第二部 第二十四話 皐月杯、開幕 その1
四月十七日。
皐月杯の開催当日となった。
剣爛闘技場の代表者八名と外部から招かれた八咫烏八名。総勢十六名がトーナメント形式で戦う、年に一度の武術大会。市内は大きくにぎわい、観光客が万単位でやってくる。
道路は渋滞し、鉄道は満員。商店街では飲食系の店が必死に客を呼び込み、繁忙期に合わせて店員が忙しく動き回る。
設置されているテレビの前には市民が大勢集まり、大会の開始を今か今かと首を長くして待っている。
歩道には推しているイケメン剣闘士について主婦達が語り合い、その旦那が過去に連勝記録を誇っていた剣闘士の思い出話に花を咲かせる。
町全体が皐月杯の話題で持ちきりになるのはいつもの光景だ。
その話題の中に、今年は聴き慣れない単語がよく飛び交っている。
「やっぱり目玉は天斬剣だよ。穂積宗次郎は優勝候補筆頭さ」
「そうかな? 彼は行方不明になっていたんだろう。まともに戦えるとは思えないな」
「陸震杖の使い手も噂じゃかなりの腕前らしいぞ。雲丹亀玄静にも可能性はあるだろう」
「ありえない。決闘で術士が剣士に敵うもんか。まして天斬剣の使い手だぞ」
「まあまあ。この大会が終わればわかることじゃないか」
「ああ。願わくば二人の戦いを見てみたいものだ」
穂積宗次郎と天斬剣。
雲丹亀玄静と陸震杖。
二人と二人の持つ伝説の波動具が注目を集めたおかげか、観光客は通常の数の三倍近い数になっている。
宗次郎を出場させ、皐月杯を”天斬剣献上の儀”の代わりにする。
燈と椎菜の目論見は大成功を収め、むしろ彼女らの想像を遥かに超える盛況ぶりだ。
当然、一番の盛況ぶりを見せているのは闘技場である。
「うわ、すんげー人」
宗次郎が観客席を見上げて小さい悲鳴を上げる。
宗次郎と燈、森山の三人は出場選手に与えられた控室にいた。
この闘技場の観客席は三段になっていて、その一段目と二段目の間に控室がある。窓からはグラウンドが一望でき、さらには反対側の客席まで写っている。
グラウンドには開会式のセレモニーで踊り子が旗やボンボンを振りながら踊っていて、見事なパフォーマンスを披露している。
ぐるりと囲まれた観客席は人々で埋め尽くされ、一人一人がまるで豆粒のように小さくなっていた。
宗次郎は以前、”天斬剣献上の儀”のために訪れた観光客達に圧倒された。道路を埋め尽くさんばかりに覆っている人々を間近に感じられたからだ。
今回は遠目からなので平静を保てているものの、圧巻の光景であることに変わりはない。
「目が回りそうです……」
「一体何人いるんだろうな」
「八万四千人ね。満席になっているらしいわよ」
燈も感心しながら同じ窓を覗き込んでいる。
宗次郎は数字に驚くよりも、燈から漂う清涼感のある香りにドギマギして身を引く。
「うほん! で、選手入場はもうすぐか」
セレモニーが終われば市長、場長である椎奈、第二王女である燈が順に演説を行う。出場する選手と対戦の組み合わせを発表して、第一回戦の第一試合と第二試合を行う。
予定に合わせ、燈はメインスタンドへ、宗次郎と森山は待機処に移動しておく必要がある。
「そうね。早めに移動しておきたいわ。この服装だと移動が面倒だし」
そう言って燈はくるりと一回転する。
燈の着物はかつての貴人が着用していた十二単を模して色彩豊かなものになっていた。所々に散りばめられたサファイアの装飾が蒼い瞳と調和し、降ろしてある銀色の髪が色彩を一つにまとめて全体のバランスを整えている。
一つの芸術品と化している燈だが、本人の表情からしていつもの服装よりは動きづらいのだろうと見て取れた。
「とってもお似合いです。燈様」
「ふふ、ありがとう。森山」
燈の美しさにうっとりして、森山は胸の前で両手を合わせている。
