第二部 第二十三話 雲丹亀玄静 その4

 八百長をしようという提案を拒絶された玄静。意外だったのか、呆けたような顔をしている。




「どうしてさ。ちゃんと報告書も当たり障りなくかつ君を評価するように━━━」




「そういう意味じゃねえって」




 怒りとがっかり感が宗次郎の胸中で混ざり合う。




 施設での一件しかり、玄静の勝負に対する諦めの速さ、やる気のなさには驚きを通り越してもはやあきれるばかりだった。




「俺はお前の口車に乗って手を抜くような真似はしない」




「どうして?」




「バレるからだ」




 宗次郎の発言に込められた本気具合に玄静が少しだけ身を引く。




「バレないとたかをくくっているんだろうが、どんなにうまく誤魔化しても気づく奴はすぐに気づく。剣の動きは心情がモロにでるんだぞ」




「そうね。見抜かれると思うわ。だって宗次郎はわかりやすいんだもの」




 ガクッと落ち込む宗次郎に、うんうんとうなずく森山がとどめを刺す。




「話の腰を折らないでくれないか」




「事実だもの。それにね玄静。あなた、どうしてこの闘技場がこれほど大きくて、剣闘士が数多くいるのか考えてみなさい」




「?」




「ここでは強くなりたいと願い、望んだ者たちが日々切磋琢磨している。彼らが繰り広げる命をかけた戦いは、見る人に鍛えた技を、熱い信念を体感させる。だからこそ観客は熱狂し、叫び、ともに熱くなるのよ。その思いが大きいからこそ、この闘技場は大きく、剣闘士の数も多い」




 応接室で椎菜が語ってくれた内容と同じ話を燈が玄静にぶつける。




「それでも手が抜けるのなら、手を抜いてみなさい」




「………………」




 険悪な雰囲気に、宗次郎は咳払いして仕切り直す。




「そういうことだ。俺は勝負で手を抜くなんて器用な真似できないからな」




「でも一週間二人で練習すればさ━━━」




 宗次郎は手をかざして玄静の話を遮る。




「バレたらいったいどうするつもりなんだ。お前は」




「それは……」




 玄静が口を閉ざす。




「公式の大会で手を抜いていたなんてことになれば、俺たちの信用は地に落ちる。波動具を取り上げられる可能性だってある。それに、俺たちを信頼してくれている全員に迷惑がかかる。その落とし前を、お前はどうやってつけるつもりなんだ」




 宗次郎は言葉を畳み掛けながら隣に立っている燈を見つめる。




 宗次郎が忠誠を誓い、そして同じように信頼を寄せてくれる燈。彼女を裏切る選択肢を選ぶなんて、天地がひっくり返ったとしても選ぶ気はなかった。




「……」




 宗次郎の反論を静かに聞いた玄静は天を仰ぎ、数十秒の間静かにしている。




 まだ納得しきっていないのか、表情は硬いままだ。




「本当にやる気がないのね。どうして?」




「さっきも言ったでしょ。戦う理由がないんだ。宗次郎と違ってね」




 嫌味な態度は変わらず、玄静はドカッと音を立てて座布団に座り込む。




「自分の意志で出場した大会ならまだしも、出場しろと命令されたところで頑張れるもんか」




 畳に寝転んで両手両足を投げ出し、脱力しきっている玄静。




 宗次郎の玄静と戦ってみたいという願望はどうやらかないそうにない。監視でさえさぼりまくっているのだ。利益や意味を感じられないと行動する気になれない性質たちなのだろう。




「僕は全力を出すとか、努力とか好きじゃないんだ。面倒な命令だってできれば断りたい。物事にかかわるなら、手綱は自分で握りたい人間なのさ。ま、君との戦いになったら仮病でも使うさ」




