第二部 第十七話 燈と天斬剣の帰還 その1
次の日。
それから宗次郎は訓練場に赴き、玄静はいつものように遊びに出かけた。
「よう、いよいよだな」
天斬剣が戻ると知れ渡っていて、剣闘士たちは宗次郎より興奮気味になって話しかけてきた。
おかげで訓練中も心ここにあらずといった様子で、阿座上から何回か叱る声が飛んだ。
午前の合同訓練が終了し昼休みになると、ピンポンパンポーンとチャイムが鳴る。
「穂積宗次郎さま。待合室までお越しください。椎菜場長がお待ちです」
アナウンスとともに訓練していた全員の視線が宗次郎へ注がれる。
「では行ってきます」
「おう」
阿座上に挨拶し、あとで見せてくれとせがむ剣闘士に手を振りながら宗次郎は訓練場を出る。
「あっちいな」
とろけそうな暑い日差しを遮りながら闘技場を目指す。
天気予報によると今日は夏日になるとのことなので、大当たりだ。アスファルトから立ち上る熱気のせいで、闘技場が揺らいで見える。
「お疲れ様です宗次郎さま」
「お疲れ、森山」
途中で森山と合流する。
「森山はどう? ここでの暮らしに慣れた?」
「はい。剣闘士も優しい方ばかりですから」
「そっか」
宗次郎は森山の歩幅に合わせて歩く。
闘技場でも森山は甲斐甲斐しく宗次郎の世話を焼いてくれた。男所帯がたむろする訓練場では注目の的となり、宗次郎は剣闘士からどのような関係なのかしきりに質問を受けた。
正直なところ、誰かちょっかいをかけたりしないかと不安になったが、天斬剣のネームバリューのおかげで何もされていないようだ。
「そうだ。一緒に資料館を見に行くって約束、皐月杯が終わってからでもいいかな。時間が作れそうになくてさ」
「いえ、そんな。燈殿下の為にも優勝を目指すのが先決ですものね」
そうこう話しているうちに資料館にたどり着く。
受付嬢に案内されて冷房の効いた廊下を歩いていくうちに応接室にたどり着く。
「どうぞ」
ノックをすると中から椎菜の返事が返ってきたので、重たい木の扉を開ける。
そこには意外な人物がいた。
「あれ? 燈。いたのか」
「久しぶりね。宗次郎」
ぶっきらぼうに答える第二王女がソファに腰を下ろしていた。
「一週間ぶりね。調子はどう?」
「悪くないよ。むしろいい感じだ」
燈は宗次郎の頭の先からつま先までぐるりと見渡して、そうとつぶやいた。
「ところでどうしてここに? 長門屋で落ち合うんじゃなかったのか?」
「少し事情が変わったのさ」
デスクに座っていた椎菜がそばまでやってくる。
「事情? 何か問題が起きたのか?」
「まあ、問題というほどでもないのだがな」
椎菜は申し訳なさそうに頭をかく。
「長門屋に天斬剣があると知れ渡ってしまったらしくてな。昨日から一目見ようと群衆が集まっているんだ。とてもじゃないが私たちが取りに行けそうにない」
「どうするんだ?」
「当主殿にこちらへ運んでもらうようにした。そろそろ到着されるころ合いなので、ここで待っていてくれ」
宗次郎は了承し、促されるまま燈の隣に座った。
「玄静はどこにいるのかしら」
「さて。ついさっきメッセージを送ってあるので迷うことはないだろう」
「そう。宗次郎は玄静とよくやれてる?」
「残念ながら。喧嘩しそうになった」
首を振った宗次郎に椎菜が怪訝な顔をする。
「おいおい。もめ事はやめてくれよ。天斬剣と陸震杖の争いが起きたら、闘技場どころか町が吹き飛ぶ」
「暴力沙汰にはなっていない。安心してくれ」
特に落胆した様子を見せない燈と椎菜に玄静とのやりとりを説明する。
一通り話し終えると、確かにと呟いて椎奈が腕を組む。
「ま、玄静のいうことも一理ある。
「そんなにか」
「そんなにさ。皐月杯に出場するには場違いなくらい強い。しかし十二神将の強さとはそういうものだ。だろう、燈」
「そうね」
燈のサファイアのような瞳が、まっすぐ宗次郎をとらえる。
「玄静の発言を気にする必要はないわ」
「俺だって気にしてないよ。ただ、彼は昔からああなのか? めんどくさがりというか、手を抜きたがるというか」
宗次郎は玄静のこれまでの振る舞いを思い出し、眉を顰める。
「……ああ、そうだ」
宗次郎の疑問に応えたのは、意外にも椎菜の方だった。
「私は三塔学院で彼と同期たっだんだ。『優秀ではあるのだろうがやる気はない』という評判でな。なんていえばいいか……満点を目指さないスタイルだ。例えるなら六十点で合格なら六十一点を取って、あとは遊ぶという感じだった」
「そういえば、『雲丹亀家始まって以来の放蕩息子』って噂があったわね」
「燈のいう通り。生徒も教師もそう噂していたよ。玄静自身は気にするどころか、むしろ遊びまくっていたがね」
「燈は三塔学院で玄静に会なかったのか?」
「私は飛び級で卒業したから」
宗次郎の質問に対して燈は静かに首を横に振った。
「彼と初めて顔を合わせたのはお互い卒業して、婚約したときね」
「へー」
つまり燈は十六を過ぎて婚約し、玄静と会った事になる。
貴族間における結婚の基本は親が決めた婚約に従ってなされる。長男や長女など次の当主となる可能性が高くなるほどその傾向が強い。
早ければ生まれる前から、遅くとも十三歳ごろには決まるのが一般的だ。宗次郎も三塔学院に入学する前、父から見合いの話を持ち出された。
「意外と婚約、遅いんだな。燈はともかく玄静もいなかったなんて」
「それはどういう意味かしら?」
スッと細くなった燈の瞳にとらわれる。
顔は笑っているのに宗次郎は自分の体温が十度近く下がった気がした。
「別に他意はない。なんというか似合わないなって」
後ずさりしながら両手で燈をなだめる宗次郎。
その様子に椎菜がゲラゲラ笑いながら燈の肩に手を置いた。
「あっはっは。宗次郎は間違っちゃいない。言い寄る男を片っ端から氷漬けにしていたらモテるものもモテないさ」
「ふん。あなたが男と一緒にいるところを見たこともないけれど」
「何を言う。学院時代から今に至るまでモテモテだぞ。男だろうが女だろうが私の鞭裁きに心奪われるのだから」
それはモテるとは言わねえと言いたくなるのをこらえて、宗次郎はソファの背もたれに背中を預ける。
「ま、それはそれとして。私も燈に婚約者ができたと聞いたときは意外に思ったものさ。どこが良かったんだ?」
「さあ。付き合いがほとんどないもの。父が強引に決めた婚約だから、彼が婚約者だって自覚が湧いてこないのよね」
「へえ」
椎菜はお茶を口に含む燈から宗次郎に振り向き、ニヤニヤ笑いながら口パクでこう告げた。
「よかったな」
何がだよ、と口パクで返す。椎菜の言うとおり、少しほっとしている自分にモヤモヤする宗次郎だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます