第二部 第十五話 第八訓練場 その2

 宗次郎が闘技場にやってきて六日が経過した。




 剣闘士の一日の過ごし方はまさに戦士のそれだった。朝起きたら訓練場に全員で集合し、準備体操を行う。腕立て伏せや腹筋など簡単なトレーニングをしてから、十二時まで素振りをする。




 午後は自由時間だ。外にランニングしに行くもよし。施設の器具で筋肉をいじめるもよし。道場で一対一の模擬戦をやるもよし。各々が自身の課題に合わせて己を鍛える。




 宗次郎は今、波動術を訓練するための施設にいた。




 術で施設が壊れないよう波動を遮断する特殊な合金が壁や天井をコーディングしており、波動が外に漏れることはない。




「……よし」




 宗次郎は真っ二つになった空き缶を前にあぐらをかく。




 この空き缶は訓練前に自販機で購入したものだ。先ほど飲み干して波動刀で両断したので、生後一分といったところか。




 この二つに斬られた空き缶を、宗次郎が持つ時間の波動を使い、元の形へと直す。




「時刀の参:時戻ときもどし━━━!」




 術を発動させ、空き缶に流れる微弱な波動と同調。空き缶に流れていた時間を読み取り、現在から斬られる前の過去をなぞる。




 そこから先こそ、この波動術のきもだ。




 時間は流れゆく川のようなものだ。故にその流れを加速させるのはそう負担にならない。勝手に流れる時間を後押しすれば済む。




 その逆。時間の流れを止めたり、まして逆らおうとすれば負担は増える。




「く、ぅ」




 ピリ、と指先に走るひりつく痛みをあえて無視し、さらに術式に波動を流し込む。




 対象が空き缶、無機物でなおかつ常に変化しないからこそこの程度の負担で済んでいる。




 徐々に切り口が塞がり、空き缶は元の形状へと変化していく。




「ふぅ」




 手応えを確かめるため、空き缶を手に取る。異常はない。斬る前と同じでしっかりくっついているし、ラベルも元どおりだ。




「六秒、か」




 空き缶の大きさ、それもたかが一分前の状態に戻すのに、六秒。




 遅い。非常に遅い。実戦ではとても使えない。




 時戻しは対象の時間を遡り、過去の状態へと戻す波動術だ。戦闘能力は皆無だが、結構便利なので重宝している。使いこなせば他人の傷を癒したり、壊れた道具を元どおりにできる。対象を一つしか選べず、大きく複雑になればなるほど波動の消費が大きくなるため、乱発は厳禁なのが玉に瑕だ。




「俺、本当に弱くなったな」




 出来の悪さに頭を抱え、宗次郎は寝転がる。




 ━━━やはり体内時間を停止させるやり方は失敗だったのだろうか。




 宗次郎は元の時代に戻る際、自分の体内時間を停止させ、千年経ったら目覚めるように術を組み上げた。目論見では全盛期の力を維持したまま目覚めるつもりだったのに、蓋を開けてみれば波動と記憶を失ってしまった。




 そればかりか、肉体の頑強さ、術のキレ、波動の制御。全てが千年前より弱体化している。




 トレーニングをすれば思ったよりも早く息が切れる。ランニングをすれば翌日は足が筋肉痛になる。術を使えばこの有様だ。




 一緒に過ごしていた剣闘士たちの意外そうな目線が痛い。それはそうだ。伝説の波動刀の持ち主に選ばれた男が自分たちより体力がないなんて何かの冗談にしか感じられないだろう。




 特に致命的なのが、波動の総量が低下していることだ。




 宗次郎の波動は強力だが欠点がある。燃費が悪いのだ。時間も空間も波動でコントロールしようとすればするほど波動を消費する。千年前は王族に匹敵する波動量を誇っていたが、今はその三分の一以下になってしまったのだ。




