第二部 第二十五話 皐月杯、開幕 その2

 宗次郎、森山、阿座上の三人は待機処に場所を移した。




 闘技場には最大で三十二ヶ所の待機処があり、グラウンドに入るには待機所を通らなければならないので、実質的に関係者以外は立ち入りができない。




 待機処を出ればすぐ向こうにグラウンドがある。控室よりも臨場感を感じられ、入り口から入り込んでくる風が観客の熱気と興奮を運んでくる。




「それでは、皇王国第二王女・皇燈殿下のお言葉を賜りたいと思います」




 アナウンスが流れ、設置された会場の上に燈が躍り出る。




 マイクの前に立ち、原稿を置いて燈はゆっくりと演説を始めた。




 内容は王国の現状から皐月杯の歴史、そして中止になった”天斬剣献上の儀”。その流れで、初代国王である皇大地と初代国王の剣の話になる。




 透き通るような声でなされる演説に聴衆が静まり返る中、宗次郎の胸の内は複雑だ。




 燈の演説はまさに宗次郎の人生そのものを凝縮したような内容になっていた。




 宗次郎は九年前、時間と空間の波動を暴走させ、千年前の過去へと時間旅行をした。そこで出会った皇大地を主と定め、ともに戦った。




 最終的に魔神・天修羅を倒し、大陸に平和をもたらし、皇王国を建国する一助となった。




 ━━━でも、俺はこの時代に戻ってきた。




 演説を終えて拍手喝采を浴びつつ壇上を降りる燈を見つめながら、不意に考える。




 なぜ大地の元を去って、自分の体内時間を止めるなんて無茶な方法まで使ってこの時代に戻ってきたのか。大地との別れどきに、宗次郎は何を約束し、何を約束されたのか。




 今の主人である燈の剣になることと同じく、宗次郎の全力をかけて解き明かしたい謎だった。




 ━━━ま、今は目の前の戦いに集中だ。




 雑念を振り払って宗次郎は前を見据える。




 兎にも角にもこの戦いで優勝することに意識を集中する。




「それでは、皆さんお待ちかね! 皐月杯に出場する選手のご紹介です!」




 アナウンスに合わせて観客が盛り上がり、合わせて闘技場が文字通り揺れる。ビリビリと振動が伝わり、森山が小さく


悲鳴を上げる。




「はは、これはすごい」




 慣れているはずの阿座上ですら、額に汗を浮かべている。




「まずはこの方。剣爛闘技場、第一訓練場監督━━━」




 名前が次々に公表され、選手が大手を振ってグランドの中央に集まる。




 その度に歓声が上がり、闘技場がワーンと鳴る。




「あれ?」




 宗次郎はふと、自分の手が震えていると気づく。




 ━━━うわ、俺緊張してる……。




 体がいつもより重い。前に踏み出そうとしても足がいうことを聞かない。歓声が次第に遠のくように小さくなる。




 やばい。そう思った瞬間、宗次郎の手が握られた。




「大丈夫です」




 いつの間にか森山が目の前にいて、宗次郎の右手を優しく握ってくれていた。




 こちらを見上げる瞳は揺れ動いているものの、確かに宗次郎を捉えてくれている。




「大丈夫です。宗次郎様なら」




「ああ。そうだ」




 阿座上が宗次郎の肩に手をおき、しっかりと握りしめる。




「ほら、もうそろそろだ」




「長い皐月杯の歴史で初めて、術士の参戦だ! 六大貴族の一角、雲丹亀家の次期当主にして陸震杖に選ばれた男! 


