第一部 第三十九話 全ての決着 その8

 気がつくと、風はおさまっていた。




 宗次郎は閉じていた瞳を開く。




 まだ燈は宗次郎の頭を両腕で抱えている。柔らかいその感触を味わいながら、宗次郎は状況を確認した。




 控えめに言ってえらいことになっている。風は大木をなぎ倒し、石畳のいくつかは剥がれてしまっている。飾りつけもいくつか吹っ飛び、荘厳な雰囲気はどこにもない。




 燈の氷塊は全身にヒビを入れ、今にも崩れそうになりながらも最後まで役目を果たしてくれた。




 宗次郎は顔を上げると、燈と目があった。




 燈は慌てて宗次郎から両手を離し起き上がる。宗次郎を包んでいた香りは離れていき、空気へと溶けた。




「ありがとう。助かった」




 宗次郎も起き上がって、燈に礼を述べる。




 あの氷塊がなければ風に吹き飛ばされていただろう。冗談抜きに死んでいた。




「……い、いいわよ。別に」




 氷のように透明な肌が、若干赤い気がする。




 体調が悪いのかと指摘しようとすると、ゆっくりとシオンが体を起こした。




「……」




 無言のまま、宗次郎たちを無視して眼下に広がる市を見つめている。




 市からは祭りの前だけあって、深夜にも関わらず賑やかな雰囲気が伝わってきた。




 何を思って見つめているのか、宗次郎は想像しかできない。




 かける言葉も見つからなかった。




「シオン」




 宗次郎たちの頭上から、神経質そうな声がした。




 練馬れんまだ。




 宗次郎に切られた右腕を止血し、顔色は貧血気味で青白くなっている。武装もしておらず、敵意も感じられない。




 宗次郎はとっさに身構えたが、燈が腕を突き出して静止させた。




 燈は波動術を使えていた。と言うことは、誰かが手錠を外したのは明白だ。ここにいるメンツで手錠を外せるのは━━━。




「もう、終わりにしよう」




 語りかける練馬の口調は、宗次郎が練馬の部屋で剣について教えてもらったときと同じ、優しさに満ちている。




「……ちくしょう」




 振り返ったシオンから、空疎な声が漏れた。




 シオンは最早敵では無くなっていた。撒き散らしていた殺気も、波動も感じられない。




 ツウ、と。シオンの頬を涙が伝う。




 ただ一人の少女は透明な嗚咽を漏らしながら、兄と抱き合った。




 宗次郎はどうしていいのかわからず、燈に目をやるも、首を振っただけだった。




 宗次郎は息を深く吐き出した。




 いつの間にか、風は止み、木々のざわめきも桜吹雪もなくなっていた。












 戦いが終わり、宗次郎たちは本殿に戻った。




 巫女たち、門さん、森山は手錠で拘束され、意識を失っていた。




 失敗作だった波動符のおかげで命に別状はなさそうだが、宗次郎と燈は波動による治療は行えない。ひとまず社務所で布団に寝かせ、安静にしている。




 一通り手当てをした燈は、別荘で拘束されている部隊の様子を見に行っている。




 宗次郎は本殿の前で、シオンと練馬を監視していた。




「お」




 夜が明け、朝焼けを一身に浴びた。




 ━━━長かった、な。




 この神社で燈と出会い、シオンとの戦いに巻き込まれてから六日。ようやく決着がついた。




 宗次郎は手のひらを開いては閉じるを繰り返す。




 今まで求めて止まなかった記憶と力が戻った実感が、ようやく湧いてきた。




「まだ、か」




「……一人で何ブツブツ言ってんのよ。気持ち悪い」




 急にシオンが話しかけてきた。




「起きたのか」




「馬鹿。ずっと起きてたわよ」




「シオン」




 シオンは体育座りをしながら顔を膝に埋めている。




 練馬はその隣で正座をしながら、瞑想に耽っていた。




 この二人の処遇もどうするのか、考えないといけない。




「舐めた真似してくれるじゃない。拘束もしないなんて」




「まあ、な」




 燈は二人を手錠で拘束すると主張したが、宗次郎は反対した。




 本殿まで連れてきたはいいものの、二人とも抵抗の意思がないのは明らかだ。加えて話しかけても返事すらしない。




 とにもかくにも、全力を出し切った二人をそっとしておきたかった。




 燈が別荘にいるのも、宗次郎が見張ると提案したからに他ならない。




「だって、逃げないだろ」




「……ふん。余裕ね。だから私を助けたってわけ」




「助けたって、あの暴風からか」




 空斬りによって圧縮された大気が爆発し、シオンは吹き飛ばされていた。




 宗次郎がキャッチしていなければ、今ごろ鳥居のあたりまで落ちていただろう。




「そうよ。ま、これが欲しかったんでしょうけど」




「シオン」




「ええ。兄さん」




 シオンは体育座りをやめ、膝をついて首を差し出した。




 八咫烏に捕まるくらいなら死ぬ。背中がそう語りかける。




 この神社は二人にとって、まさに因縁の場所だ。生まれ育った地にして、母が死に、兄妹が生き別れた場所。




 死に場所としては悪くない。




「私たちの首があれば、勲章くらいもらえるかもよ」




「殿下を待つ必要はありません。さあ、早く」




「悪いが、そりゃ無理だ」




 覚悟を無下にする発言に、二人は顔を上げて非難の視線を送る。




「敗者を辱める気? いい趣味してるじゃ━━━」




