第二部 第十六話 第八訓練場 その3

「おかえりなさい。宗次郎さま」




「ただいま」




 パタパタとスリッパの音をたてて迎えに来てくれた森山に挨拶して、リビングに上がる。




「やあ、お帰り。宗次郎」




 テーブルには玄静が座っていて、森山が作ったであろう料理を平らげ終わっていた。




 他人の家の使用人が用意した食事にあっさりとありつけるその精神性を、宗次郎はもはや感心すらしていた。




「今日は帰りが早いんだな」




「当然。あの少年の話は当然聞かせてもらうよ。君が年端もいかない少年に意地悪をしたのであれば、報告書に記載しなければね」




 意地の悪い顔をする玄静を殴りたくなる宗次郎。




「うるせえ。俺は何もしていないし、名前すら知らない」




「本当に?」




「本当だっつの」




「少年?」




 首をかしげる森山に今日の出来事を説明する。




 そうこうしているうちに椎菜が第八訓練場の副場長である阿座上あざかみを連れてやってきた。




「やあ、お待たせしたね」




「こちら、お茶になります」




「あぁ、ありがとう」




 席に着いた椎菜は森山が淹れたお茶を口に含む。




「早速だが始めて構わないかな?」




「ああ。大丈夫だ」




 宗次郎、玄静、森山の三人を見渡してから椎菜は語り始めた。




「少年の名前は黒金くろがね壱覇いちはという。この闘技場の関係者で、第八訓練場の監督を務める黒金くろがね圓尾まるおのご子息だ」




「えっ」




「!」




 反応したのは森山と玄静だった。




「二人とも、知ってるのか?」




「まあ、黒金くろがね圓尾まるおの名前はね。この闘技場じゃちょっとした有名人さ」




「その、ちょっと前にニュースを拝見しました」




 申し訳なさそうにする森山の雰囲気に、宗次郎は心当たりがあった。




「その黒金圓尾とやらは問題のある人間なのか?」




「いや、うん。どうしてそう思う?」




「実は……」




 宗次郎は以前、休憩中に談笑していた剣闘士に監督について聞いたことがあった。




 副監督である阿座上にはちゃんと挨拶をしているし、訓練でもお世話になっている。なのに監督は一向に姿を現さないので気になったのだ。




 すると話題を振られた剣闘士はあからさまに気まずそうにして、周囲の空気が悪くなる。気にしなくていいとか、病気だからと理由をつけて話をそらされるのだ。




「あまり触れてほしくなさそうだったから、な」




「そうか」




 深く息をして椎奈は椅子に座りなおした。




圓尾まるおさんは剣闘士の中でも結構な古株でな。通称、不死身の圓尾と呼ばれている」




「不死身?」




「えぇ。監督ははどれだけ負傷しても決してあきらめずに、何度でも立ち上がる男でした。過去に大怪我をした際も、長いリハビリを終えて復帰していました」




「思えば、私が生まれる前から現役で勤めているのは圓尾さんだけだな。年齢は今年で四十三になる」




「その年齢で現役はすごいな」




 剣闘士の平均年齢は二十八。引退の多くはは三十代前半になると聞く。八咫烏ですら四十代で前線にいる者はいない。




「抜きんでた才能はないが、ひたすら努力を積み重ねて戦績を伸ばした剣闘士だ。過去の皐月杯でも二度優勝していて、ファンもかなり多い」




「だろうね。水龍すいりゅう祭での活躍は僕も知ってる」




水龍すいりゅう祭?」




「毎年十月に行われる模擬海戦の大会。剣闘士が総出で出場する、皐月杯と同じく重要な催し物だよ」




 玄静が呆れ顔で説明する。




「水龍祭は闘技場を水で満たし、数隻の船で海上戦を模した戦闘をするんだ」