天斬剣の所有者が出場するなら俺だって出場だ! 雲丹亀ー玄静ー!」




 爆発する観衆ににこやかに手を振りながら、玄静がグラウンドを進んでいる。




 その様子はまさに花園をだよう蝶のように軽やかで、全く固さが感じられない。




 ━━━くそ。




 玄静を見て、宗次郎は緊張している自分がバカらしくなってくる。自分に対する怒りが観衆の期待を意識の外に追いやってくれた。




「それではみなさんお待ちかね! 最後の選手入場だ!」




「じゃあ、行ってくる」




「はい。お待ちしております」




 森山と阿座上に見送られて宗次郎は光のなかへ進む。




「伝説の復活! 天修羅を斬り伏せた英雄の波動具が、千年の時を超えて新たな使用者を選んだ! それも長い間行方を晦ませていた謎の男! 我々の興味はただ一つ! 一体どれだけ強いんだ! 穂積ー宗次郎ー!」




 照りつける日差しと歓声の中を宗次郎は歩く。




 ━━━これは初めての感覚だな。




 宗次郎は大地とともに幾度となく戦った経験がある。妖はもちろん、大地に敵対する波動師ともだ。その中で仲間から


期待され、時には逃げ出したくなるほどのプレッシャーを感じたこともある。




 だが、このように群衆の注目を浴びたことはなかった。




 八万人以上もの視線が、意識が、興味が、関心が、期待が、応援が。宗次郎に容赦無く降り注ぐ。こんな状況で刀を振るうのは生まれて初めての経験だった。




 もっとも、グラウンドの中央まで来ればそんな悠長な関心は抱けない。




 ━━━これだよ、これ。




 一列に並んでいる出場者の顔つきを見て、宗次郎は歓喜に震える。




 敵意、殺気、自信、強さの観測。これから戦う相手に向けられる感情の方が、宗次郎には馴染み深い。




 笑みを浮かびそうになるのを堪えて宗次郎は玄静の隣に並ぶ。




「よう」




「はは、ははは。なんだかだいぶ緊張してるじゃないか。宗次郎」




 減らず口を叩いている玄静は、声が上ずっているだけでなく震えている。




 どうやら緊張しているのは自分だけではない。その事実が一番、宗次郎の心と体を軽くした。




「へっ、お互い様だろ」




 軽口を叩き合って、二人は口角を上げる。




 盛り上がった闘技場が次第に静かになっていくのに合わせて、アナウスが次のプログラムに移す。




「それでは、対戦の組み合わせを決定いたします!」




 出場選手たちの前に、巨大なスクリーンが運ばれてくる。十六個の空欄があるトーナメント表が映し出され、そのピラミットの頂点には草の冠が輝いている。




「皐月杯は総勢十六名によるトーナメント形式で行われます。今回の抽選で一回戦の組み合わせが決定いたします。なお、皐月杯は一回戦が終わるごとにくじを引いてくため、隣の組み合わせで勝ち上がった選手と戦うとは限りません!」




 スタッフが二つの箱をスクリーンの目の前まで運んでくる。箱には抽選のくじが詰まっていた。




「それでは、場長にくじを引く選手を選んでいただきましょう!」




 椎菜が立ち上がって一礼し、さらに箱の前に立って選手たちに一礼する。箱の中に手を突っ込んで、くじを引き抜いた。




「一番手は小柳選手です! さて、小柳選手はどのブロック、何番になるのでしょう!?」




 名前が呼び出され、くじが引かれるたび、トーナメント表の空欄が埋まっていく。




 ━━━初戦はちょっと避けたいな。




 闘技場の雰囲気に呑まれて戦うのはできれば遠慮したい。時間をおいて、明日か明後日、冷静になったところで戦いたいと願う宗次郎。




「おーっと、次は注目の穂積選手だあ!」




 気づけばょうど名前を呼ばれた。




 トーナメント表は半分ほど埋まっている。第一試合もすでに一枠、名前が書かれている。




 ━━━八分の一か。なら余裕だろ。




 無造作に箱の中に手を突っ込み、適当な紙を掴み取る。




 折り畳まれた紙を広げることなくスタッフに渡すと、スタッフが数字を読み上げた。




「二番です」




「げ」




 無情にもトーナメント表の第一試合の空欄に穂積宗次郎の名前が刻まれる。




「おーっと、話題沸騰の穂積選手は第一試合の出場です! なんとこのあとすぐに試合が見れるぞお!」




 アナウンスに合わせて広がった観衆の歓声は宗次郎の悲鳴をかき消し、闘技場全体を揺らす。




 ━━━引きがいいのか悪いのか。




 誰にも気づかれないよう、宗次郎はひっそりと肩を下ろした。




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