か、それとも息子への愛情が為せる技か。




 天修羅の細胞に支配され、妖に成り果ててもなお、目の前の化物は人語を話し始めた。




 ━━━そりゃ、負けられないよなぁ。




 目の前にいるのは二十年間戦い続け、勝利をもぎ取ってきた歴戦の剣闘士。強くなりたいと願い、命をかけて戦ってきた本物の戦士だ。




 そんな敵を相手に攻撃の手を緩めるのは、ともすれば侮辱に移るかも知れない。




 それでも、壱覇と約束したのだ。必ず圓尾を元に戻すと。




 小さな少年との約束すら果たせずに、どうして仕える主との約束を果たすことができようか。




 宗次郎はついに覚悟を決めた。




「空刀の━━━」




 相手は妖となり怪物となり果ててもなお、強さへの要求と勝利への飢えを失っていない。手加減するなんて戦法がそもそも間違いだ。




 こちらも全力で戦う。そう決意した瞬間、救いの手が差し伸べられた。




「土術の弍:土岩どがん鉄槌てっつい!」




 妖の足元の地面が盛り上がり、すさまじい勢いで妖の腹を突き上げた。




 ━━━玄静の波動術! 




 力の緩んだ鍵爪を弾き飛ばし、宗次郎は壁に沿ってその場を離脱する。




「水術参:水突槍すいとつそう!」




「風刀の壱:疾風刃しっぷうじん!」




「氷刀の肆:氷尖牙ひょうせんが!」




 追撃の波動術が炸裂し、妖は苦悶の声を上げて倒れ込んだ。




 土煙のせいでよく見えないが、首と両前足が千切れかけ、腹には大穴が空いているようだ。流石の妖もすぐには再生しないだろう。




「よし。時間稼ぎ完了っと」




「お前……」




「や。お待たせ」




 観客席から飛び降りた玄静に宗次郎は違和感を覚える。出会った頃の軽薄さ、決勝戦でのやる気や怒り、待機所で見せた戸惑い。それらすべてがなくなっている。なんというか、自然体だ。




