第一部 第三十五話 全ての決着 その4
シオンはその口撃で燈を滅多刺しにすると泣き崩れた。
「シオン……」
少女のように泣きじゃくる様子が見るに耐えないのか、燈の背後にいた練馬は刀を捨て、シオンに駆け寄った。
「もう泣くな。大丈夫だ。大丈夫だから━━━」
妹を慰める兄の姿は実に慈愛に満ちていて、敵である燈でさえ胸にくるものがあった。
「っ……」
今ごろになって、練馬によって貫かれた肩が痛み出した。
いや、違う。痛みはずっとあった。
燈は痛みを忘れるほど、シオンに没頭していたのだ。
唇を噛み締める。何をやっていると自分を叱責する。
シオンは敵だ。
だから、境遇が似ているなんて考えるな。
燈は気を引き締め、自身の波動を活性化させる。治癒力を高め、少しでも肩の傷を癒そうとする。
「ふっ、まさか。あなたが裏切っていたなんて、ね」
完治しなくても良い。痛みと動きが多少マシになるまで、時間を稼ぐ。
燈は自分のお目付役をしていた男に呼びかける。
シオンは神社の放火後、天主極楽教に入信したのだろう。その生い立ちの想像はつく。
ただし練馬に関しては別だ。流石に想定外すぎる。
「気づかないのも無理はありません」
燈に背を向けたまま、練馬は変わらぬ冷静な声で答える。
「私の経歴は殿下もご存知でしょう。天主極楽教とは何の関係もありません」
「……ええ」
燈のお目付役になるにあたって、練馬の経歴は調べてある。大陸東部の一帯を預かる貴族、南家に養子として迎え入れられ、三塔学院を首席で卒業した。王宮で政務に励んだのちに、八咫烏になったばかりだった燈のお目付役に任ぜられたのだ。
流石に養子になる以前の経歴までは追えなかった。まさか藤宮家の人間だったとは、燈には思いもよらなかった。
出会ってから二年間、共に戦い続けた。互いの方針に反発し、言い争いになった経験はあるものの、天主極楽教壊滅を目指して共に切磋琢磨した間柄だ。
シオンと同じく王国に復讐するのが狙いだとしたら、その行動はあまりに不可解だ。
「あなたも、復讐が狙い?」
「いいえ。私にその気持ちはありません。復習しようにも、母を陥れた貴族はすでに死んでいます。南家の当主は事情を知りながら私を養子にし、とてもよくしてくれましたし」
練馬らしからぬははぐらかすような物言いに燈は苛立ちを覚える。
「なら、なぜこんな━━━」
「全ては二ヶ月前の戦いからです。殿下」
「?」
ますますわからない。燈は疑問符を浮かべる。
二ヶ月前とは、天主極楽教との戦いを指すのか。
練馬はあの戦闘で部隊を率いて戦った。傷を負いながらも最後まで燈に付き添い、教主の捕縛の貢献したのだ。
「信じられないでしょうが、戦いの中で、私はこの世にいないと思っていた妹と再会したのですよ」
「なっ」
燈が衝撃を受けるのも無理はなかった。練馬とシオン。生き別れた兄妹は二ヶ月前に再会を果たすまで、お互いに死んだものとばかり思っていたのだ。
その出会いは全くの偶然だった。戦闘で負傷した練馬が治療のために空き部屋に入ると、先客がいたのだ。
それがシオンとの再会だった。
十年ぶりであっても、二人はすぐに兄妹だとわかった。かたや第二王女のお目付役、かたやテロリスト。成長し、立場が変わっても面影は子供の頃のまま、何一つ変わっていなかったのだから。
「もしかして、あなた」
「はい。御察しの通り、私の裏切りは個人的な理由です。なにせ━━━」
練馬は自虐的に見える笑みを浮かべた。
「妹のために、全てを裏切るのですから」
ガツン、と。ハンマーで殴られたような衝撃を受けた。 恐怖にも似た驚嘆で寒気が止まらなくなり、背筋が震える。
燈は最初の出会いからこの男が気に食わなかった。能力的には優秀であっても、真面目一本で頑固すぎる。本当につまらない人間だと思っていた。
そんな男が自分と同じ行動原理で動いているなんて、信じられなかった。
「出会ってすぐ、私はとっさに妹をかくまいました。王国に尽くす人間としてあるまじき行いです。ええ、自分でも驚きましたよ」
シオンの告白に当てられたのか、練馬はいつになく饒舌になっている。その顔に滅多に見せない笑みを浮かべながら。
「私にも守りたいものが、いたのです」
練馬は強くシオンを抱きしめた。
今度こそ愛する家族を守る。その固い意志が嫌でも伝わってくる。
練馬は作戦が終了すると、負傷を理由に休暇をもらっていた。燈も彼の働きに免じて、何の疑いもなく許可を出した。
その間に自分を裏切る算段をつけていたなんて、想像もしていなかった。
「兄さん、痛い」
「すまない」
シオンは泣きはらした顔で兄と距離を取る。
兄妹は少しの間見つめ合い、ふっと笑いあい、燈に向き直った。
「この作戦を考えたのは私です。殿下の下で働かせていただいたおかげで、ほぼシナリオ通りにことが運びました」
「あのお坊ちゃんは予定外だったけど」
二人の会話は、もはや燈の耳には届いていなかった。
南練馬は優秀な波動師だ。学院を首席で卒業し、第二王女のお目付役に選ばれている。戦いの功績により、論功行賞において国王陛下から直々にお褒めの言葉をいただいている。
その地位も、名誉も、栄光も全てを捨てて妹の味方をする。
考えてはいけないと頭ではわかっていても、燈はもしもと想像する。
今の自分に練馬と同じことができるのか。
できる。
できてしまう。
燈も妹に対する愛情なら負けていない。故に知っている。
兄妹の絆がどれほど強いのかを。
何もかも放り出しても守ってみせる。その決意の強さを。
自分と同じ強さを持つ敵に、自分をよく知るお目付役が裏切っていた。
最初から勝てるはずがなかったのだ。
「最後に断っておきましょう。私は殿下を恨んではいません。政治の腐敗には心底嫌気がさしましたが、その中にあって、殿下は希望の星として輝いておられました。もしかしたら、本当に初代国王を超える王になれたかもしれません」
練馬は腰に下げていた波動刀を引き抜く。しゅらん、と夜の静寂に透明な金属音が響いた。
「ですが殿下は誰に対しても心を開かなかった。常に一定の距離を保ち、腹心である私すら警戒し、素性を知ろうともしなかった」
燈は首根っこを掴まれ、強制的に正座をさせられる。
急所である後頭部がむき出しになった。
「もし殿下が、他の王族がお目付役に対するそれと同じように接していたら、私の葛藤や苦悩を気づけていたでしょう。これでもこの二ヶ月間はかなり挙動不審だったと自負しているのですがね」
自嘲気味に練馬は笑った。
「殿下は上ばかり見て、私たちに、国民に目もくれなかった。疑問に思わなかったのでしょう? なぜ私が八咫烏となったのか。なぜシオンが天主極楽教に入信したのか。命を懸けて戦う理由を」
「それが、あなたが裏切った理由なのね。練馬」
口から漏れた言葉は燈も驚くほどかすれていた。
「はい。疑問をそのままにするのは罪、疑問を抱かないのは大罪なのです、殿下」
耳にタコができるほど聞かされた口癖に、もはや乾いた笑いが出た。
何が初代国王を超える王になる、だ。その夢も元を正せば妹のためだ。私は夢のために多くの人間を利用してきたに過ぎないんだ。他者を信じず、己に固執したまま。だから目付役に任ぜられた男にも裏切られる。
初めから、私には王の器などなかったのだ。
これから私は首を切られて死ぬ。たった一人、味方も無く。
「言い残すこともなさそうですね。では、お覚悟を」
練馬が燈の脇に立ち、波動刀を振り上げる。
が、その刃が首を両断することはなかった。
「ぐっ……くぅ!」
宗次郎が立ち上がって練馬の背後から体当たりをかました。
そのため刃は空を斬り、燈の首から逸れた。
「おや。まだ息がありましたか。一思いに急所を刺したつもりだったのですが……」
ぶつけられた背中をさすりながら、練馬は哀れみを持って宗次郎を見つめている。
生まれたての子鹿のように震える膝を腕で押さえつける様が痛ましい。地面には少なくない出血の跡があり、立ち上がれるのが奇跡だと物語っていた。
「何よ、往生際が悪いわね。これから燈の首をはねるんだから邪魔しないでよ。それとも命乞いでもする気?」
「うる、せえ」
顔を上げた宗次郎の目は死んでいない。むしろこれまでにない力を秘めている。その圧力は宗次郎より圧倒的に強い練馬とシオンを身構えさせた。
「死んでも、あんたたちの味方は……しない」
「……全くもって馬鹿馬鹿しい」
訥々と話す宗次郎に対して、練馬が珍しく静かな怒りをぶちまける。
「理解に苦しみますよ。なぜあなたがそこまで頑張るのか。殿下の味方をしたところで君に何の意味があるのですか!」
誰の目から見ても、宗次郎は数分も経たずに息絶える。練馬たちに挑んでも、戦うすべもないから殺される。
練馬にはきっと理解できないのだろう。
練馬とシオンのような血のつながりは、宗次郎と燈にはない。まして宗次郎は燈に首輪をつけられ、国家反逆罪だと疑われている。
理解できないからこそ苛立つ練馬に対し、宗次郎は毅然とした態度のままだ。
「意味とか、理屈なんざ……どうでもいい」
お宗次郎は歩き出す。腹から垂れた血で石畳を赤くしながら、練馬と対峙する。
「俺は━━━」
ごふ、と口から血を吐いて、宗次郎は自分の意思を告げた。
「自分にできることを、全力でやるって決めたんだ」
何気ない一言にハッとする。
燈の命令に従う。
自分にできることを全力でやる。
宗次郎はただ、燈と交わした約束を果たそうとしているだけだ。
記憶もおぼつかず、常識に欠け、波動を失い。なおかつその命が消えようとしもなお。
たとえ自分が死んだあとに燈が殺されてしまうとしても。
宗次郎は立ち上がる。
━━━何をしているの、私!
呆けていた燈は自分に喝をいれる。
宗次郎は約束を果たそうとしている。ならば自分も約束を果たさなければいけない。
宗次郎を守らなければ。
「宗、次郎」
「心配、するな」
肩越しに覗く宗次郎の顔は蒼白だ。目の周りは黒ずみ、焦点が定まっていない。
「”約束”だから」
まさに死に体。絶体絶命。
されど。
宗次郎の一言は最後のピースとなって、仕掛けに仕掛けられたパズルを完成させた。
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