第一部 第四十話 全ての決着 その9

 宗次郎はシオンと老婆を置いてその場を離れた。




 女性二人の泣き顔を見るの忍びなかったし、シオンはもう誰も傷つけないという確信があった。




 ━━━これ以上は野暮ってもんだ。




 宗次郎は手水舎しゅすいしゃで手と顔を洗い、気分をスッキリさせる。




 気の向くまま階段の近くへ向かった。




 剥がれた石畳に足を取られながら、麓の市を見下ろす。




 遠くには市を囲う壁がある。大きい川が中心を流れ、シンボルのように大きな橋が架けられていた。




「━━━あ」




 見覚えのある景色だ。そう自覚すると宗次郎の頭の中で過去の記憶が蘇った。










 今より千年前。宗次郎は仕えていた主であり、最高の友である皇大地と力を合わせ、天修羅を倒した。




 長い戦いの終わりに、参加した仲間と共に宴を開いた。生き残った仲間たちと無事を喜び、失った友に涙を流す。




 ひと段落したところで、二人は初めて出会った遭橋あいばし市へ赴いた。




 ここは宗次郎と大地が初めて出会った思い出のある場所だった。二人で笑いあいながら各地を回り、昔話に花を咲かせる。




 それはまるで、これから起きる未来に目を背ける現実逃避のようだった。




「本当に行ってしまうのか」




 市内にある一際小高い丘━━━これから刀預神社が建立する場所━━━に立って市内を見渡していた大地がポツリと告げた。




「それが計画、だろう」




 宗次郎が大地の隣に立つ。 




 これから大地は皇王国を建国する。領地を作り、街を作り、城をつくり、政府を作り、制度を作る。今まで以上に忙しい毎日が待っている。




 しかし、そこに宗次郎の姿はない。




 なぜなら彼はただ一人、千年後の未来へと向かうのだから。




「千年後、か。どんな世界になっているんだろうな?」




「さあ。俺がこの時代に来たせいで何かが変わっているかもしれない」




 宗次郎はあえて未来の話はせず、沈黙を貫く。




 本来の歴史では、皇大地が剣としたのは当時の時代を生きた人間である可能性は、誰にも否定できないのだ。




 よって、この世界は宗次郎が元いた世界とは全く違う可能性がある。




 本当はそんなことより、語りたいことは山ほどある。なのにうまく言葉が見つからない二人だった。




「どうやって千年後へ行くつもりなのさ。いくらお前の波動が強力でもそう簡単にはいかないだろ」




「俺の体内時間を止める。千年経ったら目覚めるように術式を組み上げておく」




 何事もないかのように手段を伝える宗次郎を、大地が驚いて見つめる。




「上手くいくのか?」




「さあ。これが一番確率が高いからやるんだ」




 宗次郎が千年前に飛び、大地と出会ったのはあくまで偶然の産物によるものだった。だから、戻りは少しでも確実性の高い手段を選ぶ。




 時間そのものを止めるのではなく、自身に流れる時間を止めて、眠りにつく。




 そうすれば千年後も今と同じ状態で目覚めることができるはず、と宗次郎は踏んだ。




「場所は富嶽山にある施設にする。あそこなら波動を含んだ鉱石が山ほどあるからな。なんとかなるだろう。お前の方でなんかしらの理由をつけて立ち入り禁止にしといてくれ」




「それは構わないが……」




 失敗したらどうするんだ。




 大地の表情には言いたいことがそのまま現れていた。




「保険はかけておくさ」




 宗次郎は腰に下げていた天斬剣を鞘ごと抜く。




「こいつに今までの記憶と波動の一部を写しておいた。封印の鍵はこいつだ」




 首から下げていた勾玉も天斬剣に紐付ける。




「解除するキーワードは”約束”にしておいた。俺たちらしいだろ?」




「確かにな」




「……もし俺が死んでも、俺の力を使いこなせるやつが現れるはずさ」




「そうか」




 宗次郎の話を聞いているのかいないのか。その声は嬉しそうな、悲しそうな、なんとも言えないものだった。