「ま、一人で腐っていてもしょうがないか」




 起き上がって再び空き缶の隣に立つ。




 弱くなったからと言って弱音を吐いても始まらない。天斬剣の封印が解けてすぐ、シオンとの戦いよりはいくらかましになっている。




 強さを得るための近道はなく、一歩一歩前に進むしか道はない。




 師匠の言葉を思い出して宗次郎は訓練に励む。




「ふっ」




 それから五回ほど空き缶を戻す作業を繰り返し、ついには二秒以内に元どおりにできた。




 さらにこの感覚を体に叩き込むべく術を発動しようとしたとき、部屋のドアを誰かがノックする。




「やあ。励んでいるかい、宗次郎」




 返事をするより先に、飄々とした空気を纏わせて玄静が中に入る。




 波動師とは思えない、とてもラフな服装だ。典雅てんがなデザインをしている和服をおしゃれのつもりなのか着崩している。闘志が渦巻く闘技場にはあまりに不釣り合いだ。




「波動術の訓練をしてるんだって? 空缶なんか使って何してるのさ」




「うるせーよ。それより何の用だ」




「場長から言伝。明日の昼に燈が戻ってくるから、合同訓練が終わったら応接室に来いってさ。んで、天斬剣を取りに行くんだって」




「そうか……」




 宗次郎は自然と天を仰ぐ。




 自分の使い慣れた武器が手元に戻ってくるのはうれしい。一週間ぶりに燈と話せると思うと心が浮き立つ自分がいる。




 同時に皐月杯まであまり時間がないという事実が心にのしかかり、それを振り払うかのように宗次郎は空き缶の隣に移動する。




 そこでふと玄静がこちらを見つめていると気づいた。




「なんだ。まだ何かあるのか」




「いいや別に。気にするなよ、僕は君を監視するためにいるんだから」




「さぼりまくっている奴がいうセリフじゃないだろ、それ」




 宗次郎はあきれてものが言えなかった。




 玄静は宗次郎を監視する王命を受けておきながら、その仕事を半ば放棄していた。やる気がないんだよねという言葉通り、宗次郎が訓練に参加した初日から姿を消したのだ。そればかりか日付が変わるころ合いに酒のにおいを漂わせながら戻り、




「あんな暑苦しい空間にいられないよ」




 と宣ったのち、玄関でいびきをかき始めたのだ。そのぐうたらぶりには宗次郎どころか森山も言葉を失っていた。




 それからも玄静は宗次郎を見張ることはなかった。




 剣闘士たちによると、玄静は宗次郎の人柄についていくつか質問をしているが、当たり障りのないものばかりらしい。玄静としては仕事をしているつもりなのだろうか。




「固いこというなあ。宗次郎だって監視されたいわけじゃないんだろう?」




 図星を指されて宗次郎は口をつぐむ。




 玄静の言う通り、監視がないおかげで自由に鍛錬ができている。特にさっきまでやっていた波動術の訓練がそうだ。




 波動の属性を隠しておきたい宗次郎にとって、一人の時間はありがたいことこの上ない。




 宗次郎が気に入らないのは、玄静の報告が自分の今後を左右する点だった。




 日常のふるまいをきちんと調べ、共に暮らす人間から話を聞き、戦いぶりを見たうえで、公正な視点から報告書を書いてくれるのならば宗次郎も異存はない。が、玄静の態度からしてそんな仕事ぶりは期待できそうにない。