「圓尾監督は十年前に行われた水龍祭で大逆転劇を果したのです。その功績を称えられ、現在の地位につきました。お子さんである壱覇君が生まれたのもそのすぐ後ですね」




「ふぅん」




 妙だ。椎菜と阿座上の話を聞く限りとても問題のある人物とは思えない。




「だった、ね。何かあったのか?」




 椎菜は再びお茶を飲み、ゆっくりと告げた。




「一ヵ月ほど前、圓尾さんが蟠桃餅ばんとうもちを使っていると通報があった」




「!」




 宗次郎はようやく状況が飲み込めた。




 蟠桃餅ばんとうもちは菓子の形をした麻薬の総称だ。服用すると自分の望む幻覚を見せるといわれている。中毒性がかなり高く、使い続ければ間違いなく心身ともに障害をきたす劇薬だ。




 製造、販売しているのが王国最大のテロ組織・天主極楽教である。そのため王国中に広がりを見せ、社会問題にもなっていた。




「まさか、天主極楽教と繋がりが?」




「いや。調べたところ薬を買い取っていただけのようだ。今は屯所の牢屋につながれている」




 椎菜と阿座上がやるせなさで下を向き、重苦しい空気が流れる。




「監督は最近、歳のせいもあって思うように結果が残せていなかった。プレッシャーを感じていたのだと思います」




「それは言い訳にもならないでしょ」




「まったくだ。すべては私の責任だ」




 阿座上の発言を玄静が容赦なく切り捨て、椎菜が自責の念を吐露する。




 空気が重苦しくなり、宗次郎は話題を変えることにした。




「もしかして、ぽっと出の俺が皐月杯に出場できたのは━━━」




「そう。出場停止になる圓尾さんのピンチヒッターとして、さ」




 宗次郎は隣に座る主に問いかける。




「もしかして燈の提案か?」




「そうだ」




「なるほどな」




 宗次郎は脱力して背もたれにもたれる。




 天斬剣の主に選ばれたからといって、いきなり大会に出場できるなんて都合がよすぎると思っていたのだ。




 圓尾が薬物中毒に陥り逮捕されたとなると、椎菜にとっては大きなスキャンダルだ。代わりの剣闘士を見繕わなければならないし、最悪場長を辞任する可能性だってあっただろう。




 しかし現実はそうなっていない。




 理由はおそらく“天斬剣献上の儀”が中止になったからだ。




 時期から考えて、儀式の中止が公表されたのは圓尾の逮捕から数日と経っていない頃だ。宗次郎が起こした大事件は闘技場のスキャンダルよりはるかに規模が大きく、周囲の意識を引きつけた。




 そして宗次郎の実力をお披露目する機会を探していた燈は皐月杯に目を付けたのだ。参加者が足りず大会の継続が困難な中、天斬剣の持ち主が参戦するとなれば注目が集まるのは必至だ。まして闘技場の場長は自分の親友である。協力を持ち掛けるのは簡単だ。




 椎菜からしても自分のスキャンダルをうやむやにできる。参戦者が天斬剣の持ち主となると反対も起きない。まして王国の第二王女がついているのならなおさらだ。




「やっぱり燈はすごいなあ」




「ああ。彼女には何度も助けられている」




 宗次郎は頭をかいて、再び前に座る椎菜に視線を戻す。




「じゃあ、監督の息子が俺を憎んでいるのはなんでなんだ?」




「先ほど本人に確認してきた。どうやら壱覇いちはは、宗次郎のせいで父親が捕まったと思っているそうだ」




「……なんだそりゃ?」




 理屈の通らない理論に宗次郎は首を傾げる。




「圓尾さんは皐月杯に出場して優勝すると壱覇に約束していたらしい。年齢的にも今年が最後だから、息子に晴れ姿を見せたいと常々語っていたよ。その父親が逮捕されて間もなく、代役として宗次郎が出場すると私が公表した。逆恨みを買ってしまったんだ」




