第二部 第十四話 皇燈、王城にて その4
謁見の間を出た燈は少し歩いて、庭を見渡せる柱廊で足を止めた。
何気なく庭を眺めながら柱を背もたれにして腕を組む。
飾り気のない廊下であるが、それがむしろ庭園の美しさと差し込む光にほどよく調和している。面倒な謁見を終えて一息つくには最高の場所だった。
━━━なんとかなったわね。
柱廊を通る貴族たちの様子を横目で確認しながら、燈は先の謁見を振り返る。
刹羅の登場は想定外だったが、宗次郎の扱いについて国王を説き伏せ、貴族たちの理解も得られている。悪くない結果だ。
そこへ、二人の来客が現れる。
「燈殿下。お久しぶりでございます」
「押忍! 燈殿下!」
謁見の間で助け舟を出してくれた、帝児と増麗だった。
「こら、
「気にしていないわ。慣れているもの」
「オウよ! なんせ、燈殿下は俺の弟子だからな!」
うんうんとうなずきながら帝児は自信満々に笑う。
燈は波動術の中でも、身体能力を強化する技術・活強が苦手だった。それを克服するため、活強のエキスパートである帝児に弟子入りしたことがあった。
当初は帝児の暑苦しい性格に難儀したものの、今では多少の無礼が気にならない程度には心を許している。
「二人とも」
燈は柱から背中を離して、しっかりと二人を見据えた。
「先ほどはありがとう。助かったわ」
「……」
礼を言う燈に二人は戸惑った表情を見せて無言になる。
「どうかしたかしら?」
「いや、なんて言えば良いんですかねェ」
「申し訳ありません。殿下の雰囲気が変わられたように感じられたので」
二人の反応に今度は燈が戸惑う。
自分の感覚では何か変わったような気がしないが、二人がそう言うのなら何か変わったのだろう。
「おっと! こうしちゃいらんねェや! 俺、そろそろ出なきゃなんねェんだ!」
「あら? 出立するの?」
「ああ! 南部の方で演習があってよゥ! そこに参加するんだ! じゃあなご両名!」
気まずい沈黙を消し飛ばすような大声を出し、帝児は燈と増麗に背を向けた。
「皐月杯、テレビで観戦させてもらうからなァ!」
掌を振りながら、帝児は廊下の向こうへと消えていった。
「相変わらず賑やかな方ですね」
「そうね。ところで増麗、時間があるかしら」
「ええ。もちろんですが、何かありましたか?」
「頼みたいことがあるの。いつもの場所に行かないかしら」
燈と
植物は少ないが鹿威しが定期的に風流な音色を奏でており、水音と相まって声をかき消してくれる。女性使用人が住む宿舎が近いこともあって、女性同士が内緒の話をするのによく使われていた。
「二人きりになるのは久しぶりでございますね」
「そうね」
二人は椅子に腰を下ろし、立ち寄った厨房でもらった果実水の杯をあおる。
燈と増麗は比較的仲が良い。同じ女性同士で十二神将、尚且つ年も近いので、必然的によく話す間柄になった。
「頼みというのはどのような?」
「できる限りで構わないわ。今回の件で誰かが手出しをしてきたら、すぐに知らせて欲しいの」
「特に、刹羅大臣に目を光らせておけばよろしいでしょうか」
「そうよ」
今回の謁見はおおむね燈の想定どおりにことが運んだ。
とは言え、油断はできない。大臣がこのまま素直に引き下がるとは到底思えないからだ。
刹羅は大臣として長く国王を支えつつ、陰で操っている。政敵に隙を見せず、権力を勝ち得た切れ者である。そんな男があの程度の問答で引き下がった。何かあるのではと勘ぐってしまう。
「大臣はなんとしても、天斬剣の持ち主である宗次郎を貴族派に引き入れようと画策されるでしょう。それが叶わなければ、暗殺も視野に入れる可能性もございますね」
増麗の憂鬱な話に、燈は頭が重たくなりため息をつきたくなる。
皇王国の政治体系は国王の集権化を復活させる国王派と権力を分散させたい貴族派に二分している。同じ国の人間同士で争うなど愚の骨頂だが、大陸は一つにまとまり外敵もいない。建国時は強かった国王の力も次第に薄れていったのだ。
燈の父親を含め、歴代の国王は”剣の選定”を大貴族に悪用され有能とは程遠い。しかし臣民の支持は厚く、また波動師たちはほとんど国王を信奉している。十二神将においても大半が国王派と考えて良い。