 その様に、宗次郎はかつて共に戦った友の姿を重ねた。




 泰然自若にして冷静沈着。広い視野と的確な指示で軍を動かし、最高の軍師とたたえられた雲丹亀壕と姿と。




「……変わったな」




「何が? 僕は何も変わっちゃいない。夢ややりたいことなんてくだらないと思ってるし、無駄な努力は大嫌いさ」




 宗次郎に背中を向け、玄静はやれやれと肩をすくめた。




「ただ」




「?」




「カッコ悪いのは、やめにするよ」




「……」




 何があったのか知る由もないが、玄静なりに覚悟を決めたようだ。




 ならばこれ以上は野暮というものだ。




「宗次郎! 玄静!」




 燈が部隊とともに駆け寄ってくる。式典用のドレスは戦闘の余波で袖や裾が所々破けていて、戦闘の激しさを感じさせ


る。




「や、燈。その格好もきれいでいいね」




「こんなときまでつまらないお世辞はやめなさい。何をしに来たの?」




「君たちの手伝いさ。僕たち三人であの妖に対処する」




「……」




 燈は玄静の目くばせに小さく頷き、八咫烏の部隊に向きを変える。




「あなたたちは下がりなさい。傷の手当てをしたら剣闘士と協力して闘技場を封鎖。周囲の避難誘導に当たりなさい」




「よろしいのですか。我々はまだ戦えますが━━━」




「これは十二神将の命令です。あなたたちはすでに時間稼ぎの役目を果たした。それで十分よ。ありがとう」」




「っ! もったいないお言葉、感謝いたします!」




 感極まった隊長とその部下たちは深々と頭を下げ、統率の取れた動きでグラウンドを後にした。




 その様子を鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見つめる玄静に、燈が怪訝そうな顔する。




「何よ」




「いや、燈も部下を褒めることがあるんだなって」




「失礼ね。私だっていい働きをした部下は褒めるわよ」




 燈はにっこり笑う。宗次郎と出会う前の燈なら、何もかも自分一人で成し遂げようと躍起になっていただろう。




「それで、どう手伝うつもりなの?」






「僕も戦う……と言いたいところだけど、僕が参戦したところで状況はあんまり変わらないんだ」




 玄静は波動を活性化させ、グラウンドに伝播させていく。




「僕と燈、一人ひとりじゃあの妖をとらえきれない。僕の波動は機動力についていけないし、燈の波動は図体に合わせて手加減できないからだ」




「協力すれば解決するんじゃないか?」




「それでも足りないのさ。属性の相性が良くないしね」




 波動の属性には相性があり、良ければ相乗効果を生み出し、悪ければ互いを相殺する。




 もし玄静の波動が水の属性だったら、燈の持つ氷の波動との相乗効果を期待できる。水を大量に生み出せればその分氷を生み出しやすく、逆に燈の氷を水に戻せればコントロールをサポートできる。




「じゃあどうするってんだ?」




「あわてるなよ、宗次郎」




 玄静は自信ありげに笑う。




「僕の名前は雲丹亀玄静。最高の軍師とたたえられ雲丹亀壕の子孫だ。陸震杖による地形変化だけが、僕の戦術のすべてじゃない」




 異変が起こった。妖にではない。闘技場にだ。




 ガコン、と変形するような音がして、壁から土管のような筒が出現した。ちょうど宗次郎の頭の上に出てきた。かなり大きい。直径三〇センチはある。




「大砲、か?」




「まさか。ほら、そろそろ来るよ」




 ゴゴゴ、と徐々に大きくなる揺れを感じる。




 玄静の波動術と違い、グラウンドは揺れていない。揺れているのは闘技場だけだ。




 そうして、玄静が仕組んだ起死回生の一手が発動した。




 蛇口を全開まで捻ったがごとく、壁からせり出した管から大量の水があふれ出る。その勢いはすさまじく、見る見るうちにグラウンドの端から土壌を黒く染めていく。




「これは……」




「忘れたのかい宗次郎。この闘技場は模擬海戦が行える。場長に頼んで貯水槽から出してもらったのさ」




 得意げにふふんと鼻を鳴らす玄静に、宗次郎は開いた口が塞がらなかった。




 落ち着いて状況を見渡せば、これは非常に強力な一手だ。大量の水があれば、大気中の水分を凍らせるよりもはるかに波動の消費が少なく、コントロールもしやすくなる。燈はまさに水を得た魚のように自由になる。