「監督は息子が生まれてすぐ、奥さんをなくされているんです。それで壱覇くんをかなり溺愛されていました」




 宗次郎はため息をつき、腕を組んで天井を見上げた。




「あいつのせいで父さんが!」




 そう叫んでいた壱覇の目を思い出す。




 自分にとって大切な父が捕まった悲しみ、切なさ、さみしさ。それらをすべて宗次郎に向ける憎悪の光が宿っている目だった。




 壱覇は父が犯罪を起こした認識はあっても、受け入れられないのだ。子供なのだからといえばそれまでだが、宗次郎のせいにされてはたまったものではない。




「大会が終わるまで、壱覇は私の家で預かる。家内が世話をするから、迷惑はかけないようにする」




「そうしてくれると助かります。顔を合わせないほうがいいでしょうし」




 阿座上の協力に感謝して宗次郎は頭を下げる。




 壱覇に対してどんな言葉をかけても届かないだろう。子供の思い込みを変えるなんてマネを自分ができるとは思わない。




「え? まさかこれで終わり?」




 話は以上だという雰囲気に切り込んだのは、意外にも玄静だった。




「その壱覇を放っておくだけでいいの? まずいでしょ」




 日ごろから何かにつけて面倒くさがり、ふらふらと適当な態度を崩さない玄静がいつになく真剣な表情をしている。




 ━━━もしかして子供だからか?




 以外にも優しい一面があるんだなと宗次郎は内心期待する。




「何かいい方法があるのか?」




「決まっている。真実をちゃんと伝えるんだ。父親が罪を犯した責任は、ほかならぬ父親にあるってさ」




「鬼畜かお前」




 期待をあっさり、それも真逆の方向に裏切った玄静。宗次郎は顔をしかめる。




「別に宗次郎がやれとは言わないさ」




「じゃあ誰がやるってんだ」




「壱覇少年の知り合いならだれでもいいんじゃないかな。とにかくこのまま放置するのは一番の下策だよ」




 玄静のきっぱりと言い切った物言いに説得力を感じる。この場にいる四人はつい耳を傾けた。




「部屋で預かるといっても、拘束をしてはいないんでしょ? もしかして四六時中見張る?」




「それは……」




「万が一逃げ出したらどうするつもりなのさ? 敷地内は広い。まさか手分けして探すつもり?」




「むぅ」




 指摘された阿座上と椎奈が押し黙る。




 父親と違って罪を犯していない子供を拘束するのはさすがに無理がある。いくら阿座上の奥さんが世話をしても、目を離したすきに何をしでかすか分かったものではない。




「ここで甘やかしたら泥団子じゃすまなくなるかもしれないでしょ。そうなる前に目を覚まさせてやらなきゃ」




「でも……可哀そうです」




 森山が小さな声で反論する。




 どちらの意見も正しい。子供につらい事実を突きつけるのは残酷だ。かといって目を背けても現実が変わりはしない。




「どっちにしてもつらいな」




「それでも選ばなきゃいけない。ここにいる全員、壱覇より大人なんだからさ」




 言いたいことを言い切って玄静はイスに深く座り込む。




 宗次郎たちは子供の為と言い訳をしながら、その実は子供に事実を伝えるつらい役目から逃れたいだけ。




 玄静がもたらした正論の嵐によって空気が変わる。




 ━━━意外としっかりしてんじゃねえか。




 楽することしか頭にないのかと思っていたが、そうではないらしい。




「そうだな。私も時間を作って壱覇と話してみよう」




「私もお供します場長」




「ああ。根気よく行こう」




 椎菜と阿座上は意見を変え、壱覇と向き合うようだ。




「俺にも何かできることがあれば手伝うよ」




「ああそうだ。いっそのこと宗次郎が一回戦で負けてしまえば話は丸く収まるんじゃない?」




「おい」




 真面目モードは三分も持たないのか、はっはっはと玄静は大声で笑った。


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