「前にも言っただろう。報告書は当り障りのないものにしておくさ。それに━━━」




 宗次郎の心を見透かしたのか。玄静は挑発的な態度のまま扉にもたれかかりにやにやしている。




「僕の報告書なんてどうでもいいと思うよ」




「どういう意味だ」




「君が負けるからさ」




 宗次郎の神経が逆なでされる。




 弱くなっていると自覚した矢先に、よく知らない相手から敗北宣言を突き付けられる。不愉快でたまらない。




「喧嘩売ってんのかお前」




「だーかーらー。そんなに怒るなって。これでも有益な情報を持ってきたんだぜ」




 玄静が背中から一つのファイルを取り出してひらひらと振る。ちらりと顔写真が見え隠れした。




「皐月杯の出場者か」




「そ。興味あるだろう?」




「……」




 宗次郎は無言でコクリと頷きながら、自分の弱体ぶりにさらに凹む。




 全盛期の自分と今の自分の差にしか意識を向けていなかった。これから戦う相手を知ろうともしないなんて戦士失格だと遠回しに言われている気分だ。




「俺より強い奴がいるってわけか」




「君も含めて、この人以外はみんな有象無象さ」




 玄静はファイルを開いてあるページを見せつける。




 いかつい顔をした戦士の写真が貼り付けてある。名前の欄には但馬たじま玲央れおとあり、書類の下部にはこれまでの経歴が乗っている。




「誰だ?」




「おい。まさか知らないのか?」




 常識だぞ、と言って玄静はやれやれと首を振る。




「強いのか?」




「強いなんてもんじゃないさ。十二神将を選ぶにあたって燈とともに最終候補にまで入っていたんだから」




 玄静の小ばかにしたような態度に宗次郎は得心がいく。




 十二神将は国王が直々に選ぶ最強の波動師たちだ。それに名を連ねる燈の強さを宗次郎は先のシオンとの戦いで知っている。




 この但馬という波動師も燈と同じくらい強いということだろう。




「少し前、僕はこの人と仕事をした。見事な剣術と波動を披露してくれたよ。とてもじゃないが君が勝てる相手とは思えない」




「そうかよ」




 宗次郎はうんざりしてファイルを玄静に返す。




「おや、もういいのかい? せっかく集めたのに。それとも、最強だから必要ないのかな」




「余計なお世話だ。俺は自分が最強だと思ったことはない」




 王国記において初代国王の剣は華々しい活躍とともに描かれている。さらに天修羅を倒したその功績から、現代にいたるまで最強の波動師との呼び声も高い。




 それでも当の本人である宗次郎にとってそんな自覚はない。弱体化している今はなおのこと、天修羅を斬り裂いたとときですら自分が最強だなどと思ったことはないのだ。




 なぜなら宗次郎より強い波動師はいくらでもいたからだ。幼いころは師匠である引地に一度として勝てた試しはないし、今だって勝てるか怪しい。千年前にも宗次郎より強い戦士はいた。




 まして、天修羅を倒した偉業は、あの時代に生きた全員で成し遂げたものだ。




 宗次郎がただ一人で成し遂げた偉業など、何一つないのだ。




「へえ。謙虚なんだねえ。意外だよ」




「うるせーよ。邪魔だからとっとと失せろ」




「そうはいかない。何せこっちは邪魔しに来てるんだから。その無駄な努力をね」




 宗次郎の頭の中で堪忍袋の緒がきれる。




「てめぇ。いい加減にしろよ」




「だから、そう簡単に怒るなって」




 胸ぐらを掴み掛かる勢いで詰め寄るも玄静は肩を竦めるだけだ。




「子供が君を探していたんだ。天斬剣の持ち主になった人はどこかって」




「子供?」




 そ、と短く返事をする玄静。




 妻帯している剣闘士の中には家族を敷地内に住まわせている者もいる。子供がいても不思議はない。




「人気者だねぇ」




 宗次郎は全身にむず痒さを感じる。




 天斬剣の封印が解けてから、宗次郎につて取材をしようとする記者が後を絶たないらしい。実際、この闘技場にもあわよくば宗次郎を写真に収めようとうろうろしているそうだ。中には柵を乗り越えて侵入しようとした記者もいたとか。




