第二部 第四十八話 伝説の戦い その5

 闘技場内には妖と波動師たちが繰り広げる戦闘の余波がモロに響いてくる。妖の咆哮、術士が放った波動術の着弾音、けたたましくなるサイレン。




 それらの振動を肌で感じながら、玄静はぼんやりと突っ立っていた。




 妖になってしまった黒金圓尾。彼をもとに戻せるのなら、壱覇の為になると宗次郎は考えているのだろう。




 馬鹿馬鹿しい、と玄静は吐き捨てる。




 成功したところで圓尾が犯罪者であることに変わりはないのだ。薬物で蝕まれた体まで元通りになるとは思えない。




 ━━━どうするべきなんだろう。




 力なく壁にもたれかかり、ぼんやりと考える。




 すぐに、こんなかったるい状況から逃げてしまえ、という考えが浮かんだ。




 玄静の仕事は宗次郎の人柄を見極めたうえで、決勝戦で彼を打ち負かすことだ。前者はすでに達成され、後者は妖の乱入のせいでうやむやになってしまった。




 もはや何もする必要はない。宗次郎の言いなりになるようで癪だが、尻尾を巻いて逃げてもいい。




 ━━━あの妖は強力だ。倒すには再生能力を上回る攻撃をくらえなければならない。戦えば死ぬ可能性はある。




 よし、逃げよう。そう何度も自分に言い聞かせる。




 その度に、なぜか、胸にモヤついた感情が大きくなっていった。




「お前の力を貸してくれ!」




 そう言って頭を下げた宗次郎が脳裏をよぎる。




 ━━━だからなんだっていうんだ。




 元に戻せなければ妖は殺されるし、その過程で宗次郎や燈が死ぬかもしれない。




 失敗すれば全ては無駄な努力だ。




「くそっ」




 ━━━とりあえず壱覇をここから逃がそう。そうすれば胸のモヤモヤも晴れるはずだ。




 宗次郎の頼みを聞くべく、入り口から少し離れたところにいる壱覇の元へ向かった。




「壱覇君、そろそろ離れよう。ここは━━━」




「いやだ。ここにいる。ここにいたいんだ」




 かけた声が途中で止められる。




 ━━━なんだ。この感覚……。




 どうしてだろうか。自分より二回りも小さいはずの背中がやけに大きく見える。そればかりか、自分の胸に強烈な、ある感情が湧き上がる。




 ━━━嫉妬? いや、違う。




 胸のモヤモヤはどんどん大きくなる。羨ましいようでいて、もう見たくないという思いがぶつかり合う。




「もう、逃げたくないから」




「!」




 壱覇にとっては何気ない一言かもしれない。




 しかし、その一言こそ玄静をハッとさせた。




 ━━━僕は。




 心の中にいる冷静な自分が問いかけてくる。




 ━━━僕は一度でも、この少年のようにしただろうか。




 認めたくない思いを抱いたら最後、もう止められなかった。




 背中が大きく見えたのは、ひたむきにグランドを見つめ続ける壱覇から強い覚悟が感じられるからだ。




 壱覇はちゃんとわかっている。この場所が危険だと。妖の攻撃が飛んでくる可能性があると。




 父親が妖になってしまったと。




 その上でなお、逃げないと口にした。




 宗次郎と交わした約束を守り、その信頼に報いる為に。自分の弱さを受け入れ、涙を堪え、最後まで戦いを見届けようとしているのだ。




 それに対して玄静はどうだ。




 兄から夢は何かと問われて、目の前のやるべきことを理由にロクに考えもしなかった。




 兄の夢を壊したときも、祖父に言われるがまま才能を言い訳にして目を背けた。




「ふはっ」




 なんという茶番。吐き気すら覚える。




 壱覇について、子供であろうと現実を直視するべき、夢ではなく現実を生きろ、と言いながらその実。










 夢や努力に対して、現実を言い訳に目をそらし、逃げているのは他ならぬ自分自身だった。










 才能がない奴が嫌いだ。無駄に夢がでかい奴が嫌いだ。勝手に期待を押し付ける奴は嫌いだ。




 その全ては、自分の行いを否定したいがためのものだった。




 宗次郎の言うとおりだ。逃げていたのだ。




 単純な戦闘能力なら間違いなく壱覇より玄静の方が上。身体能力が違う。才能が違う。血筋が違う。育った環境が違う。




 これから先、壱覇が波動に目覚めたとしてもおそらく変わらない。




 それでも、心の強さだけは。壱覇の方が玄静の何倍も強い。




 目の前の辛い現実から目を逸らさない、心の強さは。




「……カッコ悪い」




 苦い思いを口から吐き出すとともに、体が不意に軽くなった気がした。今まで重石だったものがなくなり吹っ切れた気がする。




 夢とか、自分のやりたいことなんて人生には無縁のものだと思っていた。もしかしたら一生わからないまま死ぬかもしれないし、それでいいとも思っていた。




 今この瞬間だけは違う。




 カッコいいかカッコ悪いか。どちらがいいかなんて明白だ。




 玄静は壱覇の隣に立ち、戦況を確認する。




 どうやら宗次郎たちはてこずっているらしい。倒そうとしているのではなく、動きを封じようとして後手に回っているせいだ。




 宗次郎は玄静の波動術をなかったことにした。いかなる原理かはまだ分からないが、その波動術を応用して圓尾をもとの姿に戻すつもりなのだろう。




 確かにあの術なら、本当に元に戻る可能性はある。




 問題は宗次郎の波動の残量がもつのか。それと術の発動中、妖を無害な状態にさせられるかの二つだ。




 おそらく宗次郎は術の発動中、無防備になる。妖を拘束してほしいと頼んだのはそのためだ。




「壱覇! ここにいたか!」




 数名の剣闘士を引き連れて場長が小走りにやってくる。




「玄静、よく壱覇を守ってくれた。さあ避難しよう。もう残っているのは私たちだけだ」




「いやだ。僕はここを動かない」




「場長、すまない。壱覇のお願いを聞いてあげて欲しい」




「二人とも……」




 困ったような顔をする場長に少しだけ胸が痛む。




「それと、もう一つお願いがある」




「なんだい?」




「あの妖に対処するために、あなたの協力が必要なんだ」




 椎菜は少し目を細めた。




「内容は━━━」


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