「お前、いったい何がしたいんだよ」




 あまりのいい加減ぶり、そして反省のなさに宗次郎はいら立ちに駆られて大声を出す。




「夢とか目標とか、お前にはないのか?」








「え、ないよ?」








 あっさりとした返事に面食らう宗次郎に対して、玄静はため息を吐いた。




「あのさぁ、夢とかあって当然でしょみたいな考え、押し付けないでもらえる? 別に夢ややりたいことがなくたって人は生きていけるんだよ。自分のやるべきこととやれることを日々積み上げていけば実力がつく。実力がつけば、人の役に立てる。それで十分なんだよ」




 玄静は投げ出していた足を組み、両手を後頭部に回し、あっさりと言ってのけた。




「僕は自由気ままに暮らせればそれでいいと思ってる。ほどほどに頑張って、のんびりしたいんだ。もちろん貴族の務めは果たすよ。必要とあらば領地に暮らす国民が不自由なく暮らせる制度を考えたりするし、国家のために働くのもやぶさかじゃない。この前、燈が持ってきてくれたような案件くらいの難易度がちょうどいい。楽だし」




 燈の案件とは、天主極楽教の作戦を言っているのだろう。




 玄静と壕。宗次郎が時を超えて出会った二人の軍師は、なるほど先祖と子孫の間柄だけあって似ている部分が多い。




 陸震杖の主だからか、それとも単に遺伝なのか。壕も自分の思い通りに事態を動かす快楽を至上の喜びとし、他人からあれこれ言われるのが嫌いだった。




 実際、宗次郎が壕の指示に従わなかった場合、作戦終了後に壕に問い詰められた。




 なぜ指示に従わなかった。別の行動をした理由は何だ。お前のせいで作戦に狂いが生じたかもしれないなどなど。




 そのたびに喧嘩を起こしては大地の手を焼かせるのが日常茶飯事だった。




 もちろん、決定的に違う部分も存在する。




 壕は大地に忠誠を誓っていた。大地の『天修羅を倒し、だれもが幸せに暮らせる国を作る』夢に賛同し、協力を惜しまなかった。命令されるのが嫌いであっても、主の指示にはきちんと従う分別があった。




 だからこそ周囲からの信頼を得て、皇王国の建国と同時に初代大臣に就任したのだ。




 他方、玄静は楽をすることしか考えていない。壕と同じように頭がよく、知識があっても、それらを自分が楽をするために使っている。




 これではどんなに優れた能力があっても、人から認められはしない。




「あなたの生き方にケチをつけるつもりはないけれど━━━」




 あきれを通り越して、もはやあきらめの境地に達したのは宗次郎だけではないらしい。




「もしかしたら陸震杖から見放されてしまうかもしれないわよ。それでもいいの?」




 燈が宗次郎の横に立ったまま、いつもの冷たい口調で警告するように玄静に語り掛けた。




 陸震杖や天斬剣にかぎらず、強力な波動師が使用していた波動具は持ち主を選ぶ。選ぶ基準については、波動の属性や総量、血筋が近いなどなど諸説ある。波動の源は精神といわれているので、初代の使用者と精神性が似通っていると選ばれやすいとも。




 それは逆に、何らかの理由で持ち主にふさわしくないと判断される場合もありうる。老いや負傷によって使用できなくなるケースがあるのだ。




 玄静がこのまま腑抜けた態度を続ければ陸震杖に見放される可能性もある。燈の指摘は可能性としてあり得ない話ではないのだ。




「……」




 警告を聞いた玄静から笑みが消え、一瞬だけ無表情になる。何を考えているのかは読み取れないが、どことなく憂いているような気配を宗次郎は感じ取った。




「もしそうなったら、君と婚約を解消して素直に身を引くさ。僕はもう寝る。お休み」




 何事もないかのように玄静は再び笑って立ち上がり、小さく伸びをしてから部屋の奥へと消えた。




 宗次郎、燈、森山は黙って玄静を見送る。途端にリビングが静かになり、時計が秒針を刻む音だけが響く。




「……もしかして、地雷を踏んでしまったのかしら」




 小首をかしげる燈に、宗次郎は静かに首を振るしかなかった。






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次からやっと皐月杯の開始です。

長かった……

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