第二部 第一話 いざ闘技場へ その1
大陸の中心から東部に広がる草原地帯である。規模はそれほど大きくなく、皇王国ができる以前は騎馬民族が暮らしていた。
現在は畜産が盛んに行われており、所々に牛舎や養豚場がある。上空から見ると、網目のように張り巡らされた柵の中で、家畜たちが気ままに草を
そんな穏やかさを絵に描いたような土地に似合わぬものが走っていた。
家畜の世話をしていた人々は、つい装甲車を目で追った。
装甲車を生で見たのは初めてだった。王国の軍事・警察を司る八咫烏が使う装備の一つであり、有事の際以外目にすることはあまりないからだ。
何か事件でも起きたのか。
珍しさに手を止めていると、さらに珍しい事態が起きた。
「?」
二台の装甲車のうち、先頭を走っていた一台が美しい弧を描いてカーブを曲がり、丘の向こうへと消えてく。
一方、後ろに続くもう一台は、素人目に見ていても危なっかしい走りをしていた。同じカーブを曲がっているはずなのに、車体は不規則に揺れ、今にもガードレールにぶつかりそうだ。
国の治安維持に関わる波動師は厳しい訓練を積む。その中には運転の技術を向上させるものもある。
なのにあの装甲車の運転はハラハラして目が離せないほどだ。
事件を解決するはずの彼らが事故を起こさないといいが。
装甲車を見つめた人々が、心の中でそう愚痴ったのも無理はない。
何せ二台めの装甲車のハンドルを操っているのは、ズブの素人なのだから。
「む……くっ」
一人の青年が指を真っ白にしながらハンドルを握りしめ、前の装甲車を追走する。
その真一文字に結ばれた口から余裕のなさが窺える。右足は必死にアクセルとブレーキを交互に踏み込み、真剣な眼差しは前走車との距離、メーター、ミラーを捉えている。
道幅が広く一方通行、なおかつ後続車もいないこの状況が未熟な運転手の味方だった。
「はあ」
曲がりくねった道を抜け、直線に出たところで青年は一息をついた。
「運転って、楽しいもんだな」
「そうでしょう」
四苦八苦する青年の様子を見ながら、助手席に座っている女性が柔和に微笑んでいる。
八咫烏特有の黒い羽織を纏った、腰まで届く長い銀髪が特徴的だ。そのオーラには余人を寄せ付けない静かな威圧感がある。
「慣れればもっと面白いわよ、宗次郎」
「そうか」
宗次郎と呼ばれた青年は前を見据えたまま短く返事をした。
道路は長い直線になり、地平線の向こうまで続いている。余裕が生まれた宗次郎は周りの風景に目をやった。
緑の草原がどこまでも続いている、のどかな景色。穏やかな日差しを浴びながら草むらに寝転びたい衝動に駆られる。
「ん?」
モゾモゾ、と。
背後で動く気配がして宗次郎はバックミラーに目をやる。
「ん……んぅ。なんですかぁ」
「げ」
むくりと起き上がった人影を見て、宗次郎はギョッとする。
やばい。怒られる。
そう思ったが時すでに遅しだった。
「目的地についたんで、すか━━━」
「森山、おはよう」
森山と呼ばれる、目を擦りながら運転席にやってきた人影は割烹着を着ていた。歳は四十近いものの、小柄な体格と元気な声で年より若く見られる。
森山は宗次郎が運転している様子を見て目を見開き、顔が青ざめていく。
「な、な、何をやっているんですか、宗次郎様!」
「え、えーっと。運転かな」
宗次郎はあからさまに視線を逸らしながら答えた。
森山は宗次郎が子供の頃からお世話になっている侍女だった。ヤンチャをしてはその度に怒られていたので、頭の上がらない存在なのだ。
「なんで宗次郎様が運転をしているんですか! この車両は八咫烏しか運転しちゃいけないんですよ!」
森山の指摘はもっともだ。
波動師の中でも国家に所属する八咫烏は、その名の通り黒い羽織を着ている。
なのに宗次郎はそこらの街で普通に売られている羽織を雑に着ているだけ。
つまり、波動師にしか運転してはいけない車両を波動師でない人間が運転しているのだ。
「大丈夫だって。この車、補助機能があるから俺みたいな初心者でもちゃんと乗れるんだ」
国防を司る八咫烏が使うだけあって、装甲車には最新鋭の設備が搭載されている。例えば、四隅に設置された石には土の波動が込められている。この石がセンサーの代わりをして、車線のはみ出しを抑えてくれるのだ。
得意げに説明する宗次郎に対して、森山はあまりの事態に立ちくらみを起こして倒れかけた。
「事故を起こしたらどうするんですか!」
「まあ。うん、その通りだけどさ。森山が寝てる間、少し練習したし。この道はほとんど人通りがないし。それにあれだ。隣で燈が教えてくれたから」
こうして運転するまで、かれこれ三時間ほど空き地で練習した。隣で教えてくれる教師が優秀だったおかげで宗次郎はメキメキと運転の腕を上げた。
数キロは田舎道を走るので対向車が来る心配もないということで、燈からハンドルを握る許可をいただいたのだ。
森山は首を回して助手席に振り向いた。
「
キツく叱りたいけれど叱れない。そんなもどかしさを含んだ声で、森山は助手席に座っている女性を非難する。
「ふふ、ごめんなさい。私が運転していたら、宗次郎が物欲しそうにこちらを見たものだから」
涙目になっている森山のおかげで、燈と呼ばれた少女は歯切れが悪そうに答える。
二人のやりとりにいてもたってもいられなくなった宗次郎は、後ろを振り返ることなく提案してみた。
「よかったら森山もやってみる? 楽しいよ」
「宗次郎様!」
大声に身を竦ませる宗次郎。
それを見ながら、燈はしょうがないわねえと呟いてトランシーバーを取り出し、前走車のドライバーに休憩の指示を出した。
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宗次郎が運転できているのは、燈の教え方が上手いのと、波動の加護があるからです。
空間の波動を持つ宗次郎は距離を正確に認識できるので、車幅や道路幅を捉える感覚が常人より優れています。
なので無免許運転は絶対にやめましょう。
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