 そしてこの剣爛闘技場には模擬海戦が行えるだけの水を呼び込める。




 ━━━この切迫した状況の中で、思いつくのかよ。




 何という視野の広さと冷静さ。宗次郎は舌を巻いた。




「グゥおおおおお!」




「おおっと。そろそろか」




 妖は傷を再生させ、土煙の中から姿を表す。再生したついでか、体のサイズはついに大型トラック並みになっている。




「うはは、怖ぇ」




 顔を引きつらせる玄静が宗次郎に指示を出す。




「宗次郎。狙われているのは君だ。なるべくトゲを使わせるように距離を保ちつつ、注意を引くんだ。その隙に僕と燈が動きを止める」




「了解だ」




 絶対にうまくいくという確信が宗次郎の全身を走り抜け、宗次郎の体に力がみなぎる。




「ああ、それと」




「ん?」




「僕が協力する以上、絶対に成功してもらうからな」




「……はっ」




 普段ならイラッとくる玄静の態度が、今はとても頼もしく感じられる。




「当然だぜ」




 天斬剣を抜刀して大地を駆け、妖との距離を詰めると同時に波動を活性化させる。




「がぁあああああああ!」




 近寄らせまいと尾からトゲを放つ妖。




 先の戦闘よりもトゲの一つ一つがクリアに見える。対応できる。宗次郎は天斬剣ですべて打ち払い、さらに距離を詰める。




 ━━━ああ、この感じは。




 ふと懐かしい感覚がよぎる。




 絶対の忠誠を誓った主と、互いに実力を認め合った軍師。絶対的な自信とともに戦場を駆け抜けた、千年前のあの日々。




「宗次郎!」






 妖がトゲを全弾発射したところで、背後からくる燈とスイッチ。宗次郎は後方に移動し、波動を蓄える。




「氷刀の伍:無限結氷!」




 燈が術を発動して波動刀を切り上げる。斬撃とともに冷気が走り、水面ごと妖の手足を凍らせた。




「玄静!」




「あぁ! わかっている!」




 玄静が陸震杖を高く掲げた。 




「土術の肆:土流どりゅう波葬はそう!」




 玄静の波動がしみ込んだグランドが波のようにうねり、大地が揺れ動く。妖は地の底に沈み始め、代わりに盛り上がった土が海岸に打ち付ける波のように妖にまとわりつく。




「ゴアァアアア!」




 手足から順に飲み込まれていく妖が悲鳴を上げ、激しくもがく。




 いくら大量にあっても、しょせんは土。妖の膂力なら簡単に抜け出せる。




 そう、ただの土なら。




「氷刀の伍:無限結氷!」




 妖の体を覆う土は大量の水を含んでいる。その水分をめがけて燈が先ほどの倍以上の波動を使い、術を発動。息も凍りそうな冷気が妖を襲う。




「ガ、あぅあ」




 体のほぼすべてが土と氷に覆われ、唯一露出している顔にも霜が降っている。




「「宗次郎!」」




 仲間の呼びかけに応えるため、宗次郎はグラウンドを駆ける。その速度と活性化した波動により、さながら黄金の矢のように。




「時刀の参━━━」




 霜を踏み抜き、泥をはね上げ、宗次郎は術式を組み上げる。




 現在の時刻は午後一時三十七分。圓尾が妖になったのは午後一時二十分。圓尾を元の姿に戻すには二十分は時間を遡らせる、




 ここまで来たら、出来る出来ないは考えない。




 ━━━絶対に、助ける!




「時戻し!」




 露出した額に手を触れ、術式を発動。妖に流れる波動と自身の波動を同調させてから、妖に流れる時間を遡らせる。




「う! ぐぅ!」




 訓練で使用した空き缶とはわけが違う。まるで滝から落ちる濁流を一身に受け止め、さらに駆け上っていくような感覚。




「あああ!」




 一秒。たったそれだけの時間をさかのぼるごとに、大量の波動が急速に失われる。




 膝をつきたくなる衝動をこらえ、宗次郎はさらに波動を流し込む。




 妖が負った傷、増えた尾と頭が徐々に巻き戻っていき、ついに闘技場に現れたときのサイズまで縮んだ。




 ━━━行ける! 




 巻き戻す時間は残り少ない。このまま術式を維持すれば数分で元に戻る。




 できる、と確信した直後、その瞬間が訪れた。




「が、は━━━」




 ドクン!と心臓がはねた音が聞こえたかと思うと、視界がぼやけ、意識が遠のく。




 波動の残量が危険信号に達した合図だ。




「宗次郎!」




 異変に気づいたのか、名前を呼ぶ玄静の声が遠くから聞こえる。




 ━━━や、ばい。




 術の発動中は自力で回復できず、この闘技場には回復する能力を持つ波動師はいない。 




 波動を使い過ぎた先に待っている死に冷たい手で背中に触れられた。足が震えて力が入らない。




「━━━あ、あ」




 ダメなのか。あと少しなのに、失敗してしまうのか。




 壱覇との約束も、燈との約束も、大地との約束も。何も果たせずここで死ぬのか。




 ここに至るまで多くの人に力を貸してもらったのに。




 ━━━俺、は。




「宗次郎!」




 玄静に肩を掴まれる。宗次郎には振り向いて顔を見る力さえない。








「諦めるな!」 








 玄静の叫び声が耳元で炸裂する。




 その瞬間、宗次郎の背後から黄金の光が溢れ出した。




 ━━━え?




 宗次郎の頭に浮かんだのは疑問符だった。




 黄金の光は宗次郎の波動だ。しかし宗次郎自身が出したものではない。




 ━━━なんで……?




 ゆっくりと振り返り、宗次郎は眼を見開いた。




 陸震杖から波動があふれ出している。それも、玄静のものではなく宗次郎の波動だ。




 あまりにも理解不能な現象に、玄静すら宗次郎に負けないほど驚いている。




 ━━━封印、か?




 なぜ玄静の波動具に宗次郎の波動が込められていたのかは疑問だが、似たような現象を宗次郎は見た記憶があった。




 天斬剣の封印が解けた際と同じだ。




 特定の言葉をキーワードとして解除する封印が今、解かれたのだ。




 其処まで試行した宗二郎は玄静とともに自身の波動の光に飲まれた。


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