燈はこの闘技場に来てから、宗次郎と玄静のいる部屋の隣にある部屋、つまり森山がいる部屋で暮らしていた。椎奈が貴賓用の部屋を用意したが、そちらがお気に召さなかったそうだ。
第二王女と同じ部屋ということもあり、森山は緊張していたものの、別荘で同じ時を過ごしていたおかげですぐに慣れていた。宿舎の壁が薄いのか、夜中に女子トークをしていると思しき笑い声を宗次郎も聞いた。
「ほら、宗次郎。どう? この姿」
「ああ。似合ってるよ」
上手い表現が見つからず、宗次郎は淡白に応える。
するとなぜか森山がムスッとしながら宗次郎に詰め寄ってきた。
「宗次郎様。その言い方はいかがなものでしょう。もっとこう、女神のようだねとか、御伽噺に出てくる妖精みたいだとか、ないんですか!?」
「お、おう。そうだな。女神みたいだし、妖精みたいだぞ」
森山の威圧感に押されてお世辞を述べる宗次郎。とってつけた、まるで感情の篭っていない賛辞に燈はため息をつく。
「下手くそね、宗次郎」
「ごめん」
あまりの冷たさに宗次郎は直立不動のまま謝る。
直接的な表現はグサッと宗次郎の心に刺さった。
「一人にしておくのは不安ね。大丈夫なのかしら」
「まあ、多分な」
皐月杯で燈は第二王女としての務めを果たす必要がある。具体的に言うと、椎菜の隣にある貴賓席で試合を観賞しなければならない。
シオンとの戦いのような隠密作戦ではないため、国民に存在をアピールをする必要があるのだ。
これも政治よ、と燈はぼやいていた。
「森山もいるし、それに介添え役にもう一人いるから大丈夫さ」
「失礼します」
ちょうどノックの音がして、もう一人の介添え役が中に入ってきた。
「第二王女殿下。宗次郎殿、森山殿。お待たせして申し訳ありませぬ」
阿座上が平伏してから部屋に入る。
宗次郎は第八訓練場の代表、つまり闘技場側の剣闘士として出場するので、副場長を務める阿座上が介添え役を買ってでたのだ。
「よし。じゃあ移動するか」
「その前に。宗次郎殿にお渡ししたいものがある」
阿座上は扉を開け、廊下の外で待機していた面々を招き入れる。
「みんな」
二週間という短い期間ではあれど、ともに汗を流した第八訓練場の剣闘士全員が集まってくれた。
「宗次郎。これを」
阿座上が一人の剣闘士が持っていた布袋を受け取り、宗次郎に渡す。
「開けてみてくれ」
宗次郎が布袋を開くと、中には淡い紫色の布が入っていた。
「おお」
手にとっただけで、上等な材質で作られているとわかる。広げると布は羽織だった。背中には銀の刺繍で八と記されている。
「こんないいものを、本当に?」
「ああ。君の体格に合わせて作ったので、時間がかかった。間に合ってよかった」
宗次郎は広げた羽織の袖を通す。背中と肩にしっかりとはまっていて、動かしても全く邪魔にならない。
「訓練場の代表として出場する剣闘士のみ纏うのが許される羽織だ。どうか受け取って欲しい」
阿座上と剣闘士が頭を下げる。
しばし沈黙して、宗次郎は大きく息を吸った。
「俺は本来、この闘技場とは縁もゆかりもない。完全な部外者だ」
顔をあげた剣闘士たち全員を見渡し、宗次郎は続ける。
「でも、この二週間で俺は成長することができた。それはあなたたちがいてくれたおかげだ。だから━━━」
宗次郎は背中を向け、背負った八の字に親指を向ける。
「この羽織にかけて、必ず優勝する」
剣闘士たちにホッとした安心感が漂う。
「宗次郎ならきっと優勝できる」
「おう。全員のしちまえ」
「期待してるぞお!」
三者三様に応援をもらい、宗次郎は体に力が漲るのを感じる。
純粋な期待が宗次郎に活力をもたらしてくれているのだ。
「似合ってるわよ。宗次郎」
「ありがとう」
最後にことの次第を見守っていた燈から褒め言葉をもらう。
「じゃあ、行きましょうか」
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