 そうした事態を予測してか燈からは




「絶対に闘技場から出るな」




 と厳命されている。宗次郎としてもカメラを向けられたり質問責めに遭うのはごめん被りたいのでそれを守っているのだ。




 ━━━ま、子供ならいいか。




 宗次郎とて幼少期は寝物語に聞かされた英雄譚に憧れたものだ。探し回る子どもの気持ちはよくわかる。




「サインくらいしてあげる? それとも君はこのまま訓練を続けるのかな?」




「うるせー。行くから黙ってろ」




 玄静の言いなりになるのが少し癪だが、それはそれ。宗次郎は玄静と一緒に訓練場を出る。




「その子供はどこにいるんだ?」




「さあ。外で会ったから、とりあえず出ようか」




 施設から出ると猛烈な日差しが降り注いでいる。




「あっちいな。もう訓練場の中にいるんじゃないのか?」




「そうかも……ん? あれは━━━」




 訓練場の外で話し合っているのは椎菜と阿座上だった。この暑い中でも外にいるのは内密にしておきたいからなのか。両者の背中からは緊迫感が感じられる。




「とりあえず、宗次郎には会わせないようにしないと」




「場長。阿座上あざかみさん。こんにちは」




「ああ、宗次郎。ちょうどいいところに」




 どうやら椎菜と阿座上は自分の話をしていたらしい。




「何かあったんですか?」




「うむ、申し訳ないのだが宗次郎━━━」




「見つけたぞ!」




 質問をしようとしたところで背後から声がして、全員が一斉に振り向く。




 九歳くらいだろうか。一人の少年がズカズカと足音が聞こえてきそうな勢いで歩いてくる。




 ━━━まさか、この子か?




 少年の視線とむき出しの感情が自分に向けられていると気づき、宗次郎は困惑する。その表情は怒りに満ち溢れ、言い知れぬ気迫を醸し出している。とてもサインが欲しそうには見えない。




「この野郎!」




 少年は宗次郎目がけて何かを振りかぶって投げた。子供の手のひらに収まるくらい小さくて、黒い色をしている。




 躱すのは容易いが、後ろには椎菜がいる。万が一にも当てさせるわけにはいかない




 活強を使うまでもなく、宗次郎は片手で黒い物体を受け止める。




 ━━━泥?




 投げられた黒い物体は宗次郎が受け止めると簡単に砕けて地面に散らばった。握り締めるとシャリシャリと土の感触がする。




 危険なものではなかったのは幸いだったが、向けられた怒りとのギャップに宗次郎はどうしていいか分からなくなる。




「こら、壱覇いちは! 何をしている!」




「うるさい! あいつのせいで父さんが!」




 椎菜の叱責を意に介することもなく、少年は感情に任せて泥団子を投げる。コントロールを失いあらぬ方向へ飛んでいくそれを除いて、人に当たりそうな泥団子は宗次郎が全て叩き落とした。




「くっ」




 全て投げ終えたのか、少年は涙ぐみながら宗次郎を睨みつける。




 そうこうしているうちに警備員がやってきて少年を取り押さえ始めた。




「こら、大人しくしないか!」




「離せ!」




 少年は警備員たちに抱き抱えられ建物の向こうへと消えていった。




「なんだったんだ?」




 宗次郎は少年を知らない。初対面だ。少年の父親も同様である。だから怒りを向けられる理由に見当がつかない。




「宗次郎、ちょっと手を出してくれ」




 流れ始めた気まずい沈黙を破ったのは玄静だった。




「?」




「いいから」




 玄静に促されるまま、泥だらけになった両手を差し出す。




「土よ」




 玄静は波動を込めた陸震杖を振い、遊環がシャランと音を立てる。




 すると波動が少年の投げた泥団子の破片に伝わり、一つにまとまり始める。宗次郎の手のひらや袖を汚していた土も取れ、綺麗になった。




「おお。さすが」




「こうすれば掃除もしやすいだろう」




 鼻高々になる玄静は、重い表情をしている椎菜に問いかける。




「で、あれは誰?」




「……無論、ちゃんと説明する。二人とも、今日の訓練が終わったら時間をもらえないだろうか。この件について説明しておきたい」




「わかった」




 いつになく真剣な表情をする椎菜に宗次郎はうなずくしかなかった。




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