第一部 第十五話 人探し、自分探し4

 屋敷を抜け出した宗次郎は街をふらふらと歩き続けた。当てなどない。無意識のまま、下を向いて歩き続ける。


 気づけば、遭橋市の真ん中を流れる河の近くまで来ていた。名前は確か麦川だったか。南部と東部を結ぶ川で、長さもそれなりにある。対岸に商店市があるので森山はよく買い物に行くのは知っているが、宗次郎は滅多にここまで足を運ばない。一度だけ、この河岸で門から課外授業を受けた経験があるくらいだ


「ねえお父さん! この橋だよね? 初代国王様と初代王の剣が出会ったの!」


「そうだぞー。ここから全てが始まったんだ。お、あっちで写真撮れるぞ。行ってみようか?」


「うん! 儀式、楽しみだね!」


 旅行客だろうか。川の向こうへ行くための橋の手前で、父子が手を繋いで歩いている。


 どうやらこの橋は有名な観光スポットらしい。何人かの人間が写真を撮っている。


 宗次郎は橋を渡らず、川岸に降りる。駄弁っている釣り人を尻目に離れた場所に座り込んだ。


 川を行き来する船。一定の間隔で岸に打ち付ける波。ゆっくりと過ぎていく時間が宗次郎の心を洗う。


 ━━━なんで逃げたんだろう。


 落ち着いてきて思考が働き出すと、自分が嫌になってきた。


 自分が空虚だということくらいわかっていたはずだ。一年前、完全に記憶を喪失してしまい無になった状態こそが己の原点なのだ。燈は強く宗次郎の本質をついたのだ。


 なのに、なぜあんなにも取り乱してしまったのだろうか。


 ━━━自業自得、だよな。


 燈と神社で会ったとき、とてつもなく高揚した。自分の核心を突くような記憶が戻るんじゃないかと期待した。


 ━━━俺、自分の記憶のために燈を利用しようとしてる……。



「はあああ」


 ため息が出て、体育座りのまま膝に顔を埋める。情けない限りだ。




「全く。何をしているのよ、こんなところで」




 自然と顔が上がる。


 振り向けば燈が土手の上に立っていた。向けられる視線にはほんの少しの憤りが混じっている。顔を見られないよう頭巾をかぶっているおかげか、第二王女とは気づかれずここまでこれたようだ。


 何をしにきたんだという疑問は無言の圧力で降りてくる燈にかき消される。宗次郎は発言の機会を失ったまま、燈が隣に座るのを黙って見ていた。


「……」


「……」


 お互いがうんともすんとも言わないおかげで、波の音がよく聞こえてくる。


 ━━━何を話せばいいんだ。


 穏やかな景色とは裏腹に、宗次郎は内心穏やかではない。問答無用で座ってきた燈がどんな顔をしているのか気になって仕方がない。視線は揺れ、息が若干上がる。


 もう誰でもいいからどうにかしてくれと思った瞬間、燈が口を開いた。


「言っておくけど」


「は、はい」


「あなたに外を出歩かれると困るだけから。勘違いしないで」


「はあ」


 状況が理解できないので勘違いも何もない。宗次郎は間抜けな返事をした。


 何はともあれ、燈から話してくれたおかげで少しだけ気が楽になる。頭巾をかぶって顔が見えないのも好都合だった。


 宗次郎は深く息を吸い込み、倍以上の時間をかけて吐き出した。門から習った心を落ち着かせる技術だ。心はより平静に、視界はよりはっきりしてきた。


「よくここにいるってわかったな」


「門からあなたのことを聞いたの。行き先の候補をしらみつぶしに当たったのよ」


「そっか」


 すぐ見つかったけどねという燈は剣道場にいるときより息が上がっていた。


 思わずありがとうと礼を言いたくなる。が、燈が礼を望んでいないのは明白だ。


「そろそろ屋敷に戻るよ。もう大丈夫だから」


「ダメよ」


 立ち上がったところで裾を掴まれる。


「ダメって。何がだよ」


「あなたよ。このまま終わりだなんて許さないわ。あなただってそう考えているでし

ょう」


 その口調は静かでありつつ、本気だった。


 このまま、という言葉が宗次郎の脳を揺さぶる。確かにこのまま戻っても何も変わ

らない。


 知識を身につけても、おぼろげながら記憶を思い出しても、閉塞感へいそくかんさいなままれ続ける日々。


 ━━━何かが変わるんだろうか。


 燈と初めて会った時に感じた感覚。自分の核心に触れられそうな、狂おしいほどの渇望かつぼうが湧き上がる。


「……どうすればいいんだ?」


「あなたについて教えなさい。あなたの口から」


「俺?」


「そうよ。逃げ出した以上、まだあなたに対する嫌疑は晴れていないわ。疑われたくないのなら、ここで自らの潔白を証明しなさい」


 冷たい視線に見上げられると、暗に見下ろすなと言われる気がして宗次郎は腰を下ろした。


「面白くもなんともないぞ」


「良いのよ。期待はしていないから」


 恥ずかしいような照れくさいような、むず痒い感覚が身体中を駆け巡る。尻の下の

草むらがガサガサと音を立てた。


「安心しなさい。私は初代国王を超える女王になるのよ。あなた一人の苦悩を笑った

りしない」


 燈の瞳に威圧感はなく、ただただ真剣さだけがあった。あまりの真剣ぶりに宗次郎の思考が停止したほどだ。


 ━━━本気なんだな。


 昨日の夜にも、燈は同じような発言を全員に聞かせていた。空から来た災厄とされた天修羅を倒し、千年続く王国の基礎を作り上げた、偉大なる初代国王。目の前の少女はその王を超えるというのだ。笑い飛ばされ、貶され、不可能だと諭されても信条を曲げないのだと。


 もう何をやっても燈には勝てる気がしない。観念した宗次郎は空を見上げ、どこから話そうかを考える。


 少し迷ってから、宗次郎は口を開いた。


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