 再び沈黙の時間が流れる。二人の息遣いだけが聞こえ、標高の高さから来る涼しい風が頬を撫でた。




「じゃあ、さよならだ」




 宗次郎は初めて大地の方を向き天斬剣と勾玉を渡す。




 そして、やっと思い出した。




 もう会えないとわかっていて、悲しみを微塵も感じさせない快活な笑顔。




 身分は違えども同じ戦いを生き抜き、お互いに夢を叶えた主。




 皇大地の、親友の顔を。




「これを、託す」




「ああ」




 別れをいい、大地は宗次郎から差し出された天斬剣を大事そうに受け取った。




「すまない。お前に大役を押し付ける形になってしまって」




「バカを言うな。お互い様だ」




 二人は同じタイミングでニッと笑い、軽い音を立てて拳をぶつけ合う。




「「約束をここに」」




 そうだ。宗次郎は大地と約束を交わした。




「「俺は━━━」」










「また泣いているの?」




「うお!」




 いつの間にか燈がそばにいて、顔を覗き込んでいる。




 のけぞった宗次郎は意識を現実に戻した。




「うお、じゃないわ。シオンたちを見張るんじゃなかったの?」




「それなら大丈夫だ」




 涙をぬぐい、宗次郎は本殿に視線をやる。




 遠目からでも、三人が抱き合っているとはっきり見えた。




「そう。ならいいわ」




 無言のまま、二人で市の景色を見渡す。春の風が心地よく桜の花びらを運び、川の水面が朝日の光を反射して輝いている。




 宗次郎はふうと息を吐き出した。




「終わったな」




「━━━そうね」




 疲労をにじませる声で、燈はため息をついた。




「森山と三上門みかみかどは無事よ。隊員も眠らされただけで命に別状はなかったわ」




 つまり、今回死者は出ていない。




 宗次郎は安心して、胸をなでおろした。 




「いい景色ね」




「ああ。千年前と変わりない」




 宗次郎はふと、燈の横顔を見つめた。




「何よ」




「ああ。俺の正体を知っても驚かないんだなと思って」




「もちろん驚いているわ。あなたから波動の属性を聞いていなかったら、絶対信じないもの」




「だよなあ」




 記憶をなくしていたせいか、宗次郎自身、自分が伝説の英雄である事実に驚きを感じている。




 今でこそ確信を持てるが、どこかちぐはぐな感覚があることも否めないのだ。




「ここは宗次郎にとって思い出の地だったのね」




「ああ。出会いと別れを告げた場所だ」




「別れ?」




「ああ、そうだ。千年前。別れるとき、俺はここで大地の奴と約束を交わし━━━」




 燈に話しかけられて中断した記憶を辿る。




「う、が」




 ズキン、と。




 痛みが身体中を駆け抜ける。




 まるで、これ以上は進んではいけないと命令されるかのように。




 ━━━ちくしょう。




 宗次郎は膝から崩れ落ちる。




「ダメだ。何を約束したのか。なんのために元の時代に戻ったのか。思い出せない」




 大切な約束を交わした。命に代えても、果たすと誓った。




 なのに、その肝心な内容が記憶から欠落している。




「まだ記憶が完全に戻っていないのかしら」




「そうみたいだ……そんな顔しないでくれ。俺だって知りたいんだ」




 不満げな顔をしている燈は、楽しみにしていた遠足が雨で中止になった子供のようだ。




 燈をなだめるため、宗次郎は先ほどまで思い出した記憶の内容を語った。




「もしかしたら、初代王の剣は王国滅亡の危機に蘇り、これを救うって噂は本当かもしれないわね」




「さあ。どうだかな」




 宗次郎は何も言えなかった。




 大地と別れたのは、天修羅を討伐して一ヶ月も経っていないあたりだ。これから、戦火に荒れ果てた土地を戻し、人々が暮らす都市を作り、大陸を一つにまとめる王国を建てようとしていた。