 まくし立てるシオンは、宗次郎に見せつけられた天斬剣てんざんけんを見て絶句する。




 天斬剣てんざんけんつかには亀裂ができていた。宗次郎が指で小突くと粉々に砕け、なかごが露出する。




 白鞘しろさやは刀身を長期保存するために用いられる。白木には湿度を吸収し、刀身を錆びにくくさせる性質があるのだ。




 その代わり、耐久性や強度は著しく低い。戦闘をすれば、まして全力波動をぶつけ合う戦いをすれば壊れて当たり前だった。




「勝負は引き分けだ。君の一撃はすごかったよ」




「っ……」 




「それに、あれだ。負けたのなら、その処分は勝者である俺たちの自由に決めていいだろう」




 宗次郎は腰を下ろして、視線の高さを合わせる。




「罪を償おう。逃げるのもやめにしよう。今度こそ、自分の大切なものを大事にできるように」




 自分が正しいと信じた行動をとり、間違いと感じたら正す。




 宗次郎の言い分は綺麗事だ。言葉にするのは簡単だが、為すのは非常に難しい。安直な道に逃げたくなりもする。




 しかし、少しずつでもいいからひとつひとつ向き合っていくしかない。




 傷つきながらも前に進んで、自分の答えを見つけるのだ。




「宗次郎殿……」




「ばっかじゃないの」




 落ち着き払った練馬とは対照的に、シオンは拗ねる子供のように下を向いて膝の間に顔を隠した。




「あんたに何がわかるのよ。名前も、過去も、この市も。私と兄さんは、全部捨てたの。今更、大切なものなんて」




 ないのよ、とシオンは続けられなかった。




 母が死んで十年。久しぶりの里帰りは、重い現実となって心にのしかかった。




 シオンは戸籍上死んだことになっている。気付くはずがない。




 わかっている。




 それでも、自分が知っている相手が初対面のように話しかけてくるのは、悲しかった。




 お参りに来てくれた魚屋のおじさんも。




 おみくじを渡した花屋のおばあさんも。




 夏祭りで一緒に踊った男の子も。




「それでも、さ」




 宗次郎は膝をついて、本心を述べた。




「君のお母さんが、心から大切にしていたものじゃないのか」




 シオンの肩がビクっと震えるのを見て、宗次郎は顔を上げる。




 荘厳な神社は、その本殿も含め、全て傷ひとつなく残っている。




 シオンは闇雲に剣を振り、波動術を使っているようでいて、実は神社を傷つけないように立ち回っていた。燈との戦いでも、宗次郎の戦いにおいてもそうだった。




 シオンにも大切なものはある。それに気がついていないだけで。




「まあ!」




「?」




 拝殿のさらに向こう、階段の近くで女性の悲鳴が聞こえた。なぎ倒されている巨木に驚いているらしい。




 戦いの余波で、神社に貼られた人よけの結界は消えている。とはいえこの早朝に客が来るとは予想外だ。




 できれば帰ってくれるとありがたいとの宗次郎の願いも虚しく、ワンワンと鳴く犬に連れられて老婆が本殿までやってきた。




「あら? 奇遇ね」




「ええと、こんにちは」




 門さんと天斬剣を見にきた際に挨拶を交わし、つい昨日捜索中にばったり出会った老婆、三森涼子だった。




 ━━━そういえば、犬の散歩コースなんだっけ。




 以前の会話を思い出しながら、宗次郎は挨拶をした。




「何かあったのかしら。階段の近くで爆発があったみたいに、木がへし折れていたの」




「そ、そうですね。自分もびっくりしました」




 あからさまに視線をそらして宗次郎はしどろもどろになる。




 まさかこんな早朝から散歩とは。この状況、どう言い訳をしたものか。




「きゃ、ちょっと」




「おっと」




 わふ、と犬が吠え、尻尾をブンブン振り回しながら、シオンと練馬に体をこすりつけ、舐めまわした。




「まあ、すごいわね。初対面でこれほど懐くなんて、めずら━━━」




 微笑ましい光景を見つめていた老婆は、息を飲んでリードを落とした。




「うそ、うそ。……もしかして、シオンちゃん? 練馬くん?」




 ワナワナと手を震わせながら、老婆は信じられないといった風に目の前にいる少女と青年の名前を呼んだ。




「ああ、なんてこと。この神社で昔、神主の、悠里ちゃんの、子供」




 宗次郎は驚いて声が出ない。




 老婆は犬の散歩でこの神社を訪れていた。雨の日も風の日も、毎日。




 故に兄妹を知っていてもおかしくはない。




 おかしくはない、が。




「ど、どうして」




「ああ、やっぱり……」




 シオンの疑問に答えるように、老婆は両目に涙を浮かべ、二人を抱きしめた。




「ごめんねえ」




「!」




 老婆の一言に、兄妹の体が揃って固まる。




「ごめんねえ。あのとき、守ってあげられなくて。噂なんてうそだってわかってたのに。あんな、あんな火事になるなんて」




「っ……」




 老婆にはなんの落ち度もない。噂をばらまいたわけでも、シオンの母親を死に追いやってもいない。




 そんなことは御構い無しに、老婆はひたすら謝り続けた。




「うう。ううう」




 シオンは耐えきれなくなって泣き出し、練馬も涙を流す。




 母を失い、過去を捨て、全てを復讐に捧げた少女の戦いは、こうして終わりを告げた。








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