対して貴族派は政治力が高く、特に資金面での力が強い。ところが、足の引っ張り合いが頻繁に起きているため、両派閥の力はなんとか均衡を保てている。
そこに天斬剣の持ち主が現れたとなると両派閥のパワーバランスが崩れる恐れがある。
今は宗次郎の実力に半信半疑な貴族たちも、皐月杯の戦いを経て宗次郎への認識を変える可能性は高い。自分の陣営に取り込もうとする輩も少なからず出てくるはずだ。
まして燈は皐月杯が終われば王城に連れてくると約束をしたのだ。貴族からすれば格好のエサになる。それを見越していたからこそ、最後に宗次郎を剣にするという爆弾発言をぶちかましたのだが。
━━━世話が焼けるわね。
面倒ごとであるはずなのに、燈はそれほど苦には感じていなかった。
「ふふ、燈殿下は本当に変わられましたね」
「そうかしら?」
「ええ。雰囲気が柔らかくなられました。良い傾向かと。今も顔が綻んでおられますよ」
増麗に指摘され、燈は思わず自分の顔に手をやる。
━━━宗次郎のことを考えていて顔が綻んでいた?
「そう。いつもと同じだと思うけど」
「左様ですか。では、私の見間違いという事で」
ここであっさり引かれると追及されるより意識してしまう。
「もちろん。殿下の頼みを引き受けさせていただきます。その代わり、教えていただけないでしょうか」
「何を?」
「穂積宗次郎についてです。殿下がそこまで肩入れするとはどのような人物なのでしょう」
「……そうねえ」
燈は腕を組んで、時間をかけて言葉を選ぶ。
「私の目から見れば、可愛くていじめがいのある男よ」
「あら」
増麗は意外そうにして口に手を当てている。
「もしかして、彼の影響で殿下が変わったのかもしれませんね」
「違うわ」
キッパリと否定する燈。
「欠点はたくさんあるのよ。記憶をなくしているから常識に欠けるし、空気は読めない。普段はボーッとしていて覇気がまるでない。けれど頭は悪くないし刀を握れば驚くような強さを発揮したりできるわ。何より━━━」
「何より?」
「誠実ね。彼はとても正直者よ」
正直すぎるのも玉に瑕だが、燈はむしろ好ましく思っていた。
期待していた通りの反応をしてくれる相手は妹以外では宗次郎だけだった。
「皐月杯が終わればここに連れてくるから、実際に会って話してみて頂戴」
「それは楽しみです」
果実水を飲み終わり、二人は席を立つ。最近の首都の様子や昨日食べたおいしいお菓子など、たわいもない話で盛り上がる。
「そうそう。一つ聞いてもいいかしら」
「何でしょうか」
「ここ数日、天主極楽教の残党についての情報はある?」
人気のない廊下を歩きながら燈は真剣な表情を崩さずに言う。
おっとりしており大和撫子を絵に描いたような増麗は、こう見えて情報収集のスペシャリストだ。増麗曰く、波動具の管理をしている仕事上、あらゆる波動師や鍛冶屋に顔が効くので、自然と情報も集まってくるのだそうだ。
優れた波動術により十二神将に選ばれているものの、燈は増麗のそういった部分を誰よりも評価していた。
「特になかったかと。何かあれば、すぐにお伝えいたします」
「お願い」
燈は二ヶ月前に天主極楽教の教主を捕らえ、組織に大打撃を与えた。しかしまだシオンのように潜伏している構成員がいるかもしれない。
今はまだバラバラの状態で息を潜めているだろうが、近いうちにそれらをまとめるリーダーが現れるはずだ。
燈としては、ある程度構成員がまとまったところで一網打尽にしたいところだ。
城門が見えてきたところで燈は増麗に別れを告げ、待機している福富たちにこちら来るよう端末へ指示を出す。
「暑いわね」
暦の上では春であっても、天空から降り注ぐ日差しは夏そのものだ。空を見上げるとつい目が細くなる。
━━━二人は仲良く……やっていないでしょうね。
闘技場に残してきた宗次郎と玄静の様子を考えると、若干憂鬱になる。
次から次へと問題が降ってくる予感に頭を痛めながら、燈は日陰に移動した。
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