 大仕事を友に押し付けてまで別れたのは何か意味があったからだ。




 大地が惜別の念を惜しんでまで送り出すくらい、大切な意味が。




 ━━━計画、か。




 大地との会話に出てきた計画の内容も思い出せない。




「ま、腐っても仕方ない」




 記憶も波動も戻っていない自分が感じていた焦りは、宗次郎にはない。




 忠義を尽くした王と交わした約束だ。どんな内容であれ、自分が胸を張って誇れる内容だと信じられる。




「そうね。他には何か思い出せた?」




「ああ。とっておきのやつがあるぞ」




 宗次郎は思い出した記憶を頼りに、からかうように言った。




「子供のころ、本家の庭で鍛錬をしていたんだ。十歳くらいだったかな。そしたら急に女の子からちょっかいをかけられたんだ」




「……」




 やけに暑い夏の日差しにも負けず、木刀を振っていたある日のことだった。




「木刀を片手に、私と戦いなさいって。いきなりだぜ。信じられないよな」




「……」




「そのくせ負けるあいてててて」




 右手が思い切りつねられている痛みに耐えながら、宗次郎は意地でも燈の方を見ない。




「銀髪で青い目をした、可愛い女の子だったな。確か━━━」




「……殺すわ」




「すみませんでした」




 刀に手をかける燈に対して平謝りする。




 さすがにからかい過ぎてしまったか。




「土下座」




「はい?」




「ど げ ざ」




「はい」




 本気で怒らせてしまった。声の冷たさが今まで以上だ。




 なすすべなく、宗次郎は頭を石畳に擦り付ける。




「乙女との約束を忘れてる分際で、ずいぶんいい度胸じゃない」




「いや、それは痛い痛い痛い」




 燈に頭を踏みつけられる。




 その手の性癖の持ち主なら喜ぶのだろうが、宗次郎にとっては痛いだけだ。




 大切な約束を果たせない悔しさに比べればなんてことはない。




 おとなになったらつるぎになる。




 子供の頃に交わした何気ない約束。




「覚えていてくれたんだな」




「別に。小さい頃に戯れで交わした約束なんて知らないわ。私は誰も剣にする気は無いの」




 燈は初代国王を超えるにあたり、一人で偉業を成し遂げるつもりだった。




 どんな実力者であろうと、どれだけ信頼を積み重ねようと、関係はない。




「けれど、流石に今回の件で考えを改めようと思うの」




 心を開かず、一人で何もかもやり遂げようとしたために、お目付役である練馬に裏切られた。その状況から救いの手を差し伸べてくれたのは、予め心を開いていた宗次郎だ。




 同じ轍を踏まないようするため、変わるべきは自分だろう。 




「さあて、誰を剣にしようかしら。強くて、信頼できて、いつでも側にいてくれて、見てくれも良くて、私を楽しませる波動師がいればいいのに」




 宗次郎の後頭部に置かれていた足が離れる。




 ━━━本当に素直じゃないな。




 宗次郎は立ち上がり、燈と正面から向き合う。




「俺を、君のつるぎにしてくれ」




「……本当に、私でいいの?」




「いいに決まっている」




「私は約束を守れなかったのに?」




「あぁ、俺を守るってやつか? ま、結果オーライだろう」




「あなたの親友を超える王になるのが目標なのに?」




「それでこそ、仕え甲斐があるってもんさ」




 氷のように冷たいようでいて、芯は熱く。




 他人に無関心なのかと思いきや、思いやりのある優しさがあり。




 どんなときも無表情なのかといえばそうでもなく、大声をあげて泣くこともある。




 恐ろしく頑固でありながら、驚くほど柔軟で。




 自分の夢だけは、何があって決して諦めない。




「俺は、なぜ自分がこの時代に戻ってきたのかを知りたい。大地と交わした約束を思い出したい。そして━━━」




 宗次郎はまっすぐ、燈の瞳を見つめた。




「君との約束を守りたい」




「もう、しょうがないわねえ」




 宗次郎の宣言に燈はにっこりと笑って応えた。




 つぼみが開花するような、華やかな笑顔。それは、以前約束を交わした際に見せた笑顔とそっくりだった。




 どちらからでもなく、自然に、宗次郎と燈は互いに拳を突き出していた。




「「約束をここに」」




「私は、初代国王・皇大地を超える王になる」




「俺は、皇燈の剣となり、この時代でも英雄になる」




 偶然か、必然か。それとも歴史は繰り返すのか。




 宗次郎は偉大な国王を目指す皇一族の人間と、この場所で再び約束を交わした。




「さて。これからの話をしましょう」




「ああ」




「まず、一つ確認。あなたは初代国王と初めて出会ったとき、不審者として捕まったのよね」




「? ああ」




 千年前にタイムスリップしてすぐ、宗次郎は妖との戦場に紛れ込んでしまい、軍を率いていた皇大地に拘束されたのだ。




 それがどうかしたのだろうか。宗次郎は首を傾げた。




「そう。じゃあ両手を出しなさい」




 言われるままに両手を突き出す。




 ガチャリ、と。




 笑い顔の燈に手錠をかけられた。




 波動を封じ、波動師を無力化する手錠だ。




「……は?」




「私の剣になる以上、命令は絶対よ。だから━━━」




 いたずらっぽい笑みを浮かべて、燈は宣告した。




「責任、とってね」




「はあああああああああああああああああああああ!?」




 宗次郎の悲鳴は、早朝の街に轟く勢いで木霊したのだった。




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